終活・生活・再生日記 「夢幻」

生と死と再生&感謝、祈り・絆、縁日、雑感等についてお知らせしています。

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3月10日『身の丈に合った住まいに住む』ブッダの教え&毎月10日は➀日月燈明仏➁金毘羅➂天照皇太神➃聖眞子権現の縁日

 

☆彡ブッダの教え一日一話

◆『身の丈に合った住まいに住む』

セレブ気取りで、自分の収入や現在の心に分不相応な高級住宅地に住んだり、気分を傲慢にさせ煩悩を増やす豪邸に住んだりすることは、気分を落ち着かなくさせる。

身の丈に合った住居に落ち着いて住むというごく普通のこと。

 

これが最高の幸せなり。

 

以上は小池龍之介著 「超訳ブッダの言葉」より一部抜粋&加筆


毎月10日は➀日月燈明仏➁金毘羅➂天照皇太神➃聖眞子権現の縁日です。

➀日月燈明仏 にちがつとうみょうぶつ
三十日秘仏の十日仏。
太陽と月を灯明としているという意味で日月燈明仏。
無量無辺不可思議の阿僧祇劫あそうぎこうの昔、この仏様が正しい教えを説かれました。そして、その後も同じ名前の日月灯明仏が2万人も次々に現れたといいます。
2万人目の日月灯明仏から---妙光菩薩---定光仏へと教えは受け継がれます。
➁金毘羅
金比羅とも書き、江戸時代後期には、「お伊勢参り」と共に「金毘羅参り」が大変盛んでした。
すたっとTV2006年12月すたっと歩こう!「甚大寺金毘羅縁日」
1月10日は「初金毘羅(初十日)」で、特に信者の信仰があつく、12月10日が「終金毘羅」です。
※金毘羅は、「天竺霊鷲山」の鬼神で、仏法の護法神薬師如来十二神将の筆頭「宮比羅(くびら)大将」のことで、元々は鰐の神様でした。
日本では「海上交通の守り神」として信仰されて来ました。
一般に、大きな港を見下ろす山の上に祀られています。
この神を祀る香川県琴平の「金毘羅宮金刀比羅宮」が全国の金比羅神社(こんぴらさん)の総本宮となっています。
その他、東京都港区虎ノ門琴平神社などがあります。
夜叉神王の上首で、その像は武装し忿怒の姿をとりますが、魚神で蛇の形をし、尾に宝玉を蔵するといわれます。
香川県琴平神社は全国的に有名です。
➂天照皇太神 伊勢神宮内宮
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮(じんぐう)」。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。
二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。
概要
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。
広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。
伊勢神宮は皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く、現代でも内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。また、式年遷宮が20年に一度行われる。
祭主は今上天皇第一皇女黒田清子、大宮司は小松旧侯爵家当主小松揮世久。
祭神
主祭神は以下の2柱。
皇大神宮:内宮(ないくう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ) - 一般には天照大御神として知られる
豊受大神宮:外宮(げくう)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)
功徳
家内安全。
夫婦円満
子孫繁栄。
産業発展。
おみくじ
伊勢神宮にはおみくじがない。一般に「伊勢神宮は、参拝した日が誰でも吉日であるから」と説明される。「伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるから」という別の説もある。
内宮前のおかげ横丁では、犬の置物とセットになった「おかげ犬」のおみくじや「おかげ干支みくじ」が売られているほか、第三銀行おかげ横丁出張所では利用明細票に運勢を表示するおみくじ機能付き現金自動預払機(ATM)を設置している。
➃聖眞子(しょうしんし)権現 大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている
日吉大社
 日吉大社の境内は八王子山(牛尾山)を含む13万坪もの大きさをもち、全国に3800余りもある日吉神社日枝神社山王神社総本宮です。楓や杉に覆われた境内には西本宮・東本宮を中心に多数の社殿が建ち、現在でも約40のお社があります。中でも特に大きな7つの社を山王七社といいます。国宝2棟(東・西本宮本殿)と、重要文化財17棟を保有しています。魔除け・厄除けの神社として多くの方がお参りされています。
日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等
主な祭事
大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。
山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。
山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。
みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。
もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。
国宝
西本宮本殿 - 天正14年(1586年)の建立。檜皮(ひわだ)葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇(ひさし)部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色。
東本宮本殿 - 文禄4年(1595年)の建立。建築形式は西本宮本殿に似る。昭和初期までは「大神神社本殿」と呼ばれていた。
◆山王七社権現 さんのうしちしゃごんげん
二宮小比叡 東本宮   大山咋神
大宮権現  西本宮   大己貴神
聖真子   宇佐宮   田心姫神
三宮    三宮宮   鴨玉依姫神荒魂
八王子   牛尾宮   大山咋神荒魂
客人権現  白山宮   白山姫神
十禅師   東本宮境内 鴨玉依姫神
比叡山に祀られた神様です。山王は山麓にある日吉神社ひえじんじゃのことです。
当初、大比叡、小比叡との呼び名から始まり、時代とともに数が増え、山王七社となりました。最終的には百八社までになりました。
山王二十一社の内、上七社が山王七社です。

 

小池龍之介のプロフィール

小池 龍之介(こいけ りゅうのすけ、1978年(昭和53年)12月15日 - )は、日本の初期仏教の僧。月読寺住職、浄土真宗系単立寺院沙光山正現寺住職。


人物
大阪府生まれ。山口市立川西中学校・山口県立山口高等学校を経て、東京大学教養学部卒業。大学ではドイツ地域文化研究分科で西洋哲学を専攻。
その後、浄土真宗本願寺派教師課程で教師資格を取得。僧侶派遣アルバイトなどを経て、実父・小池法雄が住職を務める山口市浄土真宗本願寺派正現寺副住職を務めていた。2010年(平成22年)に父の後任の住職に就職するため、住職申請を行ったが、本願寺派の教義に反した活動・出版をしたとして、不許可処分を受ける。そこで、宗派離脱の通知を行ったところ、2011年(平成23年)1月7日付で、月読寺の運営が、宗教法人浄土真宗本願寺派僧侶規程(宗則第9号)第12条の2に当たるとされ、破門処分を受け僧籍削除となる。同年、山口県知事から単立宗教法人化の規則変更の認証を受け宗派離脱した正現寺の第22代住職並びに同寺を運営する宗教法人の代表役員に就任。
2003年(平成15年)にウェブサイト『家出空間』および寺院とカフェを融合させた『iede cafe』を立ち上げる。現在では一般向けの坐禅指導のほか、執筆活動も積極的に展開している。
自身でお経を唱えず、葬儀・法要にかかわらない異色の僧侶とコメントしている。ただし、住職を務める正現寺での、葬儀・年忌法要では、浄土三部経や般若心経を用いる。
◆経歴
大阪府の中学校教諭の家に生まれる。11歳の時、父が寺の住職として働くことになった山口県山口市に転居。留年を経て東京大学教養学部地域文化研究学科ドイツ地域文化研究分科を卒業し、卒業後は寺院に勤務。
東大時代、学生結婚をしていたが離婚。
著書『坊主失格』において、奇行癖、複数の女性との同時交際、妻や母親への暴力、恋人の自殺未遂を告白している。
大学在学中に、乱れた生活を咎める父から勧められマハーシ・サヤドウ長老派の瞑想を開始。
2007年(平成19年)から2008年にかけて約1年半、坐禅・瞑想の修業を各地(東京、山口、タイ、京都)にて行う。
原始仏典に基づいた観察(ヴィパッサナ)、集中(サマタ)の瞑想の指導を行う。
2011年(平成23年)、父の後を継ぎ浄土真宗正現寺第22代住職に就任。被包括関係を廃止した宗教法人の代表役員に就き、浄土真宗本願寺派僧籍除籍。
著書
単著
『「自分」から自由になる沈黙入門』 幻冬舎、2008年。ISBN 978-4-344-01478-7。
『偽善入門 浮世をサバイバルする善悪マニュアル』 サンガ、2008年。ISBN 978-4-901679-91-6。 のち小学館文庫 
『煩悩(ストレス)フリーの働き方。』 ベストセラーズ、2008年。ISBN 978-4-584-13120-6。 のち角川文庫 
『煩悩リセット稽古帖』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年。ISBN 978-4-88759-682-5。
『「自分」を浄化する坐禅入門』 PHP研究所、2009年。ISBN 978-4-569-70550-7。 のち文庫 
『恋愛と結婚の呪縛をとくお稽古帖』 主婦と生活社、2009年。ISBN 978-4-391-13724-8。
『読むうちに悩みが空っぽになる「人生相談」』 三笠書房〈王様文庫〉、2009年。ISBN 978-4-8379-6507-7。
『仏教対人心理学読本 「無我」の純粋交際マニュアル』 サンガ、2009年。ISBN 978-4904507414。
『もう、怒らない』 幻冬舎、2009年。ISBN 978-4-34401742-9。 のち文庫 
『貧乏入門 あるいは幸福になるお金の使い方』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年。ISBN 978-4-88759-783-9。
『考えない練習』 小学館、2010年。ISBN 978-4-09-388106-7。 のち文庫 
『お坊さんが教える イヤな自分とサヨナラする方法』 PHP研究所、2010年。ISBN 978-4-569-77892-1。
『坊主失格』 扶桑社、2010年。ISBN 978-4-59406261-3。
ブッダにならう 苦しまない練習』 小学館、2011年。ISBN 978-4-09-388182-1。 のち文庫
『3.11後の世界の心の守り方 「非現実(ヴァーチャル)」から「現実(リアル)」へ』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。ISBN 978-4-7993-1036-6。
『平常心のレッスン』 朝日新聞出版〈朝日新書〉、2011年。ISBN 978-4-02-273418-1。
『恋愛成就寺』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2012年。ISBN 978-4-7993-1156-1。
『「我」を張らない人づきあい 仏教対人心理学読本』サンガ新書 2012
『"ありのまま"の自分に気づく』角川SSC新書 2014
『しない生活 煩悩を静める108のお稽古』幻冬舎新書 2014
『そこにはいないよ』作・絵 金の星社 2014
『こだわらない練習 「それ、どうでもいい」という過ごしかた』小学館 2015
『もやもやスッキリ絵巻』KADOKAWA 2015
共著[編集]
宮崎哲弥共著 『さみしさサヨナラ会議』 角川書店、2011年6月。ISBN 978-4-04-885088-9。 のち文庫 
『強く生きるノート 考え方しだいで世界は変わる』本田直之,ちきりん,平田オリザ,竹中平蔵,原田泳幸,村上憲郎共著 講談社 2013
翻訳
超訳 ブッダの言葉』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。ISBN 978-4-88759-958-1。

