終活・生活・再生日記 「夢幻」

生と死と再生&感謝、祈り・絆、縁日、雑感等についてお知らせしています。

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毎月8日は薬師、八幡宮、鬼子母神、江文神社、大比叡権現の縁日

毎月8日は➀薬師、➁八幡宮、➂鬼子母神、➃江文神社➄大比叡権現の縁日です。

 

➀『薬師の縁日』 :
薬師の縁日は、薬師如来の徳を講讃する法会の薬師講に由来するといわれます。

 

薬師如来」は、正式名を「薬師瑠璃光(るりこう)如来」と言い、東方浄瑠璃世界の教主で、12の大誓願を発して、衆生の様々な病苦を救い、無明の持病を直す法薬を与えるとされています。


大蓮華の上に座し、右手は施無畏の印を結び、左手に薬壷(または宝珠)を持つ医薬の仏として広く信仰をあつめています。
別名、「大医王仏」ともいい、「日光菩薩」・「月光菩薩」の二菩薩を脇侍としています。


薬師如来 (やくしにょらい)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する。
三昧耶形は薬壺または丸薬の入った鉢。青色の肌を持つとされる。東方の守護者は浄瑠璃世界の名称でない限り阿閦如来とすることが多いが、高野山金剛峰寺は本尊を阿閦如来から薬師如来に変えたとされる。


像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。


これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壷を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。


薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。

 

◆十二誓願
光明普照(自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く。)
随意成弁(仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる。)
施無尽仏(仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す。)
安心大乗(世の外道を正し、衆生仏道へと導く。)
具戒清浄(戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける。)
諸根具足(生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす。)
除病安楽(困窮や苦悩を除き払えるよう援ける。)
転女得仏(成仏するために男性への転生を望む女性を援ける[5]。)
安心正見(一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける。)
苦悩解脱(重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける。)
飲食安楽(著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く。)
美衣満足(困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す。)

 

◆七仏薬師
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。 
善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)
宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい )
金色宝光妙行成就王如来 (こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい )
無憂最勝吉祥王如来 (むうさいしょうきちじょうおうにょらい )
法海雲雷音如来 (ほうかいうんらいおんにょらい )
法海勝慧遊戯神通如来 (ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい )
薬師瑠璃光如来 (やくしるりこうにょらい )

 

◆日本における造像例
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。また、現世利益を司る数少ない如来であることから、延暦寺神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。

 

◆国宝指定の薬師如来
日本における造像例は多数あり、網羅不可能であるため、ここでは国宝指定像を挙げるにとどめる。
福島・勝常寺像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
京都・仁和寺(旧北院)像(坐像、平安時代
京都・神護寺像(立像、平安時代初期)
京都・醍醐寺上醍醐)薬師堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
大阪・獅子窟寺像(坐像、平安時代前期)
奈良・法隆寺金堂像(坐像、飛鳥~奈良時代
奈良・法隆寺大講堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代中期)
奈良・唐招提寺金堂像(立像、奈良時代平安時代初期)
奈良・薬師寺像(薬師三尊の中尊、坐像、奈良時代
奈良・新薬師寺像(坐像、平安時代初期)
奈良国立博物館像(坐像、平安時代前期)
奈良・元興寺奈良市芝新屋町)像(立像、平安時代前期)


➁『八幡宮
八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社。八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称される。


全国に約44,000社あり、大分県宇佐市宇佐神宮を総本社とする。


八幡宮応神天皇を主神とし,通例,ヒメガミ,神功皇后を配祀する神社の称号。やわたのみやともいう。弓矢の神として,武士を中心に古くから広く尊崇された。
八幡宮八幡神をまつった神社。八幡神は菩薩号を付して八幡大菩薩と呼ぶこともある。八幡神彦火火出見(ひこほほでみ)尊とする説もあるが,普通は応神天皇,比売(ひめ)神,神功皇后の3神とする。

 

概要
八幡宮の起源となった総本宮宇佐神宮である。
近代社格制度においては宇佐神宮石清水八幡宮筥崎宮鹿児島神宮の四社が官幣大社社格に列し、特に宇佐神宮石清水八幡宮筥崎宮(※また近年は筥崎宮に代えて、鶴岡八幡宮)の三社が日本三大八幡宮とされる。

 

宇佐神宮の御利益 仕事、恋愛、金運
石清水八幡宮
・御利益
智恵。
戦勝。
受験。
地元の八幡様にもお参りするとよい。
情報を集積させる力。
融合させるパワー。
エジソンの碑がある。エジソンは男山の真竹を使って白熱電球のフィラメントを作った。
苦手なことが消える。
異文化との融和。
根性。
厄除け。
必勝祈願。
小が大を制する力と法を授けてくれる。
旗揚げをする結束力を授けてくれる。


筥崎宮 
・ご利益
開運・事業繁栄・商売繁盛・必勝祈願・安産祈願・厄除け・延命長寿
鹿児島神宮
鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社(大社)、大隅国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
別名として大隅八幡宮とも。
主祭神
天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)
豊玉比売命 - 天津日高彦穂々出見尊の后神
相殿神
帯中比子尊(仲哀天皇) - 八幡神を合祀した関係による
息長帯比売命神功皇后) - 同上
品陀和気尊(応神天皇) - 同上
中比売尊(仲姫命) - 応神天皇の皇后。同上
太伯 - 句呉の祖。国内では唯一当社でのみ祀られる
・御利益
若返り。
子授け。
安産。
人気運アップ。大勢の人にアピールできるスター的な魅力をもらえる。
度量が大きくなる。
毎日をポジティブに過ごせるようになる。
参拝前に本殿前の亀石をなでると願いが叶いやすくなる。

鶴岡八幡宮
【恋愛成就、健康長寿、学業成就、交通安全など】
 京都の石清水八幡宮の分霊を勧請した鶴岡八幡宮
 そのご利益は極めて広範囲に及び、恋愛成就、家内安全、健康長寿、学業成就、合格祈願、交通安全など、あらゆる事に絶大なる力をお示しくださるといわれています。

➂『鬼子母神の縁日』 :
「鬼子母(きしぼ)神」は仏教諸神の一つです。

 

仏教の守護神。サンスクリット語でハーリーティーといわれる鬼女。訶梨帝母 (かりていも) ,歓喜母ともいう。

 

 「鬼子母」は、500人(一説に千人又は一万人)の子の母でありながら性質邪悪で、常に人の子を捕えて食べて仕舞う為、仏は彼女が最も愛していた末子、愛好をを隠して戒め、仏教に帰依させたといわれます。

 

以後、求児・安産・幼児保育など(時として盗難除の守護)の祈願を叶える「仏法の護法神」となり信仰されています。

 

日本では主として,安産,保育の神として信仰され,ときに盗難よけの神ともされる。しかし仏教に取入れられる以前のインドでは生産の神として信仰されたと考えられる。
単独で信仰されるほか,密教では普賢十羅刹女 (ふげんじゅうらせつにょ) 図中にも加えられる。像容は天女形と鬼神形とがある。京都醍醐寺蔵の『訶梨帝母像』は柔和でふくよかな容貌で,宋画の影響を受けた 12世紀後半の仏画の新傾向を示す遺例。

 

彫像は滋賀園城寺東大寺などにすぐれた遺品がある。東京の法明寺は「雑司ヶ谷鬼子母神」として有名。

御利益は安産・子育(こやす)です。
その他
無病息災のご利益 … 発症前の身代わり
病気平癒のご利益 … 発症後の健康回復
手術成功のご利益 … 心臓病、脳梗塞など
ガン封じのご利益 … 胃がん、肺がん、前立腺がん、乳癌など
心の病気のご利益 … うつ病などの心の傷の回復、ストレス改善
その像は、天衣瓔珞をつけ、子供を一人懐に抱いて、右手に吉祥果(ざくろ)を持ちます。
ざくろは人肉に似た味がするといわれます。
東京・入谷の「おそれいりやの鬼子母神」が有名です。


➃『江文神社』(えぶみじんじゃ)は京都府京都市左京区にある神社。毎年5月5日に例大祭が行われる。大原から静原に出る江文峠への峠道の傍らに鎮座する。


祭神は倉稲魂神

 

ご利益は、五穀豊穣、衣服・アパレル、生産・産業振興です。

 

