終活・生活・再生日記 「夢幻」

生と死と再生&感謝、祈り・絆、縁日、雑感等についてお知らせしています。

スポンサーリンク

毎月12日は、難勝仏、薬師如来、加茂大明神(上賀茂神社・下鴨神社)、八王子権現(千手観音)大津日吉大社の縁日&ブッダの言葉 

 

毎月12日は➀難勝仏、➁薬師如来、➂加茂大明神(上賀茂神社下鴨神社)、➃八王子権現(千手観音)大津日吉大社の縁日です。

 

➀難勝仏(なんしょうぶつ)
三十日秘仏の十二日仏。
他の仏様より智悲行徳が優れているといわれることでついた名前です。
難勝仏さまは、有名ではありませんが人々を救う慈悲の心や悟りも求める知恵、修行によって身に備わる徳が
他の御仏さまよりも優れていると言われる仏さまです。

 

薬師如来(やくしにょらい)
十三仏の四十九日(七七日)導師。三十日秘仏の八日仏。


左手に薬壷を持って、右手の薬指が前に出ているのが特徴です。奈良時代に作られたものは、薬壺を持たないものもあります。


如来の中で、物を持つ如来薬師如来だけです。
人々の病に応じて薬を施し救う仏様です。通称は「お薬師様」ですが、薬師瑠璃光如来やくしるりこうにょらいと言います。


像は通例、右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍(きょうじ)に日光菩薩月光菩薩、眷属(けんぞく)として十二神将が配される。


薬師如来の浄土は浄瑠璃浄土と呼ばれ、物語などの浄瑠璃の言葉はこれに由来します。
詳しくは薬師瑠璃光如来といい,大医王,医王善逝 (ぜんぜい) とも呼ばれる。菩薩としての修行時代に 12の本願を立て,それが達成されないかぎり仏にならないと誓った。
その本願とは衆生の病気をなおして災難をしずめ,苦しみから救うというもので,薬師如来の名の起源となった。現世利益を与える仏として古くから信仰を受けたが,ほかの如来と異なり『薬師経』以外2,3の経典に散説されるだけで,その成立の時代や場所は未詳。


形像は普通,右手を施無畏印 (せむいいん) ,三界印,施願印などに結び,左手には薬壺 (異説では鉢) を持つ像と,持たずに下に垂らすか膝の上に置く像とがある。日光・月光菩薩を脇侍とし,眷属には十二神将をとる。日本では7世紀頃から信仰され,以後盛んに造像された。
薬師寺など薬師如来を主尊とする古寺も多い。著名な遺品としては,法隆寺金堂の銅造の坐像 (飛鳥時代) ,奈良薬師寺金堂の銅造の坐像 (白鳳時代) ,奈良新薬師寺本堂の木造の坐像 (天平時代末期)、京都神護寺の像などが有名。
奈良薬師寺金堂の薬師三尊像は世界最高の仏像彫刻との呼び名が高い。

 

➂加茂大明神(かもだいみょうじん)上賀茂神社下鴨神社
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
上賀茂神社に行かれた時のおすすめの参拝方法をご紹介します。
鳥居を潜る時は「端から入る」
まず、鳥居を潜る時は、端っこから通ることが原則です。神社では真ん中は神様が通る道とされているので、通らないのがマナーです。実際に、鳥居を潜る際は、一礼をしてから潜りましょう。
帰る時は、鳥居を出てから「ありがとうございました」の意味を込めて一礼をしてから帰るようにしましょう。
手水で手を清めよう!
手水(ちょうず)は、手や顔を洗い清める水です。神社の前には、必ずあります。手水をする時は、右手にしゃくしを持って、左手を流します。
左手にしゃくしを持ち替えて、右手を流したら右手に持ち替えて左の手の平に水を注ぎ、口をすすぎましょう。口をすすいだ左手を再び清めて、しゃくしを直して最後にしゃくしの柄を流したらOKです。
片山御子神社から本殿へ
そして、片山御子神社にお参りします。片山御子神社は、縁結びや開運の神様になっており、紫式部も訪れたといわれています。続いては、本殿に向かいます。
上賀茂神社のご利益は、主に厄よけや開運、必勝祈願などがあります。水の力を借りた浄化パワーも絶大です。
厄よけや開運に効果大!?
上賀茂神社は、他の神社に比べたら静かであまり目立たない印象を受けますが、そのご利益はとても高く、厄よけや浄化のパワーがとても大きい評判です。
運も隙間がないと入り込む余地がないので、自分の身を浄化して運が舞い込みやすい流れも作ってくれます。パワースポットとして、とても効果がある神社なのです!
「水」の存在が浄化効果をもたらしてくれる?
神社の中で、一番特徴的なのが「水」です。上賀茂神社では、この水の存在が大きく、水が強い浄化のパワーを持っているとされています。境内には、大きな川があり、水のパワーをひときわ感じます。
ご利益 家内安全。交通安全。災難除け。
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
この下鴨神社のパワースポットは境内を覆う緑豊かな「糺の森」です。
マイナスイオンしか発生していないようなこの森は歩くだけでパワーがもらえると京都では有名です。12万4千平方メートルもの敷地に樹齢200年から600年の樹木が600本、直径10センチ以上の樹木は約4700本も群生しています。
ご利益としては人と人をつなぐパワーが強く、縁結び、美容、安全、厄除け、子育て、健康などまさに万能スポットです。本殿前には十二支を守る神様が祀られていますので、自分の干支のお社にお参りをするのをお忘れなく。京都に行ったら絶対に行っておきたいパワースポットです。

八王子権現(千手観音)大津日吉大社
八王子権現(はちおうじごんげん)は近江国牛尾山(八王子山)の山岳信仰天台宗山王神道が融合した神仏習合の神であり、日吉山王権現もしくは牛頭天王(ごずてんのう)の眷属である8人の王子を祀った。神仏分離廃仏毀釈が行われる以前は、全国の八王子社で祀られた。三十番神の1神。
由来
音羽山の支峰である牛尾山は、古くは主穂(うしお)山と称し、家の主が神々に初穂を供える山として信仰された。牛尾山の山頂にあった牛尾宮は比叡山延暦寺の鎮守であった日吉山王権現21社の一つで、山王の王子である8人の眷属神が八王子権現として祀られ、千手観音菩薩本地仏とした。また牛尾を忌みて、祇園精舎の守護神である牛頭天王頗梨采女(はりさいにょ)との間に設けた8人の王子かつ眷属神が八王子権現との信仰も発展した。
概要
日吉山王権現、あるいは牛頭天王の8人の眷属神は八方の各方位を司るとされた。塞神信仰や陰陽道の影響で、病気や災厄を免れるご利益をもたらすと信じられた。
平家物語には、比叡山の呪詛によって八王子権現の神矢に倒れた関白藤原師通の説話が登場する。
廃仏毀釈
明治維新神仏分離廃仏毀釈によって、日吉山王権現牛頭天王とともに八王子権現も廃された。
八王子社の多くは、日吉八王子神社八王子神社・牛尾神社などとなっている。
★大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。
◆祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
◆ご利益(ご加護・ご神徳)
方除け
厄除け
縁結び

 

☆彡4月11日 今日の一言 ブッダの言葉 

☆彡怒らない

「怒りの発火」


「あの人は私の悪口を言いやがった」

「あの人は私の心を傷つけた」

「あの人は私に黙って抜け駆けした」

「あの人は私から利益を奪った」

 

こんなふうに心の中で怒りを爆発させ、

 

何時までも反復(リピート)し続けるなら

 

君には心安まる時がない。


法句経3より

 

 

超訳 ブッダの言葉

超訳 ブッダの言葉

 

 小池龍之介編訳 ブッダの言葉 より一部抜粋

スポンサーリンク  

 

毎月11日は、歓喜仏、石清水八幡宮、大津日吉大社、の縁日&ブッダの言葉 

 毎月11日は、➀歓喜仏➁石清水八幡宮➂大津日吉大社の縁日です。

 

歓喜仏 かんぎぶつ
三十日秘仏の十一日仏。

菩薩の十の段階で、最初の段階を歓喜地といいます。
自分への執着を捨てて、他のものの悟りを実現するためあらゆる徳目を実践して、そのことに喜びを得える仏様です。

 

歓喜天(かんぎてん 歓喜自在天)は、仏教の守護神である天部の一つ。
また、聖天(しょうでん、しょうてん)、大聖歓喜天、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、象鼻天(ぞうびてん)、天尊(てんそん)。あるいはVināyaka、Gaṇapatiを音写して、毘那夜迦(びなやか)、誐那缽底(がなぱてい)ともいう。
頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、稀に人頭人身の形像も見られる。

