終活・生活・再生日記 「夢幻」

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毎月21日は、①弘法大師、②無盡意菩薩、➂准提観音菩薩、➃八王子権現、➄吉備大明神➅飯縄権現の縁日&ブッダの教え

毎月21日は、①弘法大師、②無盡意菩薩、➂准提観音菩薩、➃八王子権現、➄吉備大明神➅飯縄権現の縁日です。

➀大師の縁日(真言宗の縁日)
毎月21日は、真言宗の開祖「弘法大師空海)」の月命日で縁日が催されます。
大師とは、朝廷から高僧に贈られる諡で、弘法大師は、834(承和2)年3月21日、62歳で入寂しました。
各地の大師堂は参詣者で賑い、関東では「川崎大師」が有名です。
また、関西では「京都の東寺」では、『弘法市』の名で有名ですが、境内では「弘法市」が大々的に開かれます。
弘法市には観光客も多く、楽しいフリーマーケットにもなります。
一般に神社の祭日や寺院の縁日の市は古い起源を持っていますが、「弘法市」の縁日がいつ頃始まったかについてのはっきりとした記録は残っていません。
ただ、天狗草紙絵巻の中に、東寺南大門で物を売る商人の図が見受けられたり、東寺百合文書には、1403(応永10)年、足利義満の時代に南大門に一服一銭の茶店があった事が記されています。
これによって鎌倉中期から室町時代にかけて、境内の特定の地域で商行為が行なわれていた事が判ります。
●『納めの大師』 :
弘法大師」こと「空海」の忌日が3月21日である事から、以下と重複しますが毎月21日は「大師の縁日」です。
その内で、一年最後の縁日は「納めの大師」と呼ばれ、各地の大師堂は参詣者で賑います。
●『終い弘法』 :
京都市南区にある「東寺」では、「大師の縁日」の事を『弘法市』と言い、下記と重複しますが毎月21日に境内では「弘法市」が大々的に開かれます。
その年内最後の祭典が「終い弘法」と呼ばれ、この1年間の無病息災を感謝して年間で最もにぎやかな市が開かれます。
地元の参詣者や観光客で賑わう「終い弘法」では骨董品や古着の他、葉ボタンや梅、千両の苗、干しガキ、翌年のえとの置物等、迎春用の品を売る店がずらりと並びます。

➁無盡意菩薩 むじんいぼさつ
三十日秘仏の二十一日仏。
定慧金剛、無盡金剛菩薩ともいいます。
80種類の無尽の法門を説く仏様です。
無盡意菩薩は薬師八大菩薩の一つ。
日本の日蓮聖人は南無妙法蓮華経親鸞聖人は南無阿弥陀仏のお題目さえ唱えて
いればそれだけで救われるという教えは恐らくこの観世音菩薩普門品と同じよう
な考えですよね。
しかし、これこそ人類或いは衆生全般にとって重大な意味を秘密に含んでいるの
かもしれません。

