終活・生活・再生日記 「夢幻」

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毎月3日は、多宝如来、宝生如来、広田大明神、賀茂大明神の縁日&4月3日の忌日&今日の一言 渡辺和子

毎月3日は➀多宝如来宝生如来➂広田大明神➃賀茂大明神の縁日です。


多宝如来 たほうにょらい 《多宝仏 たほうぶつ》 
三十日秘仏の三日仏。
宝勝如来と同じ、とも言われます。
東の方角にある宝浄という世界に居る仏様です。
ふつう多宝塔にお釈迦様(左)と共に祀られます。
お釈迦様が法華経を説いているとき、高さ500由旬ゆじゅんの宝塔が出現し、法華経が真実であることを賞賛しました。そして、中に坐していた多宝如来が半分席をゆずり、並んで坐った話しに基づきます。
多宝如来はお釈迦様が悟りを開くよりも前に悟りを開いた「過去仏」の一仏とされています。
東方「宝浄世界」の教主とされています。
多宝如来が入っておられるのは、宝石や貴金属など七宝で飾られた「宝塔」です。
お釈迦様が説法を説いていると、地面が割れて宝塔が出現し、人々の頭上高く、空中でとまりました。
その宝塔から「釈尊、あなたの説法は正しい」と言う声が聞こえるのだそうです。
それは多宝如来の声でした。
多宝如来は自分の右横の席を譲り、お釈迦様を座らせ、お二人で説法を説かれました。
上記の説法から、向かって右に多宝如来、向かって左に釈迦如来の二像を並べて祀る場合が多いのだそうです。
多宝如来の有名な彫像 奈良県奈良市雑司町『東大寺

宝生如来
宝生如来(ほうしょうにょらい)は、仏教における信仰対象である如来の一尊。
宝生如来は五大如来のひとつで、四菩薩を眷属けんぞくとします。
いろいろな宝物を生み出し、福徳を授ける仏様です。あらゆるものは平等であるという精神を説きます。
望みをかなえる与願印を結ぶのが特徴です。
開敷華王如来かいふけおうiにょらいと同じとする考え方もあります。
また、宝相如来ほうそうにょらいとの関連性もあるとする説もあります。
●五大如来金剛界五仏
中央大日如来/東阿閦如来/南宝生如来/西阿弥陀如来/北不空成就仏
胎蔵界五仏
中央大日如来東宝如来/南開敷華王如来/西無量寿如来/北天鼓雷音如来
●四菩薩
金剛宝/金剛光/金剛幢/金剛咲
宝生如来(ほうしょうにょらい)とは?
  語源は「宝よりうまれたもの」を意味し、財宝を生み出し人々に福徳を授けるといわれています。一切の垣根を取り払い、あらゆる全ての現象・事物を平等に観るという意味で「平等性智(びょうどうしょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。
 密教における大日如来の5つの智慧を表す五智如来の一尊です。
ご利益
 病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるとされています。
宝生如来(ほうしょうにょらい)の像容
 左手は衣服の端を握り、右手は手の掌を前に向けて下げる与願印(よがんいん)を結んでいます。願いを聞き入れ、望むものを与えようとする身振りを表しています。宝生如来の単独の造像はほとんどありません。
有名寺院と像
 ・京都府:東寺
 ・奈良県唐招提寺
 ・大阪府:歓心寺
宝生如来密教における金剛界五仏の一で、金剛界曼荼羅では大日如来の南方(画面では大日如来の向かって左方)に位置する。唯識思想における仏の悟りの境地のひとつ「平等性智」(びょうどうしょうち)を具現化したものである。
宝生如来は五智(ごち)如来の一。大日如来に備わる平等性智(びょうどうしょうち)から出たもので、金剛界曼荼羅(まんだら)の南方の月輪の中尊。肌は金色で、一切の財宝をつかさどるという。宝生仏ともいう。
これは、全ての存在には絶対の価値があるということを示す。 印相は、左手は腹前で衣を掴み、右手は手の平を前に向けて下げる「与願印」(よがんいん)を結ぶ。
日本における宝生如来の彫像は、五仏(五智如来)の一として造像されたものが大部分であり、宝生如来単独の造像や信仰はまれである。
宝生如来 は『宝よりうまれたもの』との意味があり、財宝を司り、全ての人々に福徳を授けるのだそうです。
密教では、大日如来を中心として、阿閦如来宝生如来観自在王如来不空成就如来の五仏で金剛界五仏とされ、宝生如来は南方に位置し、唯識思想と呼ばれるヨーガの修行者たちから生まれた思想にある『平等性智(びょうどうしょうち)』と言う『一切の垣根を取り払い、あらゆる存在は全て平等であると悟り、大慈悲の心を起こして、全ての民の願いに応じる』と言う悟りの智慧を具現化したのが宝生如来と言われています。
左手で衣の端をにぎり、右手は『与願印』と呼ばれる手のひらを前に向けて下に向ける印を結んでいて、この印も人々の願いを聞いて望むものを与えようとする表現なんだそうです。
装飾品などは身につけず、くるくると巻いた螺髪と呼ばれる髪をし、蓮の花の台座の上に座っておられる姿が一般的です。
また、金剛宝菩薩は宝生如来が人々を救済するために菩薩の姿に化身したものとされています。