多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは少ない。
歓喜仏は宇宙的次元における、現実世界と絶対世界、迷いと悟り、自と他、女性の般若の智慧と男性の方便の活動といったような、ありとあらゆる二元的な要素や観念というものが、本質的には一つのものであることを象徴的に表現しているものです。

供物
歓喜団・歓喜丸・団喜
歓喜天に供えることに因み、この名前が付いた菓子である。主に歓喜団(かんぎだん)歓喜丸(かんぎがん)、または略称で団喜(だんき)などと呼ぶ。形状は、単体多臂像の歓喜天(男天)が巾着袋(砂金袋)を手にしているため、その巾着袋を模したものといわれている。

本来はモーダカ(modakam)と呼ばれるインド料理とされ、日本では歓喜天・双身毘沙門天への定番の供物になる。経典中には歓喜団の名が記され、材料や作り方についてはさまざま示される。

平安時代中期成立の『和名類聚抄』の飯餅類では「歓喜団、一名団喜」と記し、八種唐菓子の一種として紹介している。

江戸時代中期の公卿、近衛家熙は著書で歓喜天の祭り日にある餅を包んで揚げた料理は歓喜団であると載せ、京都の菓子屋では飴を包み油で揚げた菓子を歓喜天への供物として売っていたことから、これは清浄歓喜団のことだという。

現在でも京都市の「亀屋清永」が通年菓子にて清浄歓喜団を販売し、今日に遺風を伝えている。
蘇・蜜・麵・干薑・クルミ・石榴・苺など11種の材料を混ぜて作るとされ、また、調伏・息災など祈願の目的によっても種類が違うという説がある。今では、米粉を水で混ぜて、平たい餅にして、中に小豆粉、切った串柿、薬種を入れて油で揚げる。形は、端をひねって、石榴(ざくろ)の形に模す。

吉祥果の実を表し、白米の粉を練って、小豆の餡を包んで、上を八弁の花にようにして、巾着にように絞り、油で揚げる。福徳を包み込んでいる巾着を表しているという。小豆の餡は愛念を表し、白米の衣は純浄の智光を意味する。上の八弁は八苦を除いて、八福に浴し、その利益を表すとされる。

『倭名類聚抄』では歓喜団の食材に「涅槃経云」と、酥、蜜、薑、胡椒、蓽、茇、葡萄、胡桃、石橊(ザクロ)、などを挙げ、これを「和合(調合)」すると経典からの記述がある。
酒・大根
聖天供(歓喜天供)に供物として、歓喜団・歓喜丸と共に、酒・大根が一緒に供えられる。
逸話
昔、インドにマラケラレツという王様がいた。王は肉を好み、牛を食いつくし、死人も食いつくしてしまい、ついには生きた人間まで殺して食べるようになった。
困り果てた群臣や人民は反旗を翻して王を殺害しようとすると、王は鬼王ビナーヤカとなって飛び去ってしまった。その後、国はビナーヤカの祟りに苦しめられるようになり、ついに十一面観音に助けを求めた。すると観音は、ビナーヤカの女神に姿を変え、王に仏教守護を誓わせる代わりに身を捧げた。
十一面観音の化身たるビナーヤカ女神を抱いた王は大歓喜を得たので「歓喜天」と呼ばれるようになった。

 

◆日本三大聖天
日本三大聖天は、
東京都台東区本龍院(通称 待乳山聖天
奈良県生駒市宝山寺(通称 生駒聖天)
上記の二山の聖天に、
埼玉県熊谷市歓喜院(通称 妻沼聖天)
静岡県小山町足柄山聖天堂(通称 足柄聖天)
三重県桑名市の大福田寺(通称 桑名聖天)
兵庫県豊岡市の東楽寺(通称 豊岡聖天)
の内のどれか一山の聖天を加えたものとするのが一般的である。


八幡大菩薩 石清水八幡宮
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

 

宇佐神宮筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社、また宮中の四方拝で遥拝される一社である。

 

平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮大分県宇佐市)から勧請された神社で、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。武家からは特に源氏が武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮鶴岡八幡宮など、当社から各地に八幡宮が勧請された。

 

創建以来、当社は境内の護国寺と一体になる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓社殿を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。

 

その後、明治維新神仏分離において仏式は排除された。仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。

 

境内は国の史跡に指定されており、大きく分けて本宮のある山上の上院と、頓宮や高良神社のある山麓の下院とから成る。また、本社10棟の建物が国宝に指定されている。

 

◆祭神
祭神は次の3柱。3神は「八幡三所大神」「八幡大神」等と総称される。
中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと)
第15代応神天皇の本名。
西御前:比咩大神 (ひめおおかみ)
宗像三女神、すなわち多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)の3柱を指す。
東御前:息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)
神功皇后の本名。

 

◆登場作品
徒然草』 第52段「仁和寺にある法師」
今昔物語集
源氏物語』 - 「玉鬘」帖で、夕顔の遺児玉鬘が八幡に参詣する。


➂客人(まろうど)大明神 大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

 

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。

 

祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
日吉大社は全国各地にある3,800余りの「山王(さんのう)さん」の総本宮比叡山連峰 八王子山(牛尾山・378m)の麓に広がり、延暦寺門前町坂本の鎮守神

 「山王七社」「山王二十一社」ともいわれ、摂社・末社が多くあります。創祀は古事記に記されるほど古く、地主神である大山咋神(おおやまくいのかみ)とその妻、鴨玉依姫神かもたまよりひめのかみ)を祀ったのが始まりです。その後、延暦寺の発展とともに整備されました。

 境内は、東本宮と西本宮の2区域からなります。東本宮は神体山の八王子山(378m)に鎮座する大山咋神を祀ったものです。山頂付近には金大巌(こがねのおおいわ)と呼ばれる大きな磐座(いわくら)や迫力ある懸造りの奥宮などがあります。

 西本宮は大津京遷都にあたって奈良県三輪山より大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請したもので、宇佐神宮姫神をまつる宇佐宮、加賀国一宮である白山比咩神社から勧請した白山宮などがあります。東本宮・西本宮ともに本殿は日吉造(ひえづくり)といわれる特殊な建築で、国宝です。

 このほか、石の橋で重要文化財に指定されたのは珍しいといわれる日吉三橋(ひよしさんきょう)、猿の彫刻がある朱色の西本宮楼門、山王の「山」という文字を表した山王鳥居など、重要文化財が多くあります。ご社殿の大半は織田信長による比叡山焼き討ち以後、江戸時代初期に再建、建立されたものです。

 大宮川の渓流が流れる清風の森に、見事な建築美を誇る数多くの社殿が点在し、特に秋は周囲の紅葉に壮麗な社殿が映えてさらに美しい眺めになります。
 また、「山王さん」と呼ばれて広く親しまれている例祭(山王祭)は、湖国三大祭の1つです。3月の第1日曜・27日・30日、4月3日・12日から15日に行われ、特に、4月13日の宵宮落し神事は期間中最も勇壮な神事です。

〈国宝〉西本宮本殿 東本宮本殿
〈重文〉西本宮拝殿 東本宮拝殿 摂社樹下宮本殿及び拝殿 摂社宇佐宮本殿及び拝殿 摂社白山宮本殿及び拝殿 摂社牛尾宮本殿及び拝殿 摂社三宮宮本殿及び拝殿 西本宮楼門 日吉三橋 東本宮楼門 山王金銅装御輿
〈史跡・名勝〉日吉大社境内
日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等

 

☆彡4月11日 今日の一言  ブッダの言葉 


「もし誰かに悪口を言われたら」

 

もし君が誰かに悪口を投げかけられて傷つきそうになったなら、

 

思い起こしてみるとよい。

 

この悪口っていうやつは、今に始まったことではなく、

 

原始時代からずーっと続くものだということを。

 

 静かに黙っている人は、「ムッツリしている」と悪口を言われ、

 

たくさん話をする人は、「おしゃべりな人ですこと」と非難され、

 

礼節をわきまえてしゃべる人さえも、「何か企んでいるんじゃないかしら」

 

等と悪評を流される。


法句経227より


小池龍之介編訳 ブッダの言葉 より一部抜粋

スポンサーリンク  

毎月10日は、日月燈明仏、金毘羅、天照皇太神、聖眞子権現、の縁日&ブッダの言葉 

毎月10日は➀日月燈明仏➁金毘羅➂天照皇太神➃聖眞子権現の縁日です。

 