➂准提観音菩薩
准胝観音(じゅんでいかんのん、じゅんていかんのん)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。準胝観音または準提観音とも書く。准胝仏母とも。
日本の真言系では変化観音とされて「六観音」(七観音)の一尊に数えられ、日本の天台系では観音ではなく仏母とされる。
インド・チベットでは一般に仏母とされ、変化観音とはみなされない。インドでは観音は男性名詞のため男尊とされるが、准胝は女性名詞であり、女尊として表現される。
准胝は五守護女尊やマーリーチー(摩利支天)と同様に、特定の陀羅尼(女性名詞のダーラニー)と結びついた女尊である。
七倶胝仏母(しちくていぶつも)とも呼ばれる。密号は最勝金剛、降伏金剛。
日本では従来、准胝の還梵はチュンディーとされている。漢名の准胝はチュンダー陀羅尼における「チュンデー」という語(チュンダーの女性単数呼格、「チュンダーよ」)の音写であるという説もある。インド原典ではチュンダーである。
◆概説
日本では「准胝仏母」、「准胝観音菩薩」、「准胝観世音菩薩」、「天人丈夫観音」などさまざまな呼称がある。
中国では密教、この後も広く禅宗や浄土宗、道教等でも信仰されるが、かつてインドから東南アジアでも信仰された。
日本の真言宗の開祖である空海高野山の開基の際に、僧房の次にまず准胝堂を建立し、准胝観音を弟子たちの得度の本尊としてお祀りしたのは有名で、のちに高野山が荒廃した際にも僧俗の手によって庫裡にこの准胝観音を安置し守り続けられた。
それゆえ、准胝堂の補修が行なわれた昭和の時代になるまで、高野山では准胝堂で僧侶となるための得度の儀式が執り行なわれていた。また、真言宗醍醐派の開祖・聖宝尊師がこれに倣って醍醐寺の開基に准胝観音を勧請し、その孫弟子の仁海は六観音准胝観音を加え、その後も長く民衆の信仰を集めている。
准胝観音の功徳
善無畏三蔵の訳による『七仏倶胝仏母心大准提陀羅尼法』(大正蔵№1078)には、「仏いわく、この准胝仏母の真言と印契の密法によって、十悪罪や五逆罪等の一切の重い罪を滅して、よく一切の善法を成就し、さらには戒律を具足し、清廉潔白の身となって、速やかに心の清浄を得る。
もし、在家の行人がいて飲酒や肉食を断つことなく、たとえ妻子があったとしても、ただ、この准胝仏母を本尊とすることで、あらゆる仏法・密法を成就することができる」と説かれている。
地婆訶羅三藏の訳による『仏説七倶胝仏母心大准提陀羅尼経』(大正蔵№1077)には、「もし、在家の善男善女らが『准胝真言』を唱え、これを日々に保つことがあれば、その人の家には災難や事故、病気等による苦しみが無く、あらゆる行いには行き違いや望みが果たせないということも無く、その人の言葉は皆が信用して、よく聞いてくれるようになる。
また、幸福に恵まれず、才能にも恵まれない人があって、密教の才覚もなく、僧侶の修行である『七科三十七道品』という釈迦の教えに廻りあうことができない人がいたとしても、この准胝観音の『陀羅尼法』の伝授を受けることができたならば、速やかに無上の覚りを得ることができる。
更には、『准胝真言』を常に記憶にとどめ、よくこの真言を唱えて善行となる戒律を守ることができれば、あらゆる願いも成就する」と説かれている。
准胝観音を本尊とする寺院
高野山・准胝堂(和歌山県) - 「准胝観音坐像」。
醍醐寺上醍醐・准胝堂(京都府) - 「准胝観音坐像」、西国三十三所・第11番札所、焼失による修復中。
聖護院・積善院準提堂(京都府) - 「準提観音立像」、五大力尊・役行者霊跡札所。
興福寺長崎県) - 「准胝観音坐像」、明末〜清初、17世紀。
長栄寺(愛知県) - 「準提観音坐像」、光格天皇中宮欣子内親王御賜による伽羅の香木製、江戸時代。地元では豪潮長栄寺とも呼ばれる。
語歌堂(埼玉県・横瀬町) - 「准胝観音坐像」、秩父三十四観音霊場・第5番札所。
その他、准胝観音を祀る代表的な寺院
泉涌寺京都府) - 「準提観音坐像」、江戸時代。
西明寺(栃木県:六観音) - 「准胝観音立像」、鎌倉時代
總持寺(神奈川県・横浜市鶴見区) - 「準提観音坐像」。
宝戒寺(神奈川県・鎌倉市) - 「仏母准胝観音坐像」、鎌倉三十三観音霊場・第2番札所。
大報恩寺京都府六観音) - 「准胝観音立像」、室町時代、1562年作。
準提院(台湾・高雄市) - 「準提仏母坐像」、高野山真言宗
興国禅寺・慈恩堂 - 「準提観音坐像」、伊達秩父・観音霊場第一番札所。
長久寺(宮崎県:六観音) - 「准胝観音坐像」、室町時代、1562年作。
仁和寺奈良県) - 「准胝曼荼羅図」、唐本白描、平安時代、12世紀。
蓮華堂(千葉県) - 「準提仏母坐像」・「準提曼荼羅」・「穢跡金剛立像」・「幻化網曼荼羅」他、高野山真言宗
寒山寺(中国・江蘇省蘇州市) - 「準提仏母坐像」、唐代(修復済)。
◆美術館等
東京国立博物館 - 「准胝観音図」、白描、平安時代、12世紀。
細見美術財団 - 「准胝観音画像」、鎌倉時代、13世紀。