3月9日『優れた人のそばにいるのは最高の幸せ』ブッダの教え&毎月9日は①大通智勝仏➁貴船大明神➂小比叡権現の縁日

☆彡ブッダの教え一日一話

◆『優れた人のそばにいる』

自分よりも心が乱れていて、悪影響を受けかねない人とは、丁寧に接しつつも、親しい仲にはならないよう気を付ける。

 心がスッキリ整っていて、一緒にいるだけで自然に良い影響を受けることのできるような人とこそ、親しい仲になる。

これが最高の幸せ。

そういった優れた人を尊敬して、プレゼントを贈るときの清々しさ。

これが最高の幸せなり。

経集259

 

以上は小池龍之介著 「超訳ブッダの言葉」より一部抜粋&加筆

 

毎月9日は①大通智勝仏➁貴船大明神➂小比叡権現の縁日です。

①大通智勝仏 だいつうちしょうぶつ
大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)とは仏教の如来の1人。妙法蓮華経第三巻化城喩第七で説かれる如来である。
概要
大通智勝如来には出家する前は王子で、さらに16人の息子(王子)がいた。その16人目の息子が釈迦如来の過去世の姿と言われている。
仏像の作例が少なく、日本では四国八十八箇所第五十五番札所別宮山金剛院光明寺南光坊にまつられている。また、大三島の東円坊にある木造金剛界大日如来坐像がそのように町指定有形文化財として登録されるも智拳印は通常のものと逆になっていることから古仏としては唯一存在している大通智勝如来と言われている。
大通智勝如来
働き等
法華経」化城喩品(けじょうゆほん)に出てくる仏で、三千塵点劫の昔に世に出て、八千劫の間「法華経」を説いたという。阿しゅく、阿弥陀、釈迦など16仏をそのときの王子とする。つまり、釈迦の師にあたる如来である。
●55番 大通智勝如来坐像
釈迦が悟りを開いたのち、民衆に仏教の真意を伝えるため、様々なたとえ話をされている。それらを集大成したものが「法華経」である。釈迦がどうして悟りに到ったかを説くために、「自分は、宇宙語で語る偉い大通智勝佛に仏法の神髄を教わった」と話す。        
この石仏像には、頭光などの円光背はなく、如来がまだ荒岩の上で修行中であったときの姿だと思われる。     
            