➀日月燈明仏 にちがつとうみょうぶつ
三十日秘仏の十日仏。
太陽と月を灯明としているという意味で日月燈明仏。
無量無辺不可思議の阿僧祇劫あそうぎこうの昔、この仏様が正しい教えを説かれました。そして、その後も同じ名前の日月灯明仏が2万人も次々に現れたといいます。
2万人目の日月灯明仏から---妙光菩薩---定光仏へと教えは受け継がれます。

➁金毘羅
金比羅とも書き、江戸時代後期には、「お伊勢参り」と共に「金毘羅参り」が大変盛んでした。
すたっとTV2006年12月すたっと歩こう!「甚大寺金毘羅縁日」
1月10日は「初金毘羅(初十日)」で、特に信者の信仰があつく、12月10日が「終金毘羅」です。
※金毘羅は、「天竺霊鷲山」の鬼神で、仏法の護法神薬師如来十二神将の筆頭「宮比羅(くびら)大将」のことで、元々は鰐の神様でした。
日本では「海上交通の守り神」として信仰されて来ました。
一般に、大きな港を見下ろす山の上に祀られています。
この神を祀る香川県琴平の「金毘羅宮金刀比羅宮」が全国の金比羅神社(こんぴらさん)の総本宮となっています。
その他、東京都港区虎ノ門琴平神社などがあります。
夜叉神王の上首で、その像は武装し忿怒の姿をとりますが、魚神で蛇の形をし、尾に宝玉を蔵するといわれます。
香川県琴平神社は全国的に有名です。

➂天照皇太神 伊勢神宮内宮
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮(じんぐう)」。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。

二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。

概要
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。

広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。

伊勢神宮は皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く、現代でも内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。また、式年遷宮が20年に一度行われる。

祭主は今上天皇第一皇女黒田清子、大宮司は小松旧侯爵家当主小松揮世久。
祭神
主祭神は以下の2柱。
皇大神宮:内宮(ないくう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ) - 一般には天照大御神として知られる
豊受大神宮:外宮(げくう)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)
功徳
家内安全。
夫婦円満
子孫繁栄。
産業発展。
おみくじ
伊勢神宮にはおみくじがない。一般に「伊勢神宮は、参拝した日が誰でも吉日であるから」と説明される。「伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるから」という別の説もある。
内宮前のおかげ横丁では、犬の置物とセットになった「おかげ犬」のおみくじや「おかげ干支みくじ」が売られているほか、第三銀行おかげ横丁出張所では利用明細票に運勢を表示するおみくじ機能付き現金自動預払機(ATM)を設置している。

 

➃聖眞子(しょうしんし)権現 大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている

日吉大社
 日吉大社の境内は八王子山(牛尾山)を含む13万坪もの大きさをもち、全国に3800余りもある日吉神社日枝神社山王神社総本宮です。楓や杉に覆われた境内には西本宮・東本宮を中心に多数の社殿が建ち、現在でも約40のお社があります。中でも特に大きな7つの社を山王七社といいます。国宝2棟(東・西本宮本殿)と、重要文化財17棟を保有しています。魔除け・厄除けの神社として多くの方がお参りされています。
日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等
主な祭事
大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。
山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。
山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。
みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。
もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。
国宝
西本宮本殿 - 天正14年(1586年)の建立。檜皮(ひわだ)葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇(ひさし)部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色。
東本宮本殿 - 文禄4年(1595年)の建立。建築形式は西本宮本殿に似る。昭和初期までは「大神神社本殿」と呼ばれていた。
◆山王七社権現 さんのうしちしゃごんげん
二宮小比叡 東本宮   大山咋神
大宮権現  西本宮   大己貴神
聖真子   宇佐宮   田心姫神
三宮    三宮宮   鴨玉依姫神荒魂
八王子   牛尾宮   大山咋神荒魂
客人権現  白山宮   白山姫神
十禅師   東本宮境内 鴨玉依姫神
比叡山に祀られた神様です。山王は山麓にある日吉神社ひえじんじゃのことです。
当初、大比叡、小比叡との呼び名から始まり、時代とともに数が増え、山王七社となりました。最終的には百八社までになりました。
山王二十一社の内、上七社が山王七社です。

 

☆彡4月10日 今日の一言 ブッダの言葉 


「もし誰かの怒りを買ってしまったら」

 

怒っている嫌な人に対して、

 

「ちえっ、そんなに怒らなくてもいいのに」と

 

ムカムカ怒りを感じるのなら、

 

君はその怒りによってまさに悪を成したことになる。

 

 起こっている人に対して怒りを感じずに済ませられることこそ、

 

難敵と闘って何とか勝利することになる。

 

 他人の怒りを前にした時君がいち早く気付くべきは、

 

君自身の心まで怒りに染まりそうになっていること。

 

それに気づいて落ち着くように。

 

 そうすれば、君にとっても相手にとっても、心の治療を施すことになる。

 

 君が相手の怒りをそっと穏やかに受け止める時、

 

互いの怒りはやがて治まり、癒されていくだろう。

 

相応部経典より

 

 

超訳 ブッダの言葉

超訳 ブッダの言葉

 

 小池龍之介編訳 ブッダの言葉 より一部抜粋

 

スポンサーリンク  

 

毎月9日は、大通智勝仏、貴船大明神、小比叡権現、の縁日&ブッダの言葉 

毎月9日は①大通智勝仏➁貴船大明神➂小比叡権現の縁日です。

 

①大通智勝仏 だいつうちしょうぶつ
大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)とは仏教の如来の1人。妙法蓮華経第三巻化城喩第七で説かれる如来である。

 

概要
大通智勝如来には出家する前は王子で、さらに16人の息子(王子)がいた。その16人目の息子が釈迦如来の過去世の姿と言われている。
仏像の作例が少なく、日本では四国八十八箇所第五十五番札所別宮山金剛院光明寺南光坊にまつられている。また、大三島の東円坊にある木造金剛界大日如来坐像がそのように町指定有形文化財として登録されるも智拳印は通常のものと逆になっていることから古仏としては唯一存在している大通智勝如来と言われている。

大通智勝如来
働き等
法華経」化城喩品(けじょうゆほん)に出てくる仏で、三千塵点劫の昔に世に出て、八千劫の間「法華経」を説いたという。阿しゅく、阿弥陀、釈迦など16仏をそのときの王子とする。つまり、釈迦の師にあたる如来である。

 

●55番 大通智勝如来坐像
釈迦が悟りを開いたのち、民衆に仏教の真意を伝えるため、様々なたとえ話をされている。それらを集大成したものが「法華経」である。釈迦がどうして悟りに到ったかを説くために、「自分は、宇宙語で語る偉い大通智勝佛に仏法の神髄を教わった」と話す。        
この石仏像には、頭光などの円光背はなく、如来がまだ荒岩の上で修行中であったときの姿だと思われる。     
            
四国55番札所南光坊の本尊は大通智勝如来であり、大三島にある大山祇神社の神体「大山積神」が仏になった本地垂迹仏である。
大通智勝如来は三十日秘仏の九日仏。
三千塵点劫さんぜんじんでんごうのはるか昔に出家して、8,000劫の間、法華経を説きました。
この仏様の子供達もまた出家して、同じように法華経を84,000劫の間説きました。
子供達は全員で16人いて、阿弥陀様や阿閦如来やお釈迦様は、その中の一人です。
大は空、通は仮、智は中道で、空仮中の三観を表します。
※空仮中の三観 正しい智慧によって観察する方法。
※三千塵点劫 塵点劫はとほもない時間の長さの単位。
非常に古い昔、大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)という仏がおられた。この仏が成道されたという事を聞いた十六人の王子〈この仏の出家したまわざる時の子〉は父の仏所にまいり、法を説かれることを要請した。
また、大通智勝仏が成道した時、十方の諸仏の世界が震動し日月の光さえも照らすことのできない所まで明らかとなり、その中の衆生が相互いにまみえることができるという奇瑞(きずい)があった。このような威光(いこう)照動(しょうどう)は十方の梵天(ぼんてん)の宮殿にも現れたため、梵天はこぞって大通智勝仏の説法を勧請(かんじょう)するに至ったのである。
さらに十六人の王子は如来の知見を志願し、出家して沙弥(しゃみ)となった。大通智勝仏は沙弥の要請を受けて妙法蓮華経を説いたのである。かくて大通智勝仏は禅定(ぜんじょう)に入り、以後、十六人の沙弥菩薩(しゃみぼさつ)は長い間、法華経を多くの人々に示した。そしてその教えを聞いた多くの人々は生まれかわりながらして法華経の教えを信受して尽きることがなかったのである。
この十六人の菩薩は現在、仏となり、十方の国土で法を説かれている。東方世界には阿閦仏(あしゅくぶつ)と須弥頂仏(しゅみちょうぶつ)、東南方世界では師子音仏(ししおんぶつ)と師子相仏(ししそうぶつ)、南方世界では虚空住仏(こくうじゅうぶつ)と常滅仏(じょうめつぶつ)、西南方世界では、帝相仏(たいそうぶつ)と梵相仏(ぼんそうぶつ)、西方世界では阿弥陀仏(あみだぶつ)と度一切世間苦悩仏(どいっさいせけんくのうぶつ)、西北方世界では多摩羅跋栴檀香神通仏(たまらばっせんだんこうじんつうぶつ)と須弥相仏(しゅみそうぶつ)、北方世界では雲自在仏(うんじざいぶつ)と雲自在王仏(うんじざいおうぶつ)、東北方世界では壊一切世間怖畏仏(えいっさいせけんふいぶつ)を教主として教えが弘められたのである。そして第十六番目のお釈迦様はこの娑婆国土(しゃばこくど)の教主となられたのである。