歴史
創建年代は不明。『延喜式神名帳』に見える山城国愛宕郡「伊多太神社」とする説もあるが(式内社論社)、通説では否定されている。社伝によれば、三千院鎮守神として創祀されたとも、延暦寺座主の円仁(慈覚大師)の勧請によるともいい、山王神道と深い関係を持った。

 

また、後方に聳える江文山(現在の金比羅山)の頂に祀られていた神々を、山麓に社殿を建立して勧請したものともされる。中世には栄えたが、織田信長比叡山攻略の影響で退転したという。

 

大原八ヶ町の氏神である。また、元来は、毘沙門堂江文寺という神仏習合の宮寺であった。

境内社
級長津彦神社(級長津彦命・発鳥神)
軻遇突智神社(軻遇突智神・飯道山神・八幡宮
満山神社(愛宕神・御霊神・鹿島神)
天満宮社(天満宮・稲荷神)
(境外大原大長瀬町鎮座)梅ノ宮神社

➄大比叡(おおびえ)権現 (国常立尊)大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

 

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。

 

祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫

主な祭事
大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。

山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。

 

山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。

 

みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。


下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。


もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。
御利益
初宮詣 交通安全(車のお祓い) 厄除け 家内安全 良縁 災難消除 方除け
子授け 商売繁盛 安産 病気平癒等

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毎月7日は三万燈明仏、千手観音、北野大明神、平野大明神の縁日


毎月7日は①三万燈明仏➁千手観音➂北野大明神➃平野大明神の縁日です。

①三万燈明仏 さんまんとうみょうぶつ
三十日秘仏の七日仏。
両手とも燈明印を結んでいます。
二万燈明仏とも言われます。


➁千手観音 せんじゅかんのん
千手千眼観世音菩薩せんじゅせんげんかんぜおんぼさつといいます。千の手と千の眼は、慈悲の広大さと、救う手段の豊富さを表します。

冠についている顔は11面または27面あります。顔がいくつもあるのは、救う相手により一番効果的な接し方をすることを表します。

造形的には実際に千本の手を持つものと、代表的な42本を持つものとがあります。
手に持っているものは、出典によって多少の相違がありますが、一例を示すと次ようになります。胸の前で合掌している手を含めて42本です。

※千手観音(せんじゅかんのん)とは正しい名前は千手千眼観自在菩薩で、千本の手がありその手の掌には目が付いています。手は多くの人々に救済の手を差し伸べ、目は人々を教え導く知をあらわすとされています。このように千の手と目はどんな人達でも漏らさず救済しようとする広大無限の慈悲の心を表現しているのです。

 観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。

●ご利益
 災難、延命、病気治癒などあらゆる現世利益にご利益があり、難産や夫婦円満、恋愛成就にも功徳があるとされています。また子年の守り本尊です。子年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

●千手観音(せんじゅかんのん)の像容
 通常は千本の手を42本の手に省略しています。頭の上には十一面観音と同じく十一面の顔があることが多いです。
千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。
「サハスラブジャ」とは文字通り「千の手」の意味である。この名はヒンドゥー教ヴィシュヌ神シヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)と考えられている。六観音の一尊でもある。
三昧耶形は開蓮華(満開のハスの花。聖観音の初割蓮華と対をなす)、蓮華上宝珠。種子(種子字)はキリーク(hriiH)。
眷属として二十八部衆を従える。

◆「十一面千手観音」、「千手千眼(せんげん)観音」「十一面千手千眼観音」、「千手千臂(せんぴ)観音)」など様々な呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。

観音菩薩が千の手を得た謂われとして、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。
この経の中に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の天台宗禅宗寺院で読誦されている。六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。
千手観音の尊名は、前述の通り様々な呼び方がある。千手観音像の中には十一面ではなく二十七面につくる像もあり、必ずしも「十一面千手千眼観音」が正しいとは言いきれない。日本の文化財保護法による国宝、重要文化財の指定名称は「千手観音」に統一されている。
密教曼荼羅では観音像は「蓮華部」に分類されている。千手観音を「蓮華王」とも称するのは観音の王であるとの意味で、蓮華王院(京都の三十三間堂の正式名称)の名はこれに由来する。

◆日本における信仰と造像例
千手観音の造像例は、インドにはほとんど知られないが、中国では唐代の龍門石窟などに遺例がある。日本での千手観音信仰の開始は古く、空海が正純密教を伝える以前、奈良時代から造像が行われていた。東大寺には天平年間に千手堂が建てられたことが知られ、同寺の今はない講堂にも千手観音像が安置されていた。

日本における現存作例では、8世紀半ばの制作とされる葛井寺像が最古とされ、唐招提寺像も8世紀末~9世紀初頭の作品である。和歌山・道成寺秘仏北向本尊像の胎内からは大破した千手観音像が発見されているが、これは道成寺草創期の本尊と思われ、奈良時代に遡るものである。

その他、千手観音をまつる著名寺院としては、清水寺三十三間堂、西国札所の粉河寺などがある。京都・清水寺本尊(立像)は、33年に一度開扉の秘仏で、42本の手のうちの2本を頭上に挙げて組み合わせる独特の形をもち、「清水型」といわれている。同じ清水寺の奥之院本尊の秘仏千手観音像は珍しく27面をもつ坐像である。
1、宝珠=財宝を得る
2、羂索=安穏を得る
3、宝鉢=腹病を治す
4、宝剣=悪魔を退ける
5、三鈷=魔を除く
6、金剛杵=怨敵をくじく
7、施無畏印=怖れを去る
8、日精摩尼(玉・太陽)=闇を照らす
9、月精摩尼(玉・月)=熱や毒の病をいやす
10、宝弓=栄官を増す
11、宝箭=良き友に巡り会う
12、楊柳=病難を除く
13、払子=色々な障りや塵を去る
14、胡瓶=水をそそいで平和を得る
15、傍俳(額)=獣の難をさける楯
16、鉄斧=官難を除き平和をもたらす
17、玉環=よき従者を得る
18、自蓮花=功徳を得る
19、青蓮花=十方浄土に往生する
20、宝鏡=智恵の眼
21、紫蓮花=十方浄土の諸仏を見る
22、宝篋=地中に隠れたものを得て冥福を得る
23、五色雲=神仙道をうる
24、唐瓶=梵天に生ずる
25、紅蓮華=諸天に生ずる
26、戦鞘=逆賊を除く
27、ほら貝=善神を招く
28、ドクロ=鬼神を降伏する
29、数珠=仏手を蒙る
30、宝鐸(鈴)=音声を得る
31、宝印=色々な弁説
32、鉄鈎=龍神を伏す
33、錫杖=善心を発する
34、合掌=諸人に慕われる
35、化仏=仏
36、宮殿=胎蔵
37、宝経=善いことを多く聞く
38、金輪=菩提心
39、頂上化仏=仏
40、蒲桃=五穀豊穣

◆日本における代表的な千手観音像
福島・恵隆寺像(立像)(重文)
京都・清水寺本尊像(立像)
京都・清水寺奥之院本尊像(坐像)(重文)
京都・三十三間堂本尊像(坐像)(国宝)
京都・三十三間堂像(1,001体、立像)(重文)
京都・東寺旧食堂像(立像)(重文)
京都・広隆寺旧講堂像(立像)(国宝)
京都・法性寺像(立像) (国宝)
京都・峰定寺像(坐像)(重文)
大阪・葛井寺本尊像(坐像)(国宝)
奈良・唐招提寺金堂像(立像)(国宝)
奈良・興福寺旧食堂像(立像)(国宝)
三重・太江寺像(坐像)(重文)
和歌山・道成寺本尊像(立像)(国宝)
福岡・大悲王院像(立像)(重文) 

北野大明神 北野天満宮
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「星梅鉢紋」。

通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。福岡県太宰府市太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。

祭神
祭神は以下の3柱。
主祭神
菅原道真
相殿神
中将殿 - 菅原高視(道真長子)を指す
吉祥女 - 道真正室を指す

歴史
延喜3年(903年)、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。天慶5年(942年)、右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)という少女に託宣があり、5年後にも近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があった。それに基づいて天暦元年6月9日(947年)、現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。後に藤原師輔(時平の甥であるが、父の忠平が菅原氏と縁戚であったと言われる)が自分の屋敷の建物を寄贈して、壮大な社殿に作り直されたと言う。
御利益
【学業成就】
祭神である菅原道真公は、優秀な文人であったことから学問の神として慕われ、受験シーズンには合格祈願に訪れる学生で境内は賑わいます。北野天満宮の境内にはたくさんの牛の像(「なで牛」)が見られますが、牛は天神さんのお使いといわれ、この牛の頭をなでると頭がよくなるといわれています。

