終活・生活・再生日記 「夢幻」

生と死と再生&感謝、祈り・絆、縁日、雑感等についてお知らせしています。

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毎月5日は弥勒菩薩、水天、気多大明神、大原野大明神の縁日、誕生日&忌日

毎月5日は➀弥勒菩薩、➁水天、➂気多大明神、➃大原野大明神の縁日

 

弥勒菩薩(みろくぼさつ)弥勒仏。


弥勒菩薩


弥勒菩薩(みろくぼさつ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。
一部の大乗経典では字(あざな)が阿逸多 Ajita とされているが、スッタニパータ第五章や、『中阿含経』中の説本経などの初期経典の記述では、弥勒と阿逸多は別人であり、弥勒は仏陀となるという記別を受け、また阿逸多は仏陀ではなく転輪聖王となるという記別を受けている。

弥勒は音写であり、「慈しみ」(梵: maitrī, 巴: mettā)を語源とするため、慈氏菩薩(“慈しみ”という名の菩薩)とも意訳する。

三昧耶形は蓮華上の塔

弥勒菩薩はとおい未来,慈しみにより生あるものすべてをすくうという菩薩。
釈迦(しゃか)入滅後56億7000万年ののち,兜率天(とそつてん)から地上にくだり釈迦にかわって衆生を救済する。天での修行中を弥勒菩薩,未来仏としては弥勒如来(弥勒仏)と称する。日本には飛鳥(あすか)時代に伝来,平安時代には弥勒浄土信仰がさかんとなり,修験道にもとりいれられた。京都広隆寺の半跏(はんか)思惟像が有名。

 

造像例
弥勒菩薩像はインドでは水瓶を手にする像として造形されたが、中国においては、唐までは足を交差させ椅子に座る像として造像され、元・明時代以降は弥勒の化身とされた布袋として肥満形で表された。

一方、飛鳥時代の日本では半跏思惟像として造像が行われた。椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬杖を付いて瞑想する姿である。
大阪・野中寺の金銅像(重文)が「弥勒菩薩」という銘文をもつ最古の半跏思惟像である。京都の広隆寺弥勒菩薩像(木像)は特によく知られており、国宝に指定されている(→弥勒菩薩半跏思惟像)。ただし、半跏思惟像の全てが弥勒菩薩像であるとは限らない。

平安時代鎌倉時代には、半跏思惟像は見られなくなり、立像や坐像として表されるようになる。京都・醍醐寺の快慶作の木像などがその作例である。

日本で広く目にされている弥勒菩薩像に、50円切手の図案がある。これは中宮寺の木造菩薩半跏像である。

弥勒如来像としては、前述の奈良の東大寺の木像(通称「試みの大仏」)(重文)や、当麻寺金堂の塑像(奈良時代、国宝)、興福寺北円堂の運慶一門作の木像(国宝)などが知られる。

◆代表的な弥勒菩薩
・岩戸寺(丹波市

・木造弥勒菩薩半跏像
(通称「宝冠弥勒」)
京都 広隆寺

・奈良 中宮寺

・大阪 野中寺

弥勒菩薩交脚像
東京国立博物館蔵)
・絹本著色弥勒菩薩像(福井・長源寺、鎌倉時代)


☆彡毎月1日・5日・15日は、
➁『水天の縁日』 : 
毎月の5日だけの所もあります。
水天は十二天・八方天の一つで、水を司り、旱天・洪水の難を守るという竜神で、降雨を祈る「水天法」の本尊です。
※「水天」は、水に縁のある神様で「海運業・漁業・水商売」等を加護し、また「安産の守り神」ともされています。
総本社は福岡県久留米市の「水天宮」で、平家の一族と共に壇ノ浦に入水した「安徳天皇」と「建礼門院」が祀られています。
また、東京日本橋の「水天宮」は、水難除け・安産・水商売の守り神として有名です。
安産の神ということから戌の日にも参拝者が多く、特に戌年戌月戌日と縁日が重なると「大戌」といって珍重されます。

一方、密教では、西方を守護する神です。

 

➂気多大明神 気多大社
三大縁結び神社の一つ。
気多大社(けたたいしゃ、正式名:氣多大社)は、石川県羽咋市寺家町にある神社。式内社名神大社)、能登国一宮。旧社格国幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。旧称は「気多大神宮」。
概要
能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して鎮座する。祭神の大己貴命は出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。古くから北陸の大社として知られ、中世・近世には歴代の領主からも手厚い保護を受けた。

現在は本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物の社叢「入らずの森」で知られる。
祭神
祭神は次の1柱。
大己貴命(おおなむちのみこと)

鵜祭
鵜祭(うまつり)は、12月8日 - 16日に行われる古式な祭。大己貴命が高志の北島から鹿島郡の新門島に着いた時、この地の御門主比古神が鵜を献上したのが始まりとされる。祭で鵜を献上する人々は鵜捕部と呼ばれ鹿島郡鹿渡島という所に先祖代々住み、その役に仕えていた。12月8日に鵜崖という場所に神酒・米・花などを供えた後、麻糸を付けた竹竿で鵜を捕らえるが手法には一子相伝の秘訣があるという。献上された鵜は社殿の階上に放され、宮司がそれを内陣に行くよう図るがその時の鵜の進み具合によって翌年の作物の豊凶を占う。進み方が芳しくない時は神楽や御祓いを行う。鵜が内陣の机の上にとまったら神官はそれを捕まえて、浜で放す。気多の鵜祭は能楽の曲目にもなっている。

 

➃大原野大明神 京都大原野神社
大原野神社(おおはらのじんじゃ)は、京都府京都市西京区大原野にある神社。二十二社(中七社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」の別称がある。

神聖な雰囲気に包まれた京春日
大原野神社は、784年に藤原乙牟漏によって創建された古社。長岡京遷都の際、藤原氏氏神として奈良・春日大社の分霊を勧請したのが起源と伝わり、「京春日」とも呼ばれている。豊かな自然に囲まれた境内は、スイレンや紅葉の名所として知られており、数日間しか咲かないことから幻の桜といわれる「千眼桜」も見られる。また、春日大社と同様に鹿が神使とされており、境内には珍しい鹿の像や、鹿のおみくじ・お守りといった授与品もある。

源氏物語の作者紫式部大原野神社氏神と崇め、この大原野の地をこよなく愛していました。源氏物語二十九帖「行幸(みゆき)」の巻には、大原野へと向かう冷泉帝の華やかで美しい行列の様子が描かれ、紫式部のこの地への思いの一端を伺い知ることができます。 また、紫式部が生前に自ら撰んだとされる家集「紫式部集」に次の歌が詠まれています。

また、藤原業平が和歌を詠じて奉ったことは有名です。

桜の季節の見どころ
桜並木が続く参道を行くと、枝垂桜の古木「千眼桜」があります。開花して3日ほどで散ってしまうため、幻の桜と言われています。
【桜の本数】約60本
紅葉の季節の見どころ
広大な境内には古の風情が漂い、色づいた紅葉がより一層美しく映えます。

祭神
祭神は次の4柱(「春日神」と総称)で、春日大社と同じ。
武御賀豆智命(武甕槌命
伊波比主命(経津主命
天之子八根命(天児屋根命
比咩大神(比売神

ご利益は 方除け 良縁

安産祈祷
妊娠5ヶ月目の戌の日に安産を祈願し、帯祝いを行います。
腹帯をお持ちください、ご一緒にお祓いいたします。お持ちでない方はご用意いたします。

初宮詣り
生後1ヶ月以降、この日に初めて神社にお参りし赤ちゃんの健やかな成長をお祈りします。
 

七五三詣り
男子は3歳・5歳、女子は3歳・7歳に神社にお参りし今までの無事を神様に感謝し、今後の健やかな成長をお祈りします。
 
成人式
社会に対する自覚を深め、神社にお参りし、神さまのご神恩に感謝し、成人の仲間入りできたことを奉告します。

 

