2017年の10月20日は、雑節の一つ『秋土用入」。
★土用(どよう)について
土用(どよう)とは、五行に由来する暦の雑節である。1年のうち不連続な4つの期間で、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつである。
俗には、夏の土用(立秋直前)を指すことが多く、夏の土用の丑の日には鰻を食べる習慣がある。
各土用の最初の日を土用の入り(どようのいり)と呼ぶ。最後の日は節分である。
土用は土旺用事(どおうようじ)の略。
土用というと夏を思い浮かべる方も多いと思いますが、土用は各季節にあります。
陰陽五行説で、春・夏・秋・冬をそれぞれ木・火・金・水とし、(余った?)土を各季節の終わりの18日間に当てはめたことから、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を土用といいます。
次の季節へ移る前の調整期間といったところでしょうか。
一般的には立秋前の18日間の夏土用をさします。この期間を暑中と呼び、暑中見舞いを出す時期でもあります。
また、夏土用に入って3日目が晴れれば豊作、雨が降れば凶作といわれています。この豊凶占いのことを「土用三郎(どようさぶろう)」といいます。
2017年は
冬土用:1月17日~2月3日 (太陽黄径297度)
春土用:4月17日~5月4日 (太陽黄径27度)
夏土用:7月19日~8月6日 (太陽黄径117度)
秋土用:10月20日~11月6日 (太陽黄径207度)
●歴史
五行では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当てている。残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、これを「土旺用事」、「土用」と呼んだ。
土用の間は、土の気が盛んになるとして、動土・穴掘り等の土を犯す作業や殺生が忌まれた。ただし、土用に入る前に着工して土用中も作業を続けることは差し支えないとされた。また「土用の間日(まび)」には土用の障りがないとされた。
五行の性質において、木気は植物のような発育伸長する勢いある傾向、火気は勢いが頂点に達し燃え盛る性質、金気は熱や勢いが衰え凝縮・固化しつつある状態、水気は凝縮しきってエネルギーを秘めつつ静的に留まった状態であり、これらは四季、太陽、植物などの周期変化の観察から象徴化された。
土気は土壌におくと種が発芽することの観察から、大きな変化を促し保護する働きと場所の象徴である。四季にはそれぞれ象徴である木火金水が順当に割り当てられたが、そのままでは季節が変わる際に性質の異なる気が接しギャップが生じる事になる。
現実のスムーズな移行にはバッファ的に働き現在から次の季節の気へと変容させる期間があり、ここで土気が活発に働いているとみたのが土用(土の働き)である。この期間は、1年を五行の5等分し、さらに土を四季に配分するため4等分した長さとなる。
●土用に気をつけたい事
それぞれの季節の土用の期間というのは、季節の変わり目でもあります。この節目には健康管理にも気を付けたいところ。
夏場などは夏バテなどには注意したいという事もあり、滋養強壮のうなぎなどを食べる週間がありますよね。
それと同様に、秋や冬、春の土用でも季節の節目で起こりがちな体調不良に気をつけたいところです。特に冬土用では空気も乾燥し気温も下がることから風邪やインフルエンザなどが流行する季節となります。
秋土用では、夏のあいだの疲れなどが出やすくなる季節となりますので、体のケアもしてあげましょう。
●土用の丑の日
夏の土用は、1年の中で最も暑さが厳しいとされる時期にあたるため、江戸時代にはこの期間の丑の日を「土用の丑の日」と重視し、柿の葉などの薬草を入れたお風呂に入ったり(丑湯)、お灸をすえたり(土用灸)すると夏バテや病気回復などに効き目があるとされていました。
年によっては、土用の期間に丑の日が2回訪れることもあります。この2回目の丑の日を「二の丑」といいます。
●うなぎ
7月の土用の丑の日にうなぎを食べると夏バテをしないといわれています。
実はこの風習、江戸時代の万能学者であり、発明家でもある平賀源内が仕掛けたものだったんです。
知り合いのうなぎ屋さんが夏はうなぎが売れないと困っていたのを見て、店の前に「土用丑の日、うなぎの日」という貼り紙をしたのです。
これが大当たりして、土用の丑の日にうなぎを食べる風習となりました。元々この日に「う」のつくものを食べると病気にならないという言い伝えがありましたので「う」のつく食べ物=「うなぎ」として定着したのでしょう。
●土用の虫干し・土用干し
夏土用の時期に、カビや虫の害から守るため、衣類や書物に風を通して陰干することを土用の虫干しといいます。