北野天満宮は ”学問の神様”として有名な平安時代の学者・菅原道真を祀る神社。
 全国にある天満宮の中でも、九州の大宰府天満宮とともに代表的な神社として信仰を集めています。

北野天満宮のご利益
【学業成就】
祭神である菅原道真公は、優秀な文人であったことから学問の神として慕われ、受験シーズンには合格祈願に訪れる学生で境内は賑わいます。北野天満宮の境内にはたくさんの牛の像(「なで牛」)が見られますが、牛は天神さんのお使いといわれ、この牛の頭をなでると頭がよくなるといわれています。

【大黒天の燈籠】
三光門を出て左側に、大黒さまが彫られた石燈籠があります。この大黒さまの口(頬の穴?)に小石をのせて落ちなければ、その小石を財布に入れて祈るとお金に困らないといわれています。たくさんの方がチャレンジされたのか、穴は磨り減ってしまっています。壊さないように注意しながらお試しください。
【伴氏社】
祭神は、菅原道真公の母君。暖かい愛情と厳しいまなざしをもって道真公を育てたといわれる道真公の母君を祀る伴氏社は、子供の成長と学業成就を守護するご神徳があるといわれ、子供の健やかな成長を願うお母さま方の厚い信仰を集める社です。
【文子天満宮
菅原道真公は失意の中で大宰府で生涯を閉じましたが、その後京の都は疫病などの災厄が流行、道真公のたたりであると人々は恐れました。
942年(天慶5)、右近七条坊に住む多治比文子という娘に道真公の神霊より、「わが魂を右近馬場に祭れ」とのお告げがありました。文子にはとても右近馬場にお社を建てる力がなかったので、とりあえず自宅に小さな祠を建て、道真公の御霊をお祀りしました。これが文子天満宮であり、北野天満宮の発祥といわれています。
文子天満宮には、道真公が祀られ、入試・学徳成就のご利益があるといわれています。
地主神社
北野天満宮創建以前よりこの地に鎮座する、境内で最も古い神社。主祭神天神地祇は、日本国内六十余国に祀られたすべての神々のことで、相殿の3人の皇子はいずれも道真公の血縁やゆかりの深い方々です。招福、交通安全、諸願成就のご神徳を授けていただけます。

➃平野大明神 京都平野神社
平野神社(ひらのじんじゃ)は、京都府京都市北区平野宮本町にある神社。式内社名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「桜」。

祭神
現在の祭神は次の4柱。一番北の第一殿から順に1殿1柱ずつ祀られている。
第一殿:今木皇大神(いまきのすめおおかみ、今木神) - 主神。
第二殿:久度大神(くどのおおかみ、久度神)
第三殿:古開大神(ふるあきのおおかみ、古開神)
第四殿:比売大神(ひめのおおかみ、比売神/比咩神)

◆概要
京都市北部、平安京大内裏(平安宮)から北方の平野の地に鎮座する神社である。平安京遷都頃まで創建が遡るとされる神社で、近年の研究によると、元々は桓武天皇生母の高野新笠の祖神(桓武天皇外戚神)として平城京に祀られた神祠であったが、それが平安京遷都に伴って大内裏近くに移し祀られたことに始まると推測されている。
古代には皇太子守護の性格を持ち、平安時代には例祭「平野祭」において皇太子自らにより奉幣が行われた。また、多くの臣籍降下氏族から氏神として歴史的に崇敬された神社としても知られる。

現在の本殿は4殿2棟からなり、いずれも「平野造」とも称される独特の形式の造りで、国の重要文化財に指定されている。そのほかに拝殿・中門・南門・摂社縣神社は、京都府から文化財指定・登録を受けている。境内は桜の名所として知られ、夜桜の様子は「平野の夜桜」と称されることで知られる。

平野神社と言えば桜である。境内には400本もの桜が植えられており、随所に桜があしらわれている。よって、女性的な神社という印象を受ける。

◆御利益
家内安全 家族の安全を願います。
十三詣 生まれた年の干支が返ってくる節目の年(数え年の13歳)に神仏へお詣りし、福徳、知恵を授かる行事です。
商売繁盛 家業、会社の益々の発展を祈願します。
開運招福 運が開き豊かな生活をすごせるように願います。
安全祈願 様々な安全を祈願します。
災難除け 日常の生活に降りかかる災難から護って頂くようにお祈りします。
誕生祭 この世に生まれてきたことを神様や先祖、両親に感謝し、今後も健康で幸せな日々を過ごせることを願います。
結婚記念祭 記念日を迎えたことを感謝しお祝いします。25周年銀婚式、50週年金婚式は特に盛大に行われます。 
旅行安全 旅の安全を祈願します。
良縁祈願 良き縁に巡り合えるように祈願します。
身体健固 健康でいられることを感謝し、この先も健康で活力のある体であるように祈願します。
病気平癒 病気の回復を祈願します。
安産祈願 子宝に恵まれたことを感謝し、安産を願います。またお産の軽い戌(いぬ)にあやかり、戌の日にお詣りする信仰もあります。
合格祈願 受験や就職、資格等の合格を祈願します。
学業成就 更なる学業向上を願います。
交通安全及び自動車清祓 車、バイク、自転車などをお祓いをし、交通安全を祈願いたします。

西大路七福社ご利益めぐり
 西大路は、京都市の西域を金閣寺の前から十条通りまで南北に通っており、東大路と対になる大通りです。平安時代西大路通は、平安京の中心である朱雀大路にほど近く、野寺小路と呼ばれた道幅12メートルにもなる都のメインストリートでした。
この西大路をはさんだ東西両側に、古くから歴史と由緒・格式をもつ神社が七社あり、初春にこれら七社に参拝して朱印を受ける行事が、「西大路七福社ご利益めぐり」です。
全行程約7キロの西大路をまっすぐに進む比較的わかりやすい順路であり、ゆっくり歩いてめぐっても1日で参拝できることや、学問、安産から開運出世、延命長寿までの人生の節目ふしめを守ってくださる神様のご利益がいただけます。
 有名社寺が集積する東大路界隈にくらべ余り知られていない西大路界隈の歴史を多くの人に知ってもらおうと、昭和58年からはじまり30年以上続く行事です。
・開催期間:元旦より2月末日

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毎月6日は二万燈明仏、鹿島大明神、春日大明神の縁日

毎月6日は➀二万燈明仏➁鹿島大明神➂春日大明神の縁日

 

➀二万燈明仏 にまんとうみょうぶつ
三十日秘仏の六日仏。二万という名称の由来は、万行と万善を合わせたものです。


法華経序品に曰「この佛の光明、天に日月灯明佛あっては日月の如く、地にあっては灯の如し、よって名ずく。かって過去に二万の日月灯明佛あり、同名あいついで出世し法華経を説く。」(過去無量無辺不可思議阿僧祇劫に出世した日月灯明佛は、三乗の法を説き入滅した。以来同名の日月灯明佛が次々と出世して二万の日月灯明佛が現れたとされる。)


★【日月灯明仏・日月燈明仏】にちがつとうみょうぶつ
法華経 序品〕
天にあっては日月のごとく、地にあっては灯明のごとき光明を具える仏の名。過去に二万の同名の仏が相次いで法華経を説いたという。


鹿島大明神 かしまだいみょうじん
鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社名神大社)、常陸国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社


全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市香取神宮茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。


祭神は次の1柱。
武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ/たけみかづちのおおかみ)
古事記』では「建御雷神」、『日本書紀』では「武甕槌神」と表記される。
別名を「建布都神(たけふつのかみ)」や「豊布都神(とよふつのかみ)」

 

