終活・生活・再生日記 「夢幻」

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2017年、東北の梅雨明け宣言8月2日頃を「特定できず」と 気象庁が修正 長雨&日照不足で野菜高騰!

気象庁は1日、各地の今年の梅雨入りと梅雨明けの時期の確定値を発表した。

 気象庁は1日、今年の全国の梅雨入りと梅雨明けの時期を確定し、8月2日頃としていた東北地方の梅雨明け時期を「特定しない」に修正した。

 

 梅雨明けが特定できなかったのは、2009年以来。同庁は「冷たく湿った北風の影響が弱まらなかった」と分析している。

 

ことしの梅雨の時期について気象庁が見直しを行った結果、東北では「梅雨明けを特定できなかった」と修正しました。東北で梅雨明けが特定できなかったのは8年前の平成21年以来です。

 

気象庁は、地域ごとに発表している梅雨入りと梅雨明けについて、毎年この時期、観測データを基に見直しを行っています。

 

その結果、東北の梅雨入りは6月21日ごろと発表していましたが、東北南部で統計開始以来最も遅い6月30日ごろに、東北北部で7月1日ごろに修正しました。一方、先月2日ごろと発表していた梅雨明けは、その後も雨や曇りのぐずついた天気が続き、「梅雨明けは特定できなかった」としました。

 

東北ではこの夏、オホーツク海高気圧から冷たく湿った空気が流れ込んでぐずついた天気が続き、仙台市では先月下旬にかけて、夏の時期としては観測史上最も長い36日連続で雨が降りました。東北で梅雨明けが特定できなかったのは、8年前の平成21年以来です。

 

このほかの地域では、梅雨入りを九州北部と四国、中国地方、近畿で当初の発表より2週間ほど遅い6月20日ごろに修正したほか、梅雨明けは関東甲信で発表より13日早い7月6日ごろに、九州北部と四国、中国地方、近畿で発表より6日から7日早い7月13日ごろに見直しました。


気象庁によると、7月末に日本の北に発生したオホーツク海高気圧が8月に入っても残り、東北は8月2日以降も曇りや雨の天気が続き、梅雨明けの時期が明確にならなかった。特定できなかったのは平成21年以来で、昭和26年の統計開始以降、東北北部は6回目、南部は5回目。梅雨入りは北部が7月1日ごろ、南部が6月30日ごろ。

 

 梅雨前線は、6月は日本の南海上に本州から離れて停滞する期間が長く、梅雨入りがかなり遅い地域が多くなった。一方、7月には北上して平年より北の日本海に停滞したため、東日本の太平洋側と西日本では梅雨前線の影響を受ける期間が短くなり、特に東海地方では、6、7月の降水量が平年の67%とかなり少なくなった。

 


◆仙台の降雨連続36日に 観測史上1位、83年ぶり記録更新 


 宮城県内は8月26日午前、前線の影響で雨が降った。仙台管区気象台によると、仙台は7月22日から36日連続の降雨を記録し、6~9月では1934(昭和9)年を抜いて単独で観測史上1位となった。

 

 仙台は午前6時までの1時間に11.5ミリの降水量を記録するなど、午前4~8時に雨を観測。午前7時までの1時間に石巻で12ミリ、白石で9ミリ、気仙沼で4.5ミリを観測するなど県内各地で朝に雨が降った。


 仙台市内では午前9時半ごろから青空が顔を出した。仙台管区気象台は、仙台の日中の最高気温を平年(27.4度)より高い32度と予測している。


◆8月の日照時間 仙台で観測史上最少


 仙台管区気象台は1日、8月の東北地方は太平洋側で日照時間が記録的に短く、仙台や大船渡では8月の観測史上最少を更新したと発表した。冷たく湿った「やませ」の影響で雨や曇りの日が多く、東北全体の平均気温も2009年以来、8年ぶりに平年を下回った。

 