四国55番札所南光坊の本尊は大通智勝如来であり、大三島にある大山祇神社の神体「大山積神」が仏になった本地垂迹仏である。
大通智勝如来は三十日秘仏の九日仏。
三千塵点劫さんぜんじんでんごうのはるか昔に出家して、8,000劫の間、法華経を説きました。
この仏様の子供達もまた出家して、同じように法華経を84,000劫の間説きました。
子供達は全員で16人いて、阿弥陀様や阿閦如来やお釈迦様は、その中の一人です。
大は空、通は仮、智は中道で、空仮中の三観を表します。
※空仮中の三観 正しい智慧によって観察する方法。
※三千塵点劫 塵点劫はとほもない時間の長さの単位。
非常に古い昔、大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)という仏がおられた。この仏が成道されたという事を聞いた十六人の王子〈この仏の出家したまわざる時の子〉は父の仏所にまいり、法を説かれることを要請した。
また、大通智勝仏が成道した時、十方の諸仏の世界が震動し日月の光さえも照らすことのできない所まで明らかとなり、その中の衆生が相互いにまみえることができるという奇瑞(きずい)があった。このような威光(いこう)照動(しょうどう)は十方の梵天(ぼんてん)の宮殿にも現れたため、梵天はこぞって大通智勝仏の説法を勧請(かんじょう)するに至ったのである。
さらに十六人の王子は如来の知見を志願し、出家して沙弥(しゃみ)となった。大通智勝仏は沙弥の要請を受けて妙法蓮華経を説いたのである。かくて大通智勝仏は禅定(ぜんじょう)に入り、以後、十六人の沙弥菩薩(しゃみぼさつ)は長い間、法華経を多くの人々に示した。そしてその教えを聞いた多くの人々は生まれかわりながらして法華経の教えを信受して尽きることがなかったのである。
この十六人の菩薩は現在、仏となり、十方の国土で法を説かれている。東方世界には阿閦仏(あしゅくぶつ)と須弥頂仏(しゅみちょうぶつ)、東南方世界では師子音仏(ししおんぶつ)と師子相仏(ししそうぶつ)、南方世界では虚空住仏(こくうじゅうぶつ)と常滅仏(じょうめつぶつ)、西南方世界では、帝相仏(たいそうぶつ)と梵相仏(ぼんそうぶつ)、西方世界では阿弥陀仏(あみだぶつ)と度一切世間苦悩仏(どいっさいせけんくのうぶつ)、西北方世界では多摩羅跋栴檀香神通仏(たまらばっせんだんこうじんつうぶつ)と須弥相仏(しゅみそうぶつ)、北方世界では雲自在仏(うんじざいぶつ)と雲自在王仏(うんじざいおうぶつ)、東北方世界では壊一切世間怖畏仏(えいっさいせけんふいぶつ)を教主として教えが弘められたのである。そして第十六番目のお釈迦様はこの娑婆国土(しゃばこくど)の教主となられたのである。
貴船大明神 貴船神社
貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」という。
概要
水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。
古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。
また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。
ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には丑の刻であるかどうかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に本来の意味が変質したものと思われる。
付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。
神水は京都の水脈の源流である貴船から流れるものであり、飲料可
京都、絵馬発祥の社
社名は古くは木船・貴布祢とも書いたが1871年以降「貴船」と改められました。延喜の制には名神大社となり、二十二社の一つに列せられました。818年以来歴朝の奉幣祈願が度々あり、もっぱら祈雨・止雨の神として崇められ祈雨には黒馬、祈晴に白馬または赤馬が献せられるのが例でした。江戸時代には賀茂別雷社(上賀茂神社)の摂社とされましたが、明治以後、独立した本殿、拝殿、権殿等があり、本殿は1863年(文久3)に改修されました。川に沿って上ると奥の宮があります。また境内には祈雨の行事を行った雨乞の滝、奥宮本殿の西には船石といって舟の形に積んだ石里があります。
御祭神
本宮 高おかみ神
奥宮 闇おかみ神
例祭
6月1日(貴船祭)
◆ご利益
心願成就:水の働きから生まれた信仰が心願成就。水は命の源であるとともに、汚いものを洗い流す浄化力もあります。キフネは古くは「気生根」とも書かれていました。水の神の鎮まるところ、それは「気の生ずる根源」だというわけなのです。元気がよみがえれば運も開かれるということで、運気発祥、開運の信仰が生まれました。つまり何でも願い事を聞いて運を開いて下さる心願成就の神様なのです。
えんむすび:今から1000年も昔、和泉式部貴船神社に参詣して、名歌「蛍の歌」を捧げて恋を祈り、その願いがかなえられて以来、貴船神社は「恋の宮」として知られ、おとぎ草子などにも貴船神社にまつわる恋物語も生まれています。
航海安全:玉依姫が船で水源の地を求めて貴船にたどり着いたという御鎮座伝説から生まれた信仰。大阪湾から川をさかのぼり、急流をもものともせず無事貴船に船を進めたそのみごとな舵さばきから、船乗りたちが航海安全を祈った。その船が隠されていると伝えられる奥宮の船形石の小石を持てば航海安全ともいわれている。
おみくじ
貴船神社のおみくじは、くじを引いて巫女に告げるのではなく、一見真っ白に見える紙の中から一枚を選び、境内の霊泉に浮かべると吉凶が解る「水占おみくじ」である。
当社のおみくじには「大凶」が本当に存在するが、神社側では「大凶が出たと言っても、その後の人生が決定された訳ではないので、あくまでも『参考程度』に留めて欲しい」と述べている。
➂小比叡(こびえ)権現(薬師如来)大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。俗に山王権現とも言われる。全国に位置する日吉・日枝・山王神社総本宮。全国の山王神道山王信仰の拠点。
ニホンザルを、神の使いとして崇拝することで知られている。
西本宮に大己貴神大国主神)、東本宮に大山咋神を祀る。
西本宮楼門前には祇園石と大威徳石という二つの霊石がある。祇園石は、古来より祇園の神である牛頭天王が宿る磐座として崇められている。この石にたまる水で眼を洗うと良いとされ、別名・眼洗石ともいわれる。大威徳石は仏法守護の五大明王である大威徳明王が宿る霊石と伝えられる。
東本宮前、巌瀧社の横には夢妙幢岩という霊石があり、祈願すれば「良い夢を成就させ、悪い夢を消滅させてくれる」といわれている。
境内には「日吉雄梛」「日吉雌梛」と呼ばれる二本の霊木がある。「日吉雄梛」は女性が男性の幸せを祈る木、「日吉雌梛」は男性が女性の幸せを祈る木とされ、「ナギ」は、「凪ぐ」「和む」に通じることから夫婦和合を、また「薙ぎ払う」にも通じることから災難除けを象徴する木とされている。
また西本宮には、日吉随一の御神木といわれる「桂の木」がある。縁結びのご神木と信仰を集め、「愛染桂」とも呼ばれる。
祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
〒520-0113 滋賀県大津市坂本五丁目1-1
当大社には3000本のもみじがあり、関西屈指の紅葉名所として知られています。
見頃は毎年11月10日頃〜12月上旬となっております。
比叡山の麓に鎮座する大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師比叡山延暦寺を開かれてよりは天台宗護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。
当大社には約40のお社があり、全ての神様を総称して「日吉大神」と呼びます。
日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等
また、多くのお社の中心となるのが東西本宮をはじめとする山王七社です。
パワースポット 日吉大社山王権現) ご利益・パワー種類
家内安全 出世・仕事・商売繁盛 健康・病気治癒 安全祈願・厄除け 墓地・葬儀
☆彡日吉大社の代表的なご神徳である方除け・厄除けについて
◆方除け
方除けとは方角や方位による災いを除けることです。
お引っ越しや旅行の際に、知らないうちに悪い方角に行かれたり、また、家の増改築などで悪い方位の所を工事したりすると災いが起こるので、それを防ぐことが必要です。
京の都の表鬼門(北東)をお守りしてきた当大社はまさに「方除けの大社」といえます。
こんなとき方除けが必要です。
・家の新築・改築 (地鎮祭や起工式を行う時)
・引越をするとき
・旅行に行くとき
◆厄除け
厄年とは、人生の中で災いに遭いやすい年、また、心身の変化により、体調を崩しやすい時でもあります。古来から「厄除けの大社」として崇敬されてきた当大社で日々の健やかな暮らしをお祈りしましょう。
こんなとき、厄除けが必要です!
・厄年のとき
・何かしら災難が多いとき(厄年でなくてもOK)
・今後災いに遭いたくないとき
◆神猿(まさる)
方除・厄除の大社を語る上で欠かせないのが、当大社の神様のお使いである、「神猿(まさる)」さんです。元来、比叡山に猿が多く生息しておりましたが、いつの頃からか魔除けの象徴として大切に扱われるようになりました。「まさる」は「魔が去る」「勝る」に通じるようにつけられた名前であり、縁起のよいお猿さんです。
こんなとき、神猿さんのご加護を頂きましょう!
・方除け、厄除けのお願いをしたいとき
・試合の必勝を願うとき
・試験合格を願うとき
・一家に一匹?家の魔除けに神猿さんの授与品を!

 