◆ご利益
鹿島神宮は、仕事・人生に総合的な開運力のある、関東最強クラスのパワースポットです。
「意を決したものが行くべきパワースポット」とも言われます。
人・組織を束ねるリーダーや変革者・独立起業者に、また、人生の転換期や自分の道を突き進む時に、ぜひ参拝して頂きたい神社です。以下のご利益があります。
 ・勝負運 : 困難に立ち向かい、勝負に勝つ
 ・決断力 : 迷いを断ち、強い意志で迷わず進める
 ・行動力 : 邪魔するものをはねのけ進むパワー
 ・統率力 : 人を導いて変革を成し遂げる統率力・交渉力
 ・厄除け : 魔(悪運・悪縁・邪魔)を断つ
鹿島神宮は、下総国一宮の香取神宮(千葉県香取市、位置)と古来深い関係にあり、「鹿島・香取」と並び称される一対の存在にある。
要石(かなめいし)は、境内東方に位置する霊石。古来「御座石(みまいし)」や「山の宮」ともいう。地上では直径30センチメートル・高さ7センチメートルほどで、形状は凹型。
御手洗池(みたらしいけ)は、神宮境内の東方に位置する神池。潔斎(禊)の地。古くは西の一の鳥居がある大船津から舟でこの地まで進み、潔斎をしてから神宮に参拝したと考えられており、「御手洗」の池名もそれに由来するとされている。
美しい日本の歩きたくなるみち500選選定 「鹿島神宮の森からカシマスタジアムを巡るみち」
鹿島神宮には「七不思議」と呼ばれるものがあり、次の7項目が挙げられる。
要石
御手洗池の水深
末無川 - 境外の高天原で湧出した水の行方が辿れなくなるという。
境内三笠山の藤の花 - 藤の多く咲く年は豊作、少ない年は凶作という。
鹿島灘の海鳴 - (特に奥宮付近において)波の音が北の方に聞こえる時は晴れ、南に響く時は雨が降るという。
根上りの松 - 神宮の松は幾度伐っても芽が出て枯れないという。
松の箸 - 神宮の松で作った箸からは脂が出ないという。

 

➂春日大明神 奈良春日大社
春日権現(かすがごんげん)は神仏習合の神であり、不空羂索観音薬師如来地蔵菩薩・十一面観音を本地仏とする。春日大明神とも呼ばれた。神仏分離廃仏毀釈が行われる以前は、春日社(現在の春日大社)などで祀られた。

 

春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社。式内社名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「下がり藤」。
全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコ世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。
主祭神は以下の4柱。総称して春日神と呼ばれ、藤原氏氏神である。
武甕槌命 - 藤原氏守護神(常陸国鹿島の神)
経津主命 - 同上(下総国香取の神)
天児屋根命 - 藤原氏の祖神(河内国平岡の神)
比売神 - 天児屋根命の妻(同上)


春日大社のご利益=
【厄除け】
 創建については諸説あり定かではありませんが、藤原氏氏神として崇敬を集めてきた春日大社。祭神は、武甕槌命経津主命天児屋根命比売神の4神です。春日大社は古くから厄除けの祈願所で知られ、毎年多くの方が厄除け祈願に訪れています。
【交通安全】
 社伝によると、768年(神護景雲2)、常陸の国の鹿島神社の大明神が鹿に乗って春日山に入られたとされ、旅に出発することを「鹿島立ち」というのはこのことに由来します。鹿は神鹿とされ、春日大社は交通安全の守り神として信仰を集めています。
春日大社のご利益どころ=
【御神木「七種の寄生木」】
 風の神様を祀る「風宮神社」の隣に、「七種の寄生木」と呼ばれる御神木があります。
 風宮神社の神様が、「カゴノキ」「フジ」「ツバキ」「ナンテン」「カエデ」「サクラ」「ニワトコ」の7種の種を運んできたと伝えられ、古来より子授けの霊験あらたかな御神木と信仰を集めています。


【夫婦大国社】
 夫婦大国社は、出雲から大国主命と須勢理比売命の夫婦を招いて祀った日本で唯一の社。縁結び、夫婦円満、商売繁盛の神として信仰を集めています。夫婦大国社では、古くから杓子に願いごとを書いて奉納する慣わしがありましたが、最近はハート型の絵馬に願いごとを書くのが人気のようです。
【子授石(水谷神社)】
 春日大社の摂社の一つである水谷神社の社の前に、「子授石」と呼ばれる石があります。
 この石を清い布で拭き清めると子宝を授けてくれるといわれており、子授けを願う多くの人々の信仰を集めている霊石です。
【祓戸神社】
 1006年(寛弘3)にはお祀りされていたと伝えられる古社。
 祭神の瀬織津姫神は、自らが犯した罪はもとより、知らず知らずに犯してしまった罪も心から悔い改めて祈れば、罪穢をお祓いくださる神さまで、毎年3月13日に行われる春日大社の例祭「春日祭」の祓戸の儀はこの御所前で行われます。

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毎月5日は弥勒菩薩、水天、気多大明神、大原野大明神の縁日

毎月5日は➀弥勒菩薩➁水天➂気多大明神➃大原野大明神の縁日です。

弥勒菩薩 みろくぼさつ 弥勒仏。
十三仏の六七日導師。三十日秘仏の五日仏。



弥勒菩薩(みろくぼさつ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。一部の大乗経典では字(あざな)が阿逸多 Ajita とされているが、スッタニパータ第五章や、『中阿含経』中の説本経などの初期経典の記述では、弥勒と阿逸多は別人であり、弥勒は仏陀となるという記別を受け、また阿逸多は仏陀ではなく転輪聖王となるという記別を受けている。

 

弥勒菩薩と言えば、半跏思惟像はんかしゆいぞうの弥勒菩薩が有名です 。
五仏の付いている冠をかぶったり、手に宝塔を持っている姿が一般的です。
弥勒菩薩兜率天(とそつてん)の内院に住み、釈迦(しゃか)入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという未来仏。
弥勒は友情、友愛、慈愛などを意味するサンスクリット語の音写です。

 

弥勒菩薩はとおい未来,慈しみにより生あるものすべてをすくうという菩薩。
釈迦(しゃか)入滅後56億7000万年ののち,兜率天(とそつてん)から地上にくだり釈迦にかわって衆生を救済する。天での修行中を弥勒菩薩,未来仏としては弥勒如来(弥勒仏)と称する。日本には飛鳥(あすか)時代に伝来,平安時代には弥勒浄土信仰がさかんとなり,修験道にもとりいれられた。京都広隆寺の半跏(はんか)思惟像が有名。


造像例
弥勒菩薩像はインドでは水瓶を手にする像として造形されたが、中国においては、唐までは足を交差させ椅子に座る像として造像され、元・明時代以降は弥勒の化身とされた布袋として肥満形で表された。一方、飛鳥時代の日本では半跏思惟像として造像が行われた。椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬杖を付いて瞑想する姿である。

 

大阪・野中寺の金銅像(重文)が「弥勒菩薩」という銘文をもつ最古の半跏思惟像である。京都の広隆寺弥勒菩薩像(木像)は特によく知られており、国宝に指定されている(→弥勒菩薩半跏思惟像)。ただし、半跏思惟像の全てが弥勒菩薩像であるとは限らない。平安時代鎌倉時代には、半跏思惟像は見られなくなり、立像や坐像として表されるようになる。京都・醍醐寺の快慶作の木像などがその作例である。


日本で広く目にされている弥勒菩薩像に、50円切手の図案がある。これは中宮寺の木造菩薩半跏像である。


弥勒如来像としては、前述の奈良の東大寺の木像(通称「試みの大仏」)(重文)や、当麻寺金堂の塑像(奈良時代、国宝)、興福寺北円堂の運慶一門作の木像(国宝)などが知られる。
・岩戸寺(丹波市
・京都 広隆寺 木造弥勒菩薩半跏像(通称「宝冠弥勒」)
・奈良 中宮寺
・大阪 野中寺
弥勒菩薩交脚像(東京国立博物館蔵)

➁水天の縁日 ☆彡毎月1日・5日・15日
毎月の5日だけの所もあります。


水天は十二天・八方天の一つで、水を司り、旱天・洪水の難を守るという竜神で、降雨を祈る「水天法」の本尊です。


※「水天」は、水に縁のある神様で「海運業・漁業・水商売」等を加護し、また「安産の守り神」ともされています。
総本社は福岡県久留米市の「水天宮」で、平家の一族と共に壇ノ浦に入水した「安徳天皇」と「建礼門院」が祀られています。
また、東京日本橋の「水天宮」は、水難除け・安産・水商売の守り神として有名です。
安産の神ということから戌の日にも参拝者が多く、特に戌年戌月戌日と縁日が重なると「大戌」といって珍重されます。
一方、密教では、西方を守護する神です。