➁貴船大明神 貴船神社
貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」という。

 

概要
水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。
古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。
また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。

ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には丑の刻であるかどうかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に本来の意味が変質したものと思われる。

付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。
神水は京都の水脈の源流である貴船から流れるものであり、飲料可

京都、絵馬発祥の社
社名は古くは木船・貴布祢とも書いたが1871年以降「貴船」と改められました。延喜の制には名神大社となり、二十二社の一つに列せられました。818年以来歴朝の奉幣祈願が度々あり、もっぱら祈雨・止雨の神として崇められ祈雨には黒馬、祈晴に白馬または赤馬が献せられるのが例でした。江戸時代には賀茂別雷社(上賀茂神社)の摂社とされましたが、明治以後、独立した本殿、拝殿、権殿等があり、本殿は1863年(文久3)に改修されました。川に沿って上ると奥の宮があります。また境内には祈雨の行事を行った雨乞の滝、奥宮本殿の西には船石といって舟の形に積んだ石里があります。
御祭神
本宮 高おかみ神
奥宮 闇おかみ神
例祭
6月1日(貴船祭)

◆ご利益
心願成就:水の働きから生まれた信仰が心願成就。水は命の源であるとともに、汚いものを洗い流す浄化力もあります。キフネは古くは「気生根」とも書かれていました。水の神の鎮まるところ、それは「気の生ずる根源」だというわけなのです。元気がよみがえれば運も開かれるということで、運気発祥、開運の信仰が生まれました。つまり何でも願い事を聞いて運を開いて下さる心願成就の神様なのです。
えんむすび:今から1000年も昔、和泉式部貴船神社に参詣して、名歌「蛍の歌」を捧げて恋を祈り、その願いがかなえられて以来、貴船神社は「恋の宮」として知られ、おとぎ草子などにも貴船神社にまつわる恋物語も生まれています。
航海安全:玉依姫が船で水源の地を求めて貴船にたどり着いたという御鎮座伝説から生まれた信仰。大阪湾から川をさかのぼり、急流をもものともせず無事貴船に船を進めたそのみごとな舵さばきから、船乗りたちが航海安全を祈った。その船が隠されていると伝えられる奥宮の船形石の小石を持てば航海安全ともいわれている。
おみくじ
貴船神社のおみくじは、くじを引いて巫女に告げるのではなく、一見真っ白に見える紙の中から一枚を選び、境内の霊泉に浮かべると吉凶が解る「水占おみくじ」である。
当社のおみくじには「大凶」が本当に存在するが、神社側では「大凶が出たと言っても、その後の人生が決定された訳ではないので、あくまでも『参考程度』に留めて欲しい」と述べている。

➂小比叡(こびえ)権現(薬師如来)大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

 

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。

日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。俗に山王権現とも言われる。全国に位置する日吉・日枝・山王神社総本宮。全国の山王神道山王信仰の拠点。

ニホンザルを、神の使いとして崇拝することで知られている。
西本宮に大己貴神大国主神)、東本宮に大山咋神を祀る。
西本宮楼門前には祇園石と大威徳石という二つの霊石がある。祇園石は、古来より祇園の神である牛頭天王が宿る磐座として崇められている。この石にたまる水で眼を洗うと良いとされ、別名・眼洗石ともいわれる。大威徳石は仏法守護の五大明王である大威徳明王が宿る霊石と伝えられる。

東本宮前、巌瀧社の横には夢妙幢岩という霊石があり、祈願すれば「良い夢を成就させ、悪い夢を消滅させてくれる」といわれている。

境内には「日吉雄梛」「日吉雌梛」と呼ばれる二本の霊木がある。「日吉雄梛」は女性が男性の幸せを祈る木、「日吉雌梛」は男性が女性の幸せを祈る木とされ、「ナギ」は、「凪ぐ」「和む」に通じることから夫婦和合を、また「薙ぎ払う」にも通じることから災難除けを象徴する木とされている。

また西本宮には、日吉随一の御神木といわれる「桂の木」がある。縁結びのご神木と信仰を集め、「愛染桂」とも呼ばれる。
祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
〒520-0113 滋賀県大津市坂本五丁目1-1
当大社には3000本のもみじがあり、関西屈指の紅葉名所として知られています。
見頃は毎年11月10日頃〜12月上旬となっております。
比叡山の麓に鎮座する大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師比叡山延暦寺を開かれてよりは天台宗護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。
当大社には約40のお社があり、全ての神様を総称して「日吉大神」と呼びます。
日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等
また、多くのお社の中心となるのが東西本宮をはじめとする山王七社です。
パワースポット 日吉大社山王権現) ご利益・パワー種類
家内安全 出世・仕事・商売繁盛 健康・病気治癒 安全祈願・厄除け 墓地・葬儀

☆彡日吉大社の代表的なご神徳である方除け・厄除けについて
◆方除け
方除けとは方角や方位による災いを除けることです。
お引っ越しや旅行の際に、知らないうちに悪い方角に行かれたり、また、家の増改築などで悪い方位の所を工事したりすると災いが起こるので、それを防ぐことが必要です。
京の都の表鬼門(北東)をお守りしてきた当大社はまさに「方除けの大社」といえます。
こんなとき方除けが必要です。
・家の新築・改築 (地鎮祭や起工式を行う時)
・引越をするとき
・旅行に行くとき
◆厄除け
厄年とは、人生の中で災いに遭いやすい年、また、心身の変化により、体調を崩しやすい時でもあります。古来から「厄除けの大社」として崇敬されてきた当大社で日々の健やかな暮らしをお祈りしましょう。
こんなとき、厄除けが必要です!
・厄年のとき
・何かしら災難が多いとき(厄年でなくてもOK)
・今後災いに遭いたくないとき
◆神猿(まさる)
方除・厄除の大社を語る上で欠かせないのが、当大社の神様のお使いである、「神猿(まさる)」さんです。元来、比叡山に猿が多く生息しておりましたが、いつの頃からか魔除けの象徴として大切に扱われるようになりました。「まさる」は「魔が去る」「勝る」に通じるようにつけられた名前であり、縁起のよいお猿さんです。
こんなとき、神猿さんのご加護を頂きましょう!
・方除け、厄除けのお願いをしたいとき
・試合の必勝を願うとき
・試験合格を願うとき
・一家に一匹?家の魔除けに神猿さんの授与品を!