☆彡11月5日誕生日
1895年 ヴァルター・ギーゼキング (独:ピアニスト)Walter Gieseking[1956年10月26日歿]
1901年 海音寺潮五郎 (小説家『天正女合戦』『天と地と』)戸籍上は03/13
1936年上期直木賞[1977年12月1日歿]
1905年 入江泰吉 (写真家)[1992年1月16日歿]
1913年 ヴィヴィアン・リー (英:女優『風と共に去りぬ』『欲望という名の電車』)
Vivien Leigh[1967年7月8日歿]
1923年 佐藤愛子 (小説家『戦いすんで日が暮れて』)1969年上期直木賞
1927年喜味こいし (漫才師(いとし・こいし))[2011年1月23日歿]
1928年 松尾昭典 (映画監督)[2010年7月12日歿]
1928年 平良とみ (女優)[2015年12月6日歿]
1937年 青空はるお (漫才師[元](青空はるお・あきお),レポーター)
1940年 ヒデ夕樹 (歌手)[1998年12月8日歿]
1941年 アート・ガーファンクル (米:フォーク歌手(サイモン&ガーファンクル))
Arthur(Art) Ira Garfunkel
1941年 富野由悠季 (アニメ監督『機動戦士ガンダム』)
1943年 サム・シェパード (米:俳優)Sam Shepard
1951年 天地真理 (タレント,歌手,「新三人娘」の一人)
1955年 Korn(ブラザー・コーン) (歌手(バブルガムブラザーズ))
1956年 山村美智(山村美智子) (女優,アナウンサー[元](CXフジテレビ))
1958年 小林明子 (歌手『恋におちて』)
1959年 ブライアン・アダムス (カナダ:歌手)Bryan Adams
1963年 テータム・オニール (米:女優)Tatum O'Neal
1965年 三貴将史 (俳優)
1975年 滝下毅 (声優)[2013年3月10日歿]
1977年 谷口賢志 (俳優)
1985年 Ahhco(勝又亜依子) (歌手)wikipedia - Ahhco
1985年 田中聖 (タレント(KAT-TUN))
1986年 BoA (韓国:歌手)
1988年 原紗友里 (声優)

 

☆彡11月5日忌日
1869年 大村益次郎 (兵学者,日本近代軍制の祖) <数え46歳>9月4日に京都で襲われた傷が元で死亡[1824年5月3日生]
1918年 島村抱月 (評論家,劇作家,イギリス文学者,翻訳家) <47歳>[1871年1月10日生]
1934年 櫛田民藏 (経済学者,マルクス経済学の開拓者) <48歳>[1885年11月16日生]
1955年 モーリス・ユトリロ (仏:画家) <71歳>Maurice Utrillo[1883年12月25日生]
1956年 アート・テイタム (米:ジャズピアニスト) <46歳>Art Tatum[1910年10月13日生]
1981年 渡辺邦男 (映画監督) <82歳>[1899年6月3日生]
1982年 ジャック・タチ (仏:映画プロデューサー,俳優『ぼくの伯父さん』) <74歳>
Jacques Tatisceff(Tati)[1908年10月9日生]
1989年 ヴラジーミル・ホロヴィッツ (ウクライナ・米:ピアニスト) <86歳>
Vladimir Samoilovich Horowitz[1903年10月1日生]
1990年 江戸川蘭子 (歌手,女優) <76歳>[1913年11月13日生]
1996年 安田伸 (俳優,ミュージシャン(クレージー・キャッツ/サックス)) <64歳>[1932年9月19日生]
1998年 河内桃子 (女優) <66歳>[1932年3月7日生]
2002年 范文雀 (女優) <54歳>[1948年4月15日生]
2010年 佐野洋子 (エッセイスト,絵本作家『100万回生きたねこ』) <72歳>[1938年6月28日生]
2014年 川口幹夫 (NHK会長(16代)) <88歳>[1926年9月25日生]

 

 

毎月4日は阿閦如来、気比大明神、松尾大明神の縁日です。11月4日誕生日と忌日

毎月4日は➀阿閦如来、➁気比大明神、➂松尾大明神の縁日です。

 

➀阿閦如来(あしゅくにょらい)
阿閦如来(あしゅくにょらい)、梵名アクショービヤ)は、仏教における信仰対象である如来の一尊。
阿閦仏ともいう。漢訳仏典では阿閦婆などとも音写し不動、無動、無瞋恚などとも訳される。
三昧耶形は五鈷金剛杵。

※阿閦如来(あしゅくにょらい)とは?
 語源は「揺るぎないもの」を意味し、物事に動じず迷いに打ち勝つ強い心を授けるといわれています。阿閦如来は「大円鏡智(だいえんきょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。「大円鏡知」は知識や経験のない純粋な心、鏡のようにありのままを映し出す清らかな心という意味を持っています。
ご利益
 密教における大日如来の五つの智慧を表す五智如来の一尊で、薬師如来と同等と考えらました。そのため病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるといわれています。

阿閦如来(あしゅくにょらい)の像容
 左手は衣服の端を握り、右手は指を下に伸ばす降魔印(ごうまいん)を結んでいます。これは恐怖や誘惑に打ち勝つ強い心を表しています。阿閦如来の単独の造像はほとんどありません。

◆有名寺院と像
 ・京都府:東寺
 ・奈良県西大寺

◆概要
阿閦如来密教における金剛界五仏の一で、金剛界曼荼羅では大日如来の東方(画面では大日如来の下方)に位置する。唯識思想でいう「大円鏡智」(だいえんきょうち)を具現化したものとされる。また胎蔵界の東方、宝幢如来と同体と考えられている。

梵名のアクショービヤとは「揺るぎない」という意味で、この如来の悟りの境地が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示す。印相は、右手を手の甲を外側に向けて下げ、指先で地に触れる「触地印」(そくちいん)を結ぶ。これは、釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘惑を受けたが、これを退けたという伝説に由来するもので、煩悩に屈しない堅固な決意を示す。

「阿閦仏国経」(『大宝積経』第六不動如来会)によれば、昔、この娑婆世界から東方千仏の国を経て阿比羅提(アビラッティー、妙喜・善快・妙楽と訳す)という国があり、そこに大日如来が出現した時、無瞋恚の願を発し修行して、一切の瞋恚と淫欲を断滅し成就完成して仏となり、いま現にその仏国土において説法中であるという。

◆造像
日本における阿閦如来の彫像は、五仏(五智如来)の一として造像されたものが大部分であり、阿閦如来単独の造像や信仰はまれである。重要文化財指定品で阿閦如来と称されているものには、奈良・法隆寺大宝蔵殿南倉安置の木造坐像、和歌山・高野山親王院の銅造立像がある。

空海が開創した高野山金剛峯寺金堂(旧堂は1926年に焼失)の本尊は阿閦如来と伝承されていたが、薬師如来とする説もあり、さらには阿閦と薬師は同体であるとする説もあった。同像は古来から完全な秘仏であったことに加え、1926年の火災で焼失してしまったため、その像容は不明である。

光明皇后が自ら建立した法華滅罪之寺の浴室で1000人の民の汚れを自ら拭うという願を立てられたが、1000人目は皮膚から膿を出す病人であり、皇后に膿を口で吸い出すよう要望した。皇后が口で吸いだされると病人は阿閦如来と化したという伝説がある。


➁気比大明神(けひだいみょうじん) 気比神宮


気比神宮

 


氣比神宮(けひじんぐう、気比神宮)は、福井県敦賀市曙町にある神社。式内社名神大社)、越前国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

◆御利益
家内安全。商売繁盛。航海安全。
食の点から健康、延命長寿、命の蘇りの力を授かる。生命力補充。
「氣比の長命水」をいただくとよい。
金運アップ。対人運アップ。開運。五穀豊穣。芸能上達。対人運アップ。海上交通安全。
農漁業の守護。無病息災。延命長寿。日本の政治を守る役割を担っている。

◆概要
福井県中央部、敦賀市市街地の北東部に鎮座する。敦賀は天然の良港を有するとともに、北陸道諸国(現在の北陸地方)から畿内への入り口であり、対外的にも朝鮮半島中国東北部への玄関口にあたる要衝である。神宮はそのような立地であることから、「北陸道総鎮守」と称されて朝廷から特に重視された神社であった。

