終活・生活・再生日記 「夢幻」

生と死と再生&感謝、祈り・絆、縁日、雑感等についてお知らせしています。

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毎月24日は、地蔵の縁日、愛宕の縁日、祇園大明神、広田大明神の縁日&12月24日の誕生日と忌日一覧

毎月24日は、➀地蔵の縁日➁愛宕の縁日➂祇園大明神④広田大明神の縁日です。

 

➀地蔵の縁日 
地蔵菩薩」は、釈迦仏の委託を受けて、その入滅から56億7千万年後に、「弥勒菩薩」として出世するまでの間(無仏の期間)、釈迦に代わって「六道(地獄道・餓鬼道・畜生道修羅道・人道・天道)」の一切衆生の苦を除き、福徳を与えると言われます。

特に地獄の衆生を「化導(済度する)し、代わりに苦しみを受ける菩薩とされ、俗説では、地蔵は子供の成長を守り、その死後「賽の河原」で苦難を救うと伝えられ、子供の守護仏として信仰されています。

※◎1月24日を『初地蔵』と呼び、また◎7月24日に「地蔵盆」が行われます。

特に京都の地蔵盆が盛んで、現在では8月22日~24日まで行われます。
地蔵の縁日もまた地蔵菩薩の功徳を講讃する法会である「地蔵講」に由来すると言われます。

全国各地に、この石像を路傍にたて、香花を供えて祀る風習が残っていますが、地蔵尊の代表ともいうべき東京豊島区巣鴨の「とげぬき地蔵尊の大祭」は、◎1月24日の『初地蔵』に行われ、特にお年寄りの信仰をあつめています。

地蔵に参詣すると地蔵の十福といって、「女人泰産・身根具足・衆病疾除・寿命長遠・聡明知慧・財宝盈益・衆人愛敬・穀物成熟・神明加護・証大菩提」の10の福徳が得られると言われます。

 

●『納めの地蔵』 : 
一年で最後の「地蔵の縁日」を「納めの地蔵」といいます。 



地蔵菩薩 じぞうぼさつ
十三仏の35日(五七日)導師。三十日秘仏の二十四日仏。
右手に錫杖、左手に宝珠が一般的な姿です。通常「菩薩」と名の付く仏様は、冠やブレスレット、ネックレスなど派手な装飾品をつけていますが、お地蔵さまはサッパリしています。また他の仏さまは成人の姿ですが、お地蔵さまは子供のような可愛らしい姿が基本です。

地蔵の地は大地を意味します。インドでは農耕の女神からスタートしています。中国に伝わってから、農耕の地と地獄の地が、道教の十王思想の影響で結びつきます。そこでお地蔵様は地獄から救って下さる仏様となります。

お地蔵様は、お釈迦様が亡くなってから弥勒菩薩が登場するまでの間、私達を救うのが主な役目です。上は極楽から下は地獄まで、六つの世界で活躍する六地蔵の名前が有名です。

大地は私たちの衣食住から金銀財宝に至るまで、いろいろなものを与えてくれます。お地蔵様も同様に、私たちに色々な恵みを与え、その生活を護持するところから、この名前がつきました。安産・健康・長寿 ・智恵・豊作・求財などにご利益があります。

 

愛宕の縁日 
愛宕権現」は、全国の愛宕社の根本社で、雷神を祀り、防火の守護神として特に有名です。

総本社は、京都市愛宕山の「愛宕大権現」で、ここに参拝する事を、「愛宕参り」と言います。

金比羅と同様に、一般に高い山の上に祀られています。

旧暦6月24日は「愛宕の千日詣」で、この日に参詣すれば、平日の千度に当るとされます。

愛宕神社の祭神は「埴山姫命」、「伊邪那岐命」等で、愛宕参りでは「火廼要慎」と書かれた護符を頂きます。

京都の人は「愛宕さん」ともいい、「伊勢へ七たび熊野へ三度、愛宕さんへは月参り」と謡われて強い信仰をあつめました。

●『終い愛宕』: 
一年で最後の愛宕の縁日を「終い愛宕」といいます。

 


祇園大明神 八坂神社
八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町北側にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社である。通称として祇園さんとも呼ばれる。7月の祇園祭祇園会)で知られる。