★水天宮
水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市の水天宮(久留米水天宮)を総本宮とし、日本全国にある神社である。

●祭神
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇高倉平中宮建礼門院平徳子)、二位の尼平時子)を祀るが、これとは異なる祭神の水天宮もある。

●神徳・御利益・信仰
水と子供を守護し、水難除け、漁業、海運、農業、水商売、また安産、子授け、子育てについて信仰が厚い。水天宮の例大祭は5月5日であり、縁日は毎月5日(5日・15日・25日とすることもある)である。


これについて総本宮久留米水天宮では例大祭が5月5日であることから毎月の5日が縁日となったとしているが、東京の水天宮(人形町)では逆に毎月の5日が縁日であることから例大祭が5月5日となったとしている。また犬のお産が軽いことにちなみ、戌の日は安産祈願の人で賑わう。


➂気多大明神
気多大社(けたたいしゃ)

気多大社(けたたいしゃ、正式名:氣多大社)は、石川県羽咋市寺家町にある神社。式内社名神大社)、能登国一宮。旧社格国幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。旧称は「気多大神宮」。

概要
能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して鎮座する。祭神の大己貴命は出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。古くから北陸の大社として知られ、中世・近世には歴代の領主からも手厚い保護を受けた。

現在は本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物の社叢「入らずの森」で知られる。

祭神
祭神は次の1柱。
大己貴命(おおなむちのみこと)
鵜祭
鵜祭(うまつり)は、12月8日 - 16日に行われる古式な祭。大己貴命が高志の北島から鹿島郡の新門島に着いた時、この地の御門主比古神が鵜を献上したのが始まりとされる。祭で鵜を献上する人々は鵜捕部と呼ばれ鹿島郡鹿渡島という所に先祖代々住み、その役に仕えていた。

12月8日に鵜崖という場所に神酒・米・花などを供えた後、麻糸を付けた竹竿で鵜を捕らえるが手法には一子相伝の秘訣があるという。献上された鵜は社殿の階上に放され、宮司がそれを内陣に行くよう図るがその時の鵜の進み具合によって翌年の作物の豊凶を占う。進み方が芳しくない時は神楽や御祓いを行う。鵜が内陣の机の上にとまったら神官はそれを捕まえて、浜で放す。気多の鵜祭は能楽の曲目にもなっている。

御利益
縁結び専門祈願所「気麗むすびどころ」がある。毎月1日に「ついたち結び」が行われる。恋愛成就。
外敵の侵入を防ぎ内を固める。すべての凶を吉に変える。悪因縁を解消してくれる。
霊の能力、内面の力を引き出してくれる。


➃大原野大明神 京都大原野神社
大原野神社(おおはらのじんじゃ)は、京都府京都市西京区大原野にある神社。二十二社(中七社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社


奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」の別称がある。

 

祭神
祭神は次の4柱(「春日神」と総称)で、春日大社と同じ。()内は春日大社での表記。
武御賀豆智命(武甕槌命
伊波比主命(経津主命
天之子八根命(天児屋根命
比咩大神(比売神

神聖な雰囲気に包まれた京春日
大原野神社は、784年に藤原乙牟漏によって創建された古社。
長岡京遷都の際、藤原氏氏神として奈良・春日大社の分霊を勧請したのが起源と伝わり、「京春日」とも呼ばれている。豊かな自然に囲まれた境内は、スイレンや紅葉の名所として知られており、数日間しか咲かないことから幻の桜といわれる「千眼桜」も見られる。
また、春日大社と同様に鹿が神使とされており、境内には珍しい鹿の像や、鹿のおみくじ・お守りといった授与品もある。

 

御利益
交通安全、旅行安全、病気平癒、家内安全、合格祈願、必勝祈願、会社安全、心願成就、無病息災、工事安全方除け、など

 

●桜の季節の見どころ
桜並木が続く参道を行くと、枝垂桜の古木「千眼桜」があります。開花して3日ほどで散ってしまうため、幻の桜と言われています。


【桜の本数】約60本
●紅葉の季節の見どころ
広大な境内には古の風情が漂い、色づいた紅葉がより一層美しく映えます。 

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2月4日の誕生日&忌日(1703年赤穂浪士切腹)

☆彡2月4日の誕生日

1688年ピエール・ド・マリヴォー (仏:劇作家,小説家『恋に磨かれたアルルカン』)
Pierre Carlet de Chamblain de Marivaux[1763年2月12日歿]

1761年シャルロット (ゲームキャラ(『サムライスピリッツ』))

1853年金子堅太郎 (司法相(10代),農商務相(15代))[1942年5月16日歿]

1858年井上圓了 (仏教哲学者,哲学館(東洋大学の前身)創立)[1919年6月6日歿]

1865年シャルル・バイイ (スイス:言語学者)Charles Bally[1947年4月10日歿]

1865年安部磯雄 (評論家,社会主義運動家,政治家)[1949年2月10日歿]

1865年白鳥庫吉 (東洋史学者)[1942年4月1日歿]

1871年フリードリヒ・エーベルト (独:ワイマール共和国大統領(初代))Friedrich Ebert[1925年2月28日歿]

1871年初代村田正雄 (俳優)[1925年6月7日歿]

1873年坂本四方太 (俳人)[1917年5月16日歿]

1881年フェルナン・レジェ (仏:画家)Fernand Léger[1955年8月17日歿]

1891年三上於菟吉 (小説家『雪之丞變化』)[1944年2月7日歿]

1897年ルートヴィヒ・エアハルト (西独:首相)Ludwig Wilhelm Erhard[1977年5月5日歿]

1897年初代神田山陽 (講談師)[1948年3月29日歿]

1898年伊東深水 (日本画家,朝丘雪路の父)[1972年5月8日歿]

1900年ジャック・プレヴェール (仏:詩人『天井桟敷の人々』)Jacques Prevért[1977年4月11日歿]

1902年チャールズ・リンドバーグ (米:飛行士,単独大西洋無着陸横断)Charles Augustus Lindbergh
[1974年8月26日歿]

1903年武原はん (舞踊家)[1998年2月5日歿]

1906年クライド・トンボー (米:天文学者,冥王星を発見)Clyde William Tombaugh[1997年1月17日歿]

1913年ローザ・パークス (米:公民権運動活動家「公民権運動の母」)Rosa Louise McCauley Parks
[2005年10月24日歿]

1918年川島雄三 (映画監督『幕末太陽伝』)[1963年6月11日歿]

1922年田島比呂子 (染色家)1999年人間国宝[2014年1月19日歿]

1923年桃井真 (国際政治学者,軍事評論家)[2004年4月18日歿]

1927年岡田節人 (発生生物学者,生命誌研究館館長)2007年文化勲章

1930年粕谷一希 (評論家,編集者)[2014年5月30日歿]

1931年イサベル・ペロン (アルゼンチン:世界初の女性大統領,フアン・ペロン大統領の第3夫人)
Isabel Peron(Maria Estela Martinez de Peron)

1932年福田繁雄 (グラフィックデザイナー)[2009年1月11日歿]

1933年一柳慧 (作曲家,ピアニスト)

1936年7代目鳥羽屋里長 (長唄三味線方)人間国宝

1936年小野清子 (参議院議員[元],国家公安委員長(70・71代),特命担当相(少子化対策・食品安全)[元],体操)

1936年富田耕生 (声優)

1938年加藤剛 (俳優)
1938年猪熊功 (柔道)[2001年9月28日歿]

1941年貴家堂子 (声優)

1941年金芝河(キム・ジハ) (韓国:詩人『五賊』)

1943年ケン・トンプソン (米:コンピュータ技術者,UNIXを開発)Kenneth Lane Thompson1983年チューリング賞

1943年前田勲男 (参議院議員[元],法相(59代))

1944年黒沢年雄(黒沢年男) (俳優)

1945年宮城谷昌光 (歴史小説家『夏姫春秋』『重耳』)1991年上期直木賞

1945年桑原功 (衆議院議員[元])

1947年森ミドリ (音楽家)

1948年加橋かつみ (ミュージシャン(ザ・タイガース/ギター),歌手)

1948年三重ノ海剛司(武蔵川親方) (相撲/横綱(57代))

1950年泉アキ (タレント,歌手)

1950年大津あきら (作詞家,根岸季衣の夫)[1997年4月10日歿]