八王子権現 日吉大社八王子社
八王子権現』(はちおうじごんげん)・(現在は日吉大社八王子社)は近江国牛尾山(八王子山)の山岳信仰天台宗山王神道が融合した神仏習合の神であり、日吉山王権現もしくは牛頭天王(ごずてんのう)の眷属である8人の王子を祀った。神仏分離廃仏毀釈が行われる以前は、全国の八王子社で祀られた。三十番神の1神。
日吉山王権現、あるいは牛頭天王の8人の眷属神は八方の各方位を司るとされた。塞神信仰や陰陽道の影響で、病気や災厄を免れるご利益をもたらすと信じられた。
平家物語には、比叡山の呪詛によって八王子権現の神矢に倒れた関白藤原師通の説話が登場する。
明治維新神仏分離廃仏毀釈によって、日吉山王権現牛頭天王とともに八王子権現も廃された。
八王子社の多くは、日吉八王子神社八王子神社・牛尾神社などとなっている。
日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。
祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
・本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
・5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
●方除け・厄除けの神社
日吉大社比叡山の麓に鎮座し、全国にある日吉神社日枝神社山王神社総本宮として知られています。創建は崇神天皇7(紀元前91)年と言われ非常に古く、平安京遷都の時にはこの地が京の表鬼門(北東)に当たることから、鬼門除けや災難除けの社として崇敬を受けてきました。
また、最澄比叡山上に延暦寺を建立した際に天台宗の守護神としても崇敬されるようになり、天台宗の本山の天台山国清寺に祀られていた山王元弼真君にならい、山王権現とも呼ばれるようになりました。
境内には約40ものお社があり、全ての神様を総称して「日吉大神」と呼びます。
●神猿(まさる)
古来から猿と深い縁のある日吉大社には、神様のお使いとされる「神猿(まさる)」がいらっしゃいます。魔除けの象徴として、また「魔」が「去る」という縁起の良さがら、人々に親しまれています。

➄吉備(きび)大明神 岡山吉備神社
吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区吉備津にある神社。式内社名神大社)、備中国一宮。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」とも称したが、現在は「吉備津神社」が正式名である。
当社、吉備津神社岡山県岡山市にあり、大吉備津彦大神を主祭神とする山陽道屈指の大社です。
 大吉備津彦大神は、記紀によれば、崇神四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を造られたとされています。
古来より、吉備国開拓の大祖神として尊崇され、吾国唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造り(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事、また桃太郎伝説のモデルなどで知られています。
ご利益・ご神徳
大吉備津彦命】必勝祈願、産業振興、延命長寿、家内安全、厄除け、病気平癒、子育て、スポーツ上達
概要
岡山市西部、備前国備中国の境の吉備の中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座する。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。当社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。
本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国備後国の一宮(備前吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る。
足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。また社殿3棟が国の重要文化財指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名である。
当地出身の政治家犬養毅は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したという。神池の畔に犬養毅銅像が建てられ、吉備津神社の社号標も同人の揮毫になる。

➅『飯縄権現
飯縄権現(いづなごんげん、いいづなごんげん)とは、信濃国上水内郡(現 長野県)の飯縄山飯綱山)に対する山岳信仰が発祥と考えられる神仏習合の神である。
飯綱権現の別名としては飯縄権現(いいづなごんげん)、飯綱権現(いづなごんげん)、飯縄明神(いづなみょうじん)、飯縄大明神(いづなだいみょうじん)等がある。
多くの場合、白狐に乗った剣と索を持つ烏天狗形で表され、五体、あるいは白狐には蛇が巻きつくことがある。一般に戦勝の神として信仰され、足利義満管領細川氏(特に細川政元)、上杉謙信武田信玄など中世の武将たちの間で盛んに信仰された。特に、上杉謙信の兜の前立が飯縄権現像であるのは有名。
その一方で、飯縄権現が授ける「飯縄法」は「愛宕勝軍神祇秘法」や「ダキニ天法」などとならび中世から近世にかけては「邪法」とされ、天狗や狐などを使役する外法とされつつ俗信へと浸透していった。
「世に伊豆那の術とて、人の目を眩惑する邪法悪魔あり」(『茅窓漫録』)「しきみの抹香を仏家及び世俗に焼く。術者伊豆那の法を行ふに、此抹香をたけば彼の邪法行はれずと云ふ」(『大和本草』)の類である。しかし、こうした俗信の域から離れ、現在でも信州の飯縄神社や東京都の高尾山薬王院、千葉県の鹿野山神野寺、千葉県いすみ市の飯縄寺、日光山輪王寺など、特に関東以北の各地で熱心に信仰されており、薬王院は江戸時代には徳川家によって庇護されていた。
飯綱大権現は、不動明王歓喜天迦楼羅天、叱き尼天、弁財天の5相を合体したお姿だと言われています。
 このため、その御利益は幅広く厄除けをはじめ、病気平癒、開運、 恋愛成就、学業成就、火防、と多岐にわたっています。
飯綱権現の御神徳 山岳の神、戦勝の神、招福万来、災厄消除、除災開運等。
飯綱権現の伝承地
長野県飯縄山
東京都高尾山