 仙台の日照時間は計57.1時間で平年の40%にとどまった。1941年の61.4時間を下回り、最少記録を更新。大船渡も平年比39%の計57.5時間しかなく、84.6時間だった03年の歴代1位を塗り替えた。

 

 気仙沼(計51.8時間)、白石(計45.4時間)、釜石(計51.7時間)、相馬(計39.4時間)、福島県浪江(計42.0時間)でも8月の最少を更新した。石巻、白河、いわき市小名浜は歴代2位、宮古、福島は3位の少なさだった。

 

 平均気温は仙台23.0度、石巻22.4度、宮古20.1度など。各地で平年より1~2度低く「肌寒い夏」となった。日中の最高気温も仙台は平均25.9度で、平年を2.0度下回った。

 

 降水量は宮古で平年の1.9倍の計324ミリ、石巻で1.5倍の計174ミリを記録。8~9日に接近した台風5号などが影響した。日本海側でも降水量は多くなり、秋田では1.3倍の計234.5ミリだった。
 
◆野菜などが高騰 
8月後半から全国的に低温と降雨が続き、野菜が高値になっている。長梅雨や7月下旬から8月初めにかけての猛暑も響き、幅広い品目で生育が遅れ気味だ。農林水産省が1日発表した野菜小売価格緊急調査(8月24~28日、全国平均)でも、トマト、カボチャ、キュウリなど対象の4品目が平年比1~4割高かった。

 

最近気候の変動が地球規模で頻繁に起きています。地球の温暖化が進んでいる証拠です。

いわいる「宇宙船地球号」が悲鳴を上げているのです。何とかしなくっちゃ~。

 

★地球の温暖化

地球は、昼は太陽の熱によって暖(あたた)められ、夜は熱を宇宙に逃(に)がして、全体としてほぼ一定の気温に保(たも)たれていました。しかし、人間の活動によって温室効果ガス(二酸化炭素、メタン、フロンなど)が空気中に増加(ぞうか)し、 地球全体を包んでしまった結果、熱が宇宙に逃げにくくなり、地球の気温がだんだん高くなってきています。これを「地球温暖化(ちきゅうおんだんか)」といいます。

 

地球温暖化が進むと、氷河が溶(と)けて海の水の量が増(ふ)え、海面からの高さの低い島国などが海に沈(しず)んでしまう心配や、これまで熱帯地方でしか生きられなかった病原菌(びょうげんきん)や害虫などが日本のような温帯地方にも移ってきて、人間に病気を引き起こしたり農作物の生育をさまたげたりするおそれがでてくると考えられています。

 

◆世界の国々が一丸となって、地球温暖化対策(ちきゅうおんだんかたいさく)に取り組む

 1992年に国連のもとで、世界の国々が地球温暖化をくい止める取り組みの約束をしました。その後の1997年に、京都で会議を開催(かいさい)し、世界の国々が一緒(いっしょ)になってさらに対策を進めようと、約束の文書を取り決めました。

それが京都議定書(きょうとぎていしょ)です。

 

これにはどの国が、いつまでに、地球温暖化の原因(げんいん)となっている温室効果(こうか)ガスを、どれだけ減(へ)らすかが決められています。具体的には、先進国(せんしんこく)全体で、2008年から2012年まで(第一約束期間)に、二酸化炭素(にさんかたんそ)、メタンなど6種類の温室効果ガスを、1990年に排出(はいしゅつ)していた量よりも5%削減(さくげん)するという約束です。

 

日本は6%減らすことを約束しました。また、約束を守れなかった国は、次の約束期間(第二約束期間)の削減目標が厳(きび)しく設定されることになりました。そして、この約束は、2005年2月に実行に移されることが決まりました。


 しかし、現在、まだ世界の先進国のすべてが、地球温暖化対策の実行を約束する文書である京都議定書に同意したわけではありません。世界の国々が地球温暖化対策に取り組んでいくための第一歩でしかありません。今後さらなる取り組みが必要です。

 

