終活・生活・再生日記 「夢幻」

生と死と再生&感謝、祈り・絆、縁日、雑感等についてお知らせしています。

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毎月10日は日月燈明仏、金毘羅、天照皇太神、聖眞子権現、の縁日&7月10日の誕生日と命日・忌日とブッダの言葉 

毎月10日は➀日月燈明仏➁金毘羅➂天照皇太神➃聖眞子権現の縁日です。

 

➀日月燈明仏 にちがつとうみょうぶつ
三十日秘仏の十日仏。
太陽と月を灯明としているという意味で日月燈明仏。
無量無辺不可思議の阿僧祇劫あそうぎこうの昔、この仏様が正しい教えを説かれました。そして、その後も同じ名前の日月灯明仏が2万人も次々に現れたといいます。
2万人目の日月灯明仏から---妙光菩薩---定光仏へと教えは受け継がれます。

➁金毘羅
金比羅とも書き、江戸時代後期には、「お伊勢参り」と共に「金毘羅参り」が大変盛んでした。
すたっとTV2006年12月すたっと歩こう!「甚大寺金毘羅縁日」
1月10日は「初金毘羅(初十日)」で、特に信者の信仰があつく、12月10日が「終金毘羅」です。
※金毘羅は、「天竺霊鷲山」の鬼神で、仏法の護法神薬師如来十二神将の筆頭「宮比羅(くびら)大将」のことで、元々は鰐の神様でした。
日本では「海上交通の守り神」として信仰されて来ました。
一般に、大きな港を見下ろす山の上に祀られています。
この神を祀る香川県琴平の「金毘羅宮金刀比羅宮」が全国の金比羅神社(こんぴらさん)の総本宮となっています。
その他、東京都港区虎ノ門琴平神社などがあります。
夜叉神王の上首で、その像は武装し忿怒の姿をとりますが、魚神で蛇の形をし、尾に宝玉を蔵するといわれます。
香川県琴平神社は全国的に有名です。

➂天照皇太神 伊勢神宮内宮
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮(じんぐう)」。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。
二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。
概要
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。
広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。
伊勢神宮は皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く、現代でも内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。また、式年遷宮が20年に一度行われる。
祭主は今上天皇第一皇女黒田清子、大宮司は小松旧侯爵家当主小松揮世久。
祭神
主祭神は以下の2柱。
皇大神宮:内宮(ないくう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ) - 一般には天照大御神として知られる
豊受大神宮:外宮(げくう)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)
功徳
家内安全。
夫婦円満
子孫繁栄。
産業発展。
おみくじ
伊勢神宮にはおみくじがない。一般に「伊勢神宮は、参拝した日が誰でも吉日であるから」と説明される。「伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるから」という別の説もある。
内宮前のおかげ横丁では、犬の置物とセットになった「おかげ犬」のおみくじや「おかげ干支みくじ」が売られているほか、第三銀行おかげ横丁出張所では利用明細票に運勢を表示するおみくじ機能付き現金自動預払機(ATM)を設置している。

➃聖眞子(しょうしんし)権現 大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている
日吉大社
 日吉大社の境内は八王子山(牛尾山)を含む13万坪もの大きさをもち、全国に3800余りもある日吉神社日枝神社山王神社総本宮です。楓や杉に覆われた境内には西本宮・東本宮を中心に多数の社殿が建ち、現在でも約40のお社があります。中でも特に大きな7つの社を山王七社といいます。国宝2棟(東・西本宮本殿)と、重要文化財17棟を保有しています。魔除け・厄除けの神社として多くの方がお参りされています。
日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等
主な祭事
大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。
山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。
山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。
みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。
もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。
国宝
西本宮本殿 - 天正14年(1586年)の建立。檜皮(ひわだ)葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇(ひさし)部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色。
東本宮本殿 - 文禄4年(1595年)の建立。建築形式は西本宮本殿に似る。昭和初期までは「大神神社本殿」と呼ばれていた。
◆山王七社権現 さんのうしちしゃごんげん
二宮小比叡 東本宮   大山咋神
大宮権現  西本宮   大己貴神
聖真子   宇佐宮   田心姫神
三宮    三宮宮   鴨玉依姫神荒魂
八王子   牛尾宮   大山咋神荒魂
客人権現  白山宮   白山姫神
十禅師   東本宮境内 鴨玉依姫神
比叡山に祀られた神様です。山王は山麓にある日吉神社ひえじんじゃのことです。
当初、大比叡、小比叡との呼び名から始まり、時代とともに数が増え、山王七社となりました。最終的には百八社までになりました。
山王二十一社の内、上七社が山王七社です。