☆彡4月9日 今日の一言

「悪口を言われない人はいない」

 

この世のどんな人でも必ずどこかで誰かの怒りを買っている。

 

誰かに悪口を言われるのが当たり前。

 

昔も今もこの先も、未来永劫、それは当たり前の事実なのだから。

 

悪口なんて、涼しく聞き流すのが良い

 

法句経228

 

 

超訳 ブッダの言葉

超訳 ブッダの言葉

 

 小池龍之介編訳 ブッダの言葉 より一部抜粋

スポンサーリンク  

 

毎月8日は、薬師、八幡宮、鬼子母神、江文神社、大比叡権現の縁日&ブッダの言葉

毎月8日は➀薬師、➁八幡宮、➂鬼子母神、➃江文神社➄大比叡権現の縁日です。

 

➀『薬師の縁日』 
薬師の縁日は、薬師如来の徳を講讃する法会の薬師講に由来するといわれます。

薬師如来」は、正式名を「薬師瑠璃光(るりこう)如来」と言い、東方浄瑠璃世界の教主で、12の大誓願を発して、衆生の様々な病苦を救い、無明の持病を直す法薬を与えるとされています。
大蓮華の上に座し、右手は施無畏の印を結び、左手に薬壷(または宝珠)を持つ医薬の仏として広く信仰をあつめています。
別名、「大医王仏」ともいい、「日光菩薩」・「月光菩薩」の二菩薩を脇侍としています。
薬師如来 (やくしにょらい)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する。
三昧耶形は薬壺または丸薬の入った鉢。青色の肌を持つとされる。東方の守護者は浄瑠璃世界の名称でない限り阿閦如来とすることが多いが、高野山金剛峰寺は本尊を阿閦如来から薬師如来に変えたとされる。
像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。
これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壷を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。
薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。

◆十二誓願
光明普照(自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く。)
随意成弁(仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる。)
施無尽仏(仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す。)
安心大乗(世の外道を正し、衆生仏道へと導く。)
具戒清浄(戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける。)
諸根具足(生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす。)
除病安楽(困窮や苦悩を除き払えるよう援ける。)
転女得仏(成仏するために男性への転生を望む女性を援ける[5]。)
安心正見(一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける。)
苦悩解脱(重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける。)
飲食安楽(著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く。)
美衣満足(困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す。)

◆七仏薬師
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。 
善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)
宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい )
金色宝光妙行成就王如来 (こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい )
無憂最勝吉祥王如来 (むうさいしょうきちじょうおうにょらい )
法海雲雷音如来 (ほうかいうんらいおんにょらい )
法海勝慧遊戯神通如来 (ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい )
薬師瑠璃光如来 (やくしるりこうにょらい )

◆日本における造像例
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。また、現世利益を司る数少ない如来であることから、延暦寺神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。

◆国宝指定の薬師如来
日本における造像例は多数あり、網羅不可能であるため、ここでは国宝指定像を挙げるにとどめる。
福島・勝常寺像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
京都・仁和寺(旧北院)像(坐像、平安時代
京都・神護寺像(立像、平安時代初期)
京都・醍醐寺上醍醐)薬師堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
大阪・獅子窟寺像(坐像、平安時代前期)
奈良・法隆寺金堂像(坐像、飛鳥~奈良時代
奈良・法隆寺大講堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代中期)
奈良・唐招提寺金堂像(立像、奈良時代平安時代初期)
奈良・薬師寺像(薬師三尊の中尊、坐像、奈良時代
奈良・新薬師寺像(坐像、平安時代初期)
奈良国立博物館像(坐像、平安時代前期)
奈良・元興寺奈良市芝新屋町)像(立像、平安時代前期)

➁『八幡宮
八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社。八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称される。


全国に約44,000社あり、大分県宇佐市宇佐神宮を総本社とする。
八幡宮応神天皇を主神とし,通例,ヒメガミ,神功皇后を配祀する神社の称号。やわたのみやともいう。弓矢の神として,武士を中心に古くから広く尊崇された。
八幡宮八幡神をまつった神社。八幡神は菩薩号を付して八幡大菩薩と呼ぶこともある。八幡神彦火火出見(ひこほほでみ)尊とする説もあるが,普通は応神天皇,比売(ひめ)神,神功皇后の3神とする。

概要
八幡宮の起源となった総本宮宇佐神宮である。
近代社格制度においては宇佐神宮石清水八幡宮筥崎宮鹿児島神宮の四社が官幣大社社格に列し、特に宇佐神宮石清水八幡宮筥崎宮(※また近年は筥崎宮に代えて、鶴岡八幡宮)の三社が日本三大八幡宮とされる。

宇佐神宮の御利益 仕事、恋愛、金運
石清水八幡宮
・御利益
智恵。
戦勝。
受験。
地元の八幡様にもお参りするとよい。
情報を集積させる力。
融合させるパワー。
エジソンの碑がある。エジソンは男山の真竹を使って白熱電球のフィラメントを作った。
苦手なことが消える。
異文化との融和。
根性。
厄除け。
必勝祈願。
小が大を制する力と法を授けてくれる。
旗揚げをする結束力を授けてくれる。
筥崎宮 
・ご利益
開運・事業繁栄・商売繁盛・必勝祈願・安産祈願・厄除け・延命長寿
鹿児島神宮
鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社(大社)、大隅国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
別名として大隅八幡宮とも。
主祭神
天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)
豊玉比売命 - 天津日高彦穂々出見尊の后神
相殿神
帯中比子尊(仲哀天皇) - 八幡神を合祀した関係による
息長帯比売命神功皇后) - 同上
品陀和気尊(応神天皇) - 同上
中比売尊(仲姫命) - 応神天皇の皇后。同上
太伯 - 句呉の祖。国内では唯一当社でのみ祀られる
・御利益
若返り。
子授け。
安産。
人気運アップ。大勢の人にアピールできるスター的な魅力をもらえる。
度量が大きくなる。
毎日をポジティブに過ごせるようになる。
参拝前に本殿前の亀石をなでると願いが叶いやすくなる。
鶴岡八幡宮
【恋愛成就、健康長寿、学業成就、交通安全など】
 京都の石清水八幡宮の分霊を勧請した鶴岡八幡宮
 そのご利益は極めて広範囲に及び、恋愛成就、家内安全、健康長寿、学業成就、合格祈願、交通安全など、あらゆる事に絶大なる力をお示しくださるといわれています。

➂『鬼子母神の縁日』 :
「鬼子母(きしぼ)神」は仏教諸神の一つです。

仏教の守護神。サンスクリット語でハーリーティーといわれる鬼女。訶梨帝母 (かりていも) ,歓喜母ともいう。

 「鬼子母」は、500人(一説に千人又は一万人)の子の母でありながら性質邪悪で、常に人の子を捕えて食べて仕舞う為、仏は彼女が最も愛していた末子、愛好をを隠して戒め、仏教に帰依させたといわれます。

以後、求児・安産・幼児保育など(時として盗難除の守護)の祈願を叶える「仏法の護法神」となり信仰されています。

日本では主として,安産,保育の神として信仰され,ときに盗難よけの神ともされる。しかし仏教に取入れられる以前のインドでは生産の神として信仰されたと考えられる。
単独で信仰されるほか,密教では普賢十羅刹女 (ふげんじゅうらせつにょ) 図中にも加えられる。像容は天女形と鬼神形とがある。京都醍醐寺蔵の『訶梨帝母像』は柔和でふくよかな容貌で,宋画の影響を受けた 12世紀後半の仏画の新傾向を示す遺例。

彫像は滋賀園城寺東大寺などにすぐれた遺品がある。東京の法明寺は「雑司ヶ谷鬼子母神」として有名。
御利益は安産・子育(こやす)です。
その他
無病息災のご利益 … 発症前の身代わり
病気平癒のご利益 … 発症後の健康回復
手術成功のご利益 … 心臓病、脳梗塞など
ガン封じのご利益 … 胃がん、肺がん、前立腺がん、乳癌など
心の病気のご利益 … うつ病などの心の傷の回復、ストレス改善
その像は、天衣瓔珞をつけ、子供を一人懐に抱いて、右手に吉祥果(ざくろ)を持ちます。
ざくろは人肉に似た味がするといわれます。
東京・入谷の「おそれいりやの鬼子母神」が有名です。

➃『江文神社』(えぶみじんじゃ)は京都府京都市左京区にある神社。毎年5月5日に例大祭が行われる。大原から静原に出る江文峠への峠道の傍らに鎮座する。
祭神は倉稲魂神

ご利益は、五穀豊穣、衣服・アパレル、生産・産業振興です。

歴史
創建年代は不明。『延喜式神名帳』に見える山城国愛宕郡「伊多太神社」とする説もあるが(式内社論社)、通説では否定されている。社伝によれば、三千院鎮守神として創祀されたとも、延暦寺座主の円仁(慈覚大師)の勧請によるともいい、山王神道と深い関係を持った。

また、後方に聳える江文山(現在の金比羅山)の頂に祀られていた神々を、山麓に社殿を建立して勧請したものともされる。中世には栄えたが、織田信長比叡山攻略の影響で退転したという。