古事記』『日本書紀』では早い時期に神宮についての記事が見えるが、特に仲哀天皇(第14代)・神功皇后応神天皇(第15代)との関連が深く、古代史において重要な役割を担う。

また、中世には越前国の一宮に位置づけられており、福井県から遠くは新潟県まで及ぶ諸所に多くの社領を有していた。

社殿はほとんどは第二次世界大戦中の空襲で焼失したため、現在の主要社殿は戦後の再建になる。空襲を免れた大鳥居は「日本三大鳥居」にも数えられる壮麗な朱塗鳥居であり、国の重要文化財に指定されている。また境内社の角鹿(つぬが)神社は「敦賀」の地名発祥地であると伝える。そのほか祭事では多数の特殊神事が現在まで続き、古図、古面等の有形文化財を伝えている。

◆祭神は次の7柱。本殿(本宮)に主祭神と2柱、本宮周囲の四社の宮(ししゃのみや)にそれぞれ1柱を祀る。
本殿(本宮)
伊奢沙別命(いざさわけのみこと) - 主祭神。「気比大神」または「御食津大神」とも称される。
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) - 第14代天皇
神功皇后(じんぐうこうごう) - 仲哀天皇の皇后。
四社の宮
東殿宮:日本武尊(やまとたけるのみこと)
総社宮:応神天皇(おうじんてんのう) - 第15代天皇
平殿宮:玉姫命(たまひめのみこと、玉妃命) - 『気比宮社記』では神功皇后の妹の虚空津比売命とする。
西殿宮:武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)

 

➂松尾(まつのお)大明神 京都松尾大社


松尾大社

 


松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)は、京都府京都市西京区嵐山宮町にある神社。式内社名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
所在地京都府京都市西京区嵐山宮町3

◆概要
京都市西部、四条通西端に位置し、東端の八坂神社(祇園社)と対峙して鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。

その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社賀茂別雷神社賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。

境内は、神体の松尾山の麓に位置する。本殿は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない両流造であり国の重要文化財に指定されている。また多くの神像を有することでも知られ、男神像2躯・女神像1躯の計3躯が国の重要文化財に、ほか16躯が京都府指定有形文化財に指定されている。そのほか、神使を亀とすることでも知られる。

文献では『延喜式金剛寺本、『枕草子』、『太平記建武2年(1335年)正月16日合戦事条、『御湯殿上日記』明応8年(1499年)条等においていずれも「まつのお/まつのを」と訓が振られている。

◆酒神としての信仰
日本第一の酒造神とされる。
社伝では社殿背後にある霊泉「亀の井」の水を酒に混ぜると腐敗しないといい、醸造家がこれを持ち帰る風習が残っている。

主祭神は次の2柱
大山咋神(おおやまぐいのかみ)
中津島姫命(なかつしまひめのみこと) - 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の別名とする

 

 

☆彡11月4日誕生日
1873年 泉鏡花 (小説家『婦系図』『歌行灯』)[1939年9月7日歿]
1901年 李方子(梨本宮方子女王) (朝鮮王朝最後の皇太子妃,障害児教育家)[1989年4月30日歿]
1902年上村松篁 (日本画家)1984文化勲章[2001年3月11日歿]
1918年 アート・カーニー (米:俳優『おかしな二人』『ハリーとトント』)
Art Carney[2003年11月9日歿]
1926年 小松方正 (俳優)[2003年7月11日歿]
1933年 池内淳子 (女優)[2010年9月26日歿]
1940年 森瑤子 (小説家)[1993年7月6日歿]
1947年 衣通真由美(衣通月子) (女優(宝塚歌劇[元](51期)))
1947年 西田敏行 (俳優,歌手)
1950年 堀越陽子 (女優)
1962年 ラルフ・マッチオ (米:俳優)Ralph Macchio
1963年 NOKKO(のっこ) (歌手,ミュージシャン(REBECCA/ヴォーカル))
1964年 高杉亘 (俳優)
1964年 水谷優子 (声優)
1969年 池津祥子 (女優)
1974年 ルイーズ・ナーディング (英:歌手)Louise Nurding
1974年 山本未來 (女優,山本寛斎の子)
1981年 尾野真千子 (女優)


☆彡11月4日忌日
1596年 服部半藏正成 (武将,伊賀忍者の指導者) <数え55歳>[1542年生]
1847年 フェリックス・メンデルスゾーン (独:作曲家『真夏の夜の夢』) <38歳>
Jakob Ludwig Felix Mendelssohn-Bartholdy[1809年2月3日生]
1921年 原敬 (首相(19代)「平民宰相」,内相(25・27・29代),司法相(22代),逓信相(11・16代)) <65歳>東京駅で中岡艮一に刺殺[1856年2月9日生]
1924年 ガブリエル・フォーレ (仏:作曲家) <79歳>Gabriel Urbain Fauré[1845年5月12日生]
1955年サイ・ヤング (米:野球(投手)) <88歳>Cy Young
1937年アメリカ野球殿堂[1867年3月29日生]
1961年 7代目坂東三津五郎 (歌舞伎役者) <79歳>1960年人間国宝
[1882年9月21日生]
1976年 5代目神田伯山 (講談師) <78歳>[1898年4月28日生]
1980年 長浜忠夫 (アニメ監督) <48歳>[1932年9月26日生]
1991年 横山フク (参議院議員[元],助産婦) <84歳>[1907年2月16日生]
1997年 青田昇 (野球(外野手・監督)) <72歳>2009年野球殿堂[1924年11月22日生]

毎月3日は宝生如来、多宝如来、広田大明神の縁日

毎月3日は➀宝生如来、➁多宝如来、➂広田大明神の縁日

 

宝生如来(ほうしょうにょらい)は仏教の如来の一尊。五大如来のひとつで、金剛界曼荼羅では大日如来の南方に位置する。四菩薩を眷属けんぞくとします。

唯識思想における仏の悟りの境地の1つである「平等性智」を具現化したものである。


いろいろな宝物を生み出し、福徳を授ける仏様です。あらゆるものは平等であるという精神を説きます。


望みをかなえる与願印を結ぶのが特徴です。

 

開敷華王如来(かいふけおうにょらい)と同じとする考え方もあります。
また、宝相如来(ほうそうにょらい)との関連性もあるとする説もあります。

 

●五大如来金剛界五仏
中央大日如来/東阿閃如来/南宝生如来/西阿弥陀如来/北不空成就仏


胎蔵界五仏
中央大日如来東宝如来/南開敷華王如来/西無量寿如来/北天鼓雷音如来


●四菩薩
金剛宝/金剛光/金剛幢/金剛咲

 

宝生如来(ほうしょうにょらい)は、仏教における信仰対象である如来の一尊。
五智(ごち)如来の一。大日如来に備わる平等性智(びょうどうしょうち)から出たもので、金剛界曼荼羅(まんだら)の南方の月輪の中尊。肌は金色で、一切の財宝をつかさどるという。宝生仏。

 

五智如来(ごちにょらい)は、五大如来ともいい、密教で5つの知恵(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を5体の如来にあてはめたもの。金剛界五仏のことである。 作例としては、東寺(教王護国寺)講堂、京都・安祥寺の像が著名である。《大日如来(中心)、阿閦如来(東方)、宝生如来(南方)、観自在王如来阿弥陀如来)(西方)、不空成就如来(北方)》

三昧耶形は三弁宝珠。


密教における金剛界五仏の一で、金剛界曼荼羅では大日如来の南方(大日如来の向かって左方)に位置する。唯識思想における仏の悟りの境地のひとつ「平等性智」(びょうどうしょうち)を具現化したものである。


和歌山・金剛三昧院多宝塔の五智如来

これは、全ての存在には絶対の価値があるということを示す。 印相は、左手は腹前で衣を掴み、右手は手の平を前に向けて下げる「与願印」(よがんいん)を結ぶ。

 