また、この期間は田んぼに水を入れず、土をひび割れ状態にします。これは雑菌の繁殖を抑える効果があり、根がしっかりと張るんだそうです。
梅干しの天日干しもこの時期です。
●土用にしてはいけないこと
・土を犯してはいけない(土を掘り起こしてはいけない)。
土用の期間は、土を司る土公神(どくしん・どくじん)という神様が支配するといわれ、土を動かしてはいけないとされてきました。今でも、家などを建築する際、土を掘り起こしたりする基礎工事などは土用の期間をはずす方が多いようです。
土用は季節の変わり目ですから、農作業で体調を崩さないようにとの戒めもあると思われます。
※土用の間日(まび)
土用の期間中土を掘り起こしてはいけないとなると、いろいろと支障が出てきそうですね。でもご安心あれ。土公神が天上に行き、地上にいなくなる「間日(まび)」が設けられているので、この日は作業をしてもいいとされています。
冬土用の間日:寅・卯・巳の日
※2017年は1月18日・27日・28日・30日
春土用の間日:巳・午・酉の日
※2017年は4月24日・25日・28日
夏土用の間日:卯・辰・申の日
※2017年は7月20日・27日・28日、8月1日
秋土用の間日:未・酉・亥の日
※2017年は10月23日・25日・27日、11月4日・6日
●生活
・土を掘り起こす作業をしない。
夏土用
・暑中見舞いを出す。
・衣類や書物の虫干しをする。
・梅干しの天日干しをする。
・薬草などを入れたお風呂に入る。
・うなぎや梅干しなど「う」のついたものを食べる。
●食べ物について
うなぎ、梅干し、瓜、うどんなど「う」のついた食べ物
土用の丑の日のうなぎは有名ですが、昔からこの日に「う」のつくものを食べると病気にならないといわれてきました。
例えば「梅干し」「瓜」「うどん」など。いずれも、食が細くなる夏に食べやすいものですね。このような言い伝えは先人たちのありがたいアドバイスともいえるわけです。
他にも「土用~」という食べ物があります。
土用餅 土用しじみ 土用卵
毎月20日は、➀月光菩薩、➁十一面観音、&➂客人大明神の縁日です。
☆彡➀月光菩薩(がっこうぼさつ)
月光菩薩(がっこうぼさつ)は、仏教における菩薩の一尊。月の清浄光を人格化し,薬師如来の跡を継ぐべき菩薩とされる。日光菩薩と共に薬師如来の脇侍を務め、薬師三尊を構成している。
薬師三尊のひとつで釈迦(しゃか)の前生の姿ともされる。薬師如来の右脇に侍し,左の日光菩薩と対をなす。月輪をのせた蓮(はす)の茎をもつ姿であらわされることがおおい。
『薬師経』に依れば、月光菩薩は、月の光を象徴する菩薩であり、日光菩薩と一緒に、薬師如来の教説を守る役割を果たしているとされる。
造形上は、日光菩薩と対になるように、対称的に造形される。つまり、日光菩薩が右腕を上げ左腕を垂らす場合は、月光菩薩が左腕を上げて右腕を垂らすといった姿形がとられる。また、その上げた方の手の親指と人差し指で輪を作る作例が多い。さらに、宝冠と持物に月を表す標幟を表現することも多い。
胎蔵曼荼羅では五髻の童子形で、右手に未開敷蓮華、左手に半月を乗せた開敷蓮華を持つ。密名は「清涼金剛」。
古都 奈良散策 東大寺大仏殿 二月堂 法華堂 興福寺 唐招提寺 薬師寺 飛鳥寺 石舞台古墳
日本における作例としては、東大寺法華堂、奈良市の薬師寺金堂の薬師三尊像の脇侍立像(銅造、国宝)がよく知られる。
月光仮面のモデルでもある。
月光菩薩は三十日秘仏の二十日仏。月光菩薩は月光遍照、月浄などとも呼ばれます。
姿としては月輪を持つことが多い。
単独で祀られることはなく、薬師如来の右脇仕として祀られ、薬師如来の教えを伝える役目を日光菩薩とともに受け持ちます。
月の光のような、やさしい慈しみの心を授けます。
三十日秘仏の二十日仏。
月光遍照、月浄などとも呼ばれます。
姿としては月輪を持つことが多い。
単独で祀られることはなく、薬師如来の右脇仕として祀られ、薬師如来の教えを伝える役目を日光菩薩とともに受け持ちます。
月の光のような、やさしい慈しみの心を授けます。
月光菩薩は日光菩薩とともに薬師如来の脇侍として祀られる菩薩で,独尊で信仰されることはない。像容は日光菩薩と同様,普通は上半身裸形。
宝冠や持物に月を表わす標識がつく場合もある。彫像では奈良薬師寺金堂本尊の脇侍が白鳳時代を代表する優品。
東京芸術大学蔵の乾漆造の坐像は,破損は多いがもと京都高山寺に伝わった天平時代の作。このほか平安時代の遺品として京都醍醐寺,法隆寺講堂の薬師如来の脇侍,また鎌倉時代の代表的遺品として神奈川覚園寺の木像があげられる。
☆彡➁十一面観音(じゅういちめんかんのん)