大原八ヶ町の氏神である。また、元来は、毘沙門堂江文寺という神仏習合の宮寺であった。
境内社
級長津彦神社(級長津彦命・発鳥神)
軻遇突智神社(軻遇突智神・飯道山神・八幡宮
満山神社(愛宕神・御霊神・鹿島神)
天満宮社(天満宮・稲荷神)
(境外大原大長瀬町鎮座)梅ノ宮神社

➄大比叡(おおびえ)権現 国常立尊)大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。

祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
主な祭事
大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。
山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。

山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。

みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。
下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。
もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。
御利益
初宮詣 交通安全(車のお祓い) 厄除け 家内安全 良縁 災難消除 方除け
子授け 商売繁盛 安産 病気平癒等

☆彡4月8日 今日の一言 ブッダの言葉
「もし誰かに嫌な目にあわされたら」

 

もし君がライバルから嫌な目にあわされて、鬱になったり、落ち込んだりするなら、それを見た敵は「わーい、ざまーみろ」と笑って喜ぶだろう。

 

 故に「真の損得」を知る人はどんな嫌な目に遇わされようとも、嘆かず、平常心を保つ。

 

前と変わらず、穏やかなままの、君の優しい表情を見た敵は「ちぇっ、がっかりだ」と落胆する。

 

 皮肉なことに、敵を悩ませるための最高の「イヤガラセ」は君が怒らず朗らかにしている、たったそれだけのこと。

 

支部経典

 

超訳 ブッダの言葉

超訳 ブッダの言葉

 

 

以上は 小池龍之介編訳 超訳 ブッダの言葉  より一部抜粋

スポンサーリンク  

 

毎月7日は、三万燈明仏、千手観音、北野大明神、平野大明神、の縁日&今日の一言 渡辺和子


毎月7日は①三万燈明仏➁千手観音➂北野大明神➃平野大明神の縁日です。

①三万燈明仏 さんまんとうみょうぶつ
三十日秘仏の七日仏。
両手とも燈明印を結んでいます。
二万燈明仏とも言われます。

➁千手観音 せんじゅかんのん
千手千眼観世音菩薩せんじゅせんげんかんぜおんぼさつといいます。千の手と千の眼は、慈悲の広大さと、救う手段の豊富さを表します。


冠についている顔は11面または27面あります。顔がいくつもあるのは、救う相手により一番効果的な接し方をすることを表します。


造形的には実際に千本の手を持つものと、代表的な42本を持つものとがあります。
手に持っているものは、出典によって多少の相違がありますが、一例を示すと次ようになります。胸の前で合掌している手を含めて42本です。


※千手観音(せんじゅかんのん)とは正しい名前は千手千眼観自在菩薩で、千本の手がありその手の掌には目が付いています。手は多くの人々に救済の手を差し伸べ、目は人々を教え導く知をあらわすとされています。このように千の手と目はどんな人達でも漏らさず救済しようとする広大無限の慈悲の心を表現しているのです。
 観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。


●ご利益
 災難、延命、病気治癒などあらゆる現世利益にご利益があり、難産や夫婦円満、恋愛成就にも功徳があるとされています。また子年の守り本尊です。子年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。
●千手観音(せんじゅかんのん)の像容
 通常は千本の手を42本の手に省略しています。頭の上には十一面観音と同じく十一面の顔があることが多いです。
千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。
「サハスラブジャ」とは文字通り「千の手」の意味である。この名はヒンドゥー教ヴィシュヌ神シヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)と考えられている。六観音の一尊でもある。
三昧耶形は開蓮華(満開のハスの花。聖観音の初割蓮華と対をなす)、蓮華上宝珠。種子(種子字)はキリーク(hriiH)。
眷属として二十八部衆を従える。
◆「十一面千手観音」、「千手千眼(せんげん)観音」「十一面千手千眼観音」、「千手千臂(せんぴ)観音)」など様々な呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。
観音菩薩が千の手を得た謂われとして、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。
この経の中に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の天台宗禅宗寺院で読誦されている。六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。
千手観音の尊名は、前述の通り様々な呼び方がある。千手観音像の中には十一面ではなく二十七面につくる像もあり、必ずしも「十一面千手千眼観音」が正しいとは言いきれない。日本の文化財保護法による国宝、重要文化財の指定名称は「千手観音」に統一されている。
密教曼荼羅では観音像は「蓮華部」に分類されている。千手観音を「蓮華王」とも称するのは観音の王であるとの意味で、蓮華王院(京都の三十三間堂の正式名称)の名はこれに由来する。


◆日本における信仰と造像例
千手観音の造像例は、インドにはほとんど知られないが、中国では唐代の龍門石窟などに遺例がある。日本での千手観音信仰の開始は古く、空海が正純密教を伝える以前、奈良時代から造像が行われていた。東大寺には天平年間に千手堂が建てられたことが知られ、同寺の今はない講堂にも千手観音像が安置されていた。
日本における現存作例では、8世紀半ばの制作とされる葛井寺像が最古とされ、唐招提寺像も8世紀末~9世紀初頭の作品である。和歌山・道成寺秘仏北向本尊像の胎内からは大破した千手観音像が発見されているが、これは道成寺草創期の本尊と思われ、奈良時代に遡るものである。


その他、千手観音をまつる著名寺院としては、清水寺三十三間堂、西国札所の粉河寺などがある。京都・清水寺本尊(立像)は、33年に一度開扉の秘仏で、42本の手のうちの2本を頭上に挙げて組み合わせる独特の形をもち、「清水型」といわれている。同じ清水寺の奥之院本尊の秘仏千手観音像は珍しく27面をもつ坐像である。
1、宝珠=財宝を得る
2、羂索=安穏を得る
3、宝鉢=腹病を治す
4、宝剣=悪魔を退ける
5、三鈷=魔を除く
6、金剛杵=怨敵をくじく
7、施無畏印=怖れを去る
8、日精摩尼(玉・太陽)=闇を照らす
9、月精摩尼(玉・月)=熱や毒の病をいやす
10、宝弓=栄官を増す
11、宝箭=良き友に巡り会う
12、楊柳=病難を除く
13、払子=色々な障りや塵を去る
14、胡瓶=水をそそいで平和を得る
15、傍俳(額)=獣の難をさける楯
16、鉄斧=官難を除き平和をもたらす
17、玉環=よき従者を得る
18、自蓮花=功徳を得る
19、青蓮花=十方浄土に往生する
20、宝鏡=智恵の眼
21、紫蓮花=十方浄土の諸仏を見る
22、宝篋=地中に隠れたものを得て冥福を得る
23、五色雲=神仙道をうる
24、唐瓶=梵天に生ずる
25、紅蓮華=諸天に生ずる
26、戦鞘=逆賊を除く
27、ほら貝=善神を招く
28、ドクロ=鬼神を降伏する
29、数珠=仏手を蒙る
30、宝鐸(鈴)=音声を得る
31、宝印=色々な弁説
32、鉄鈎=龍神を伏す
33、錫杖=善心を発する
34、合掌=諸人に慕われる
35、化仏=仏
36、宮殿=胎蔵
37、宝経=善いことを多く聞く
38、金輪=菩提心
39、頂上化仏=仏
40、蒲桃=五穀豊穣


◆日本における代表的な千手観音像
福島・恵隆寺像(立像)(重文)
京都・清水寺本尊像(立像)
京都・清水寺奥之院本尊像(坐像)(重文)
京都・三十三間堂本尊像(坐像)(国宝)
京都・三十三間堂像(1,001体、立像)(重文)
京都・東寺旧食堂像(立像)(重文)
京都・広隆寺旧講堂像(立像)(国宝)
京都・法性寺像(立像) (国宝)
京都・峰定寺像(坐像)(重文)
大阪・葛井寺本尊像(坐像)(国宝)
奈良・唐招提寺金堂像(立像)(国宝)
奈良・興福寺旧食堂像(立像)(国宝)
三重・太江寺像(坐像)(重文)
和歌山・道成寺本尊像(立像)(国宝)
福岡・大悲王院像(立像)(重文)
 
北野大明神 北野天満宮
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「星梅鉢紋」。


通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。福岡県太宰府市太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。
祭神
祭神は以下の3柱。
主祭神
菅原道真
相殿神
中将殿 - 菅原高視(道真長子)を指す
吉祥女 - 道真正室を指す
歴史
延喜3年(903年)、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。天慶5年(942年)、右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)という少女に託宣があり、5年後にも近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があった。それに基づいて天暦元年6月9日(947年)、現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。後に藤原師輔(時平の甥であるが、父の忠平が菅原氏と縁戚であったと言われる)が自分の屋敷の建物を寄贈して、壮大な社殿に作り直されたと言う。

