6月2日はルー・ゲーリック(野球選手)の忌日&ブッダの言葉
☆彡忌日 6月2日 ルー・ゲーリック 1903-1941 野球選手
『今日私は、地球上で最も幸運な男です。』
あのベーブルースがいたチームでホームラン王を3回、打点王を5回、MVPを1回、生涯打率が3割4分というすごい記録を残した。
1931年の打点は184はいまだにア・リーグの記録である。2130試合連続出出場の彼が筋委縮性側索硬化症という難病にかかり、引退を迎えた日のスピーチである。
しかし、この時彼は命が2年無いことは知らなかったのである。
以上は 大橋巨泉著 366日命の言葉 より一部抜粋
★ルー・ゲーリックプロフィール
“ルー”ヘンリー・ルイス・ゲーリッグ(Henry Louis "Lou" Gehrig, ドイツ語:Heinrich Ludwig Gehrig(ハインリヒ・ルートヴィヒ・ゲーリヒ), 1903年6月19日 - 1941年6月2日)は、メジャーリーグのプロ野球選手(内野手)。
1920年代から1930年代にかけてニューヨーク・ヤンキースで活躍した。
三冠王をはじめ、打撃タイトルを多数獲得し、歴代最高の一塁手と称される。
出身地ニューヨーク州ニューヨーク市
生年月日1903年6月19日
没年月日1941年6月2日(37歳没)
身長体重6' 0" =約182.9 cm 200 lb =約90.7 kg
選手情報投球・打席左投左打
ポジション一塁手
初出場1923年6月15日
最終出場1939年4月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ニューヨーク・ヤンキース (1923 - 1939)
ゲーリッグは1941年6月2日に37歳の若さで亡くなり、翌1942年にゲーリッグの半生を描いた『打撃王』が公開された。
伝記映画
死去の翌年の1942年、サム・ウッド監督による伝記映画『打撃王』(The Pride of the Yankees)が制作・公開された。原作はポール・ギャリコの『ルー・ゲーリッグ ヤンキースの誇り』。ゲーリッグ役をゲイリー・クーパーが演じた。ベーブ・ルースはじめヤンキース時代のメンバーの何人かも本人役で出演している。
ゲーリッグの連続試合出場記録は当初不滅の記録と思われていたが、1987年6月13日、日本プロ野球の衣笠祥雄(広島)に更新され、MLBでは1995年9月6日にカル・リプケン・ジュニア(ボルチモア・オリオールズ)によって更新された。
日本との関わり
1931年と1934年に読売新聞社主催の日米野球において、全米選抜チームの一員として2度来日。大日本東京野球倶楽部(現:読売ジャイアンツ)のルーツとなる全日選抜チームに対し、9戦全勝と圧倒している。
沢村栄治の好投による「あわや完封負け」の危機から全米軍を救ったのがゲーリッグのソロ本塁打による1点だった。
しかし沢村にまつわる不滅の伝説である「全米軍のクリーンナップを4連続奪三振」の中には、ゲーリッグもその名を連ねている。
☆彡6月1日 今日の一言 ブッダの言葉
☆彡求めない
『鉄の鎖よりも強く、私たちを縛っているもの』
立ちえ君が鉄の鎖で縛られても、気の拘束具で拘束されていても、麻ひもでぐるぐる巻きにされても、それらは「強力な呪縛」ではない。
自分の稼いだお金の執着や、買い込んできては増えていく物への執着や、「私の子供はこうなれ、こうはなるな」「私のパートナーはこうなれ、こうはなるな」という支配欲への執着。
智慧ある者にとっては、これらのあくなき執着こそが「強力な呪縛」に見える。
その呪縛は、緩やかに見せかて、実はぎゅうぎゅうギリギリと、しつこく絡みつき、あまりに逃れがたき者ゆえ。
これらの呪縛を断ち切った君は、「こうしてほしい」「ああしてほしい」と求める浅ましさから自由となるだろう。
法句経345-346より
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