➂広田大明神 広田神社
廣田神社ひろたじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
神功(じんぐう)皇后の三韓出兵に際し,和魂(にぎみたま)は神功皇后の身体を守り,荒魂は船路を守るとの託宣によって,遠征は成功したので,ここにまつったと伝える。
祭神
主祭神
天照大神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))
 伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体
・脇殿神
住吉大神
八幡大神
武御名方大神
高皇産霊神
境内にはコバノミツバツツジの群落があり、総数2万株に及ぶ。このツツジ群落は兵庫県指定天然記念物である。

阪神タイガースが全選手・監督・コーチをそろえて毎年キャンプイン前の1月に廣田神社(武運長久⇒優勝を祈願)に参拝する行事は、球団創立時からの伝統である。
神功皇后新羅征伐からの帰還伝説に依拠すると思われる廣田神社西宮神社の夏祭御神幸が戦国時代まで行われていた。

やはり、神功皇后に従って先祖が出兵したとの伝説を持つ北風家等がある和田岬(輪田岬)まで、往路は数百艘の船で、復路は陸路で馬に乗った一群の辰馬・八馬・葛馬・乙馬(おつま/おとま)・音馬・小上馬・六馬・七馬・十馬・中馬・大黒馬・一馬・大徳馬・小唐馬・善茂馬などの家の者が付き従った。
主祭神天照大神荒魂とは、瀬織津姫のことであったとする説がある。戦前の由緒書きには、瀬織津姫主祭神とすることが明確に記されていた。

➃賀茂大明神 (別雷命)京都賀茂神社
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

概要
賀茂別雷神社上賀茂神社)とともに賀茂氏氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。

本殿には、右に賀茂別雷命上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、左に玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。金鵄および八咫烏賀茂建角身命の化身である。

境内に糺の森(ただすのもり)、御手洗川、みたらし池がある。

神社は2つの川の合流点から一直線に伸びた参道と、その正面に神殿、という直線的な配置になっている。
御手洗社の水は葵祭斎王代清めの聖水である。現存。飲料可。

祭神
東殿:玉依姫命 (たまよりひめのみこと) - 賀茂別雷命上賀茂神社の祭神)の母
西殿:賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) - 玉依姫命の父
賀茂神社(かもじんじゃ)とは、京都府京都市にある賀茂別雷神社上賀茂神社)と賀茂御祖神社下鴨神社)の2つの神社の総称である。
古代の賀茂氏氏神を祀る神社で、古くは賀茂大神とも呼称した。両社の例祭である葵祭は特に有名で、天皇の勅使を迎える三勅祭のひとつで古来の格式が伝わっている。また、この賀茂神社から勧請を受けた、「加茂神社」・「賀茂神社」・「鴨神社」などといった神社が日本各地に約300社ある。


☆彡4月3日 今日の一言 渡辺和子

今や、感動させてくれるものを求めて人は次々に新しい刺激を追っている。

しかしながら真に求めるべきものは、感動する心、価値を発見する心である。


以上は 「美しい人」&『愛と励ましの言葉366日』渡辺和子著 PHP研究所発行より一部抜粋

 