小池龍之介のプロフィール

小池 龍之介(こいけ りゅうのすけ、1978年(昭和53年)12月15日 - )は、日本の初期仏教の僧。月読寺住職、浄土真宗系単立寺院沙光山正現寺住職。


人物
大阪府生まれ。山口市立川西中学校・山口県立山口高等学校を経て、東京大学教養学部卒業。大学ではドイツ地域文化研究分科で西洋哲学を専攻。
その後、浄土真宗本願寺派教師課程で教師資格を取得。僧侶派遣アルバイトなどを経て、実父・小池法雄が住職を務める山口市浄土真宗本願寺派正現寺副住職を務めていた。2010年(平成22年)に父の後任の住職に就職するため、住職申請を行ったが、本願寺派の教義に反した活動・出版をしたとして、不許可処分を受ける。そこで、宗派離脱の通知を行ったところ、2011年(平成23年)1月7日付で、月読寺の運営が、宗教法人浄土真宗本願寺派僧侶規程(宗則第9号)第12条の2に当たるとされ、破門処分を受け僧籍削除となる。同年、山口県知事から単立宗教法人化の規則変更の認証を受け宗派離脱した正現寺の第22代住職並びに同寺を運営する宗教法人の代表役員に就任。
2003年(平成15年)にウェブサイト『家出空間』および寺院とカフェを融合させた『iede cafe』を立ち上げる。現在では一般向けの坐禅指導のほか、執筆活動も積極的に展開している。
自身でお経を唱えず、葬儀・法要にかかわらない異色の僧侶とコメントしている。ただし、住職を務める正現寺での、葬儀・年忌法要では、浄土三部経や般若心経を用いる。
◆経歴
大阪府の中学校教諭の家に生まれる。11歳の時、父が寺の住職として働くことになった山口県山口市に転居。留年を経て東京大学教養学部地域文化研究学科ドイツ地域文化研究分科を卒業し、卒業後は寺院に勤務。
東大時代、学生結婚をしていたが離婚。
著書『坊主失格』において、奇行癖、複数の女性との同時交際、妻や母親への暴力、恋人の自殺未遂を告白している。
大学在学中に、乱れた生活を咎める父から勧められマハーシ・サヤドウ長老派の瞑想を開始。
2007年(平成19年)から2008年にかけて約1年半、坐禅・瞑想の修業を各地(東京、山口、タイ、京都)にて行う。
原始仏典に基づいた観察(ヴィパッサナ)、集中(サマタ)の瞑想の指導を行う。
2011年(平成23年)、父の後を継ぎ浄土真宗正現寺第22代住職に就任。被包括関係を廃止した宗教法人の代表役員に就き、浄土真宗本願寺派僧籍除籍。
著書
単著
『「自分」から自由になる沈黙入門』 幻冬舎、2008年。ISBN 978-4-344-01478-7。
『偽善入門 浮世をサバイバルする善悪マニュアル』 サンガ、2008年。ISBN 978-4-901679-91-6。 のち小学館文庫 
『煩悩(ストレス)フリーの働き方。』 ベストセラーズ、2008年。ISBN 978-4-584-13120-6。 のち角川文庫 
『煩悩リセット稽古帖』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年。ISBN 978-4-88759-682-5。
『「自分」を浄化する坐禅入門』 PHP研究所、2009年。ISBN 978-4-569-70550-7。 のち文庫 
『恋愛と結婚の呪縛をとくお稽古帖』 主婦と生活社、2009年。ISBN 978-4-391-13724-8。
『読むうちに悩みが空っぽになる「人生相談」』 三笠書房〈王様文庫〉、2009年。ISBN 978-4-8379-6507-7。
『仏教対人心理学読本 「無我」の純粋交際マニュアル』 サンガ、2009年。ISBN 978-4904507414。
『もう、怒らない』 幻冬舎、2009年。ISBN 978-4-34401742-9。 のち文庫 
『貧乏入門 あるいは幸福になるお金の使い方』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年。ISBN 978-4-88759-783-9。
『考えない練習』 小学館、2010年。ISBN 978-4-09-388106-7。 のち文庫 
『お坊さんが教える イヤな自分とサヨナラする方法』 PHP研究所、2010年。ISBN 978-4-569-77892-1。
『坊主失格』 扶桑社、2010年。ISBN 978-4-59406261-3。
ブッダにならう 苦しまない練習』 小学館、2011年。ISBN 978-4-09-388182-1。 のち文庫
『3.11後の世界の心の守り方 「非現実(ヴァーチャル)」から「現実(リアル)」へ』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。ISBN 978-4-7993-1036-6。
『平常心のレッスン』 朝日新聞出版〈朝日新書〉、2011年。ISBN 978-4-02-273418-1。
『恋愛成就寺』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2012年。ISBN 978-4-7993-1156-1。
『「我」を張らない人づきあい 仏教対人心理学読本』サンガ新書 2012
『"ありのまま"の自分に気づく』角川SSC新書 2014
『しない生活 煩悩を静める108のお稽古』幻冬舎新書 2014
『そこにはいないよ』作・絵 金の星社 2014
『こだわらない練習 「それ、どうでもいい」という過ごしかた』小学館 2015
『もやもやスッキリ絵巻』KADOKAWA 2015
共著[編集]
宮崎哲弥共著 『さみしさサヨナラ会議』 角川書店、2011年6月。ISBN 978-4-04-885088-9。 のち文庫 
『強く生きるノート 考え方しだいで世界は変わる』本田直之,ちきりん,平田オリザ,竹中平蔵,原田泳幸,村上憲郎共著 講談社 2013
翻訳
超訳 ブッダの言葉』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。ISBN 978-4-88759-958-1。

 

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3月8日聖なる一言「死というものを目の前において生きる」渡辺和子著「人間としてどう生きるか」より

 

☆彡今日の聖なる一言


①仏教
『お金儲けに執着しない』
君よ、私はお金と無縁の生活をしている。

ゆえに、「もしお金が亡くなったらどうしよう」なんていう心配は少しもない。

あるいは虚しさに駆られ、「お金に物を言わせて好き放題をしてやれ」という貧しいココロになることなど決してあり得ない。

 

ゆえに、私は幸せ。

相応部経典

 


以上は小池龍之介著 「超訳ブッダの言葉」より一部抜粋&加筆


キリスト教
『人間は有限である』

死というものを目の前において生きるということ、つまり人間は有限であるということを目の前に置いて生きることは大切なことです。

 

 

 

愛と励ましの言葉366日 PHP文庫

愛と励ましの言葉366日 PHP文庫

 

 

渡辺和子著「人間としてどう生きるか」&「愛と励ましの言葉366日」より一部抜粋&加筆

 

小池龍之介のプロフィール

小池 龍之介(こいけ りゅうのすけ、1978年(昭和53年)12月15日 - )は、日本の初期仏教の僧。月読寺住職、浄土真宗系単立寺院沙光山正現寺住職。


人物
大阪府生まれ。山口市立川西中学校・山口県立山口高等学校を経て、東京大学教養学部卒業。大学ではドイツ地域文化研究分科で西洋哲学を専攻。
その後、浄土真宗本願寺派教師課程で教師資格を取得。僧侶派遣アルバイトなどを経て、実父・小池法雄が住職を務める山口市浄土真宗本願寺派正現寺副住職を務めていた。2010年(平成22年)に父の後任の住職に就職するため、住職申請を行ったが、本願寺派の教義に反した活動・出版をしたとして、不許可処分を受ける。そこで、宗派離脱の通知を行ったところ、2011年(平成23年)1月7日付で、月読寺の運営が、宗教法人浄土真宗本願寺派僧侶規程(宗則第9号)第12条の2に当たるとされ、破門処分を受け僧籍削除となる。同年、山口県知事から単立宗教法人化の規則変更の認証を受け宗派離脱した正現寺の第22代住職並びに同寺を運営する宗教法人の代表役員に就任。
2003年(平成15年)にウェブサイト『家出空間』および寺院とカフェを融合させた『iede cafe』を立ち上げる。現在では一般向けの坐禅指導のほか、執筆活動も積極的に展開している。
自身でお経を唱えず、葬儀・法要にかかわらない異色の僧侶とコメントしている。ただし、住職を務める正現寺での、葬儀・年忌法要では、浄土三部経や般若心経を用いる。
◆経歴
大阪府の中学校教諭の家に生まれる。11歳の時、父が寺の住職として働くことになった山口県山口市に転居。留年を経て東京大学教養学部地域文化研究学科ドイツ地域文化研究分科を卒業し、卒業後は寺院に勤務。
東大時代、学生結婚をしていたが離婚。
著書『坊主失格』において、奇行癖、複数の女性との同時交際、妻や母親への暴力、恋人の自殺未遂を告白している。
大学在学中に、乱れた生活を咎める父から勧められマハーシ・サヤドウ長老派の瞑想を開始。
2007年(平成19年)から2008年にかけて約1年半、坐禅・瞑想の修業を各地(東京、山口、タイ、京都)にて行う。
原始仏典に基づいた観察(ヴィパッサナ)、集中(サマタ)の瞑想の指導を行う。
2011年(平成23年)、父の後を継ぎ浄土真宗正現寺第22代住職に就任。被包括関係を廃止した宗教法人の代表役員に就き、浄土真宗本願寺派僧籍除籍。
著書
単著
『「自分」から自由になる沈黙入門』 幻冬舎、2008年。ISBN 978-4-344-01478-7。
『偽善入門 浮世をサバイバルする善悪マニュアル』 サンガ、2008年。ISBN 978-4-901679-91-6。 のち小学館文庫 
『煩悩(ストレス)フリーの働き方。』 ベストセラーズ、2008年。ISBN 978-4-584-13120-6。 のち角川文庫 
『煩悩リセット稽古帖』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年。ISBN 978-4-88759-682-5。
『「自分」を浄化する坐禅入門』 PHP研究所、2009年。ISBN 978-4-569-70550-7。 のち文庫 
『恋愛と結婚の呪縛をとくお稽古帖』 主婦と生活社、2009年。ISBN 978-4-391-13724-8。
『読むうちに悩みが空っぽになる「人生相談」』 三笠書房〈王様文庫〉、2009年。ISBN 978-4-8379-6507-7。
『仏教対人心理学読本 「無我」の純粋交際マニュアル』 サンガ、2009年。ISBN 978-4904507414。
『もう、怒らない』 幻冬舎、2009年。ISBN 978-4-34401742-9。 のち文庫 
『貧乏入門 あるいは幸福になるお金の使い方』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年。ISBN 978-4-88759-783-9。
『考えない練習』 小学館、2010年。ISBN 978-4-09-388106-7。 のち文庫 
『お坊さんが教える イヤな自分とサヨナラする方法』 PHP研究所、2010年。ISBN 978-4-569-77892-1。
『坊主失格』 扶桑社、2010年。ISBN 978-4-59406261-3。
ブッダにならう 苦しまない練習』 小学館、2011年。ISBN 978-4-09-388182-1。 のち文庫
『3.11後の世界の心の守り方 「非現実(ヴァーチャル)」から「現実(リアル)」へ』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。ISBN 978-4-7993-1036-6。
『平常心のレッスン』 朝日新聞出版〈朝日新書〉、2011年。ISBN 978-4-02-273418-1。
『恋愛成就寺』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2012年。ISBN 978-4-7993-1156-1。
『「我」を張らない人づきあい 仏教対人心理学読本』サンガ新書 2012
『"ありのまま"の自分に気づく』角川SSC新書 2014
『しない生活 煩悩を静める108のお稽古』幻冬舎新書 2014
『そこにはいないよ』作・絵 金の星社 2014
『こだわらない練習 「それ、どうでもいい」という過ごしかた』小学館 2015
『もやもやスッキリ絵巻』KADOKAWA 2015
共著
宮崎哲弥共著 『さみしさサヨナラ会議』 角川書店、2011年6月。ISBN 978-4-04-885088-9。 のち文庫 
『強く生きるノート 考え方しだいで世界は変わる』本田直之,ちきりん,平田オリザ,竹中平蔵,原田泳幸,村上憲郎共著 講談社 2013
翻訳
超訳 ブッダの言葉』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。ISBN 978-4-88759-958-1。