日本における宝生如来の彫像は、五仏(五智如来)の一として造像されたものが大部分であり、宝生如来単独の造像や信仰はまれである。

 

宝生如来(ほうしょうにょらい)は財宝を生み出し人々に福徳を授ける仏
  語源は「宝よりうまれたもの」を意味し、財宝を生み出し人々に福徳を授けるといわれています。一切の垣根を取り払い、あらゆる全ての現象・事物を平等に観るという意味で「平等性智(びょうどうしょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。

 密教における大日如来の5つの智慧を表す五智如来の一尊です。

 

ご利益
 病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるとされています。


宝生如来(ほうしょうにょらい)の像容
 左手は衣服の端を握り、右手は手の掌を前に向けて下げる与願印(よがんいん)を結んでいます。願いを聞き入れ、望むものを与えようとする身振りを表しています。宝生如来の単独の造像はほとんどありません。


有名寺院と像
 ・京都府:東寺
 ・奈良県唐招提寺
 ・大阪府:歓心寺

 

多宝如来(たほうにょらい) 多宝仏(たほうぶつ) 
三十日秘仏の三日仏。宝勝如来と同じ、とも言われます。

東の方角にある宝浄という世界に居る仏様です。

 

ふつう多宝塔にお釈迦様(左)と共に祀られます。

 

お釈迦様が法華経を説いているとき、高さ500由旬ゆじゅんの宝塔が出現し、法華経が真実であることを賞賛しました。そして、中に坐していた多宝如来が半分席をゆずり、並んで坐った話しに基づきます。
※1由旬=約7キロメートル。数値はかなりアバウトです。牛に車を引かせて、1日で進める距離。


多宝如来は『法華経』宝塔品に現れる仏で,もと東方宝浄世界の教主であった。菩薩の位にあったときの誓願は,法華の説法のあるところには宝塔を湧き起らせて,その説法が真実であることを証明しようということであった。彼は,釈尊の説法が真実であることを,宝塔を湧出させて証明したと説かれている。

 

多宝如来(たほうにょらい)は、仏教の信仰対象である如来の1つ。サンスクリットではプラブータ・ラトナ Prabhūta-ratnaと言い、「多宝」は意訳である。妙法蓮華経法華経)に登場する、東方の宝浄国の教主。釈尊の説法を賛嘆した仏である。多宝塔に安置したり、多宝塔の両隣に釈迦牟尼仏と合わせて本尊(一塔両尊)にしたりする。

 

法華経の見宝塔品第十一
多宝如来は、過去仏(釈尊以前に悟りを開いた無数の仏)の1人であり、東方無量千万億阿僧祇(あそうぎ)の宝浄国に住するという(「無量千万億阿僧祇」とは「無限のかなた」というほどの意味)。中国、朝鮮半島、日本を通じて多宝如来単独の造像例はほとんどなく、妙法蓮華経法華経)信仰に基づいて釈迦如来とともに2体1組で表される場合がほとんどである。

 

釈迦如来多宝如来を一対で表すのは、法華経の第11章にあたる見宝塔品(けんほうとうほん)の次の説話に基づく。

 

釈尊(釈迦)が説法をしていたところ、地中から七宝(宝石や貴金属)で飾られた巨大な宝塔が出現し、空中に浮かんだ。空中の宝塔の中からは「すばらしい。釈尊よ。あなたの説く法は真実である」と、釈尊の説法を称える大音声が聞こえた。その声の主は、多宝如来であった。

 

多宝如来は自分の座を半分空けて釈尊に隣へ坐るよう促した。釈尊は、宝塔内に入り、多宝如来とともに坐し、説法を続けた。過去に東方宝浄国にて法華経の教えによって悟りを開いた多宝如来は「十方世界(世界のどこにでも)に法華経を説く者があれば、自分が宝塔とともに出現し、その正しさを証明しよう」という誓願を立てていたのであった。

 

この説話に基づき、釈迦如来多宝如来を一対で造像したり、1つの台座に釈迦如来多宝如来が並んで坐す並坐像(びょうざぞう)が作られた。

 

如来像の安置 多宝如来の有名な彫像としては奈良県奈良市雑司町『東大寺』がある。
日蓮宗法華宗
日蓮宗法華宗では、多宝如来法華経の正しさを証明する仏として、釈迦如来に次いで重視されており、宝塔の両脇に釈迦如来多宝如来を配した「一塔両尊」という安置形式をしばしば見る。

 

日蓮宗法華宗以外
日本における日蓮宗法華宗以外の遺品としては、奈良・東大寺戒壇院中央の塔内に安置された釈迦如来多宝如来像(唐時代)が知られる。中国における作例としては、東京・根津美術館所蔵の銅造釈迦如来多宝如来並坐像は、中国・北魏の「太和13年」(489年)の銘があり、制作年代の判明する基準作として貴重である。
 
※代表的な如来である釈迦如来大日如来阿弥陀如来薬師如来のことを四如来という。


五智如来大日如来(中心)、阿閦如来(東方)、宝生如来(南方)、観自在王如来阿弥陀如来)(西方)、不空成就如来(北方)を言う。


➂広田大明神 ・広田神社(ひろたじんじゃ)
廣田神社ひろたじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社


兵庫県のパワースポット廣田神社 Sacred Sites in Japan

 

兵庫県西宮市にある廣田神社(広田神社)は、神功皇后摂政元年(201)、国難打破の道を教え、皇子(第15代應神天皇)のご懐妊を告げ、安産を守り、軍船の先鋒となり導き、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた天照皇大神荒御魂の御神誨により、御凱旋の帰途、神功皇后により武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から尼崎西部)に御創建されたことが、我が国最古の国史書「日本書紀」に記されている兵庫県第一の古社(旧官幣大社)です。

 

境内総坪数は16,000坪。4月上旬には約2万株のコバノミツバツツジ兵庫県天然記念物)が境内一帯に咲きます。阪神タイガースの必勝祈願でも知られます。

 

※社頭祈祷(本殿にて祈祷)
七五三・初宮祈祷・家内安全祈願・安産祈願・合格・必勝祈願・厄除け祈願・成人奉告祭・病気平癒・健康長寿・
交通安全・心願成就・神恩感謝・神前結婚式・会社祈祷・団体祈祷・工事安全祈祷祭です。

11月3日には明治祭【中祭】が行われる。


日本を文化国家にする基を示された明治天皇のご誕生を寿ぐ祭 午前9時より

 

◆祭神
主祭神
天照大神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))
 伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体
脇殿神
住吉大神
八幡大神
武御名方大神
高皇産霊神

 

 

毎月2日は燈明仏(雲自在燈王、日月燈明仏)、延命子育地蔵尊、諏訪大明神の縁日。今日のパワースポットは?

毎月2日は➀燈明仏(雲自在燈王、日月燈明仏)、➁延命子育地蔵尊、➂諏訪大明神の縁日

 

☆彡毎月2日は
●『燈明仏・如来(とうみょうぶつ・とうみょうにょらい)の縁日』

➀燈明仏(如来)は三十日秘仏の二日仏。燈明仏は雲自在燈王ともいいます。日月燈明仏と同じともいわれます。

※【日月灯明仏・日月燈明仏】にちがつとうみょうぶつ
天にあっては日月のごとく、地にあっては灯明のごとき光明を具える仏の名。
過去世において法華経を説いた仏。同名の2万の仏が続いて出て説いたといい、最後の仏の子八人のうちの一人が燃灯仏 (ねんとうぶつ) であるとする。