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☆彡7月10日の誕生日
1830年カミーユピサロ (仏:画家)Camille Pissarro[1903年11月13日歿]
1834年ジェームズ・マクニール・ホイッスラー (米:画家)James Abbott McNeill Whistler[1903年7月17日歿]
1848年アナトーリイ・ステッセル (露:軍人,日露戦争の旅順要塞守備隊司令官)
Anatolii Mikhailovich Stessel'[1915年1月18日歿]
1856年ニコラ・テスラ (米:物理学者,電気工学者,磁束密度の単位T(テスラ)の名の由来)
Nikola Tesla[1943年1月7日歿]
1865年中村樂天 (俳人)[1939年9月19日歿]
1866年中村不折 (挿絵画家,書家)[1943年6月6日歿]
1869年グリゴリー・ラスプーチン (露:修道僧「怪僧」)Grigori Efimovich Rasputin
グレゴリオ暦07/22[1916年12月16日歿]
1871年マルセル・プルースト (仏:小説家『失われた時を求めて』)Marcel Proust[1922年11月18日歿]
1883年相馬御風 (詩人,歌人,文藝評論家)[1950年5月8日歿]
1886年高島象山 (易者)[1959年11月25日歿]
1888年ジョルジョ・デ・キリコ (伊:画家)Giorgio de Chirico[1978年11月20日歿]
1888年賀川豊彦 (社会運動家,貴族院議員)[1960年4月23日歿]
1890年川島正次郎 (衆議院議員,自民党副総裁,自治庁長官(5代),行政管理庁長官(13・22代))[1970年11月9日歿]
1894年武知勇記 (衆議院議員,郵政相(6代))[1963年10月11日歿]
1895年カール・オルフ (独:作曲家)Carl Orff[1982年3月29日歿]
1896年小西得郎 (野球(監督))[1977年6月9日歿]
1897年岡崎勝男 (衆議院議員,内閣官房長官(7代),外相(80~82代))[1965年10月10日歿]
1897年花菱アチャコ (漫才師(エンタツアチャコ))02/14説あり[1974年7月25日歿]
1897年初山滋 (絵本作家,挿絵画家)[1973年2月12日歿]
1900年金丸重嶺 (写真家)[1977年12月7日歿]
1902年クルト・アルダー (独:有機化学者,ジエンとキノンの反応を発見)Kurt Alder
 1950年ノーベル化学賞[1958年6月20日歿]
1903年ジョン・ウィンダム (英:SF作家)John Wyndham[1969年3月11日歿]
1907年吉行あぐり (美容師,吉行淳之介吉行和子吉行理恵の母)[2015年1月5日歿]
1913年前田正男 (衆議院議員,科技庁長官(30代))[2008年2月12日歿]
1915年ソール・ベロー (米:小説家『オーギー・マーチの冒険』)Saul Bellow
1976年ノーベル文学賞[2005年4月5日歿]
1920年オーウェンチェンバレン (米:物理学者,反陽子反中性子の存在を確証)Owen Chamberlain
1959年ノーベル物理学賞[2006年2月28日歿]
1920年飯田龍太 (俳人,飯田蛇笏の子)[2007年2月25日歿]
1924年ボボ・ブラジル (米:プロレス)Bobo Brazil[1998年1月20日歿]
1925年マハティール・ビン・モハマド (マレーシア:首相(4代))Mahathie bin Mohanmad書類上は12/20
1928年ベルナール・ビュッフェ (仏:画家)Bernard Buffet[1999年10月4日歿]
1930年和久峻三 (小説家『仮面の法廷』『雨月荘殺人事件』)1972年乱歩賞
1931年アリス・マンロー (カナダ:小説家)Alice Ann Munro2013年ノーベル文学賞
1931年来宮良子 (声優)[2013年11月25日歿]
1932年市田ひろみ (服飾評論家,女優)
1934年米倉斉加年 (俳優,演出家)[2014年8月26日歿]
1938年吉田ルイ子 (フォトジャーナリスト)
1939年倉田雅年 (衆議院議員[元])
1940年笹るみ子 (女優[元],なべおさみの妻)
1943年アーサー・アッシュ (米:テニス)Arthur Ashe[1993年2月6日歿]
1945年斎藤勁 (衆議院議員[元]・参議院議員[元])
1945年松島トモ子 (女優)