★渡辺 和子のプロフィール
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。
父は台湾軍司令官や陸軍教育総監を務めた渡辺錠太郎。1936年2月26日、陸軍将校の一部らが起こした軍事クーデター「2・26事件」で、父親が反乱軍の将校らに殺害される場面を9歳のときに自宅で目撃する。
「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」
渡辺さんは当時のことをエッセイ集『美しい人に』などでも書いているほか、講演などでも折に触れて当時の様子や、加害者の遺族との「和解」や「赦し」について語っていた。

◆略歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。
1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。
1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。
1956年、29歳でナミュールノートルダム修道女会に入会。
アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。
1963年に36歳という異例の若さで岡山県ノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。
1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。
1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。
2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。
 
◆受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞[8]。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章[9]。
◆著書
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
『あなたはそのままで愛されている』PHP研究所、2018年 - 遺稿集

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3月7日聖なる一言「執着しなければ心は平穏である。」小池龍之介著 「超訳ブッダの言葉」より


☆彡今日の聖なる一言


①仏教
『パートナーに執着しない』

 

君よ、私はパートナーに執着しない。

ゆえに、パートナーが朝から自分には興味の持てない音楽をかけていても、

「私がこの音楽を好きではないことを知っている癖に、なんでこんな音楽をかけるんだよ」とイラつく朝を迎える心配はない。

 

ゆえに、私は幸せ。

相応部経典

 


以上は小池龍之介著 「超訳ブッダの言葉」より一部抜粋&加筆

 


キリスト教
『求めるものを与えるとき』

 

求めるものを与えるとき、そこには主体性がもたらす豊かな人生が生まれる。

 

許すこと、損することを惜しんではならない。

 

以上は 渡辺和子「目には見えないけど大切なもの」より一部抜粋&加筆

 

小池龍之介のプロフィール

小池 龍之介(こいけ りゅうのすけ、1978年(昭和53年)12月15日 - )は、日本の初期仏教の僧。月読寺住職、浄土真宗系単立寺院沙光山正現寺住職。


人物
大阪府生まれ。山口市立川西中学校・山口県立山口高等学校を経て、東京大学教養学部卒業。大学ではドイツ地域文化研究分科で西洋哲学を専攻。
その後、浄土真宗本願寺派教師課程で教師資格を取得。僧侶派遣アルバイトなどを経て、実父・小池法雄が住職を務める山口市浄土真宗本願寺派正現寺副住職を務めていた。2010年(平成22年)に父の後任の住職に就職するため、住職申請を行ったが、本願寺派の教義に反した活動・出版をしたとして、不許可処分を受ける。そこで、宗派離脱の通知を行ったところ、2011年(平成23年)1月7日付で、月読寺の運営が、宗教法人浄土真宗本願寺派僧侶規程(宗則第9号)第12条の2に当たるとされ、破門処分を受け僧籍削除となる。同年、山口県知事から単立宗教法人化の規則変更の認証を受け宗派離脱した正現寺の第22代住職並びに同寺を運営する宗教法人の代表役員に就任。
2003年(平成15年)にウェブサイト『家出空間』および寺院とカフェを融合させた『iede cafe』を立ち上げる。現在では一般向けの坐禅指導のほか、執筆活動も積極的に展開している。
自身でお経を唱えず、葬儀・法要にかかわらない異色の僧侶とコメントしている。ただし、住職を務める正現寺での、葬儀・年忌法要では、浄土三部経や般若心経を用いる。
◆経歴
大阪府の中学校教諭の家に生まれる。11歳の時、父が寺の住職として働くことになった山口県山口市に転居。留年を経て東京大学教養学部地域文化研究学科ドイツ地域文化研究分科を卒業し、卒業後は寺院に勤務。
東大時代、学生結婚をしていたが離婚。
著書『坊主失格』において、奇行癖、複数の女性との同時交際、妻や母親への暴力、恋人の自殺未遂を告白している。
大学在学中に、乱れた生活を咎める父から勧められマハーシ・サヤドウ長老派の瞑想を開始。
2007年(平成19年)から2008年にかけて約1年半、坐禅・瞑想の修業を各地(東京、山口、タイ、京都)にて行う。
原始仏典に基づいた観察(ヴィパッサナ)、集中(サマタ)の瞑想の指導を行う。
2011年(平成23年)、父の後を継ぎ浄土真宗正現寺第22代住職に就任。被包括関係を廃止した宗教法人の代表役員に就き、浄土真宗本願寺派僧籍除籍。
著書
単著
『「自分」から自由になる沈黙入門』 幻冬舎、2008年。ISBN 978-4-344-01478-7。
『偽善入門 浮世をサバイバルする善悪マニュアル』 サンガ、2008年。ISBN 978-4-901679-91-6。 のち小学館文庫 
『煩悩(ストレス)フリーの働き方。』 ベストセラーズ、2008年。ISBN 978-4-584-13120-6。 のち角川文庫 
『煩悩リセット稽古帖』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年。ISBN 978-4-88759-682-5。
『「自分」を浄化する坐禅入門』 PHP研究所、2009年。ISBN 978-4-569-70550-7。 のち文庫 
『恋愛と結婚の呪縛をとくお稽古帖』 主婦と生活社、2009年。ISBN 978-4-391-13724-8。
『読むうちに悩みが空っぽになる「人生相談」』 三笠書房〈王様文庫〉、2009年。ISBN 978-4-8379-6507-7。
『仏教対人心理学読本 「無我」の純粋交際マニュアル』 サンガ、2009年。ISBN 978-4904507414。
『もう、怒らない』 幻冬舎、2009年。ISBN 978-4-34401742-9。 のち文庫 
『貧乏入門 あるいは幸福になるお金の使い方』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年。ISBN 978-4-88759-783-9。
『考えない練習』 小学館、2010年。ISBN 978-4-09-388106-7。 のち文庫 
『お坊さんが教える イヤな自分とサヨナラする方法』 PHP研究所、2010年。ISBN 978-4-569-77892-1。
『坊主失格』 扶桑社、2010年。ISBN 978-4-59406261-3。
ブッダにならう 苦しまない練習』 小学館、2011年。ISBN 978-4-09-388182-1。 のち文庫
『3.11後の世界の心の守り方 「非現実(ヴァーチャル)」から「現実(リアル)」へ』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。ISBN 978-4-7993-1036-6。
『平常心のレッスン』 朝日新聞出版〈朝日新書〉、2011年。ISBN 978-4-02-273418-1。
『恋愛成就寺』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2012年。ISBN 978-4-7993-1156-1。
『「我」を張らない人づきあい 仏教対人心理学読本』サンガ新書 2012
『"ありのまま"の自分に気づく』角川SSC新書 2014
『しない生活 煩悩を静める108のお稽古』幻冬舎新書 2014
『そこにはいないよ』作・絵 金の星社 2014
『こだわらない練習 「それ、どうでもいい」という過ごしかた』小学館 2015
『もやもやスッキリ絵巻』KADOKAWA 2015
共著
宮崎哲弥共著 『さみしさサヨナラ会議』 角川書店、2011年6月。ISBN 978-4-04-885088-9。 のち文庫 
『強く生きるノート 考え方しだいで世界は変わる』本田直之,ちきりん,平田オリザ,竹中平蔵,原田泳幸,村上憲郎共著 講談社 2013
翻訳
超訳 ブッダの言葉』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。ISBN 978-4-88759-958-1。