御利益
【学業成就】
祭神である菅原道真公は、優秀な文人であったことから学問の神として慕われ、受験シーズンには合格祈願に訪れる学生で境内は賑わいます。北野天満宮の境内にはたくさんの牛の像(「なで牛」)が見られますが、牛は天神さんのお使いといわれ、この牛の頭をなでると頭がよくなるといわれています。
北野天満宮は ”学問の神様”として有名な平安時代の学者・菅原道真を祀る神社。
 全国にある天満宮の中でも、九州の大宰府天満宮とともに代表的な神社として信仰を集めています。

北野天満宮のご利益
【学業成就】
祭神である菅原道真公は、優秀な文人であったことから学問の神として慕われ、受験シーズンには合格祈願に訪れる学生で境内は賑わいます。北野天満宮の境内にはたくさんの牛の像(「なで牛」)が見られますが、牛は天神さんのお使いといわれ、この牛の頭をなでると頭がよくなるといわれています。
【大黒天の燈籠】
三光門を出て左側に、大黒さまが彫られた石燈籠があります。この大黒さまの口(頬の穴?)に小石をのせて落ちなければ、その小石を財布に入れて祈るとお金に困らないといわれています。たくさんの方がチャレンジされたのか、穴は磨り減ってしまっています。壊さないように注意しながらお試しください。
【伴氏社】
祭神は、菅原道真公の母君。暖かい愛情と厳しいまなざしをもって道真公を育てたといわれる道真公の母君を祀る伴氏社は、子供の成長と学業成就を守護するご神徳があるといわれ、子供の健やかな成長を願うお母さま方の厚い信仰を集める社です。
【文子天満宮
菅原道真公は失意の中で大宰府で生涯を閉じましたが、その後京の都は疫病などの災厄が流行、道真公のたたりであると人々は恐れました。
942年(天慶5)、右近七条坊に住む多治比文子という娘に道真公の神霊より、「わが魂を右近馬場に祭れ」とのお告げがありました。文子にはとても右近馬場にお社を建てる力がなかったので、とりあえず自宅に小さな祠を建て、道真公の御霊をお祀りしました。これが文子天満宮であり、北野天満宮の発祥といわれています。
文子天満宮には、道真公が祀られ、入試・学徳成就のご利益があるといわれています。
地主神社
北野天満宮創建以前よりこの地に鎮座する、境内で最も古い神社。主祭神天神地祇は、日本国内六十余国に祀られたすべての神々のことで、相殿の3人の皇子はいずれも道真公の血縁やゆかりの深い方々です。招福、交通安全、諸願成就のご神徳を授けていただけます。

 

➃平野大明神 京都平野神社
平野神社(ひらのじんじゃ)は、京都府京都市北区平野宮本町にある神社。式内社名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「桜」。
祭神
現在の祭神は次の4柱。一番北の第一殿から順に1殿1柱ずつ祀られている。
第一殿:今木皇大神(いまきのすめおおかみ、今木神) - 主神。
第二殿:久度大神(くどのおおかみ、久度神)
第三殿:古開大神(ふるあきのおおかみ、古開神)
第四殿:比売大神(ひめのおおかみ、比売神/比咩神)
◆概要
京都市北部、平安京大内裏(平安宮)から北方の平野の地に鎮座する神社である。平安京遷都頃まで創建が遡るとされる神社で、近年の研究によると、元々は桓武天皇生母の高野新笠の祖神(桓武天皇外戚神)として平城京に祀られた神祠であったが、それが平安京遷都に伴って大内裏近くに移し祀られたことに始まると推測されている。
古代には皇太子守護の性格を持ち、平安時代には例祭「平野祭」において皇太子自らにより奉幣が行われた。また、多くの臣籍降下氏族から氏神として歴史的に崇敬された神社としても知られる。
現在の本殿は4殿2棟からなり、いずれも「平野造」とも称される独特の形式の造りで、国の重要文化財に指定されている。そのほかに拝殿・中門・南門・摂社縣神社は、京都府から文化財指定・登録を受けている。境内は桜の名所として知られ、夜桜の様子は「平野の夜桜」と称されることで知られる。
平野神社と言えば桜である。境内には400本もの桜が植えられており、随所に桜があしらわれている。よって、女性的な神社という印象を受ける。


◆御利益
家内安全 家族の安全を願います。
十三詣 生まれた年の干支が返ってくる節目の年(数え年の13歳)に神仏へお詣りし、福徳、知恵を授かる行事です。
商売繁盛 家業、会社の益々の発展を祈願します。
開運招福 運が開き豊かな生活をすごせるように願います。
安全祈願 様々な安全を祈願します。
災難除け 日常の生活に降りかかる災難から護って頂くようにお祈りします。
誕生祭 この世に生まれてきたことを神様や先祖、両親に感謝し、今後も健康で幸せな日々を過ごせることを願います。
結婚記念祭 記念日を迎えたことを感謝しお祝いします。25周年銀婚式、50週年金婚式は特に盛大に行われます。 
旅行安全 旅の安全を祈願します。
良縁祈願 良き縁に巡り合えるように祈願します。
身体健固 健康でいられることを感謝し、この先も健康で活力のある体であるように祈願します。
病気平癒 病気の回復を祈願します。
安産祈願 子宝に恵まれたことを感謝し、安産を願います。またお産の軽い戌(いぬ)にあやかり、戌の日にお詣りする信仰もあります。
合格祈願 受験や就職、資格等の合格を祈願します。
学業成就 更なる学業向上を願います。
交通安全及び自動車清祓 車、バイク、自転車などをお祓いをし、交通安全を祈願いたします。


西大路七福社ご利益めぐり
 西大路は、京都市の西域を金閣寺の前から十条通りまで南北に通っており、東大路と対になる大通りです。平安時代西大路通は、平安京の中心である朱雀大路にほど近く、野寺小路と呼ばれた道幅12メートルにもなる都のメインストリートでした。
この西大路をはさんだ東西両側に、古くから歴史と由緒・格式をもつ神社が七社あり、初春にこれら七社に参拝して朱印を受ける行事が、「西大路七福社ご利益めぐり」です。
全行程約7キロの西大路をまっすぐに進む比較的わかりやすい順路であり、ゆっくり歩いてめぐっても1日で参拝できることや、学問、安産から開運出世、延命長寿までの人生の節目ふしめを守ってくださる神様のご利益がいただけます。
 有名社寺が集積する東大路界隈にくらべ余り知られていない西大路界隈の歴史を多くの人に知ってもらおうと、昭和58年からはじまり30年以上続く行事です。
・開催期間:元旦より2月末日


☆彡4月7日 今日の一言 渡辺和子

 他人が与えてくれるのを待ってだけいてはいけない。

まず自分が、一歩を踏み出すこと。

愛のないところに愛を注ぎ、植えていこう。

そうして初めて愛が芽生え、育っていく。



以上は 「目に見えないけれど大切なもの」&『愛と励ましの言葉366日』渡辺和子著 PHP研究所発行より一部抜粋

スポンサーリンク  

 

毎月6日は、二万燈明仏、鹿島大明神、春日大明神、の縁日&4月6日の忌日、今日の一言 渡辺和子


毎月6日は➀二万燈明仏➁鹿島大明神➂春日大明神の縁日です。

 

➀二万燈明仏 にまんとうみょうぶつ
三十日秘仏の六日仏。二万という名称の由来は、万行と万善を合わせたものです。
法華経序品に曰「この佛の光明、天に日月灯明佛あっては日月の如く、地にあっては灯の如し、よって名ずく。かって過去に二万の日月灯明佛あり、同名あいついで出世し法華経を説く。」(過去無量無辺不可思議阿僧祇劫に出世した日月灯明佛は、三乗の法を説き入滅した。以来同名の日月灯明佛が次々と出世して二万の日月灯明佛が現れたとされる。)
★【日月灯明仏・日月燈明仏】にちがつとうみょうぶつ
法華経 序品〕
天にあっては日月のごとく、地にあっては灯明のごとき光明を具える仏の名。過去に二万の同名の仏が相次いで法華経を説いたという。

鹿島大明神 かしまだいみょうじん
鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社名神大社)、常陸国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市香取神宮茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。
祭神は次の1柱。
武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ/たけみかづちのおおかみ)
古事記』では「建御雷神」、『日本書紀』では「武甕槌神」と表記される。
別名を「建布都神(たけふつのかみ)」や「豊布都神(とよふつのかみ)」