1951年澤田秀雄 (経営者,HIS創業)

1953年喜多郎 (シンセサイザー奏者,作曲家)

1953年山下達郎 (シンガーソングライター)

1954年水越けいこ(水越恵子) (シンガーソングライター)

1954年千葉繁 (声優,俳優)

1954年津島恭一 (衆議院議員[元])

1955年宮内タカユキ (アニメ歌手)

1957年石破茂 (衆議院議員,農水相(49代),防衛相(4代),防衛庁長官(68・69代))

1957年中里融司 (小説家)[2009年6月18日歿]

1958年時任三郎 (俳優)

1958年長澤和明 (サッカー(MF・監督),長澤まさみの父)

1958年東野圭吾 (小説家『放課後』『秘密』)1985年乱歩賞

1959年宇江佐りえ (お天気キャスター,リポーター)

1961年井上荒野 (小説家『切羽へ』『わたしのヌレエフ』)2008年上期直木賞

1962年輿水恵一 (衆議院議員)

1964年原みゆき (シンガーソングライター)
1964年石原真理子(石原真理絵) (女優)

1964年相田寿美緒 (タレント,荒木大輔の妻)

1965年中島恵利華 (ゴルフ,中島常幸の妹)

1966年小泉今日子 (歌手,女優)

1967年草野満代 (アナウンサー(NHK[元]))

1970年ガブリエル・アンウォー (英:女優『セント・オブ・ウーマン』)Gabrielle Anwar

1970年屋敷かおり (女優)

1970年吉原知子 (バレーボール)

1970年江口ともみ (女優,タレント,つまみ枝豆の妻)

1973年オスカー・デ・ラ・ホーヤ (米:ボクシング)Oscar De La Hoya

1975年戸叶尚 (野球(投手))

1975年三国一夫 (俳優)

1976年伏見俊昭 (競輪)

1979年山崎静代 (お笑い芸人(南海キャンディーズ))

1980年桐谷健太 (俳優)

1980年北岡悟 (総合挌鬪家)

1981年井上孝幸 (俳優)

1983年百瀬智之 (衆議院議員)

1990年戸松遥 (声優)

2001年春名風花 (子役)

 

☆彡4月2日忌日
211年セプティミウス・セウェルス (ローマ皇帝(セウェルス朝初代)) <65歳>
Lucius Septimius Severus[145年4月11日生]

708年シシニウス (ローマ教皇(87代))Sisinnius

1181年平清盛 (武将,太政大臣) <数え64歳>(閏2月)[1118年生]

1703年大石内藏助良雄 (赤穂藩家老) <数え45歳>切腹[1659年生]

1703年吉田忠左衞門兼亮 (赤穂藩士,足軽頭,郡奉行) <数え63歳>切腹[1641年生]

1703年原惣右衞門元辰 (赤穂藩士,足軽頭) <数え56歳>切腹[1648年生]

1703年片岡源五右衞門高房 (赤穂藩士,内証側用人兼小姓頭) <数え37歳>切腹[1667年生]

1703年間瀬久太夫正明 (赤穂藩士,大目附) <数え63歳>切腹[1641年生]

1703年小野寺十内秀和 (赤穂藩士,京都留守居) <数え61歳>切腹[1643年生]

1703年間喜兵衞光延 (赤穂藩士,馬廻勝手方吟味役,山奉行) <数え69歳>切腹[1635年生]

1703年磯貝十郎左衞門正久 (赤穂藩士,物頭並側用人) <数え25歳>切腹[1679年生]

1703年堀部彌兵衞金丸 (赤穂藩士[元],元江戸留守居役) <数え77歳>切腹[1627年生]

1703年近松勘六行重 (赤穂藩士,馬廻) <数え34歳>切腹[1670年生]

1703年富森助右衞門正因 (赤穂藩士,馬廻兼使番) <数え34歳>切腹[1670年生]

1703年潮田又之丞高教 (赤穂藩士,国絵図奉行兼郡奉行) <数え35歳>切腹[1669年生]

1703年早水藤左衞門滿堯 (赤穂藩士,馬廻) <数え40歳>切腹[1664年生]

1703年赤埴源藏重賢 (赤穂藩士,馬廻) <数え35歳>切腹[1669年生]

1703年奧田孫太夫重盛 (赤穂藩士,江戸詰武具奉行) <数え57歳>切腹[1647年生]

1703年矢田五郎右衞門助武 (赤穂藩士,江戸詰武具奉行) <数え29歳>切腹[1675年生]

1703年大石瀬左衞門信清 (赤穂藩士,馬廻) <数え27歳>切腹[1677年生]

1703年大石主税良金 (赤穂藩士,大石内藏助良雄の子) <数え16歳>切腹[1688年生]

1703年堀部安兵衞武庸 (赤穂藩士,江戸常詰馬廻) <数え34歳>切腹[1670年生]

1703年中村勘助正辰 (赤穂藩士,祐筆役) <数え48歳>切腹[1656年生]

1703年菅谷半之丞政利 (赤穂藩士,馬廻兼郡代) <数え44歳>切腹[1660年生]

1703年不破數右衞門正種 (赤穂藩士,馬廻,浜辺奉行,普請奉行) <数え34歳>切腹[1670年生]

1703年千馬三郎兵衞光忠 (赤穂藩士,馬廻兼宗門改役) <数え51歳>切腹[1653年生]

1703年木村岡右衞門貞行 (赤穂藩士,馬廻役,国絵図奉行) <数え46歳>切腹[1658年生]

1703年岡野金右衞門包秀 (赤穂藩士) <数え24歳>切腹[1680年生]

1703年貝賀彌左衞門友信 (赤穂藩士,中小姓兼蔵奉行) <数え54歳>切腹[1650年生]

1703年大高源五忠雄 (赤穂藩士,膳番元方,腰物方,金奉行) <数え32歳>切腹[1672年生]

1703年岡島八十右衞門常樹 (赤穂藩士,札座勘定奉行) <数え38歳>切腹[1666年生]

1703年吉田澤右衞門兼貞 (赤穂藩士,蔵奉行) <数え29歳>切腹[1675年生]

1703年武林唯七隆重 (赤穂藩士,馬廻,中小姓) <数え32歳>切腹[1672年生]

1703年倉橋傳助武幸 (赤穂藩士,扶持奉行兼中小姓) <数え34歳>切腹[1670年生]

1703年間新六郎光風 (赤穂浪人) <数え24歳>切腹[1680年生]

1703年村松喜兵衞秀直 (赤穂藩士,江戸常詰扶持方奉行) <数え62歳>切腹[1642年生]

1703年杉野十平次次房 (赤穂藩士,札座横目) <数え28歳>切腹[1676年生]

1703年勝田新左衞門武堯 (赤穂藩士,中小姓,札座横目) <数え24歳>切腹[1680年生]

1703年前原伊助宗房 (赤穂藩士,中小姓,扶持方奉行) <数え40歳>切腹[1664年生]

1703年小野寺幸右衞門秀富 (赤穂藩士) <数え28歳>切腹[1676年生]

1703年間十次郎光興 (赤穂藩士) <数え26歳>切腹[1678年生]

1703年奧田貞右衞門行高 (赤穂藩士,加東郡勘定方) <数え26歳>切腹[1678年生]

1703年矢頭右衞門七教兼 (赤穂藩士) <数え18歳>切腹[1686年生]

1703年村松三太夫高直 (赤穂藩士) <数え27歳>切腹[1677年生]

1703年間瀬孫九郎正辰 (赤穂藩士) <数え23歳>切腹[1681年生]

1703年茅野和助常成 (赤穂藩士,横目(徒士目附)) <数え37歳>切腹[1667年生]

1703年横川勘平宗利 (赤穂藩士,徒士横目,焔硝蔵奉行) <数え37歳>切腹[1667年生]

1703年三村次郎左衞門包常 (赤穂藩士,台所役,酒奉行) <数え37歳>切腹[1667年生]

1703年神崎與五郎則休 (赤穂藩士,足軽徒士目付,郡目附) <数え38歳>切腹[1666年生]

1713年第3代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー (英:哲学者) <41歳>
Anthony Ashley Cooper,3rd Earl of Shaftesbury,Baron Ashley of Wimborne St Giles,Baron Cooper of Pawlett[1671年2月26日生]

1872年曾國藩 (清の政治家) <60歳>[1811年10月11日生]

