終活・生活・再生日記 「夢幻」

生と死と再生&感謝、祈り・絆、縁日、雑感等についてお知らせしています。

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人生 最期に食べたいものは?

人生 最期に食べたいものは何なんでしょうか?


ある病院関係者は「食事ができず、点滴生活の患者さんが「何か食べさせてほしい」と

おっしゃるので、家族に「ガリガリ君」をすすめてみたんです。小さく砕いて口に入れ

てあげるとこれまでにないような笑顔を見せてくれました。」
といっています。

 

 


終末期を迎えた患者は食欲がなくなり、味もわかりにくくなっていて、冷たくてさっぱり、そのうえ、味がしっかりしているものを好むそうです。


そして、アイスキャンディーは口に含むと少しずつ溶けていく。

 

水なら、むせてしまう人でも少しずつなら飲み込めるので、ぴったりの食べ物だということです。


氷をなめても笑顔にはなりませんが、アイスキャンディーだと笑顔で食べる人が多いんです。

 

食べられなくなると家族も悲しみますが、一口でも食べると喜んでくれる。

 

患者さんだけでなく、家族や私たち医療関係者にとっても“救いの神”なんです。

 

人には必ず死が訪れます。

 

 

 

ならば最後には生きててよかったと思ってほしいですね。

 

「人は最期にほんの一瞬でも笑顔を見せることができればすべてのことはハッピーとなる」

 

そして「ありがとう」と感謝しましょう。

 

『終わり良ければ総て良し。』

 

これにて一件落着!

                           

 

「人生は、8合目からがおもしろい。」田部井淳子の名言

田部井淳子(たべい じゅんこ、1939年〈昭和14年〉9月22日 - 2016年〈平成28年〉10月20日)の名言

 

●「人生は、8合目からがおもしろい。

(人生、夢や希望、目標があるから何とかやっていける。人生まだまだこれからです。)

 

『四十、五十は洟垂れ小僧、 六十、七十は働き盛り、 九十になって迎えが来たら、 百まで待てと追い返せ。』とかの有名な渋沢栄一も言っておりました。

 

 

●「私は富士山の山頂からの景色を楽しみたい。
その美しい景色こそが、生きている実感を私にもたらしてくれるです。
(経験して初めて味わえることがあるのです)

 

一歩 一歩 前へ。

(世界最高峰8848.86mのエベレストを登る時でも最初の一歩があります。

そして一歩 一歩前へ進むわけです。

慌てず、騒がず、カメさん方式で行きましょう。)

 

世界最高峰エベレストの標高を再計測していたネパールと中国政府は2021年12月8日、最新の標高を8848.86メートルと発表した。ネパール政府がこれまで公認してきた高さよりも86センチ高い数字だ。

 

人生は楽しいもの。
決して人を責めず、時間を上手に使い、一つずつ扉をあけていきましょう。

(「人生は楽しいもの。」というよりも楽しいものにしていきましょう。)

 

二本の足でこれだけ長く歩くことができるのは、人間だけなんです。
せっかく与えられた力なのですから、使わなくてはもったいない。

(あなたは神に与えられた能力を活かし切れていますか。

今からでも遅くありません。活かし切り、悔いのない人生を送りましょう。)

 

( )内は管理人の解釈です。

 

 


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田部井淳子(たべい じゅんこ、1939年〈昭和14年〉9月22日 - 2016年〈平成28年〉10月20日)は、福島県田村郡三春町出身の登山家。女性世界初となるエベレスト・七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる人物。昭和女子大学英米文学科を卒業後、日本物理学会で学会誌の編集を手掛けながら社会人山岳会で活動を行う。1969年に「女子だけで海外遠征を」をテーマに女子登攀クラブを設立。1975年にエベレスト日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長として、エベレスト登頂に成功。内閣総理大臣賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞、朝日体育賞、グルカ・ダクシン・バフ賞(ネパールの最高勲章)などを受賞。

 

 

 

 

 

トーマス・エジソンは親日派の究極ポジティブ人間で世の中を明るく照らした。

トーマス・エジソンは究極のポジティブ人間だ

☆彡トーマス・アルバ・エジソン(英: Thomas Alva Edison)の名言・格言

「失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。」(授業料だと思うこと)