★渡辺 和子のプロフィール
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。
父は台湾軍司令官や陸軍教育総監を務めた渡辺錠太郎。1936年2月26日、陸軍将校の一部らが起こした軍事クーデター「2・26事件」で、父親が反乱軍の将校らに殺害される場面を9歳のときに自宅で目撃する。
「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」
渡辺さんは当時のことをエッセイ集『美しい人に』などでも書いているほか、講演などでも折に触れて当時の様子や、加害者の遺族との「和解」や「赦し」について語っていた。

◆略歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。
1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。
1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。
1956年、29歳でナミュールノートルダム修道女会に入会。
アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。
1963年に36歳という異例の若さで岡山県ノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。
1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。
1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。
2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。
 
◆受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞[8]。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章[9]。
◆著書
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
『あなたはそのままで愛されている』PHP研究所、2018年 - 遺稿集

3月5日聖なる一言『他人に優しくできるためには、自分自身を受け入れる』渡辺和子

☆彡今日の聖なる一言

①『我が子に執着しない』

 

君よ、私には「ラーフラ」という名の息子はいるけれども、その子への執着はない。

 

子供に勉強を教えてやった分だけ「出来るようにならないと気が済まない」なんていう、カリカリした気持ちはさらさらない。

子どもを育てるのにたくさんのお金を使ったからといって「恩返ししてくれなきゃ気が済まない。」と借金取りのような思考でいら立つことはあり得ない。

 

ゆえに、私は幸せ。相応部経典

 

②『他人に優しくできるためには、自分自身を受け入れる』

他人に優しくできるためには、まず自分自身に優しくならなければならない。

それは、自分に甘い点数を付けるとか、いい加減に生きるということではなく、まして、利己的に生きるということでもない。

それはどんなにみじめな自分でも、それを受け入れてゆくことである。

 

渡辺和子 心に愛がなければ

 

 

 

小池龍之介のプロフィール

小池 龍之介(こいけ りゅうのすけ、1978年(昭和53年)12月15日 - )は、日本の初期仏教の僧。月読寺住職、浄土真宗系単立寺院沙光山正現寺住職。


人物
大阪府生まれ。山口市立川西中学校・山口県立山口高等学校を経て、東京大学教養学部卒業。大学ではドイツ地域文化研究分科で西洋哲学を専攻。
その後、浄土真宗本願寺派教師課程で教師資格を取得。僧侶派遣アルバイトなどを経て、実父・小池法雄が住職を務める山口市浄土真宗本願寺派正現寺副住職を務めていた。2010年(平成22年)に父の後任の住職に就職するため、住職申請を行ったが、本願寺派の教義に反した活動・出版をしたとして、不許可処分を受ける。そこで、宗派離脱の通知を行ったところ、2011年(平成23年)1月7日付で、月読寺の運営が、宗教法人浄土真宗本願寺派僧侶規程(宗則第9号)第12条の2に当たるとされ、破門処分を受け僧籍削除となる。同年、山口県知事から単立宗教法人化の規則変更の認証を受け宗派離脱した正現寺の第22代住職並びに同寺を運営する宗教法人の代表役員に就任。
2003年(平成15年)にウェブサイト『家出空間』および寺院とカフェを融合させた『iede cafe』を立ち上げる。現在では一般向けの坐禅指導のほか、執筆活動も積極的に展開している。
自身でお経を唱えず、葬儀・法要にかかわらない異色の僧侶とコメントしている。ただし、住職を務める正現寺での、葬儀・年忌法要では、浄土三部経や般若心経を用いる。
◆経歴
大阪府の中学校教諭の家に生まれる。11歳の時、父が寺の住職として働くことになった山口県山口市に転居。留年を経て東京大学教養学部地域文化研究学科ドイツ地域文化研究分科を卒業し、卒業後は寺院に勤務。
東大時代、学生結婚をしていたが離婚。
著書『坊主失格』において、奇行癖、複数の女性との同時交際、妻や母親への暴力、恋人の自殺未遂を告白している。
大学在学中に、乱れた生活を咎める父から勧められマハーシ・サヤドウ長老派の瞑想を開始。
2007年(平成19年)から2008年にかけて約1年半、坐禅・瞑想の修業を各地(東京、山口、タイ、京都)にて行う。
原始仏典に基づいた観察(ヴィパッサナ)、集中(サマタ)の瞑想の指導を行う。
2011年(平成23年)、父の後を継ぎ浄土真宗正現寺第22代住職に就任。被包括関係を廃止した宗教法人の代表役員に就き、浄土真宗本願寺派僧籍除籍。
著書
単著
『「自分」から自由になる沈黙入門』 幻冬舎、2008年。ISBN 978-4-344-01478-7。
『偽善入門 浮世をサバイバルする善悪マニュアル』 サンガ、2008年。ISBN 978-4-901679-91-6。 のち小学館文庫 
『煩悩(ストレス)フリーの働き方。』 ベストセラーズ、2008年。ISBN 978-4-584-13120-6。 のち角川文庫 
『煩悩リセット稽古帖』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年。ISBN 978-4-88759-682-5。
『「自分」を浄化する坐禅入門』 PHP研究所、2009年。ISBN 978-4-569-70550-7。 のち文庫 
『恋愛と結婚の呪縛をとくお稽古帖』 主婦と生活社、2009年。ISBN 978-4-391-13724-8。
『読むうちに悩みが空っぽになる「人生相談」』 三笠書房〈王様文庫〉、2009年。ISBN 978-4-8379-6507-7。
『仏教対人心理学読本 「無我」の純粋交際マニュアル』 サンガ、2009年。ISBN 978-4904507414。
『もう、怒らない』 幻冬舎、2009年。ISBN 978-4-34401742-9。 のち文庫 
『貧乏入門 あるいは幸福になるお金の使い方』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年。ISBN 978-4-88759-783-9。
『考えない練習』 小学館、2010年。ISBN 978-4-09-388106-7。 のち文庫 
『お坊さんが教える イヤな自分とサヨナラする方法』 PHP研究所、2010年。ISBN 978-4-569-77892-1。
『坊主失格』 扶桑社、2010年。ISBN 978-4-59406261-3。
ブッダにならう 苦しまない練習』 小学館、2011年。ISBN 978-4-09-388182-1。 のち文庫
『3.11後の世界の心の守り方 「非現実(ヴァーチャル)」から「現実(リアル)」へ』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。ISBN 978-4-7993-1036-6。
『平常心のレッスン』 朝日新聞出版〈朝日新書〉、2011年。ISBN 978-4-02-273418-1。
『恋愛成就寺』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2012年。ISBN 978-4-7993-1156-1。
『「我」を張らない人づきあい 仏教対人心理学読本』サンガ新書 2012
『"ありのまま"の自分に気づく』角川SSC新書 2014
『しない生活 煩悩を静める108のお稽古』幻冬舎新書 2014
『そこにはいないよ』作・絵 金の星社 2014
『こだわらない練習 「それ、どうでもいい」という過ごしかた』小学館 2015
『もやもやスッキリ絵巻』KADOKAWA 2015
共著[編集]
宮崎哲弥共著 『さみしさサヨナラ会議』 角川書店、2011年6月。ISBN 978-4-04-885088-9。 のち文庫 
『強く生きるノート 考え方しだいで世界は変わる』本田直之,ちきりん,平田オリザ,竹中平蔵,原田泳幸,村上憲郎共著 講談社 2013
翻訳
超訳 ブッダの言葉』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。ISBN 978-4-88759-958-1。