法華経 序品〕
太陽と月が同時に光輝くほど明るいという意味の日月燈明如来は 完全無欠な徳を具えた如来でした。
 この如来が説くー真理の法ーは 最初の頃/中頃/終わり頃 と少しずつ変化していきましたが
 この如来は 常に ただひとつの真理の法を 説いておりました。
 この如来の神通力/ 陀羅尼門 だらにもん ー悪行を止めさせ 善行を実行させる力ー は とくに優れておりました。
 煩悩の迷いで心が苦しむ衆生には まず「四諦の法」したいのほう を説き 煩悩を断ちきらせました。
 次に「八正道」を説き 「四苦八苦」にとらわれぬ心を固めさせ 人生の変化に驚かぬ境地へ導きました。
 また 「辟支仏」びゃくしぶつ (縁覚えんかく )を求める衆生には 「12因縁の法」を 詳しく説きました。
 また 菩薩には 「六波羅密」の法を説いて最高の智慧を教え 仏の悟りの境地へ導きました。
 つまり この如来衆生たちの教化・利導のため 宇宙の真理の法則を説いていました。
 この如来が滅後めつご した後は 即 次の日月燈明如来が出現し 同じ教えを衆生に説きました。
 この後 二万人もの日月燈明如来が出現し法を説き 多くの衆生を救ったのでした。

その最後に出現された日月燈明如来は 過去世にて 某国あるくに の国王の身であったのでした。
 その国王が 一大決意されて 八人の王子を引き連れて出家されました。
 出家後は 多くの諸仏のもとで善行を積み長い修行を重ねて ついに日月燈明如来と成られたのです。


 
 
☆彡毎月2のつく日(毎月2日,12日,22日)は
●『延命子育地蔵尊(荒川区)の縁日』

➁延命子育地蔵尊(エンメイコソダテジゾウソン 東京)
 延命子育地蔵尊地蔵菩薩の本願のうち、特に延命の功徳を強調した呼称で 延命・利生(りしょう)を誓願する地蔵尊。新しく生まれた子を守り、その寿命を延ばすという。後世は、短命・若死にを免れるため信仰された。
江戸時代には,延命地蔵,腹帯地蔵,子育地蔵,片目地蔵など無数の身代り地蔵が民衆によって創出されるが,こうした身代り的現世利益とともに,地蔵は来世救済の面も兼ねそなえ,日本人にとってもっとも親しみ深い菩薩として今日にいたっている。
場所は荒川遊園地前停留場 -電停あらかわ遊園前からスポーツハウスまでの車道は、「車両通行止め」(自転車を除く)となります。

延命子育地蔵尊 (東京都荒川区西尾久6-32 )
延命子育地蔵尊は寛文9年(1669)・宝永2年(1705)銘の日待供養碑2基を始め、寛永20年(1643)銘の地蔵菩薩庚申塔等、江戸時代に建てられた石造物があります。

 延命・子育てにご利益があると言われており、毎月2日・12日・22日の「2の日」には、縁日があり、毎年7月12日には、祭りを行っています。
所在地: 荒川区西尾久6-32
文化財
日待供養碑2基(寛文9年11月16日銘他) [区登録]
お問い合わせ
観光振興課観光振興係
〒116-8501
荒川区荒川二丁目2番3号(本庁舎6階)
電話:03-3802-3111(内線:461)
 
 
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。
サンスクリット語ではクシティガルバと言う。

クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」としている。また持地、妙憧、無辺心とも訳される。三昧耶形は如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具)、錫杖。

大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。

日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に、「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶ菓子が供えられている。

一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。

地蔵菩薩は大地のように広大な慈悲で生あるものすべてをすくうという菩薩。

釈迦(しゃか)入滅後,弥勒(みろく)菩薩が如来(にょらい)としてあらわれるまでの無仏の間,六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道修羅道・人道・天道)衆生を救済するとされる。

中国では唐末、日本では平安中期から盛んに信仰された。像は菩薩でありながら一般に僧形で慈愛に満ちた円満柔和な僧形に作り、多くは右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を持つ。

日本では平安時代からひろく信仰され,とくに子供の守り仏とされる。路傍の六地蔵,地蔵盆などでしたしまれる。

像容は普通,左手に宝珠を持ち,右手は与願印または錫杖を持ち,袈裟法衣を着けた比丘形で表現される。遺品として法隆寺の木像 (10世紀) ,伝香寺の木像 (13世紀前半) などが著名。

◆功徳利益
地蔵菩薩本願経』には、善男善女のための二十八種利益と天龍鬼神のための七種利益が説かれている。

●二十八種利益
天龍護念(天龍が保護してくれる)
善果日増(善い行いの果報が日々増していく)
集聖上因(悟りの境地へ至る因縁が集まってくる)
菩提不退(悟りの境地から後退しない)
衣食豊足(衣服や食物に満ち足りる)
疾疫不臨(疫病にかからない)
離水火災(水難や火災を免れる)
無盗賊厄(盗賊による災厄に遭わない)
人見欽敬(人々が敬意を払って見てくれる)
神鬼助持(神霊が助けてくれる)
女転男身(女性から男性になれる)
為王臣女(王や大臣の令嬢になれる)
端正相好(端正な容貌に恵まれる)
多生天上(天界に生まれ変わることが多い)
或為帝王(あるいは人間界に生まれ変わって帝王になる)
宿智命通(過去世〈宿命、しゅくみょう〉を知る智慧を持ち、過去世に通ずる)
有求皆従(要求があれば皆が従ってくれる)
眷属歓楽(眷属が喜んでくれる)
諸横消滅(諸々の理不尽なことが消滅していく)
業道永除(地獄などの悪い場所に生まれ変わらせる業道(karma-patha)が永く除かれる)
去処盡通(赴く場所にうまくいく)
夜夢安楽(安らかな夢を見る)
先亡離苦(先祖が苦しみから解放される)
宿福受生(過去になした善行によって良い生まれを受ける)
諸聖讃歎(諸聖人が讃えてくれる)
聰明利根(聡明で利発になる)
饒慈愍心(慈悲の心に溢れる)
畢竟成佛(必ず仏になる)

●七種利益
速超聖地(速やかに聖地を超える)
悪業消滅(悪いカルマが消滅する)
諸佛護臨(諸々の仏が護ってくれる)
菩提不退(悟りの境地から後退しない)
増長本力(本来持っていた能力が増幅される)
宿命皆通(過去世の全てに通ずる)
畢竟成佛(必ず仏になる)

※地蔵祭り
地蔵盆(じぞうぼん)は、地蔵菩薩の縁日で、厳密には毎月24日であるが、一般的には、その中で特にお盆にも近い旧暦7月24日のものをいう。

ただし、寺院に祀られている地蔵ではなく、道祖神信仰と結びついた「路傍や街角のお地蔵さん」いわゆる「辻地蔵」が対象となっている。
ユネスコ無形文化遺産や、日本国の民俗文化財などに該当する。

期間としては、当日の前日の宵縁日(旧暦7月23日)を中心とした3日間を指す。縁日(祭り)はその期間内の特定の日を選んで行われる。

旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆会(お盆)の時期に近く、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。現代では、参加する人々の仕事などに合わせ、多少日程をずらして土日に行うところも増えている。

現在では新暦で行われ、新暦7月24日前後の地域と、月遅れで8月24日前後の地域に分かれるが、どちらかというと8月23・24日が多い。

地蔵盆近畿地方を中心とする地域で盛んな行事である(長野県長野市善光寺長崎県対馬市厳原町など、近畿地方から離れた地方でも地蔵盆を行う地域は存在する)。一方、関東地方や東北地方では地蔵信仰自体が浸透していないため、地蔵盆も殆ど行われない。

ただし東北地方であっても、宮城県気仙沼市など、遠隔地との文化交流が古来からあるような古い港町ではこの限りではない。

地蔵祭では、地蔵のある町内の人々がこの日にかけて地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付けて、地蔵の前に集って灯籠を立てたり供え物をしたりして祀る。

地蔵盆の前後には、地蔵の据えられる家や祠の周囲などに、地蔵盆独特の提灯が多く飾られる。京都では子供が生まれると、その子の名前を書いた提灯を奉納する風習がある。おおむね女子は赤、男子は白で、その子が地蔵盆に参加しているあいだは、毎年飾られる。

地蔵菩薩は中近世以降子供の守り神として信仰されるようになった。広く知られた伝説によれば、地蔵菩薩が、親より先に亡くなった子供が賽の河原で苦しんでいるのを救うという。このことから地蔵祭においては特に子供が地蔵の前に詣り、その加護を祈る習わしになっている。