主祭神
中御座:素戔嗚尊 (すさのおのみこと)
東御座:櫛稲田姫命 (くし(い)なだひめのみこと) - 素戔嗚尊の妻
西御座:八柱御子神 (やはしらのみこがみ) - 素戔嗚尊の8人の子供(八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神須勢理毘売命)の総称
配神
(東御座に同座) 神大市比売命、佐美良比売命 - いずれも素戔嗚尊の妻
(西御座に御座) 稲田宮主須賀之八耳神

◆御利益
厄除け・縁結びの神、祇園さんの呼び名で親しまれでいる。日本三大祭のひとつ祇園祭は京都の代表的行事である。師走の風物詩「をけら詣り」も有名。全国の祇園社の総本社。

恋占いの石 本殿の前に約10メートルの間隔で二つ置いてある恋占いの石は、一方の石からもう一方の石へ目を閉じたままで辿り着ければ恋が叶うという言い伝えがあります。一度で辿れ着けなければ恋の成就も遅れるそうです。誰かの手に助けられて目的の石に向かえば、恋も誰かのアドバイスなどの助けが必要になるようです。

美容水
境内には、手や顔を洗うと肌も心も美しくなるといわれる、ご神水「美容水」が湧き出ています。
(※飲料水ではありません)
まずは、手を清めて本殿にお参りしましょう。
それだけでもご利益があるのですが、お参りの後に2~3摘お顔へもいただきましょう。
人の美を現すものには、目に見える容姿をはじめ、言葉や立ち居振る舞いなど、様々なものがありますね。
これら美徳の根元は、清く美しい心、美は女性の永遠のテーマ。

八坂神社の美御前社には美人の誉れ高き宗像三女神がお祀りされています。その三女神は多岐理毘売命(たぎりびめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)の三女神です。

その宗像三女神のうちでも、際立つ美人の神が市杵島比売命様です。市杵島比売命様は、七福神の一神である弁天様や美貌の女神である吉祥天とも習合していたそうです。

円山公園のしだれ桜
円山公園には枝垂桜、染井吉野、山桜など約700本の桜があり、毎年多くの花見客で賑わいます。
その公園の中央にあるのが「祇園の夜桜」として有名な祇園枝垂桜です。
正式名称は「一重白彼岸枝垂桜」

 

④広田大明神(勢至菩薩)兵庫広田神社
廣田神社ひろたじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

主祭神
天照大神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))
 伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体
脇殿神
住吉大神
八幡大神
武御名方大神
高皇産霊神

日本の国石と言われる水晶(クリスタル)、この廣田神社には歴史ある水晶のお宝が保管されております。
この水晶の玉の中にある傷が剣の形にも見えることから剣珠(けんじゅ)と称された如意宝珠を安置する剣珠宮殿は以前、鍵がどこかにいってしまい開けられなかった箱が開き、平成13年(2001年)の廣田神社の御鎮座1800年式年祭の時に修理を行いこれに剣珠を安置し、一般公開され、以降毎年公開されているようです。

境内にはコバノミツバツツジの群落があり、総数2万株に及ぶ。このツツジ群落は兵庫県指定天然記念物である。

廣田神社が勝運(昇運)の神といわれるのには「日本書記」に記されています。それによると、熊襲との戦いで夫君仲哀天皇を失い、運勢的に最低調にあった神功皇后は廣田大御神の守護を得てからは連戦連勝で運勢も急上昇だったらしく、源頼朝平氏討伐祈願、蒙古襲来の度にも御神威を発揮されたことから国難の守り、国家鎮護の大神として武運長久・勝運・合格の大神としても崇拝されています。

阪神タイガースが全選手・監督・コーチをそろえて毎年キャンプイン前の1月に廣田神社(武運長久⇒優勝を祈願)に参拝する行事は、球団創立時からの伝統である。

神功皇后新羅征伐からの帰還伝説に依拠すると思われる廣田神社西宮神社の夏祭御神幸が戦国時代まで行われていた。
やはり、神功皇后に従って先祖が出兵したとの伝説を持つ北風家等がある和田岬(輪田岬)まで、往路は数百艘の船で、復路は陸路で馬に乗った一群の辰馬・八馬・葛馬・乙馬(おつま/おとま)・音馬・小上馬・六馬・七馬・十馬・中馬・大黒馬・一馬・大徳馬・小唐馬・善茂馬などの家の者が付き従った。

