終活・生活・再生日記 「夢幻」

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毎月30日は釈迦如来、吉備大明神の縁日です。今日のパワースポットは?

毎月30日は➀釈迦如来、➁吉備大明神の縁日です。

➀釈迦如来 しゃかにょらい
釈迦如来(しゃかにょらい、しきゃじらい)または釈迦牟尼仏は、仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダッタガウタマ・シッダールタ、瞿曇悉達多)を、仏(仏陀)として敬う呼び名である。

 

●仏像
室生寺の釈迦如来立像は堂々とした平安前期を代表する榧の一木像である。


Hōryū-ji (法隆寺), Shaka Triad and Kōmokuten

法隆寺金堂釈迦三尊像

・松岡山 東慶寺 釈迦如来坐像 像高91.0cm 当寺の本尊、泰平殿安置。寄木造り、玉眼入り。

 

◆各宗派の釈迦牟尼仏

上座部仏教
上座部仏教(いわゆる小乗仏教)では、釈迦牟尼仏は現世における唯一の仏とみなされている。最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(あらかん)と呼ばれ、仏である釈迦の教法によって解脱した聖者と位置づけられた。

大乗仏教
諸仏の一仏として
大乗仏教では、釈迦牟尼仏(釈迦如来)は十方(東南西北とその中間である四隅の八方と上下)三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、現在の娑婆(サハー、堪忍世界)の仏である。また、三身説では仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされている。

日蓮宗の本仏として
大乗仏教の中でも、日蓮宗法華宗では宗派の本尊とする本仏が誰かという論争があり、釈迦本仏論日蓮本仏論の対立がある。このうち釈迦本仏論の本尊が本仏としての釈迦牟尼仏である。

 

かつて天台宗においても唱えられていたようであるが、今では日蓮宗法華宗でしきりに論じられる。法華経如来寿量品第十六に登場する無量長寿の釈迦牟尼世尊がこれに当たる。ユーラシア大陸の古代インドで活躍し肉体を持ったゴータマ・シッダルタ(釈迦)を指すのではなく、インドで肉体を持って生誕した前の悠久の昔から存在し、入寂の後も遥か将来まで存在して行くという信仰上の釈迦牟尼世尊である。無量の諸仏を迹仏とし、本仏釈尊のコピーに過ぎず、言わば、本仏釈尊を月とすれば諸仏は千枚田に映る千の月であるという論である。

 

釈迦本仏論の宗門の信仰の対象である。久遠本仏とも呼び、日蓮宗総本山身延山久遠寺山梨県南巨摩郡)の寺名にもなっている。

 

なお、法華経では、釈迦如来はインドの菩提樹下で初めて覚ったのではなく五百塵点劫の遠い過去に成仏していたと説かれると共に実際には入滅することも無く永遠にこの世に在り続けていることを説き(久遠実成)、涅槃経では入滅後の未来について強く言及するものの、実際には如来は常住不滅であると説かれる。

 

釈迦如来十三仏の二七日導師。三十日秘仏の三十日仏。
お釈迦様は装飾品を付けていないのが特徴です。また誕生仏は上半身裸の子供の姿で、右手で天を左手で地面を指しているのが特徴です。三十二相八十種好。

 

釈迦は種族の名前です。通常私たちが呼んでいるお釈迦様の名前は、姓がゴータマ、 名がシッダールタといいます。

ゴータマは瞿曇くどん、シッダールタは悉達多しっだった、悉陀しっだなどと書きます。


釈迦は釈迦牟尼の略で、釈迦族出身の聖者を意味します。
仏や仏陀ぶっだは、目覚めた人、悟った人と言う意味で、もともとインドではすぐれた修行者や聖者に対する呼び名として使われていました。

 

◆釈迦三尊(しゃかさんぞん)は、仏教における仏像安置の形式のひとつである。飛鳥文化を代表する彫刻で、法隆寺にある本尊、聖徳太子死後の623年に妃や皇子達が鞍作鳥に作らさせた。

 

釈迦如来像を中尊とし、その左右に両脇侍(きょうじ)像を配した造像・安置形式を釈迦三尊と称する。両脇侍として配される尊像の種類は一定ではなく、文殊菩薩普賢菩薩梵天帝釈天、薬王菩薩と薬上菩薩、金剛手菩薩と蓮華手菩薩などの例がある。金剛手菩薩・蓮華手菩薩を配する。

 

◆三十二相八十種好とは仏の優れた容姿の特徴で32の大きな特徴と80の細かい特徴のことで
す。 

 

三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう(ごう))とは、仏の身体に備わっている特徴。見てすぐに分かる三十二相と、微細な特徴である八十種好を併せたもの。「相」と「好」をとって相好(そうこう、そうごう)ともいう。相好はまた転じて、顔かたち・表情のこと。ただし、金剛般若経などでは三十二相は顔かたち・表情のことではなく、三十二相と名づけただけ(三十二相即是非相。是名三十二相。)としている。


➁吉備大明神 吉備津神社(きびつじんじゃ)
吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区吉備津にある神社。式内社名神大社)、備中国一宮。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」とも称したが、現在は「吉備津神社」が正式名である。


吉備津神社

 

●ご利益
御祭神は大吉備津彦命。桃太郎のモデル。
延命長寿。
工業・運輸・交通守護。
御竃殿の地下に温羅の首が埋められており、そのうなり声を静めるために始まったのが鳴釜神事。

話し合い力アップ。
相手に見下されない雰囲気。


◆概要
岡山市西部、備前国備中国の境の吉備の中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座する。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。当社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。


本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国備後国の一宮(備前吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る[2][3]。
足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。また社殿3棟が国の重要文化財指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名である。


当地出身の政治家犬養毅は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したという。神池の畔に犬養毅銅像が建てられ、吉備津神社の社号標も同人の揮毫になる。

 

◆祭神
祭神は次の9柱。
主祭神
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
第7代孝霊天皇の第三皇子で、元の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいせさりひこのみこと、五十狭芹彦命)」。崇神天皇10年、四道将軍の1人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命と吉備を平定した。その子孫が吉備の国造となり、古代豪族の吉備臣になったとされる。


相殿神
御友別命(みともわけのみことのみこと) - 大吉備津彦命の子孫。
仲彦命(なかつひこのみこと) - 大吉備津彦命の子孫。
千々速比売命(ちちはやひめのみこと) - 大吉備津彦命の姉。
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと) - 大吉備津彦命の姉。
日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと) - 大吉備津彦命の兄。
倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと) - 大吉備津彦命の妹。
彦寤間命(ひこさめまのみこと) - 大吉備津彦命の弟。
若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと) - 大吉備津彦命の弟。
古くは「吉備津五所大明神」として、正宮と他の4社の5社で1つの神社を成した

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