ところによっては、仏僧による読経や法話も行われるが、おおむねそれらの多くは子供達に向けたものである。地域によっては、地蔵盆当日の朝に「数珠回し」を行う。これは、町内の子供が、直径2〜3メートルの大きな数珠を囲んで座り、僧侶の読経にあわせて順々に回すというものである。

今日では地蔵盆は子供のための祭とも言え、地蔵に詣った子供達は地蔵の前に集まった席で供養の菓子や手料理などを振る舞われる場合が多い。また地域の子供達が一堂に会するため、子供達に向けたイベントも行われたり、そのまま子供達の遊び場となることもしばしばである。

初日朝に地蔵盆の用意をし、仏僧による読経、子供におやつの配布(日に一度か二度)、夜のイベント(踊りや線香花火など)。翌日、おやつ配布、お供えのお下がり配布、後片付けといった流れが多いようである。しかし、子供が少なくなったことや大人たちの都合がつきにくくなったりすることから、一日で終えてしまう町内も増えつつある。

また、地蔵盆における福引は、「ふごおろし」とも呼ばれる形式で行われていた。福引担当の家の向かいの家から渡したロープにつるし紐で手繰り寄せた。その後、その品を紐で1階へ下ろして渡すものである。しかし、最近ではこういった福引はほとんど見られなくなった。

また、町内によっては天道大日如来を祀っており、それらの町内では大日如来の縁日である旧暦7月28日もしくは、それ前後(地蔵盆同様、お勤めの時期に7月もしくは8月の差異あり)に、同様の祭りである大日盆を行う。上述の地蔵盆と同じく日程をずらして土日にすることが多いため、年によっては他の町内に1週間遅れて大日盆を勤めることもある。

地蔵菩薩の縁日は毎月24日に行われるのが通常である。

●子育延命地蔵尊半跏像
新潟県新潟市秋葉区小須戸/茂林寺
毎年5月7日・8日に御開帳。

 

☆彡毎月2日は
●『諏訪大明神(すわだいみょうじん)』諏訪大社の縁日


神社ヒーリング 諏訪大社 長野県のパワースポット神社

 

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺4か所にある神社。式内社名神大社)、信濃国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「梶の葉」。

諏訪大社はお諏訪様・諏訪大明 神として全国津々浦々の人々から親しまれ、崇敬されています。また、諏訪湖の南に上社(前宮と本宮)、北に下社(春宮と秋宮)とに分か れ、この四社を合わせて諏訪大社と総称します。

古代は狩猟農耕の神として、武 士の時代には軍神として、現在では産業や交通安全、縁結びの神として崇められています。諏訪大社には本殿と呼ばれる建物が無く、その 代りに秋宮は一位の木を、春宮は杉の木を御神木として拝しています。

全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。旧称は諏訪神社。通称として「お諏訪さま」「諏訪大明神」等とも呼ばれる。


主祭神
建御名方神
八坂刀売神
八重事代主神(下社配神)

諏訪大社のご利益
【上社本宮】
  ・独立や新規事業の立上げ時に、始原的な生命力をもたらす
  ・御柱に象徴される「人生に新たな柱を立てる」場所
【上社前宮】
  ・心身の浄化
【下社秋宮・下社春宮】
  ・家庭運・結婚運をもたらす
  ・秋宮:今やっている事を発展させる力
  ・春宮:新しく事を始める・立ち上げる力

◆ご祭神 
【上社本宮】 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
   天孫降臨・国譲り神話に登場する、オオクニヌシ命の子神。
   鹿島・香取に並ぶ軍神・勝負の神、雨風を司る龍神様。 
【上社前宮】 八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
   建御名方神の妃神。記紀神話には登場しない諏訪固有の神様。 
【下社秋宮・下社春宮】
  ・八坂刀売神主祭神
  ・建御名方神
  ・八重事代主神(配神)…建御名方神の兄神、事を知り言を代弁する「知恵の神様」

 

毎月1日は定光仏、水天、妙見、熱田大明神の縁日です。今日のパワースポットは?

 

毎月1日は➀定光仏、➁水天、➂妙見、➃熱田大明神の縁日です。

 

☆彡毎月1日は
➀定光仏 じょうこうぶつ
定光仏(じょうこうぶつ)、燃燈仏(ねんとうぶつ)は、釈迦が前世で儒童梵士(じゅどうぼんし)と呼ばれ修行していたとき、未来において、悟りを開き釈迦仏となるであろうと予言(これを授記という)した仏である。


燃灯仏は過去世に出現して、釈尊に授記した仏であり、

釈尊以前に現れたといわれる二十四仏の1人です


燃燈の原名はディーパンカラ(Dipankara)で、提和竭羅(だいわがつら)と音写し、錠光仏などとも漢訳される。

 

灯火を輝かす者という意味があり、肩に炎をもつ独特な仏である。

 

定光仏は三十日秘仏の一日仏。
錠光仏とも書きます。燃燈仏ねんとうぶつとも言われ、提和竭羅仏だいわがつらぶつと音写します。


灯火を輝かす者という意味です。


過去の世において、修行中のお釈迦様に成仏の授記を与えたとされる仏様です。
日月燈明仏---妙光菩薩---定光仏という教えの流れがあります。


授記=未来の世において、必ず仏様になれることを予言した保証書。

 

 

☆彡毎月1日・5日・15日は、
➁『水天の縁日』 : 
毎月の5日だけの所もあります。


水天は十二天・八方天の一つで、水を司り、旱天・洪水の難を守るという竜神で、降雨を祈る「水天法」の本尊です。

 

※「水天」は、水に縁のある神様で「海運業・漁業・水商売」等を加護し、また「安産の守り神」ともされています。


総本社は福岡県久留米市の「水天宮」で、平家の一族と共に壇ノ浦に入水した「安徳天皇」と「建礼門院」が祀られています。


また、東京日本橋の「水天宮」は、水難除け・安産・水商売の守り神として有名です。
安産の神ということから戌の日にも参拝者が多く、特に戌年戌月戌日と縁日が重なると「大戌」といって珍重されます。


一方、密教では、西方を守護する神です。

 

☆彡毎月1日・15日は、
➂『妙見の縁日』 : 
妙見(みょうけん・妙見菩薩の略)の縁日です。


※「妙見菩薩」とは、北斗七星を神格化した菩薩。
尊星(そんしょう)王、妙見尊星王、北辰(ほくしん)菩薩ともいわれます。
国土を守り、災難を除去し、敵を退け、または人の寿命を延ばす福徳ある尊像です。
古来、人間の一生は天文と関係していると考えられ、北半球では北斗七星がその中心とみなされていました。


これは、北斗七星が人の善悪の行為をみて、禍福を分け、死生を決めるものという、道教の思想から出たものと混交したものです。


密教系や日蓮宗系で祀(まつ)る事が多く、特に眼病平癒の為に修する法を妙見法といいます。


形像は二臂(ひ)像、四臂像、竜に乗るもの、手のひらの上や蓮(はす)の上に北斗七星を置くもの等がありますが、一面四臂で二手に日と月とを捧(ささ)げ、二手に筆と紀籍(鬼籍)を持ち、青竜の上に乗るのが代表的です。


妙見菩薩を祭っている神社としては、千葉市の「千葉神社」、岩手県奥州市の「日高神社」、岩手県九戸郡の「九戸神社」大阪府の「星田妙見宮」が有名です。

 


☆彡毎月1日は
➃『熱田大明神』あつただいみょうじん


熱田神宮


熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社。式内社名神大社)、尾張国三宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。

 

三十番神(30日間に日替わりで国や法華経を守る30の神様)の一つです。

 

熱田神宮は、大変由緒のある格式の高い神社です。日本の皇室が伝えてきた三種の神器の一つ、草薙の剣がご神体になって安置されています。この剣に依られる天照大神が祭神ですから、皇室の先祖の神ということになります。

 