主祭神天照大神荒魂とは、瀬織津姫のことであったとする説がある。戦前の由緒書きには、瀬織津姫主祭神とすることが明確に記されていた。

 廣田神社の祭儀行事の中でも特に兵庫県内で唯一500年以上の歴史を誇る御田植神事「めぐみ廣田の大田植え」が有名です。

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☆彡12月24日の誕生日
BC3年ガルバ (ローマ皇帝(6代))Servius Galba Imperator Ceaser Augustus[69年1月15日歿]

1167年ジョン (英:国王(プランタジネット朝3代),マグナカルタ発布「欠地王」「失地王」)
John,Lackland(Jean Sans Terre)[1216年10月18日歿]

1491年イグナチオ・デ・ロヨラ (スペイン:イエズス会創立)Ignatius Loyola[ 1556年7月31日歿]

1610年崇禎帝 (明の皇帝(16代))[1644年3月19日歿]

1818年ジェームズ・プレスコット・ジュール (英:物理学者,エネルギー・仕事・熱量の単位J(ジュール)の名の由来)James Prescott Joule[1889年10月11日歿]

1822年シャルル・エルミート (仏:数学者)Charles Hermite[1901年1月14日歿]

1822年マシュー・アーノルド (英:詩人,批評家)Matthew Arnold[1888年4月15日歿]

1824年ペーター・コルネリウス (独:作曲家)Carl August Peter Cornelius[1874年10月26日歿]

1837年エリーザベト(シシィ) (墺:フランツ・ヨーゼフ1世の皇后)Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach[1898年9月10日歿]

1867年鈴木貫太郎 (海軍軍人,首相(42代),海軍大将,外相(70代),大東亜相(3代),聯合艦隊司令長官(15代),海軍軍令部長(12代))[1948年4月17日歿]

1881年フアン・ラモン・ヒメネス (スペイン:詩人『プラテロと私』)Juan Ramón Jiménez1956年ノーベル文学賞[1958年5月29日歿]

1882年橋本進吉 (国語学者)[1945年1月30日歿]

1889年相川俊孝 (詩人)[1940年11月18日歿]

1899年三橋鷹女 (俳人)[1972年4月7日歿]

1905年ハワード・ヒューズ (米:実業家)Howard Hughes[1976年4月5日歿]

1909年レニ・ミルヒシュトラーセ (ゲームキャラ(『サクラ大戦』))Reni Michstraße

1920年阿川弘之 (小説家『雲の墓標』)1999年文化勲章[2015年8月3日歿]

1920年杵島隆 (写真家)

1922年エヴァ・ガードナー (米:女優)Ava Gardner[1990年1月25日歿]

1929年中村正 (声優)

1937年平尾昌晃 (作曲家,歌手,「ロカビリー三人男」の一人) [ 2017年7月21日歿]
1939年三宅義信 (重量挙げ)

1946年アンドリュー・チーチー・ヤオ(姚期智) (米:計算機工学者)
Andrew Chi-Chih Yao2000年チューリング賞

1947年柏木由紀子 (女優,坂本九の妻)

1950年伊達一行 (小説家)

1950年伊藤銀次 (シンガーソングライター,音楽プロデューサー)

1950年生島ヒロシ (司会者,アナウンサー[元](TBS))

1951年千葉和臣 (ミュージシャン(海援隊/ヴォーカル・ギター))

1955年福島瑞穂 (参議院議員,社民党党主,特命担当相(消費者行政推進及び食品安全・少子化対策男女共同参画))

1957年ハーミド・カルザイ (アフガニスタン:大統領(初代))

1958年白都真理 (女優)

1959年トミーズ雅 (漫才師(トミーズ))

1959年小田空 (漫画家『空くんの手紙』)

1959年陣岳隆(春日山親方[元]) (相撲)

1960年小野不由美 (小説家『屍鬼』『十二国記』)

1961年北川悦吏子 (脚本家)