★松島 トモ子(まつしま ともこ、本名;松島 奉子(ともこ)、1945年7月10日 - )は、日本の歌手、女優、タレント。日本芸術専門学校特別講師。
満州国奉天生まれ。東京都目黒区育ち。目黒区立東根小学校を経て大東学園高等学校卒業。


松島トモ子 - 略歴

生後まもなく満州国からの引き揚げを体験。本名の奉子とは生誕地の奉天に帰する。3歳から石井漠舞踊研究所に入門、バレエを始める。
映画館の劇場ニュースにて、石井漠門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」としてとりあげられたところ、そこに映っていた松島トモ子阪東妻三郎がスカウト。1949年に芸能界デビューし、東横映画「獅子の罠」に出演。その後も、嵐寛寿郎主演の時代劇「鞍馬天狗」(杉作)、三益愛子との「丹下左膳」(ちょび安)、江利チエミとの「サザエさん」(ワカメ)など多くの映画に出演した。80本の映画に主演。
童謡歌手としても、米山正夫門下となり、1953年、コロムビアより「村の駅長さん」でデビュー。その後も、「風にゆれるレイの花」、「三匹の子豚」、「雨に唄えば」などを吹き込み、「杉作太鼓」、「悦ちゃん」、「ワカメちゃん」、「怪傑黒頭巾」、「赤いカンナの花咲けば」など映画主題歌や挿入歌を吹き込んだことでも知られる。少女雑誌「少女」では、表紙を10年間一人で務め[2]、芸能雑誌「平凡」でもグラビアモデルを務めた。
大東学園高等学校卒業後は、ミュージカルを勉強するため渡米。ザ・マスターズ・ハイスクールに2年間留学し、マーサ・グラハムのダンス・スクールから奨学金をもらい研修し、帰国。帰国後は、ミュージカルを中心に、ラジオ、テレビのパーソナリティ、石垣食品のミネラル麦茶のCM、「ひょっこりひょうたん島」の声優など活躍を見せた。マネージャーは3歳でデビューしてから母親が務めている


1945年森功至(森深雪) (声優)
1948年山本保 (参議院議員[元])
1949年鈴木いづみ (小説家,女優)[1986年2月17日歿]
1951年大杉久美子 (歌手)
1952年桂文太 (落語家)
1952年麻上洋子(一龍斎春水) (声優,講談師)
1953年安藤しげき (漫画家)[1997年4月19日歿]
1953年憲仁親王妃久子殿下 (皇族,高円宮憲仁親王妃)
1953年神林長平 (SF作家)
1954年吉村よう (声優)[1991年11月27日歿]
1954年白竜山憲史 (相撲)
1955年野崎昌一 (アナウンサー[元](フジテレビ))
1957年愛川周平 (俳優)
1958年布施博 (俳優)
1959年平智之 (衆議院議員[元])
1959年和佐田達彦(バーベQ和佐田) (ミュージシャン(爆風スランプ/ベース))
1961年ジャッキー・チュン(張学友) (香港:俳優,歌手)
1964年村山由佳 (小説家『星々の舟』『晴れときどき猫背』 )2003年上期直木賞
1967年三木亨 (参議院議員)
1967年沢村一樹 (俳優)
1968年杉江勇次 (気象予報士)
1969年田名部匡代 (衆議院議員[元])
1973年みずしな孝之 (漫画家『いい電子』)
1974年小原舞 (衆議院議員[元])
1976年若の里忍 (相撲)
1978年佐藤夕美子 (女優)
1978年小泉孝太郎 (俳優,小泉純一郎の子)
1984田中圭 (俳優)
1985年ヒトミ (歌手(YeLLOW Generation[解散]))
1986年ユウキ (歌手(EE JUMP[脱退]),後藤真希の弟)
1991年前田敦子 (タレント,女優(AKB48))