十一面観音(じゅういちめんかんのん)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。梵名は文字通り「11の顔」の意である。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、六観音の1つでもある。玄奘訳の「十一面神咒心経」にその像容が明らかにされている通り、本体の顔以外に10または11の顔を持つ菩薩である。
◆概要
三昧耶形は水瓶、開蓮華。種子(種子字)はकキャ(ka)、ह्रीःキリーク(hrīḥ)。
大光普照(だいこうふしょう)観音とも呼ばれ、頭上の11面のうち、前後左右の10面は菩薩修行の階位である十地を表し、最上部の仏面は仏果を表すとされるが、これは衆生の十一品類の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すとされる。「救わで止まんじ」の誓願を持つがゆえに、大悲闡提とも呼ばれる。六観音の役割では、阿修羅道の衆生を摂化するという。
密教の尊格であり、密教経典(金剛乗経典)の十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経(不空訳)、仏説十一面観世音神咒経、十一面神咒心経(玄奘訳)に説かれている。
十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる。
◆十種勝利
離諸疾病(病気にかからない)
一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)
任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)
一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)
國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)
不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)
一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)
水不能溺(溺死しない)
火不能燒(焼死しない)
不非命中夭(不慮の事故で死なない)
◆四種功德
臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)
不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)
不非命終(早死にしない)
從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)
日本語では「十一面観音菩薩」、「十一面観世音菩薩」など様々な呼び方があるが、国宝、重要文化財等の指定名称は「十一面観音」となっている。
◆日本での信仰
密教系の尊格であるが、雑密の伝来とともに奈良時代から信仰を集め、病気治癒などの現世利益を祈願して十一面観音像が多く祀られた。観音菩薩の中では聖観音に次いで造像は多く、救済の観点からも千手観音と並んで観世音菩薩の変化身の中では人気が高かった。
伝承では、奈良時代の修験道僧である泰澄は、幼少より十一面観音を念じて苦修練行に励み、霊場として名高い白山を開山、十一面観音を本地とする妙理権現を感得した。平安時代以降、真言宗・天台宗の両教を修めた宗叡は、この妙理権現を比叡山延暦寺に遷座し、客人権現として山王七社の1つに数えられている。
◆日本におけるおもな作例
奈良時代
奈良・聖林寺像
京都・観音寺像
京都・大雲寺像未指定
平安時代
滋賀・向源寺(渡岸寺)像
京都・六波羅蜜寺像
大阪・道明寺像
奈良・法華寺像
奈良・室生寺像
絵画
奈良国立博物館本(平安時代)
☆彡➂客人大明神・客人権現(きゃくじんごんげんん)日吉大社白山姫神社
江州志賀郡 山王七社(比叡山に祀られた神様です。山王は山麓にある日吉神社ひえじんじゃのことです。)のひとつ。客人権現白山宮白山姫神
滋賀県大津市の日吉山王の祭神。商家で、客足の多くなることを祈願して祭る。
客人大権現を崇敬した人々 : 芝居茶屋・遊郭・料飲業・・・接客業に”千客万来”をもたらす神さま
客人権現(まろうど・きゃくじんごんげん)は三十番神にも登場します。
客人(まろうど、まらひと)とは、元来は稀に来訪する神さまの意味で、神さまを丁重におもてなしすることが福を授かることに通じます。権現とは、仏さまが仮に神さまの御姿で現れたもの、という意味で、当時はたいへん尊い神仏に対して使われていた呼び名です。
本地仏は十一面観音です。
女性の姿で、八王子山麓に現れた神様。手に持っているのは払塵ほつじんです。
◆主な寺院
●日蓮宗 高林山 法典寺 東京都港区六本木6-7-18 客人大権現画像