1962年石本貴昭 (野球(投手))

1962年長野智子 (タレント,アナウンサー[元](フジテレビ))

1963年高須光聖 (放送作家,脚本家)

1967年佐東由梨 (歌手)

1969年志賀真理子 (歌手)[1989年11月23日歿]

1971年アレックス・カブレラ (べネズエラ:野球(内野手))Alexander(Alex) Alberto Cabrera

1971年リッキー・マーティン (プエルトリコ:歌手)Ricky Martin

1971年小川知子 (アナウンサー(TBS))

1971年大寶智子 (女優)

1972年逸見太郎 (俳優,逸見政孝の子)

1974年佐久間純子 (タレント)
1979年赤坂七恵 (女優)

1982年相葉雅紀 (タレント,歌手(嵐))

1986年石原さとみ (女優)

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☆彡12月24日の忌日
1524年ヴァスコ・ダ・ガマ (ポルトガル:航海者,インド航路発見)Vasco da Gama[1469年頃生]

1560年尼子晴久 (戦国武将) <46歳>[1514年2月12日生]

1863年ウィリアム・メイクピース・サッカレー (英:小説家『虚栄の市』) <52歳>
William Makepeace Thackeray[1811年7月18日生]

1901年レフ・イワノフ (露:舞踊家,振附師『くるみ割り人形』) <67歳>Lev Ivanovich Ivanov[1834年3月2日生]
1902年高山樗牛 (評論家,思想家) <31歳>[1871年1月10日生]

1910年3代目桂文枝 (落語家)<47歳>[1864年生]

1927年澤柳政太郎 (教育家,教育行政官,成城学園を創設) <62歳>[1865年4月23日生]

1935年アルバン・ベルク (墺:作曲家) <50歳>Alban Berg[1885年2月9日生]

1938年ブルーノ・タウト (独:建築家) <58歳>Bruno Julius Florian Taut[1880年5月4日生]

1940年湯浅倉平 (宮内相(10代),内大臣(12代)) <66歳>[1874年2月1日生]

1941年大江季雄 (陸上競技(棒高跳び)) <27歳>フィリピンで戦死[1914年8月2日生]

1941年中村吉藏(中村春雨) (小説家,劇作家,演劇研究家) <64歳>[1877年5月15日生]

1942年金丸貞三 (陸軍軍人,戦闘機操縦士) <26歳>[1916年10月1日生]

1946年河村光陽 (作曲家『ひなまつり』『かもめの水兵さん』) <49歳>[1897年8月23日生]

1974年田中茂穂 (魚類学者) <96歳>[1878年8月16日生]

1978年三谷昭 (俳人) <67歳>[1911年6月5日生]

1982年ルイ・アラゴン (仏:詩人,小説家,批評家) <85歳>Louis Aragon[1897年10月3日生]

1984美濃部亮吉 (経済学者,東京都知事,参議院議員,美濃部達吉の子) <80歳>[1904年2月5日生]

1985年加藤唐九郎(一無斎) (陶芸家) <88歳>1955年人間国宝[1897年7月19日生]

1985年佐々木更三 (衆議院議員,社会党委員長) <85歳>[1900年5月25日生]

1994年ジョン・オズボーン (英:劇作家) <65歳>John Osborne[1929年12月12日生]

1994年七ツ海操 (相撲) <67歳>[1927年10月18日生]
1997年三船敏郎 (俳優,映画監督) <77歳>[1920年4月1日生]

1999年モーリス・クーヴ・ド・ミュルヴィル (仏:首相,外交官) <92歳>Maurice Couve de Murville[1907年1月24日生]

1999年菅原謙次 (新派俳優) <73歳>[1926年3月14日生]

2008年サミュエル・P.ハンティントン (米:政治学者『文明の衝突』) <81歳>
Samuel Phillips Huntington[1927年4月18日生]

2008年ハロルド・ピンター (英:劇作家,詩人) <78歳>Harold Pinter2005年ノーベル文学賞[1930年10月10日生]

2015年海原小浜 (漫才師(海原お浜・小浜)) <92歳>[1923年4月15日生]

2015年国本武春 (浪曲師) <55歳>[1960年11月1日生]

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