☆彡7月10日の命日・忌日
1644年土井利勝 (江戸幕府老中,大老) <数え72歳>[1573年3月18日生]
1824年前田齊廣 (大名,加賀藩主(11代)) <41歳>[1782年7月28日生]
1832年鬼面山與一右衞門 (相撲) <数え65歳>[1768年生]
1910年ヨハン・ゴットフリート・ガレ (独:天文学者,ルベリエの理論的予測に従って海王星を発見) <98歳>Johann Gottfried Galle[1812年6月9日生]
1929年鴇田英太郎 (劇作家) <40歳>[1889年1月19日生]
1941年ジェリー・ロール・モートン (米:ジャズピアニスト(レッド・ホット・ペッパーズ)) <55歳>
Jelly Roll Morton[1885年9月20日生]
1949年6代目尾上菊五郎 (歌舞伎役者) <63歳>1949年文化勲章[1885年8月26日生]
1967年木暮武太夫 (衆議院議員,参議院議員,運輸相(27代)) <74歳>[1893年2月17日生]
1982年太田正孝 (衆議院議員,参議院議員,自治庁長官(6代)) <95歳>[1886年11月13日生]
1987年羽仁説子 (婦人運動家,羽仁五郎の妻,羽仁もと子の子) <84歳>[1903年4月2日生]
1993年井伏鱒二 (小説家『黒い雨』『ジョン萬次郎漂流記』) <95歳>
1937年下期直木賞,1966年文化勲章[1898年2月15日生]
1998年須藤出穂 (放送作家『バス通り裏』) <75歳>[1923年3月29日生]
2002年松田耕平 (経営者,東洋工業社長[元],広島東洋カープオーナー[元]) <80歳>2003年野球殿堂[1922年1月28日生]
2004年岩崎純三 (参議院議員,総務庁長官(11代)) <80歳>[1924年5月5日生]
2005年松平永芳 (海軍軍人,靖国神社宮司) <90歳>[1915年3月21日生]
2006年甲斐智枝美 (女優) <43歳>自殺[1963年6月16日生]
2008年戸塚洋二 (物理学者) <66歳>2004年文化勲章[1942年3月6日生]
2010年つかこうへい (劇作家,演出家,小説家『蒲田行進曲』) <62歳>1981年下期直木賞[1948年4月24日生]
2011年ローラン・プティ (仏:バレエ振附師) <87歳>Roland Petit[1924年1月13日生]
2015年9代目入船亭扇橋 (落語家) <84歳>[1931年5月29日生]


☆彡今日の一言 ブッダの言葉 『業(カルマ)を変える』

◆善い業(カルマ)がせいじゅくするまでの長い時間

善い行動や善い言葉や善い思考によって、心に刻まれたポジティブなエネルギーがぐつぐつと煮られて善業の

報いが訪れるようになるまでの間は、善いことをしたとしても悪すなわち不幸に見舞われることがある。

しかしながら、ポジティブなエネルギーが煮られて、成熟するとき、様々な幸福に満たされる。


法句経120


以上は 小池龍之介著 ブッダの言葉 より一部抜粋

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Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。

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