 

★渡辺 和子のプロフィール
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。
父は台湾軍司令官や陸軍教育総監を務めた渡辺錠太郎。1936年2月26日、陸軍将校の一部らが起こした軍事クーデター「2・26事件」で、父親が反乱軍の将校らに殺害される場面を9歳のときに自宅で目撃する。
「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」
渡辺さんは当時のことをエッセイ集『美しい人に』などでも書いているほか、講演などでも折に触れて当時の様子や、加害者の遺族との「和解」や「赦し」について語っていた。

◆略歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。
1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。
1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。
1956年、29歳でナミュールノートルダム修道女会に入会。
アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。
1963年に36歳という異例の若さで岡山県ノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。
1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。
1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。
2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。
 
◆受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞[8]。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章[9]。
◆著書
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
『あなたはそのままで愛されている』PHP研究所、2018年 - 遺稿集

 

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毎月5日は➀弥勒菩薩➁水天➂気多大明神➃大原野大明神の縁日

毎月5日は➀弥勒菩薩➁水天➂気多大明神➃大原野大明神の縁日です。


弥勒菩薩 みろくぼさつ 弥勒仏。
十三仏の六七日導師。三十日秘仏の五日仏。
弥勒菩薩(みろくぼさつ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。一部の大乗経典では字(あざな)が阿逸多 Ajita とされているが、スッタニパータ第五章や、『中阿含経』中の説本経などの初期経典の記述では、弥勒と阿逸多は別人であり、弥勒仏陀となるという記別を受け、また阿逸多は仏陀ではなく転輪聖王となるという記別を受けている。
弥勒菩薩と言えば、半跏思惟像はんかしゆいぞうの弥勒菩薩が有名です 。
五仏の付いている冠をかぶったり、手に宝塔を持っている姿が一般的です。
弥勒菩薩兜率天(とそつてん)の内院に住み、釈迦(しゃか)入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという未来仏。
弥勒は友情、友愛、慈愛などを意味するサンスクリット語の音写です。
弥勒菩薩はとおい未来,慈しみにより生あるものすべてをすくうという菩薩。
釈迦(しゃか)入滅後56億7000万年ののち,兜率天(とそつてん)から地上にくだり釈迦にかわって衆生を救済する。天での修行中を弥勒菩薩,未来仏としては弥勒如来(弥勒仏)と称する。日本には飛鳥(あすか)時代に伝来,平安時代には弥勒浄土信仰がさかんとなり,修験道にもとりいれられた。京都広隆寺の半跏(はんか)思惟像が有名。
造像例
弥勒菩薩像はインドでは水瓶を手にする像として造形されたが、中国においては、唐までは足を交差させ椅子に座る像として造像され、元・明時代以降は弥勒の化身とされた布袋として肥満形で表された。一方、飛鳥時代の日本では半跏思惟像として造像が行われた。椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬杖を付いて瞑想する姿である。
大阪・野中寺の金銅像(重文)が「弥勒菩薩」という銘文をもつ最古の半跏思惟像である。京都の広隆寺弥勒菩薩像(木像)は特によく知られており、国宝に指定されている(→弥勒菩薩半跏思惟像)。ただし、半跏思惟像の全てが弥勒菩薩像であるとは限らない。平安時代鎌倉時代には、半跏思惟像は見られなくなり、立像や坐像として表されるようになる。京都・醍醐寺の快慶作の木像などがその作例である。
日本で広く目にされている弥勒菩薩像に、50円切手の図案がある。これは中宮寺の木造菩薩半跏像である。
弥勒如来像としては、前述の奈良の東大寺の木像(通称「試みの大仏」)(重文)や、当麻寺金堂の塑像(奈良時代、国宝)、興福寺北円堂の運慶一門作の木像(国宝)などが知られる。
・岩戸寺(丹波市
・京都 広隆寺 木造弥勒菩薩半跏像(通称「宝冠弥勒」)
・奈良 中宮寺
・大阪 野中寺
弥勒菩薩交脚像(東京国立博物館蔵)
➁水天の縁日 ☆彡毎月1日・5日・15日
毎月の5日だけの所もあります。
水天は十二天・八方天の一つで、水を司り、旱天・洪水の難を守るという竜神で、降雨を祈る「水天法」の本尊です。
※「水天」は、水に縁のある神様で「海運業・漁業・水商売」等を加護し、また「安産の守り神」ともされています。
総本社は福岡県久留米市の「水天宮」で、平家の一族と共に壇ノ浦に入水した「安徳天皇」と「建礼門院」が祀られています。
また、東京日本橋の「水天宮」は、水難除け・安産・水商売の守り神として有名です。
安産の神ということから戌の日にも参拝者が多く、特に戌年戌月戌日と縁日が重なると「大戌」といって珍重されます。
一方、密教では、西方を守護する神です。
★水天宮
水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市の水天宮(久留米水天宮)を総本宮とし、日本全国にある神社である。
●祭神
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇高倉平中宮建礼門院平徳子)、二位の尼平時子)を祀るが、これとは異なる祭神の水天宮もある。
●神徳・御利益・信仰
水と子供を守護し、水難除け、漁業、海運、農業、水商売、また安産、子授け、子育てについて信仰が厚い。水天宮の例大祭は5月5日であり、縁日は毎月5日(5日・15日・25日とすることもある)である。
これについて総本宮久留米水天宮では例大祭が5月5日であることから毎月の5日が縁日となったとしているが、東京の水天宮(人形町)では逆に毎月の5日が縁日であることから例大祭が5月5日となったとしている。また犬のお産が軽いことにちなみ、戌の日は安産祈願の人で賑わう。

➂気多大明神 気多大社(けたたいしゃ)
気多大社(けたたいしゃ、正式名:氣多大社)は、石川県羽咋市寺家町にある神社。式内社名神大社)、能登国一宮。旧社格国幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。旧称は「気多大神宮」。
概要
能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して鎮座する。祭神の大己貴命は出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。古くから北陸の大社として知られ、中世・近世には歴代の領主からも手厚い保護を受けた。
現在は本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物の社叢「入らずの森」で知られる。
祭神
祭神は次の1柱。
大己貴命(おおなむちのみこと)
鵜祭
鵜祭(うまつり)は、12月8日 - 16日に行われる古式な祭。大己貴命が高志の北島から鹿島郡の新門島に着いた時、この地の御門主比古神が鵜を献上したのが始まりとされる。祭で鵜を献上する人々は鵜捕部と呼ばれ鹿島郡鹿渡島という所に先祖代々住み、その役に仕えていた。
12月8日に鵜崖という場所に神酒・米・花などを供えた後、麻糸を付けた竹竿で鵜を捕らえるが手法には一子相伝の秘訣があるという。献上された鵜は社殿の階上に放され、宮司がそれを内陣に行くよう図るがその時の鵜の進み具合によって翌年の作物の豊凶を占う。進み方が芳しくない時は神楽や御祓いを行う。鵜が内陣の机の上にとまったら神官はそれを捕まえて、浜で放す。気多の鵜祭は能楽の曲目にもなっている。
御利益
縁結び専門祈願所「気麗むすびどころ」がある。毎月1日に「ついたち結び」が行われる。恋愛成就。
外敵の侵入を防ぎ内を固める。すべての凶を吉に変える。悪因縁を解消してくれる。
霊の能力、内面の力を引き出してくれる。