●渋江白髭神社・白髭神社・客人大権現(まろうどだいごんげん)東京都葛飾区東四つ木4-36-18
御祭神:猿田彦命・大己貴命・建御名方命
六代将軍・徳川家宣の側室・左京の局(月光院、お喜世の方)が当社への信仰により後の七代将軍となる家継を懐胎したことから、評判が広まり、遠近からの参詣者が絶えず賑わった。
神社に残る客人大権現縁起や勧進牒の版木には、「諸人愛敬、商売繁昌、芸能上達、諸願満足、如意吉祥、息災延命、子孫繁栄、一粒万倍」、「武運長久、四民安穏、諸商売繁昌」などのご神徳が掲げられています。
諸人愛敬(万人から愛され敬われる)、あるいは芸能上達といった接客をを生業とする人々にとってはたいへんありがたいご利益をもたらしてくださり、それが千客万来、やがて商売繁昌へとつながるという信心から参詣者が雲集したと考えられますし、参詣してご利益が叶ったと感じた人々がそのことを伝えてきたために、地誌や名所案内に載らなくとも、口伝だけで長期間にわたり崇敬を集めてきたのだと考えるのが自然ではないかと思われます。
☆彡10月20日の誕生日
1879年 河上肇 (経済学者)[1946年1月30日歿]
1882年 ベラ・ルゴシ (ルーマニア:俳優『ドラキュラ』)
Bela Lugosi[1956年8月16日歿]
1906年 坂口安吾 (小説家『堕落論』『桜の森の満開の下』)[1955年2月17日歿]
1907年 大伴麟三 (映画監督,脚本家)[1944年12月9日歿]
1910年 ミスワカナ (漫才師(ミスワカナ・玉松一郎))[1946年10月14日歿]
1911年 及川道子 (女優)[1938年9月30日歿]
1921年 加美早苗(雪城美沙子) (女優(宝塚歌劇(25期)),バレエダンサー,バレエ指導者)[2000年歿]
1932年 納谷六朗 (声優)[2014年11月17日歿]
1934年 皇后陛下(美智子皇后) (今上天皇の皇后)
1938年 武邦彦 (騎手[元],調教師,武豊の父)
1954年 松岡洋子 (声優)
1961年 富沢美智恵 (声優)
1964年 山口智子 (女優)
1965年 KATSUMI (歌手)
1968年 吉沢秋絵 (タレント[元](おニャン子クラブ[脱退]))
1969年 藤ゆうこ (タレント)
1970年 Romi(成田路実) (歌手,女優,有島一郎の孫)
1971年 遠近孝一 (声優)
1973年 汐美真帆 (女優(宝塚歌劇[元](77期)))
1978年 松尾れい子 (女優)
1983年 山田孝之 (俳優)
1984年 長谷実果 (歌手[元])
1984年 藤谷舞 (歌手(Z-1))
1985年 橘佳奈 (歌手(dream))
1986年 皆川優紀 (タレント)
1986年 宮沢麻衣 (女優)
1988年 新垣里沙 (歌手(モーニング娘。))
☆彡10月20日の忌日
1856年 二宮尊徳(金次郎) (農政家) <数え70歳>[1787年7月23日生]
1936年 アン・サリヴァン (米:ヘレン・ケラーの家庭教師) <70歳>
Anne Sullivan Macy[1866年4月14日生]
1939年 杉本良吉 (演出家,岡田嘉子と共に樺太からソ連に亡命) <32歳>[1907年2月9日生]
1959年 阿部次郎 (哲学者,評論家) <76歳>[1883年8月27日生]
1964年 ハーバート・フーヴァー (米:大統領(31代)) <90歳>
Herbert Clark Hoover[1874年8月10日生]
1967年 吉田茂 (首相(45,48~51代)「ワンマン宰相」,衆議院議員,外相(73・78・79代),厚相(5・16・20代),農相(5代),商工相(33代),逓信相(54代),軍需相(3代)) <89歳>[1878年9月22日生]
1985年 浦山桐郎 (映画監督) <55歳>[1930年5月14日生]
1993年 山本安英 (新劇女優『夕鶴』) <86歳>[1906年12月29日生]
1993年 杉山寧 (日本画家) <84歳>1974年文化勲章[1909年10月20日生]
1994年 バート・ランカスター (米:俳優,映画プロデューサー) <80歳>
Burt Lancaster[1913年11月2日生]
2006年 藤岡琢也 (俳優) <76歳>[1930年9月4日生]
2009年 原田康子 (小説家『挽歌』) <81歳>[1928年1月12日生]
2012年 エドワード・ドナル・トーマス (米:医学者(外科),骨髄移植に成功) <92歳>
Edward Donnall Thomas1990年ノーベル生理学医学賞[1920年3月15日生]
2013年 ローレンス・クライン (米:経済学者) <93歳>
Lawrence Robert Klein1980年ノーベル経済学賞[1920年9月14日生]