「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」(失敗ではなくむしろ成功なのだ)

失敗についてがっかりしたり、後悔したりしていない。

常に自分の気持ちが前向きになるように発想の転換をしているところが素晴らしいところである。

「私たちの最大の弱点は諦めることにある。
成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。」


「ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。勝負はそこからだというのに。」

「絶え間なく、粘り強く努力する。これこそ何よりも重要な資質であり、成功の要といえる。」

 

スポーツにも仕事にも言えることであるがあきらめずにトライせよと言っている。

これらのことから学べることは「必ず成功する秘訣は成功するまであきらめずにチャレンジすること」といえるのではなかろうか。

 

希望と勇気が湧いてきますね。

このほかにもエジソンは数多くの名言・格言を残していますのでWebや本屋さんで探してみるといいでしょう。

 

 


★トーマス・アルバ・エジソン(英: Thomas Alva Edison、1847年2月11日 - 1931年10月18日)は、アメリカ合衆国の発明家、起業家。スポンサーのJPモルガン、秘書のサミュエル・インサル、そしてメロン財閥と、アメリカの電力系統を寡占した、

傑出した発明家として知られ、生涯におよそ1,300もの発明と技術革新を行った人物である。たとえば蓄音器、白熱電球、活動写真である。エジソンはJ・Pモルガンから巨額の出資・援助をしてもらい、Edison General Electric Company(エジソンゼネラル・エレクトリック、現・ゼネラル・エレクトリック=GE)を設立した。GEは電球などの家電だけでなく、発電から送電までを含む電力系統の事業化に成功した。エジソンは合計14の会社を設立している。

エジソンは様々の異名を持ち、しばしば「発明王」と呼ばれている。また、研究所が置かれたニュージャージー州メンロパークにちなんで「The Wizard of Menlo Park(メンロパークの魔術師)」とも呼ばれた。メンロパークは、今ではエジソンと改名している。リュミエール兄弟と並んで「映画の父」とも言われている。このほか、自らの発明の権利を守るため訴訟を厭わなかったことから「訴訟王」の異名も持つ。

エジソンは「努力の人」「非常な努力家」「不屈の人」などとして知られている。幼いころから正規の教育を受けられないという困難に見舞われたが、図書館などで独学した。新聞の売り子(販売員)として働くことでわずかなお金をコツコツと貯め、自分の実験室を作った逸話などでも知られている。16歳の頃には電信技士として働くようになり、各地を放浪しつつも、自力で科学雑誌を読破して学び続けた。耳が不自由になったにもかかわらず、それに負けず、努力を積み重ね成功したことでも知られている。

日本とのかかわりも少なくない。
例えばエジソンは合計14の会社を設立していて、助手には一人だけ日本人岡部芳郎という人がいた。

 

 

また、エジソン白熱電球の発明者ではないが、電球のフィラメントに京都八幡の竹を使うなど、改良に注力し、家電、発電、送電までを含む電力の事業化に成功したことが最も大きな功績である。


自動車王のヘンリー・フォードエジソン電灯会社の元社員であり、エジソンとは生涯の友人であった。

1931年10月18日、トーマス・エジソンは84年の生涯を閉じた。

 

 

人は「お蔭様で生きている」

感謝して生きていく。

 

人間、年を取ってくると「他人様や、子供たちに迷惑をかけないであの世に行きたい」と思うようである。

 

それはそれで立派な考えだし、心に張りができていいのかもしれない。

 

でもね~、それで疲れる人はいないだろうか?