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☆彡ブッダの教え一日一話

◆「ノーマルライフ」

シンプルライフというのは、そうではない生き方のおかげで成り立っているのです。

ファーストライフが悪いのなら、スローライフも悪いのです。

 私たちに必要なのは、ノーマルライフなのです。何かを敵にして対立する生き方ではないのです。

 焦ることもなく、止まることもなく、自然に流れるような生き方が素晴らしいのです。


以上はアルボムッレ・スマナサーラ著 「ブッダの教え一日一話」より一部抜粋&加筆


アルボムッレ・スマナサーラ
アルボムッレ・スマナサーラ(Alubomulle Sumanasara、1945年 - )はスリランカ出身の僧侶。スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老であり、スリランカ上座仏教シャム派の日本大サンガ主任長老、日本テーラワーダ仏教協会長老、スリランカ・キリタラマヤ精舎住職。日本において仏教伝道、および瞑想指導を行う。『怒らないこと』(サンガ新書)など多数の著書がある。仏教とは今この場で役に立ち、自ら実践し理解する智慧の教えであると説く。

尊称 アルボムッレ・スマナサーラ長老 アルボムッレ・スマナサーラ・ナーヤカ長老
Ven. Alubomulle Sumanasara Nayaka Thero
生地 スリランカ アルボ村
宗旨 上座仏教
宗派 シャム派(スリランカ
寺院 東京都 ゴータミー精舎
著作『怒らないこと』ほか

経歴
1945年、イギリス領セイロンのアルボ村に生まれた。名前のアルボムッレは出身地に由来する。13歳で沙弥出家、1965年に具足戒を受けて比丘となった。
スリランカの国立ケラニア大学で仏教哲学の教鞭を執ったのち、1980年に国費留学生として来日し、大阪外国語大学語学コースを経て駒澤大学大学院人文科学研究科仏教学専攻博士後期課程に進学し、駒澤大学教授奈良康明の下、道元の思想を研究した。その後、スリランカと日本両国での活動を経て、1991年に再来日し、上座仏教修道会にて仏教講演や瞑想指導を本格的に開始した。

1994年11月に、初代会長を鈴木一生として、日本テーラワーダ協会(のちの宗教法人日本テーラワーダ仏教協会)を設立し、2001年5月に東京都渋谷区幡ヶ谷にゴータミー精舎幡ヶ谷テーラワーダ仏教センターを開山し、2005年8月にスリランカ上座仏教シャム派総本山アスギリヤ大精舎にて日本大サンガ主任長老(ナーヤカ長老)に任命された。
活動
日本テーラワーダ仏教協会の長老(chief adviser)、ならびにスリランカのベヤンゴダ町にあるキリタラマヤ精舎住職を務める。
日本テーラワーダ仏教協会や朝日カルチャーセンターでの講演、NHK教育テレビこころの時代への出演などを行い、仏教の伝道、ならびにヴィパッサナー瞑想の指導に従事する。23万部に達するベストセラーとなった『怒らないこと』(サンガ新書)など100冊以上の著書があり、累計発行部数は100万部を超え、内容としては、ダンマパダ(法句経)などのパーリ語経典の教えを現代向けに応用して話題にした法話集や、ラベリングを重視するマハーシ系統のヴィパッサナー瞑想の解説書などがある。

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