大原野大明神 京都大原野神社
大原野神社(おおはらのじんじゃ)は、京都府京都市西京区大原野にある神社。二十二社(中七社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」の別称がある。
祭神
祭神は次の4柱(「春日神」と総称)で、春日大社と同じ。()内は春日大社での表記。
武御賀豆智命(武甕槌命
伊波比主命(経津主命
天之子八根命(天児屋根命
比咩大神(比売神
神聖な雰囲気に包まれた京春日
大原野神社は、784年に藤原乙牟漏によって創建された古社。
長岡京遷都の際、藤原氏氏神として奈良・春日大社の分霊を勧請したのが起源と伝わり、「京春日」とも呼ばれている。豊かな自然に囲まれた境内は、スイレンや紅葉の名所として知られており、数日間しか咲かないことから幻の桜といわれる「千眼桜」も見られる。
また、春日大社と同様に鹿が神使とされており、境内には珍しい鹿の像や、鹿のおみくじ・お守りといった授与品もある。
御利益
交通安全、旅行安全、病気平癒、家内安全、合格祈願、必勝祈願、会社安全、心願成就、無病息災、工事安全方除け、など
●桜の季節の見どころ
桜並木が続く参道を行くと、枝垂桜の古木「千眼桜」があります。開花して3日ほどで散ってしまうため、幻の桜と言われています。
【桜の本数】約60本
●紅葉の季節の見どころ
広大な境内には古の風情が漂い、色づいた紅葉がより一層美しく映えます。

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毎月4日は➀阿閦如来➁気比大明神➂松尾大明神の縁日です。

毎月4日は➀阿閦如来➁気比大明神➂松尾大明神の縁日です。


➀阿閦如来(あしゅくにょらい)
十三仏の七回忌導師。三十日秘仏の四日仏。
左手で衣の端をにぎっているのが特徴です。
西方極楽浄土阿弥陀様と並んで、東方に住む大乗の仏様の一つとして重視されています。しかし、少し地味な存在で、四仏または五仏のひとつとして祀られるのが一般的です。
鏡のように全てを映し出すという意味で大円鏡智だいえんきょうちと呼ばれる智を表します。
法華経では、前生は大通智勝如来の十六王子の一人とされています。薬師如来と同じと言う考え方もあります。
阿閦如来(あしゅくにょらい)とは?
 語源は「揺るぎないもの」を意味し、物事に動じず迷いに打ち勝つ強い心を授けるといわれています。阿閦如来は「大円鏡智(だいえんきょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。「大円鏡知」は知識や経験のない純粋な心、鏡のようにありのままを映し出す清らかな心という意味を持っています。
ご利益
 密教における大日如来の五つの智慧を表す五智如来の一尊で、薬師如来と同等と考えらました。そのため病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるといわれています。
阿閦如来(あしゅくにょらい)の通常像容
 左手は衣服の端を握り、右手は指を下に伸ばす降魔印(ごうまいん)を結んでいます。これは恐怖や誘惑に打ち勝つ強い心を表しています。阿閦如来の単独の造像はほとんどありません。
有名寺院と像
 ・京都府:東寺
 ・奈良県西大寺
●五大如来金剛界五仏
中央大日如来/東阿閃如来/南宝生如来/西阿弥陀如来/北不空成就仏
胎蔵界五仏
中央大日如来東宝如来/南開敷華王如来/西無量寿如来/北天鼓雷音如来
●四菩薩=四仏
金剛宝/金剛光/金剛幢/金剛咲


➁気比大明神 気比神宮
氣比神宮(けひじんぐう、気比神宮)は、福井県敦賀市曙町にある神社。式内社名神大社)、越前国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
概要
福井県中央部、敦賀市市街地の北東部に鎮座する。敦賀は天然の良港を有するとともに、北陸道諸国(現在の北陸地方)から畿内への入り口であり、対外的にも朝鮮半島中国東北部への玄関口にあたる要衝である。神宮はそのような立地であることから、「北陸道総鎮守」と称されて朝廷から特に重視された神社であった。
古事記』『日本書紀』では早い時期に神宮についての記事が見えるが、特に仲哀天皇(第14代)・神功皇后応神天皇(第15代)との関連が深く、古代史において重要な役割を担う。また、中世には越前国の一宮に位置づけられており、福井県から遠くは新潟県まで及ぶ諸所に多くの社領を有していた。
社殿はほとんどは第二次世界大戦中の空襲で焼失したため、現在の主要社殿は戦後の再建になる。空襲を免れた大鳥居は「日本三大鳥居」にも数えられる壮麗な朱塗鳥居であり、国の重要文化財に指定されている。また境内社の角鹿(つぬが)神社は「敦賀」の地名発祥地であると伝える。そのほか祭事では多数の特殊神事が現在まで続き、古図、古面等の有形文化財を伝えている。
祭神は次の7柱。
本殿(本宮)に主祭神と2柱、本宮周囲の四社の宮(ししゃのみや)にそれぞれ1柱を祀る。
本殿(本宮)
伊奢沙別命(いざさわけのみこと) - 主祭神。「気比大神」または「御食津大神」とも称される。
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) - 第14代天皇
神功皇后(じんぐうこうごう) - 仲哀天皇の皇后。
四社の宮
東殿宮:日本武尊(やまとたけるのみこと)
総社宮:応神天皇(おうじんてんのう) - 第15代天皇
平殿宮:玉姫命(たまひめのみこと、玉妃命) - 『気比宮社記』では神功皇后の妹の虚空津比売命とする。
西殿宮:武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)
御利益
 家内安全。商売繁盛。航海安全。金運アップ。対人運アップ。開運。五穀豊穣。芸能上達。対人運アップ。海上交通安全。農漁業の守護。無病息災。延命長寿。
食の点から健康、延命長寿、命の蘇りの力を授かる。生命力補充。
「氣比の長命水」をいただくとよい。


➂松尾(まつのお)大明神 京都松尾大社
松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)は、京都府京都市西京区嵐山宮町にある神社。式内社名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
概要
京都市西部、四条通西端に位置し、東端の八坂神社(祇園社)と対峙して鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。
その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社賀茂別雷神社賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され[1]、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。
祭神
主祭神は次の2柱。
大山咋神(おおやまぐいのかみ)
中津島姫命(なかつしまひめのみこと) - 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の別名とする。
松尾祭
神幸祭 (4月20日以降の第1日曜)
還幸祭神幸祭3週間後の日曜)
松尾大社のご利益
【亀の井】
社伝によると、松尾大社の主神・大山咋神(おおやまくいのかみ)が、社殿裏の大杉谷にかかる霊亀ノ滝の水で酒を醸したといわれています。そのため酒造の神として有名で、酒造業者や酒屋さん、杜氏の方々に特に厚い信仰を集めています。
松尾大社の境内には”亀の井”とよばれる霊泉が湧き出る井戸があり、この水を醸造の際に混ぜるとお酒が腐らないといわれています。またその水は長寿にも効果があるといわれ、各地から汲みに来る人で後を絶えない霊水です。
【相生の松】
松尾大社の境内には、雌雄根を同じくし、”相生の松”の名で親しまれる樹齢350年を数える古木があります。昭和31、32年に天寿を全うし、現在は名松の大株を見ることができます。夫婦和合・恋愛成就の象徴といわれ、篤い信仰を集めています。
【撫で亀さん(神使の「亀」)】
古来より「亀」と「鯉」は、松尾大神様のお使いといわれ、中でも「亀」は健康長寿のシンボルとして親しまれています。この亀さんの健康長寿の霊威にあやかって、「撫で亀さん」に直接手で触れてご利益を授けていただきましょう。

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