 

 ここで少し考えてみてはどうだろうか。自分は他人が困っていたら、助けてあげなかっただろうか。

また、困ったときに、知り合いに助けてもらってはいないだろうか。

 

 

宇宙は「こだまの法則」が生きている。

 

自分が助けたら助けられる。

 

人間はしょせん一人では生きていけないものである。

 

 

「いや私はだれにも助けてもらわずに、立派に生きてきた。」

という人が言うかもしれない。

 

しかし、生きていくためには何かしら食べ物を食べずには生きていけない。

 

米や野菜、肉その他、自分以外の尊い生命をいただいて今の自分があるのである。

またそれらを作り育てて、人々の元に届けている人がいる。

 

したがっていろんなものや、人のお蔭様で生きているのである。

 

換言すれば生かされているのである。

 

この地球さえも絶妙なバランスの下に現在の位置にある。

 

今バランスが崩れたらどうだろう。(今や破壊されつつあるが・・・)

 

今自分が生きていることは有り難いことである。

 

このように考えてみると「人に迷惑をかけて生きていてもいいんです」

 

自分も世の中に少しでも貢献していればそうかたくなに「人様に一切迷惑はかけられない」と思う必要はないと思う。

 

意識的に迷惑をかけてはいけないが、少々のことは「ごめんなさい」で生きていってみてはどうでしょうか。

 

少しは気が楽になったのではないでしょうか?

 

背中の荷物を軽くして、残りの人生を生きていきましょう。

 

毎日を感謝して生きていればもうそれでいいと思いましょう。

 

感謝カンゲキ雨嵐~。

 

 今年も草花に冷たい露が宿る「寒露」の季節が巡ってきました。

 

ずいぶん気温が下がり冬到来のようです。

 

皆さんご自愛ください。

 

 

9月16日は20世紀最高のソプラノ歌手と言われたマリア・カラス(Maria Callas)の命日です。

儚くも美しく燃えた名花♪~

 

9月16日は20世紀最高のソプラノ歌手と言われたマリア・カラスMaria Callas)の命日です。

 

マリア・カラス 


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マリア・カラスMaria Callas, ギリシア語: Μαρία Κάλλας, 1923年12月2日 - 1977年9月16日)は、ギリシャアメリカ人のソプラノ歌手。ニューヨークで生まれパリで没し、20世紀最高のソプラノ歌手とまで言われた。特にルチア(ランメルモールのルチア)、ノルマ、ヴィオレッタ(椿姫)、トスカなどの歌唱は、技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。


活動期間    1938年 - 1974年
1938年アテネ王立歌劇場で『カヴァレリア・ルスティカーナ』(マスカーニ作曲)のサントゥッツァを歌ってデビューした。1947年にはヴェローナ音楽祭で『ラ・ジョコンダ』の主役を歌い、1950年にはミラノ・スカラ座に『アイーダ』を、1956年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場に『ノルマ』を歌ってデビューし、それぞれセンセーショナルな成功を収めた。


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現役時代はライバルとしてファンまでが二陣営に別れ対立したカラスとテバルディだが、歌唱パートでは重なるレパートリーはそれほど多くはない。ヴェルディのみならずヴェリズモやドラマティコ・コロラトゥーラまでの広範なレパートリーをカバーしつつも特にベルカントオペラに情熱を注いだカラスに比べると、テバルディの本領はあくまでヴェルディ中期以降やプッチーニのリリコ・スピントが中心であった。

1973年と1974年に来日。1974年にはジュゼッペ・ディ・ステファーノ(テノール)と国内4ヶ所でピアノ伴奏によるリサイタルを行った。この1974年の日本公演は前年から始まっていたワールドツアーの最後を飾るものであり、福岡、大阪、東京と続き、札幌の北海道厚生年金会館で締めくくられた。これが彼女の生涯における最後の公式な舞台となった。

カラスの最初の夫は30歳年上のイタリアの実業家ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニであったが、後にアリストテレス・オナシスのもとに出奔し離婚。オナシスとの愛人関係はケネディ大統領未亡人ジャッキーとオナシスの結婚により終わる。その後、かつての同僚だったディ・ステファーノと恋愛関係に入る。しかしその関係も1976年12月末に終わった。

 高名なマリア・カラスだが、彼女の声の絶頂期は10年ほどに過ぎなかった。長期間の訓練に裏付けられて安定していた彼女の声は、彼女のキャリアや美貌に嫉妬する数々の嫌がらせや捏造されたスキャンダルによっての心労、不摂生なプライベート生活や、ドラマティコや、ベルカントの難役を歌い続け声を酷使した為に急速に失われてしまう(カラスの当たり役の1つであるノルマは声への負担が大きい難役であった。