 

☆彡4月3日の忌日
1287年ホノリウス4世 (ローマ教皇(190代)) <77歳>Honorius IV[1210年生]

1491年足利政知 (室町幕府堀越公方,足利義教の子) <数え57歳>04/05説あり[1435年7月12日生]

1582年快川紹喜 (臨済宗の僧)織田信長に抗し自焼
1672年薩摩淨雲 (江戸浄瑠璃の開祖) <数え80歳>[1593年生]

1673年隱元隆琦 (明の禅僧,日本黄檗宗の開祖) <80歳>琦は{王奇}[1592年11月4日生]

1705年住吉具慶 (画家『洛中洛外図巻』) <数え75歳>[1631年生]

1785年初代鳥居清満 (浮世絵師) <数え51歳>[1735年生]

1822年渡邊玄對 (画家『武陵桃源図』) <数え74歳>[1749年生]

1862年ジェイムズ・クラーク・ロス (英:探検家,北極探検) <61歳>James Clark Ross[1800年4月15日生]

1897年ヨハネス・ブラームス (独:作曲家) <63歳>Johannes Brahms[1833年5月7日生]

1900年ジョゼフ・ルイ・フランソワ・ベルトラン (仏:数学者(幾何学,関数論)) <78歳>
Joseph Louis Francois Bertrand[1822年3月11日生]
1940年藤澤幾之輔 (衆議院議長(27代),商工相(4代)) <81歳>[1859年2月16日生]

1941年鹿子木孟郎 (洋画家) <66歳>[1874年11月9日生]

1941年太刀山峯右エ門(東關親方[元]) (相撲/横綱(22代)) <63歳>[1877年8月15日生]

1945年西村幸生 (野球(投手)) <34歳>フィリピンで戦死1977年野球殿堂[1910年11月10日生]

1953年三井甲之 (歌人,詩人) <69歳>[1883年10月16日生]

1957年小林古径 (日本画家) <74歳>1950年文化勲章[1883年2月11日生]

1971年3代目市川壽海 (歌舞伎役者) <84歳>1960年人間国宝[1886年7月12日生]

1971年マンフレッド・ベニントン・リー (米:小説家(エラリー・クイーン)) <66歳>
Manfred Bennington Lee[1905年1月11日生]

1972年ファーディ・グローフェ (米:作曲家『組曲グランドキャニオン』) <80歳>
Ferde Grofe[1892年3月27日生]

1974年藤川忠治 (歌人,近代文学研究家) <73歳>[1901年2月20日生]

1978年平野謙 (文藝評論家) <70歳>[1907年10月30日生]

1980年世れんか (女優(宝塚歌劇(56期))) <29歳>[1951年1月30日生]

1981年ファン・トリップ (米:経営者,パンナム航空創立) <81歳>Juan Terry Trippe[1899年6月27日生]

1982年ウォーレン・オーツ (米:俳優『ガルシアの首』) <53歳>Warren Oates[1928年7月5日生]

1986年ピーター・ピアーズ (英:テノール歌手) <75歳>Sir Peter Neville Luard Pears[1910年6月22日生]

1990年サラ・ヴォーン (米:ジャズ歌手) <66歳>Sarah Vaughan[1924年3月27日生]

1991年グレアム・グリーン (英:小説家『第三の男』) <86歳>Graham Greene[1904年10月2日生]

1997年嶋中鵬二 (編集者,中央公論社社長) <74歳>[1923年2月7日生]

1999年菊村到 (小説家『硫黄島』) <73歳>1957年上期芥川賞[1925年5月15日生]

2006年絵門ゆう子(桐生ゆう子) (女優,エッセイスト,アナウンサー[元](NHK東京[元])) <49歳>[1957年3月18日生]

2006年村上元三 (小説家『上総風土記』『佐々木小次郎』) <96歳>1940年下期直木賞[1910年3月14日生]

2011年長崎源之助 (児童文学作家) <87歳>[1924年2月19日生]

2016年望月三起也 (漫画家『ワイルド7』) <77歳>[1938年12月16日生]

2016年和田光司 (歌手) <42歳>[1974年1月29日生]

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