◆ご利益
鹿島神宮は、仕事・人生に総合的な開運力のある、関東最強クラスのパワースポットです。
「意を決したものが行くべきパワースポット」とも言われます。
人・組織を束ねるリーダーや変革者・独立起業者に、また、人生の転換期や自分の道を突き進む時に、ぜひ参拝して頂きたい神社です。以下のご利益があります。
 ・勝負運 : 困難に立ち向かい、勝負に勝つ
 ・決断力 : 迷いを断ち、強い意志で迷わず進める
 ・行動力 : 邪魔するものをはねのけ進むパワー
 ・統率力 : 人を導いて変革を成し遂げる統率力・交渉力
 ・厄除け : 魔(悪運・悪縁・邪魔)を断つ
鹿島神宮は、下総国一宮の香取神宮(千葉県香取市、位置)と古来深い関係にあり、「鹿島・香取」と並び称される一対の存在にある。
要石(かなめいし)は、境内東方に位置する霊石。古来「御座石(みまいし)」や「山の宮」ともいう。地上では直径30センチメートル・高さ7センチメートルほどで、形状は凹型。
御手洗池(みたらしいけ)は、神宮境内の東方に位置する神池。潔斎(禊)の地。古くは西の一の鳥居がある大船津から舟でこの地まで進み、潔斎をしてから神宮に参拝したと考えられており、「御手洗」の池名もそれに由来するとされている。
美しい日本の歩きたくなるみち500選選定 「鹿島神宮の森からカシマスタジアムを巡るみち」
鹿島神宮には「七不思議」と呼ばれるものがあり、次の7項目が挙げられる。
要石
御手洗池の水深
末無川 - 境外の高天原で湧出した水の行方が辿れなくなるという。
境内三笠山の藤の花 - 藤の多く咲く年は豊作、少ない年は凶作という。
鹿島灘の海鳴 - (特に奥宮付近において)波の音が北の方に聞こえる時は晴れ、南に響く時は雨が降るという。
根上りの松 - 神宮の松は幾度伐っても芽が出て枯れないという。
松の箸 - 神宮の松で作った箸からは脂が出ないという。

 

➂春日大明神 奈良春日大社
春日権現(かすがごんげん)は神仏習合の神であり、不空羂索観音薬師如来地蔵菩薩・十一面観音を本地仏とする。春日大明神とも呼ばれた。神仏分離廃仏毀釈が行われる以前は、春日社(現在の春日大社)などで祀られた。

春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社。式内社名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「下がり藤」。
全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコ世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。
主祭神は以下の4柱。総称して春日神と呼ばれ、藤原氏氏神である。
武甕槌命 - 藤原氏守護神(常陸国鹿島の神)
経津主命 - 同上(下総国香取の神)
天児屋根命 - 藤原氏の祖神(河内国平岡の神)
比売神 - 天児屋根命の妻(同上)
春日大社のご利益=
【厄除け】
 創建については諸説あり定かではありませんが、藤原氏氏神として崇敬を集めてきた春日大社。祭神は、武甕槌命経津主命天児屋根命比売神の4神です。春日大社は古くから厄除けの祈願所で知られ、毎年多くの方が厄除け祈願に訪れています。
【交通安全】
 社伝によると、768年(神護景雲2)、常陸の国の鹿島神社の大明神が鹿に乗って春日山に入られたとされ、旅に出発することを「鹿島立ち」というのはこのことに由来します。鹿は神鹿とされ、春日大社は交通安全の守り神として信仰を集めています。
春日大社のご利益どころ=
【御神木「七種の寄生木」】
 風の神様を祀る「風宮神社」の隣に、「七種の寄生木」と呼ばれる御神木があります。
 風宮神社の神様が、「カゴノキ」「フジ」「ツバキ」「ナンテン」「カエデ」「サクラ」「ニワトコ」の7種の種を運んできたと伝えられ、古来より子授けの霊験あらたかな御神木と信仰を集めています。
【夫婦大国社】
 夫婦大国社は、出雲から大国主命と須勢理比売命の夫婦を招いて祀った日本で唯一の社。縁結び、夫婦円満、商売繁盛の神として信仰を集めています。夫婦大国社では、古くから杓子に願いごとを書いて奉納する慣わしがありましたが、最近はハート型の絵馬に願いごとを書くのが人気のようです。
【子授石(水谷神社)】
 春日大社の摂社の一つである水谷神社の社の前に、「子授石」と呼ばれる石があります。
 この石を清い布で拭き清めると子宝を授けてくれるといわれており、子授けを願う多くの人々の信仰を集めている霊石です。
【祓戸神社】
 1006年(寛弘3)にはお祀りされていたと伝えられる古社。
 祭神の瀬織津姫神は、自らが犯した罪はもとより、知らず知らずに犯してしまった罪も心から悔い改めて祈れば、罪穢をお祓いくださる神さまで、毎年3月13日に行われる春日大社の例祭「春日祭」の祓戸の儀はこの御所前で行われます。



☆彡4月6日 今日の一言 渡辺和子

愛されるために一番手近な道は、

愛すべき人になること。

つまり、愛情豊かな人に自らがなることです。




以上は 「美しい人に」&『愛と励ましの言葉366日』渡辺和子著 PHP研究所発行より一部抜粋

 


☆彡4月6日忌日
1199年リチャード1世 (イングランド王(プランタジネット朝2代)「獅子心王」) <41歳>
Richard I,The Lion-heart(Richard Coeur De Lionduke)[1157年9月8日生]

1336年後伏見天皇(胤仁親王) (天皇(93代)) <数え49歳>[1288年3月3日生]

1520年ラファエロ・サンティ (伊:画家『アテネの学堂』『パルナッソス』) <37歳>
Raffaello Santi[1483年4月6日生]

1528年アルブレヒト・デューラー (独:画家,版画家,彫刻家) <56歳>
Albrecht Dürer[1471年5月21日生]

1823年大田南畝(蜀山人,四方赤良) (戯作者,狂歌師,天明三大家の一人) <数え75歳>[1749年3月3日生]

1829年ニールス・アーベル (ノルウェー:数学者,楕円関数論創始) <26歳>Niels Henrik Abel[1802年8月5日生]

1868年小栗上野介忠順 (幕臣) <数え42歳>(閏4月) 斬首[1827年2月12日生]

1927年志賀重昂 (地理学者『日本風景論』,政治評論家,衆議院議員) <63歳>[1863年11月15日生]

1932年初代江戸家猫八 (声帯模写) <64歳>[1868年4月3日生]

1961年ジュール・ボルデ (ベルギー:細菌学者,補体結合反応や百日咳菌を発見) <90歳>
Jules Jean Baptiste Vincent Bordet1919年ノーベル生理学医学賞[1870年6月13日生]

1971年イーゴリ・ストラヴィンスキー (露:作曲家『火の鳥』) <88歳>
Igor Fyodorovich Stravinsky[1882年6月5日生]

1977年木戸幸一 (内大臣(13代),内相(58代),厚相(初代),文相(48代),木戸孝允の孫) <87歳>[1889年7月18日生]

1984年春日部一(ボギー) (ドラマ登場人物(『太陽にほえろ!』))

1984長谷川一夫(林長二郎) (俳優) <76歳>1984国民栄誉賞(第3号)[1908年2月27日生]

1992年アイザック・アシモフ (米:SF作家,生化学者,科学評論家) <72歳>Isaac Asimov[1920年1月2日生]

1992年ハーマン・フランシス・マーク (豪・米:化学者) <96歳>Herman Francis Mark[1895年5月3日生]
1992年安孫子藤吉 (山形県知事,参議院議員,自治相(29代),国家公安委員長(39代)) <88歳>[1904年2月22日生]

1993年安永沙都子 (声優) <29歳>[1963年7月27日生]

1994年山口豪久(山口暁) (俳優) <47歳>[1947年1月25日生]

2004年加山又造 (日本画家) <76歳>2003年文化勲章[1927年9月24日生]

2005年レーニエ3世 (モナコ:大公,グレース公妃の夫) <81歳>Rainier III[1923年5月31日生]

2005年長江録弥 (彫刻家) <79歳>[1926年1月2日生]

2008年川内康範 (作詞家,脚本家) <88歳>[1920年2月26日生]

2010年西河克己 (映画監督) <91歳>[1918年7月1日生]

2016年秋山ちえ子 (評論家) <99歳>[1917年1月12日生]

スポンサーリンク  

 

スポンサーリンク