熱田神宮のお参りの仕方は基本的には神道式参拝。


※御利益
家内安全、無病息災、開運招福。愛を感じる。恋愛運アップ。人間関係運アップ。開運厄除け。
統率力アップ。決断力アップ。人間関係運アップ。出世運アップ。男性向きのパワースポット。
人生の雑音をズバッと取り払ってくれる。大きな目的がある場合に参拝すると良い。
お参りしなくても、心の中で熱田の神様へお願いするだけでも心の雲を払ってくれる。

 

●戦勝祈願と美人祈願、合格祈願。

※勝負運・運勢 (特に勝運・勝負運)


※美人祈願
清水社の下に川が流れており、その中央に小さな石があります。 
実はこの石、楊貴妃(ようきひ)の墓の一部といわれ、享禄年間の古図(1529年頃)にも描かれているとのこと。三度水をかけて祈願すれば願いが叶い、またこの水で肌を洗えば綺麗になるともいわれているそうです。 


【パワースポット】美顔の石 熱田神宮 清水社


 
楊貴妃とは 
中国唐代(719~56)の皇妃。古代中国四大美人のひとりといわれ、皇帝・玄宗の寵愛を受ける。 
このため安史の乱を引き起こしたと伝えられたため、傾国の美女と呼ばれた女性。 
つまり古代中国において、かなりの美人だった。

 

毎月31日は五番善神=薬王菩薩、勇施菩薩、多聞天、持国天、鬼子母神&十羅刹女の縁日です。今日のパワースポットは?

毎月31日は五番善神(薬王菩薩、勇施菩薩、多聞天持国天鬼子母神十羅刹女)の縁日です。

 

縁日(えんにち)とは、神仏の降誕、示現、誓願などの縁(ゆかり)のある日、すなわち有縁(うえん)の日をのことです。御利益が普段よりも増す・御利益アップの日とされています。

 

昔は陰暦でしたから三十日秘仏(さんじゅうにちひぶつ)、三十番神として1日から30日までしか縁日がありませんでした。

 

 明治五年、太陽暦が採用されると、従来の大陰暦を一年の季節に合せた旧暦(一ヶ月は二十九日或は三十日)には無かった三十一日が生じました。

 

その結果、旧来の三十番神に空白日の日番役割を担う一神を加える必要から、過去長き歴史に亘り持経者擁護の誓願をたて篤き信仰を寄せられた五番善神(薬王菩薩、勇施菩薩、多聞天持国天鬼子母神十羅刹女)が、三十一日の日番の善神として勧請されるようになりました。

 

現在は太陽暦の採用により31日が存在するため、➀薬王菩薩、➁勇施菩薩、➂多聞天、➃持国天、➄(鬼子母神十羅刹女を一つとして加えた)の五番善神を毎月の31日の神とする様になりました。

 

 


★➀薬王菩薩 やくおうぼさつ
良薬を施与して人々の病苦をいやすという誓いを立てた菩薩。勇施(ゆせ)菩薩とともに法華経の持経者を保護する。薬上菩薩とともに釈迦(しゃか)の脇侍(きょうじ)とされる。また、二十五菩薩の一。

 

★➁勇施菩薩 ゆせぼさつ
釈迦如来に供奉する菩薩の一。名は布施の勇者の意。
勇施菩薩の名の由来は、「一切衆生に、仏法という宝を布施することを惜しまない」ので、勇施と称されました。

 

★➂多聞天 たもんてん(毘沙門天/多聞天王。)
四天王の一。常時、如来の道場を守り、法を聞くことが最も多いことからの名。北方を守る仏法守護の神将。甲冑(かっちゅう)をつけ、両足に悪鬼を踏まえ、手に宝塔と宝珠または鉾(ほこ)を持った姿で表される。日本では福徳の神。
常に仏を守護してその説法を多く聞くことからいう〕 毘沙門びしやもん天の別名。

毘沙門天(びしゃもんてん)は、仏教における天部の仏神で、持国天増長天広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされる。
また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方がある。
東大寺金堂の多聞天像、京都・浄瑠璃寺、奈良・興福寺などの四天王像中の多聞天像がある。

 

★➃持国天 じこくてん
持国天(じこくてん『国を支える者』)は、仏教における天部の仏神。増長天広目天多聞天と共に四天王の一尊に数えられる。三昧耶形は刀。

 

持国天は四天王の一体、東方を護る守護神として造像される場合が多く、仏堂内部では本尊の向かって右手前に安置されるのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。

 

持物は刀の場合が多い。例えば胎蔵界曼荼羅では体色は赤く、右手を拳にして右腰に置き、左手に刀を持つ姿で描かれる。また、中国の民間信仰に於いては白い顔で琵琶を持った姿で表される。左図は鎌倉時代作の四天王像のうちの持国天像で、足下に邪鬼を踏みつけ、刀を持つ右手を振り上げて仏敵を威嚇し、左手を腰に当てる姿に表されている。

 

本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1人として東面の中腹である第四層の賢上城に住み、東の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち東勝身州(とうしょうしんしゅう)を守護するとされる。

また、乾闥婆や畢舎遮を配下とする。

持国天像(高砂市時光寺)

持国天像(宇治市萬福寺

持国天像(北京市臥仏寺)

持国天ワシントンD.C. フリーア美術館蔵
等が有名。


★➄鬼子母神 きしぼじん
女神の名。千人の子があったが、他人の子を取って食い殺したため、仏はその最愛の一児を隠してこれを教化し、のち仏に帰依(きえ)して出産・育児の神となった。手にザクロの実を持ち、一児を抱く天女の姿をとる。訶梨帝母(かりていも)。きしも。きしぼじん。

子育安産・病気平癒・除病・厄除け・所願成就・事業繁栄、天下泰平、五穀豊穣、万民快楽、子育守護等の祈願成就などの御利益。

鬼子母神は、法華経の守護神として日蓮宗法華宗の寺院で祀られることが多く、「恐れ入谷の鬼子母神」の地口で知られる東京都台東区入谷の真源寺、東京都豊島区雑司が谷の法明寺鬼子母神堂(鬼の字には「角」が無い)、千葉県市川市の遠寿院(法華経寺塔頭)の鬼子母神が有名である(江戸三大鬼子母神)。

 

縁日は毎月8の付く日(8日,18日,28日)&31日である。また、お会式に併せて大祭を行う寺もある。なお、「鬼子母神」の「鬼」の表記について、寺院によっては、第一画目の点がない字を用いる場合がある。これは、鬼子母神釈尊に諭されて改心した結果、角が外れたためである。


訶梨帝母(鬼子母神)像(醍醐寺鎌倉時代

法明寺鬼子母神堂(東京都豊島区)

法明寺鬼子母神堂(東京都豊島区)

本光寺鬼子母神堂(千葉県市川市大野町)等がある。

 

★➄十羅刹女 じゅうらせつにょ
十羅刹は、普賢菩薩に仕える十人の羅刹女です。(羅刹は大力で足が速く、人を食うといわれる悪鬼。のちに仏教に入り、守護神とされた)。


十羅刹女(じゅうらせつにょ)は、仏教の天部における10人の女性の鬼神。鬼子母神と共に法華経の諸天善神である。

 

初め、人の精気を奪う鬼女であったが、のちに鬼子母神らとともに仏の説法に接し、法華行者を守る神女となった。

 

十羅刹は藍婆(らんば)・毘藍婆(びらんば)・曲歯(こくし)・華歯(けし)・黒歯・多髪・無厭足(むえんぞく)・持瓔珞(じようらく)・皐諦(こうたい)・奪一切衆生精気をいう。

法華経陀羅尼品に登場する10柱の女性の鬼神である。仏法に接し、鬼子母神らとともに、「法華経」を持する者の守護を誓ったという。


十羅刹女
東京都豊島区の長崎神社(豊島区長崎1-9-4)は十羅刹女社だったとされている。 また、東京都練馬区春日神社練馬区春日町3-2-4)では別当寺だった寿福寺の敷地に十羅刹女神祠がある。入口は春日神社側にある。

 

 

 