◆私達が今からできること

 使っていない部屋の明かりやテレビをつけっぱなしにしていないか。冷蔵庫のドアを何度も開けたり、開けっぱなしにしていないか。エアコンで部屋を冷やしすぎたり暖(あたた)めすぎたりしていないか、むだに電気を使っていないか。こんな身近で注意できることが、地球温暖化をくい止めることにつながります。

二百十日に因み 台風の思い出

今日2017年九月一日は二百十日である。

 二百十日(にひゃくとおか)は、雑節のひとつで、立春を起算日として210日目である。日付ではおよそ9月1日頃となっている。

 

八朔(旧暦8月1日)や二百二十日とともに、農家の三大厄日とされている。

 

季節の移り変わりの目安となる「季節点」のひとつとされ、台風が来て天気が荒れやすいと言われている。夏目漱石の『二百十日』でも、二百十日は台風とは明言されないが荒天が描かれている。

 

台風襲来の特異日とされ、奈良県大和神社二百十日前3日に行う「風鎮祭」、富山県富山市の「おわら風の盆」など、各地で風鎮めの祭が催されてきている。

 

しかし、この日の頃に台風が多いという感じはなく、むしろ8月下旬と9月中旬の方が多く、二百十日ごろの台風はむしろ少ないようである。

 

 昔、この頃は稲の出穂期に当たり、強風が吹くと減収となる恐れがあるために注意を喚起する意味で言われ始めたのであろう。

 

 私は福岡生まれで、いわいる九州男児である。福岡は俗に台風銀座と言われている。したがって台風の思い出はたくさんある。幼いころは台風というと妹と二人で押し入れの中に一晩中隠れていたものである。

 

 ある日、少し大人になったころ、台風が来るというので母から家の周の板塀が倒れないようにつかえ棒をしておくように頼まれた。

 

隣の家は女手ばかりなのでついでに手伝うように言われた。隣には日頃より好意を持っていた美人で年上の女の人がいたので張り切ってこんこん、トントンと何本もつかえ棒を立てかけてあげた。

 

隣のお姉さんに「どうも、ありがとう。助かったわ」。と微笑みながら言われた時には天にも昇る気がした。

そしてなんと大好きな不二家のルックチョコレートをくれたのである。

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グリコキャラメルは一粒で2度おいしいといううたい文句であるが、ルックアラモードは「バナナ」「アーモンド」「ストロベリー」「コーヒー」と個性豊かな4種の味を1箱にアソートした、ロングセラー「ルック」の定番人気商品である。

1箱で4度おいしいチョコレートなのである。

「やったネ!」当時は明治の板チョコと並ぶ高級菓子であった。

 

 さて台風が来て、過ぎ去った後のことである。

隣のお姉さんの板塀は何の被害も無く、無事であった。しかし本命の我が家はというと、角の家だったためか板塀の一角が見事に吹き飛ばされ、倒れていたのである。「やれやれ」

後で家族にくすくす笑われてしまった。

台風の翌日は連絡があり、学校は休みとなった。いわいる台風休みである。

周りを探検していると、道端にはトタンや、木材、本等が散乱していた。倒れかけた家、床下浸水した家もあった。

今でも覚えていることであるが丘の上の松の木が根元から倒れていたのにはさすがに驚いた。何せ直径1メートルはあった松である。台風というか自然の力は大したものだとその時思った。

 現在私は通称「杜の都」と言われているところで、丘の上に居を構えている。「杜の都」は九州と違って台風の心配はほとんどない。台風の通り道になることはあってもほとんど温帯低気圧になり、そよ風程度になるからである。

同じ日本でも随分と違うものだとつくづく思う。

 

あの綺麗なお姉さんは今頃どうしてるかな。

 

ダグラス・マッカーサーと「青春の詩」 【青春とは、心の若さである】

ダグラス・マッカーサーと「青春の詩」について

 

 8月30日はマッカーサー進駐記念日です。

連合国日本占領軍最高司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に 1945年8月30日到着した。