1894年アドルフ・サックス (ベルギー:楽器製作者,サクソフォーン(サックス)を発明) <79歳>
Antoine Joseph Adolphe Sax[1814年11月6日生]

1909年ジョン・クラークソン (米:野球(投手)) <47歳>John Gibson Clarkson
1963年アメリカ野球殿堂[1861年7月1日生]

1918年秋山眞之 (海軍軍人) <49歳>[1868年3月20日生]

1923年伏見宮貞愛親王 (皇族,陸軍軍人,内大臣(4代)) <64歳>[1858年4月28日生]

1925年横田千之助 (衆議院議員,司法相(28代)) <54歳>[1870年8月22日生]

1925年東儀鐵笛 (雅楽奏者,俳優) <55歳>[1869年6月16日生]

1928年ヘンドリック・ローレンツ (蘭:理論物理学者,ローレンツ変換を導出) <74歳>
Hendrik Antoon Lorentz1902年ノーベル物理学賞[1853年7月18日生]

1933年秦豊助 (衆議院議員,拓務相(5代)) <60歳>[1872年8月27日生]

1943年湯淺半月 (詩人,聖書学者,図書館学者) <84歳>[1858年2月16日生]

1943年林銑十郎 (首相(33代),陸軍相(24代),外相(53代),文相(46代)) <66歳>[1876年2月23日生]

1964年森幸太郎 (衆議院議員,農相(11代),滋賀県知事(公選3代)) <74歳>[1889年7月20日生]

1970年松山省三 (洋画家,日本初のカフェー「カフェー・プランタン」創業) <85歳>[1884年9月8日生]

1974年サティエンドラ・ボース (インド:物理学者) <80歳>Satyendra Nath Bose[1894年1月1日生]

1974年人見東明 (詩人,近代文学研究家) <91歳>[1883年1月16日生]

1974年尾崎喜八 (詩人,随筆家) <82歳>[1892年1月31日生]

1977年土師清二 (小説家) <83歳>[1893年9月14日生]

1983年カレン・カーペンター (米:ミュージシャン(カーペンターズ/ヴォーカル)) <32歳>
Karen Carpenter[1950年3月2日生]

1988年藤井松太郎 (国鉄総裁(7代)) <84歳>[1903年10月5日生]

2001年J.J.ジョンソン (米:ジャズトロンボーン奏者) <77歳>J.J.Johnson[1924年1月22日生]

2006年双ツ龍徳義(粂川親方[元]) (相撲) <75歳>[1930年3月3日生]

2016年エドガー・ミッチェル (米:工学者,宇宙飛行士) <85歳>Edgar Dean Mitchell[1930年9月17日生]

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毎月4日は阿閦如来、気比大明神、松尾大明神、の縁日

毎月4日は➀阿閦如来➁気比大明神➂松尾大明神の縁日です。

➀阿閦如来(あしゅくにょらい)
十三仏の七回忌導師。三十日秘仏の四日仏。


左手で衣の端をにぎっているのが特徴です。


西方極楽浄土阿弥陀様と並んで、東方に住む大乗の仏様の一つとして重視されています。しかし、少し地味な存在で、四仏または五仏のひとつとして祀られるのが一般的です。


鏡のように全てを映し出すという意味で大円鏡智だいえんきょうちと呼ばれる智を表します。
法華経では、前生は大通智勝如来の十六王子の一人とされています。薬師如来と同じと言う考え方もあります。

 

阿閦如来(あしゅくにょらい)とは?
 語源は「揺るぎないもの」を意味し、物事に動じず迷いに打ち勝つ強い心を授けるといわれています。阿閦如来は「大円鏡智(だいえんきょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。「大円鏡知」は知識や経験のない純粋な心、鏡のようにありのままを映し出す清らかな心という意味を持っています。


ご利益
 密教における大日如来の五つの智慧を表す五智如来の一尊で、薬師如来と同等と考えらました。そのため病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるといわれています。


阿閦如来(あしゅくにょらい)の通常像容
 左手は衣服の端を握り、右手は指を下に伸ばす降魔印(ごうまいん)を結んでいます。これは恐怖や誘惑に打ち勝つ強い心を表しています。阿閦如来の単独の造像はほとんどありません。


有名寺院と像
 ・京都府:東寺
 ・奈良県西大寺

●五大如来金剛界五仏
中央大日如来/東阿閃如来/南宝生如来/西阿弥陀如来/北不空成就仏
胎蔵界五仏
中央大日如来東宝如来/南開敷華王如来/西無量寿如来/北天鼓雷音如来
●四菩薩=四仏
金剛宝/金剛光/金剛幢/金剛咲

➁気比大明神 気比神宮
氣比神宮(けひじんぐう、気比神宮)は、福井県敦賀市曙町にある神社。式内社名神大社)、越前国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

 

概要
福井県中央部、敦賀市市街地の北東部に鎮座する。敦賀は天然の良港を有するとともに、北陸道諸国(現在の北陸地方)から畿内への入り口であり、対外的にも朝鮮半島中国東北部への玄関口にあたる要衝である。神宮はそのような立地であることから、「北陸道総鎮守」と称されて朝廷から特に重視された神社であった。

 

古事記』『日本書紀』では早い時期に神宮についての記事が見えるが、特に仲哀天皇(第14代)・神功皇后応神天皇(第15代)との関連が深く、古代史において重要な役割を担う。また、中世には越前国の一宮に位置づけられており、福井県から遠くは新潟県まで及ぶ諸所に多くの社領を有していた。

 

社殿はほとんどは第二次世界大戦中の空襲で焼失したため、現在の主要社殿は戦後の再建になる。空襲を免れた大鳥居は「日本三大鳥居」にも数えられる壮麗な朱塗鳥居であり、国の重要文化財に指定されている。また境内社の角鹿(つぬが)神社は「敦賀」の地名発祥地であると伝える。そのほか祭事では多数の特殊神事が現在まで続き、古図、古面等の有形文化財を伝えている。

 

祭神は次の7柱。
本殿(本宮)に主祭神と2柱、本宮周囲の四社の宮(ししゃのみや)にそれぞれ1柱を祀る。
本殿(本宮)
伊奢沙別命(いざさわけのみこと) - 主祭神。「気比大神」または「御食津大神」とも称される。
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) - 第14代天皇
神功皇后(じんぐうこうごう) - 仲哀天皇の皇后。
四社の宮
東殿宮:日本武尊(やまとたけるのみこと)
総社宮:応神天皇(おうじんてんのう) - 第15代天皇
平殿宮:玉姫命(たまひめのみこと、玉妃命) - 『気比宮社記』では神功皇后の妹の虚空津比売命とする。
西殿宮:武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)

御利益
 家内安全。商売繁盛。航海安全。金運アップ。対人運アップ。開運。五穀豊穣。芸能上達。対人運アップ。海上交通安全。農漁業の守護。無病息災。延命長寿。
食の点から健康、延命長寿、命の蘇りの力を授かる。生命力補充。
「氣比の長命水」をいただくとよい。


➂松尾(まつのお)大明神 京都松尾大社
松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)は、京都府京都市西京区嵐山宮町にある神社。式内社名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社


概要
京都市西部、四条通西端に位置し、東端の八坂神社(祇園社)と対峙して鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。

その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社賀茂別雷神社賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され[1]、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。


祭神
主祭神は次の2柱。
大山咋神(おおやまぐいのかみ)
中津島姫命(なかつしまひめのみこと) - 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の別名とする。

松尾祭
神幸祭 (4月20日以降の第1日曜)
還幸祭神幸祭3週間後の日曜)
松尾大社のご利益
【亀の井】
社伝によると、松尾大社の主神・大山咋神(おおやまくいのかみ)が、社殿裏の大杉谷にかかる霊亀ノ滝の水で酒を醸したといわれています。そのため酒造の神として有名で、酒造業者や酒屋さん、杜氏の方々に特に厚い信仰を集めています。
松尾大社の境内には”亀の井”とよばれる霊泉が湧き出る井戸があり、この水を醸造の際に混ぜるとお酒が腐らないといわれています。またその水は長寿にも効果があるといわれ、各地から汲みに来る人で後を絶えない霊水です。

【相生の松】
松尾大社の境内には、雌雄根を同じくし、”相生の松”の名で親しまれる樹齢350年を数える古木があります。昭和31、32年に天寿を全うし、現在は名松の大株を見ることができます。夫婦和合・恋愛成就の象徴といわれ、篤い信仰を集めています。