★五番善神
陀羅尼品には「五番神呪」が説かれています。
 「五番神呪」を別な言い方をしますと、「二聖・二天・十羅刹女鬼子母神」のことで、それぞれが、呪文を示して法華経の信者を守護することを説いています。

 

二聖とは薬王菩薩と、それに勇施菩薩の二人の菩薩のことをいいます。
二天とは四天王のうちの毘沙門天王と持国天王の二人の天王のことをいいます。それに十羅刹女鬼子母神を一つとして加えた五人が、法華経の信者を守護すると誓い、そのための秘密の呪文を示されました。

 

 お経の展開は、薬王・勇施・毘沙門・持国・刹女と五人が、それぞれの誓いと守護する内容をのべていくところから五番といいます。そして、それぞれの呪文である神呪を唱えることから「五番神呪」といいます。

 「五番善神」という言い方もあります。


日蓮聖人は陀羅尼品のこれらの善神が、末法法華経を信仰する者を必ずも守るとして、お手紙などにこの主旨を書いて信心に励むよう、また、これらの善神に守護されるような信仰をするようにとのべています。

 

 私達が「五番神呪」である、「アニ・マニ・マネ・ママエ」と唱えることは、災難などの怨敵から守ってもらうという行為となります。怨敵を退散することと、守護していただくという願いを込めた読経となりましょう。この陀羅尼を何回も転読し、たくさん量読することは、自分自身の行力を高めることになります。

 

 

毎月30日は釈迦如来、吉備大明神の縁日です。今日のパワースポットは?

毎月30日は➀釈迦如来、➁吉備大明神の縁日です。

➀釈迦如来 しゃかにょらい
釈迦如来(しゃかにょらい、しきゃじらい)または釈迦牟尼仏は、仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダッタガウタマ・シッダールタ、瞿曇悉達多)を、仏(仏陀)として敬う呼び名である。

 

●仏像
室生寺の釈迦如来立像は堂々とした平安前期を代表する榧の一木像である。


Hōryū-ji (法隆寺), Shaka Triad and Kōmokuten

法隆寺金堂釈迦三尊像

・松岡山 東慶寺 釈迦如来坐像 像高91.0cm 当寺の本尊、泰平殿安置。寄木造り、玉眼入り。

 

◆各宗派の釈迦牟尼仏

上座部仏教
上座部仏教(いわゆる小乗仏教)では、釈迦牟尼仏は現世における唯一の仏とみなされている。最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(あらかん)と呼ばれ、仏である釈迦の教法によって解脱した聖者と位置づけられた。

大乗仏教
諸仏の一仏として
大乗仏教では、釈迦牟尼仏(釈迦如来)は十方(東南西北とその中間である四隅の八方と上下)三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、現在の娑婆(サハー、堪忍世界)の仏である。また、三身説では仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされている。

日蓮宗の本仏として
大乗仏教の中でも、日蓮宗法華宗では宗派の本尊とする本仏が誰かという論争があり、釈迦本仏論日蓮本仏論の対立がある。このうち釈迦本仏論の本尊が本仏としての釈迦牟尼仏である。

 

かつて天台宗においても唱えられていたようであるが、今では日蓮宗法華宗でしきりに論じられる。法華経如来寿量品第十六に登場する無量長寿の釈迦牟尼世尊がこれに当たる。ユーラシア大陸の古代インドで活躍し肉体を持ったゴータマ・シッダルタ(釈迦)を指すのではなく、インドで肉体を持って生誕した前の悠久の昔から存在し、入寂の後も遥か将来まで存在して行くという信仰上の釈迦牟尼世尊である。無量の諸仏を迹仏とし、本仏釈尊のコピーに過ぎず、言わば、本仏釈尊を月とすれば諸仏は千枚田に映る千の月であるという論である。

 

釈迦本仏論の宗門の信仰の対象である。久遠本仏とも呼び、日蓮宗総本山身延山久遠寺山梨県南巨摩郡)の寺名にもなっている。

 

なお、法華経では、釈迦如来はインドの菩提樹下で初めて覚ったのではなく五百塵点劫の遠い過去に成仏していたと説かれると共に実際には入滅することも無く永遠にこの世に在り続けていることを説き(久遠実成)、涅槃経では入滅後の未来について強く言及するものの、実際には如来は常住不滅であると説かれる。

 

釈迦如来十三仏の二七日導師。三十日秘仏の三十日仏。
お釈迦様は装飾品を付けていないのが特徴です。また誕生仏は上半身裸の子供の姿で、右手で天を左手で地面を指しているのが特徴です。三十二相八十種好。

 

釈迦は種族の名前です。通常私たちが呼んでいるお釈迦様の名前は、姓がゴータマ、 名がシッダールタといいます。

ゴータマは瞿曇くどん、シッダールタは悉達多しっだった、悉陀しっだなどと書きます。


釈迦は釈迦牟尼の略で、釈迦族出身の聖者を意味します。
仏や仏陀ぶっだは、目覚めた人、悟った人と言う意味で、もともとインドではすぐれた修行者や聖者に対する呼び名として使われていました。

 

◆釈迦三尊(しゃかさんぞん)は、仏教における仏像安置の形式のひとつである。飛鳥文化を代表する彫刻で、法隆寺にある本尊、聖徳太子死後の623年に妃や皇子達が鞍作鳥に作らさせた。

 

釈迦如来像を中尊とし、その左右に両脇侍(きょうじ)像を配した造像・安置形式を釈迦三尊と称する。両脇侍として配される尊像の種類は一定ではなく、文殊菩薩普賢菩薩梵天帝釈天、薬王菩薩と薬上菩薩、金剛手菩薩と蓮華手菩薩などの例がある。金剛手菩薩・蓮華手菩薩を配する。

 

◆三十二相八十種好とは仏の優れた容姿の特徴で32の大きな特徴と80の細かい特徴のことで
す。 

 

三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう(ごう))とは、仏の身体に備わっている特徴。見てすぐに分かる三十二相と、微細な特徴である八十種好を併せたもの。「相」と「好」をとって相好(そうこう、そうごう)ともいう。相好はまた転じて、顔かたち・表情のこと。ただし、金剛般若経などでは三十二相は顔かたち・表情のことではなく、三十二相と名づけただけ(三十二相即是非相。是名三十二相。)としている。


➁吉備大明神 吉備津神社(きびつじんじゃ)
吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区吉備津にある神社。式内社名神大社)、備中国一宮。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」とも称したが、現在は「吉備津神社」が正式名である。


吉備津神社

 

●ご利益
御祭神は大吉備津彦命。桃太郎のモデル。
延命長寿。
工業・運輸・交通守護。
御竃殿の地下に温羅の首が埋められており、そのうなり声を静めるために始まったのが鳴釜神事。

話し合い力アップ。
相手に見下されない雰囲気。


◆概要
岡山市西部、備前国備中国の境の吉備の中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座する。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。当社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。


本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国備後国の一宮(備前吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る[2][3]。
足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。また社殿3棟が国の重要文化財指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名である。


当地出身の政治家犬養毅は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したという。神池の畔に犬養毅銅像が建てられ、吉備津神社の社号標も同人の揮毫になる。

 

◆祭神
祭神は次の9柱。
主祭神
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
第7代孝霊天皇の第三皇子で、元の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいせさりひこのみこと、五十狭芹彦命)」。崇神天皇10年、四道将軍の1人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命と吉備を平定した。その子孫が吉備の国造となり、古代豪族の吉備臣になったとされる。


相殿神
御友別命(みともわけのみことのみこと) - 大吉備津彦命の子孫。
仲彦命(なかつひこのみこと) - 大吉備津彦命の子孫。
千々速比売命(ちちはやひめのみこと) - 大吉備津彦命の姉。
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと) - 大吉備津彦命の姉。
日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと) - 大吉備津彦命の兄。
倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと) - 大吉備津彦命の妹。
彦寤間命(ひこさめまのみこと) - 大吉備津彦命の弟。
若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと) - 大吉備津彦命の弟。
古くは「吉備津五所大明神」として、正宮と他の4社の5社で1つの神社を成した

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