マッカーサーと「青春の詩」
二次大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が,日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、天皇が始めて民間人と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に「青春」という英文の詩が掛けられていた。

 

マッカーサー元帥は、友人のJohn W.Lewis氏(コーネル大学教授)よりこの詩を贈られ、座右の銘として何時も執務室に飾っていた。

 

この詩を、ある日本人(岡田義夫氏説が有力:明24年埼玉県生れ元「東京毛織OB」)が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳した。これが後に松下幸之助氏の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になった。

 

 又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこのウルマンの詩の一節を引用した。

■サミュエル・ウルマン  Samuel  Ullman の詩「 Youth 青春」について
青春  岡田 義夫 訳 


青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。

 

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

 

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く 、失望と共に老い朽ちる。

 

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く に老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。  
 
※要約 「青春とは、心の若さである」 「想像力や情熱そしてチャレンジ精神を持ち続けている限り、その人の心は青春そのものである」。「若者よ夢や希望そして挑戦する気迫を持て」

若い方々にとっては良い教訓となり、年配の方には生きていく希望そして心のビタミン剤となることでしょう


原文
YOUTH
   Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

   No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

   Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.

   So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

  When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.


Given to Mc carthur some years ago by John
W. Lewist is based on a poem written by the late
Samuel Ullmann of Birmingham, Ala.


ダグラス・マッカーサー
ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカの軍人、陸軍元帥。連合国軍最高司令官総司令部を務めた。アーカンソー州出身。ウエストポイント陸軍士官学校卒。


トレードマークはコーンパイプ。身長: 183 cm

 

ダグラス・マッカーサーは戦後の日本を平和的、民主的国家に導いた最大の功労者である。

もしマッカーサーが連合国軍最高司令長官でなかったならば日本は植民地化され、天皇制は廃止され、近代化は100年遅れたとさえ言われている。



第一次大戦に参加し,陸軍士官学校長,陸軍参謀総長を歴任。
1941年極東軍司令官となり,太平洋戦争ではマニラ防衛戦,レイテ島上陸作戦などを指揮。
1944年元帥。昭和20年連合国最高司令官として日本に進駐。総司令部(GHQ)を東京に設置し,日本の非軍事化と民主化をすすめた。朝鮮戦争の際,中国領への戦線の拡大を主張してトルーマン大統領に解任された。
1964年4月5日死去。84歳。
国際基督教大学(ICU)創設
国際基督教大学 (ICU) の創設にあたり、同大学の財団における名誉理事長として、米国での募金運動に尽力した。


●原爆投下について
マッカーサーは、広島長崎への原爆投下を批判している。元帥たる自身への相談なく行われた上、日本はソ連へ和平仲介を打診した1945年6月の時点で抗戦の意思がなく、戦略的に無用であると考えたためである。逆に戦略上の必要性があれば使うべきだと考えており、朝鮮戦争の際には原爆投下を立案したために司令官を解任されている。

 

☆彡マッカーサー語録
●「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
●「軍人が国家に対してねだるようなことはしてはならない」

●「日本はただ国家防衛のために戦っただけである」
●「日本人は戦争以来現代史上で最も偉大な改心を経験している」
●「生きるにふさわしい者とは、死を恐れない者である」
●「この世に安全などない。ただ機会があるのみだ」
●「勝利する意志なくして戦争に突入するのは、致命的である」
●「戦争の究極の目的は勝つことであり決断を先延ばしにすることではない。戦いにおいては、代わりに勝利を収めてくれる代理人はいない」
●日本人は「12歳」発言
民主主義の成熟度について「アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある」と述べた。

儚くも美しい人生を生きてはみたけれど

 昭和という世に生を受けて、儚くも美しい人生を生きてはみたけれど、名を成したわけでもなく、人のために役に立ったわけでもない。

 けれども私が死を迎えた時に、この世の中のどこかで惜しんで、悲しんでくれる人がいてほしい。

名もなく、貧しく、美しく。

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