【撫で亀さん(神使の「亀」)】
古来より「亀」と「鯉」は、松尾大神様のお使いといわれ、中でも「亀」は健康長寿のシンボルとして親しまれています。この亀さんの健康長寿の霊威にあやかって、「撫で亀さん」に直接手で触れてご利益を授けていただきましょう。

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毎月3日は多宝如来、宝生如来、広田大明神、賀茂大明神の縁日


毎月3日は➀多宝如来宝生如来➂広田大明神➃賀茂大明神の縁日

多宝如来 たほうにょらい 《多宝仏 たほうぶつ》
三十日秘仏の三日仏。


宝勝如来と同じ、とも言われます。
東の方角にある宝浄という世界に居る仏様です。
ふつう多宝塔にお釈迦様(左)と共に祀られます。


お釈迦様が法華経を説いているとき、高さ500由旬ゆじゅんの宝塔が出現し、法華経が真実であることを賞賛しました。そして、中に坐していた多宝如来が半分席をゆずり、並んで坐った話しに基づきます。


多宝如来はお釈迦様が悟りを開くよりも前に悟りを開いた「過去仏」の一仏とされています。
東方「宝浄世界」の教主とされています。


多宝如来が入っておられるのは、宝石や貴金属など七宝で飾られた「宝塔」です。
お釈迦様が説法を説いていると、地面が割れて宝塔が出現し、人々の頭上高く、空中でとまりました。


その宝塔から「釈尊、あなたの説法は正しい」と言う声が聞こえるのだそうです。
それは多宝如来の声でした。


多宝如来は自分の右横の席を譲り、お釈迦様を座らせ、お二人で説法を説かれました。
上記の説法から、向かって右に多宝如来、向かって左に釈迦如来の二像を並べて祀る場合が多いのだそうです。
多宝如来の有名な彫像 奈良県奈良市雑司町『東大寺


宝生如来
宝生如来(ほうしょうにょらい)は、仏教における信仰対象である如来の一尊。
宝生如来は五大如来のひとつで、四菩薩を眷属けんぞくとします。


いろいろな宝物を生み出し、福徳を授ける仏様です。あらゆるものは平等であるという精神を説きます。


望みをかなえる与願印を結ぶのが特徴です。
開敷華王如来かいふけおうiにょらいと同じとする考え方もあります。
また、宝相如来ほうそうにょらいとの関連性もあるとする説もあります。


●五大如来金剛界五仏
中央大日如来/東阿閦如来/南宝生如来/西阿弥陀如来/北不空成就仏
胎蔵界五仏
中央大日如来東宝如来/南開敷華王如来/西無量寿如来/北天鼓雷音如来
●四菩薩
金剛宝/金剛光/金剛幢/金剛咲
宝生如来(ほうしょうにょらい)とは?
  語源は「宝よりうまれたもの」を意味し、財宝を生み出し人々に福徳を授けるといわれています。一切の垣根を取り払い、あらゆる全ての現象・事物を平等に観るという意味で「平等性智(びょうどうしょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。
 密教における大日如来の5つの智慧を表す五智如来の一尊です。
ご利益
 病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるとされています。
宝生如来(ほうしょうにょらい)の像容
 左手は衣服の端を握り、右手は手の掌を前に向けて下げる与願印(よがんいん)を結んでいます。願いを聞き入れ、望むものを与えようとする身振りを表しています。宝生如来の単独の造像はほとんどありません。

有名寺院と像
 ・京都府:東寺
 ・奈良県唐招提寺
 ・大阪府:歓心寺


宝生如来密教における金剛界五仏の一で、金剛界曼荼羅では大日如来の南方(画面では大日如来の向かって左方)に位置する。唯識思想における仏の悟りの境地のひとつ「平等性智」(びょうどうしょうち)を具現化したものである。


宝生如来は五智(ごち)如来の一。大日如来に備わる平等性智(びょうどうしょうち)から出たもので、金剛界曼荼羅(まんだら)の南方の月輪の中尊。肌は金色で、一切の財宝をつかさどるという。宝生仏ともいう。


これは、全ての存在には絶対の価値があるということを示す。 印相は、左手は腹前で衣を掴み、右手は手の平を前に向けて下げる「与願印」(よがんいん)を結ぶ。
日本における宝生如来の彫像は、五仏(五智如来)の一として造像されたものが大部分であり、宝生如来単独の造像や信仰はまれである。


宝生如来 は『宝よりうまれたもの』との意味があり、財宝を司り、全ての人々に福徳を授けるのだそうです。


密教では、大日如来を中心として、阿閦如来宝生如来観自在王如来不空成就如来の五仏で金剛界五仏とされ、宝生如来は南方に位置し、唯識思想と呼ばれるヨーガの修行者たちから生まれた思想にある『平等性智(びょうどうしょうち)』と言う『一切の垣根を取り払い、あらゆる存在は全て平等であると悟り、大慈悲の心を起こして、全ての民の願いに応じる』と言う悟りの智慧を具現化したのが宝生如来と言われています。


左手で衣の端をにぎり、右手は『与願印』と呼ばれる手のひらを前に向けて下に向ける印を結んでいて、この印も人々の願いを聞いて望むものを与えようとする表現なんだそうです。


装飾品などは身につけず、くるくると巻いた螺髪と呼ばれる髪をし、蓮の花の台座の上に座っておられる姿が一般的です。
また、金剛宝菩薩は宝生如来が人々を救済するために菩薩の姿に化身したものとされています。

➂広田大明神 広田神社
廣田神社ひろたじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社


神功(じんぐう)皇后の三韓出兵に際し,和魂(にぎみたま)は神功皇后の身体を守り,荒魂は船路を守るとの託宣によって,遠征は成功したので,ここにまつったと伝える。

祭神
主祭神
天照大神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))
 伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体
・脇殿神
住吉大神
八幡大神
武御名方大神
高皇産霊神


境内にはコバノミツバツツジの群落があり、総数2万株に及ぶ。このツツジ群落は兵庫県指定天然記念物である。

 

阪神タイガースが全選手・監督・コーチをそろえて毎年キャンプイン前の1月に廣田神社(武運長久⇒優勝を祈願)に参拝する行事は、球団創立時からの伝統である。
神功皇后新羅征伐からの帰還伝説に依拠すると思われる廣田神社西宮神社の夏祭御神幸が戦国時代まで行われていた。

 

やはり、神功皇后に従って先祖が出兵したとの伝説を持つ北風家等がある和田岬(輪田岬)まで、往路は数百艘の船で、復路は陸路で馬に乗った一群の辰馬・八馬・葛馬・乙馬(おつま/おとま)・音馬・小上馬・六馬・七馬・十馬・中馬・大黒馬・一馬・大徳馬・小唐馬・善茂馬などの家の者が付き従った。

主祭神天照大神荒魂とは、瀬織津姫のことであったとする説がある。戦前の由緒書きには、瀬織津姫主祭神とすることが明確に記されていた。

➃賀茂大明神 (別雷命)京都賀茂神社
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社


ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

 

概要
賀茂別雷神社上賀茂神社)とともに賀茂氏氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。

 

本殿には、右に賀茂別雷命上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、左に玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。金鵄および八咫烏賀茂建角身命の化身である。

 

境内に糺の森(ただすのもり)、御手洗川、みたらし池がある。

 

神社は2つの川の合流点から一直線に伸びた参道と、その正面に神殿、という直線的な配置になっている。


御手洗社の水は葵祭斎王代清めの聖水である。現存。飲料可。

 

祭神
東殿:玉依姫命 (たまよりひめのみこと) - 賀茂別雷命上賀茂神社の祭神)の母
西殿:賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) - 玉依姫命の父
賀茂神社(かもじんじゃ)とは、京都府京都市にある賀茂別雷神社上賀茂神社)と賀茂御祖神社下鴨神社)の2つの神社の総称である。

古代の賀茂氏氏神を祀る神社で、古くは賀茂大神とも呼称した。両社の例祭である葵祭は特に有名で、天皇の勅使を迎える三勅祭のひとつで古来の格式が伝わっている。また、この賀茂神社から勧請を受けた、「加茂神社」・「賀茂神社」・「鴨神社」などといった神社が日本各地に約300社ある。

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