1960年前後から、カラスの不調は彼女の優れた表現力をもってしても隠せなくなっていく。ソプラノの聴かせどころである高音域が徐々に不安定になり、楽譜通りに音域をカバーできない事態が増えた。オペラへの出演が減り、リサイタルに比重が移っていった。

1958年1月2日、ローマ歌劇場が行ったベッリーニ『ノルマ』に主人公ノルマ役で出演したが、カラスは病気のため第1幕だけで出演を放棄してしまった。その結果、場内は怒号の渦巻く大混乱となり、この公演はさんざんな失敗に終わった。

 

 


謎の死
1977年9月16日、隠棲していたパリ16区の自宅にて53歳で死去。死因は心臓発作と言われるが、カラスと公私に渡り交流のあった演出家のフランコ・ゼフィレッリは、彼女の遺産を横領したヴァッソ・デヴェッツィ(ギリシア語版)(ピアニスト)による毒殺説を唱えており、謎の部分も多い。
遺灰はパリのペール・ラシェーズ墓地に一旦は埋葬されたが、生前の希望により1979年に出身地のギリシャ沖のエーゲ海に散骨された。

 

ザ・ベスト・オブ・マリア・カラス

ザ・ベスト・オブ・マリア・カラス

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マリア・カラスMaria Callas) の名言

「歌に関して言えば、私たちはみんな死ぬまで、学生なのよ。」

「一流の音楽とはただひとつ。完璧な音楽のセンスのことです。
愛も同じ。愛し、敬い、それを全うする。決して嘘をつかず、裏切らないこと。愛するとは、そういうことなのです」

 

Maria Callas."O mio babbino caro" In Gianni schicchi by Puccini

私のお父さん


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無量の母のような慈しみの心

釈尊曰く

 

「一切の生きとし生けるものに対してもね無量の母のような慈しみの心を起こすべし。

 

全世界に対して無量の母のような慈しみの心を起こすべし。

 

上に下にまた横に障害なく怨みなく、敵意なき慈しみを行うべし。

 

立ちつつも、歩みつつも、座しつつも付しつつも眠らないでいる限りはこの慈しみの心

をしっかり保て。

 

汚れのない心で一つの生き物を慈しむならばそれによって善が生じる。

 

生きとし生けるものすべて、心で慈しむならば多くの功徳を積むことになる。

 

私たち平凡な人間が身を慎み心を慎み、落ち着いて不安なく静かに生きれば、

 

いつも慈しみの心を抱き静かな語らいと、毎日の安らいだ気持ちの中で人生を送ること

ができるようになる。」

いやなことも少し角度を変えてみると好転する・・・

人は年を重ねてくると、今までできていたことができなかったり、

 

何でもないようなことが重大に感じたりするものです。

 

そんな時私も年を取ったものだなあ、

 

とむいいながら「老いの悲しみ」に浸っている方が多いようです。

 

でもね~年を重ねるということはだれにでもあることなのです。

 

酸素は人間が生きていくのに絶対必要です。

 

逆に酸素が人間を死へと導いているのも事実です。

 

 ならば発想の転換をして楽しく、ハッピーに生きていきましょう。

 

名付けて「ハッピー思考」でハッピーに過ごしましょう。

 

ならばどう考えたらいいのでしょうか。

 

『ああ、私の人生に新たな一ページが加わった。何事も経験だ』と考えてみてはいかがでしょうか。

 

『今日という日は残りの人生の一番新しい日』だと考えましょう。

 

ここに「バツという記号があります。

 

これを顔を右45度傾けてみてください。

 

するとどうでしょう「」プラスという文字に見えませんか。

 

 いやなことも少し角度を変えてみることによって好転するのです。

 

物事には必ず表があれば裏もあり、プラスもあればマイナスもあるのです。

 

ゆえに物事はハッピーにとらえましょう。

 

貴重な残りの人生楽しんで過ごしましょうよ。

 

同じ人生なら『楽しんだもん勝ち』なのです。

 

自分の人生は自分で楽しく演じてみましょう。

 

日頃からそういう習慣をつけて生きていくと「バラ色の人生」になること間違いなしです。

 

※バラ色の人生 ジャクリーヌ・フランソワ


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