終活・生活・再生日記 「夢幻」

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毎月8日は薬師、八幡宮、鬼子母神、江文神社、大比叡権現の縁日&7月8日の誕生日と命日・忌日とブッダの言葉 

毎月8日は➀薬師、➁八幡宮、➂鬼子母神、➃江文神社大比叡権現の縁日です。


➀『薬師の縁日』 :
薬師の縁日は、薬師如来の徳を講讃する法会の薬師講に由来するといわれます。
薬師如来」は、正式名を「薬師瑠璃光(るりこう)如来」と言い、東方浄瑠璃世界の教主で、12の大誓願を発して、衆生の様々な病苦を救い、無明の持病を直す法薬を与えるとされています。
大蓮華の上に座し、右手は施無畏の印を結び、左手に薬壷(または宝珠)を持つ医薬の仏として広く信仰をあつめています。
別名、「大医王仏」ともいい、「日光菩薩」・「月光菩薩」の二菩薩を脇侍としています。
薬師如来 (やくしにょらい)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する。
三昧耶形は薬壺または丸薬の入った鉢。青色の肌を持つとされる。東方の守護者は浄瑠璃世界の名称でない限り阿閦如来とすることが多いが、高野山金剛峰寺は本尊を阿閦如来から薬師如来に変えたとされる。
像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。
これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壷を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。
薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。
◆十二誓願
光明普照(自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く。)
随意成弁(仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる。)
施無尽仏(仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す。)
安心大乗(世の外道を正し、衆生仏道へと導く。)
具戒清浄(戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける。)
諸根具足(生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす。)
除病安楽(困窮や苦悩を除き払えるよう援ける。)
転女得仏(成仏するために男性への転生を望む女性を援ける[5]。)
安心正見(一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける。)
苦悩解脱(重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける。)
飲食安楽(著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く。)
美衣満足(困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す。)
◆七仏薬師
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。 
善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)
宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい )
金色宝光妙行成就王如来 (こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい )
無憂最勝吉祥王如来 (むうさいしょうきちじょうおうにょらい )
法海雲雷音如来 (ほうかいうんらいおんにょらい )
法海勝慧遊戯神通如来 (ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい )
薬師瑠璃光如来 (やくしるりこうにょらい )
◆日本における造像例
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。また、現世利益を司る数少ない如来であることから、延暦寺神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。
◆国宝指定の薬師如来
日本における造像例は多数あり、網羅不可能であるため、ここでは国宝指定像を挙げるにとどめる。
福島・勝常寺像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
京都・仁和寺(旧北院)像(坐像、平安時代
京都・神護寺像(立像、平安時代初期)
京都・醍醐寺上醍醐)薬師堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
大阪・獅子窟寺像(坐像、平安時代前期)
奈良・法隆寺金堂像(坐像、飛鳥~奈良時代
奈良・法隆寺大講堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代中期)
奈良・唐招提寺金堂像(立像、奈良時代平安時代初期)
奈良・薬師寺像(薬師三尊の中尊、坐像、奈良時代
奈良・新薬師寺像(坐像、平安時代初期)
奈良国立博物館像(坐像、平安時代前期)
奈良・元興寺奈良市芝新屋町)像(立像、平安時代前期)

➁『八幡宮
八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社。八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称される。
全国に約44,000社あり、大分県宇佐市宇佐神宮を総本社とする。
八幡宮応神天皇を主神とし,通例,ヒメガミ,神功皇后を配祀する神社の称号。やわたのみやともいう。弓矢の神として,武士を中心に古くから広く尊崇された。
八幡宮八幡神をまつった神社。八幡神は菩薩号を付して八幡大菩薩と呼ぶこともある。八幡神彦火火出見(ひこほほでみ)尊とする説もあるが,普通は応神天皇,比売(ひめ)神,神功皇后の3神とする。
概要
八幡宮の起源となった総本宮宇佐神宮である。
近代社格制度においては宇佐神宮石清水八幡宮筥崎宮鹿児島神宮の四社が官幣大社社格に列し、特に宇佐神宮石清水八幡宮筥崎宮(※また近年は筥崎宮に代えて、鶴岡八幡宮)の三社が日本三大八幡宮とされる。
宇佐神宮の御利益 仕事、恋愛、金運
石清水八幡宮
・御利益
智恵。
戦勝。
受験。
地元の八幡様にもお参りするとよい。
情報を集積させる力。
融合させるパワー。
エジソンの碑がある。エジソンは男山の真竹を使って白熱電球のフィラメントを作った。
苦手なことが消える。
異文化との融和。
根性。
厄除け。
必勝祈願。
小が大を制する力と法を授けてくれる。
旗揚げをする結束力を授けてくれる。
筥崎宮 
・ご利益
開運・事業繁栄・商売繁盛・必勝祈願・安産祈願・厄除け・延命長寿
鹿児島神宮
鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社(大社)、大隅国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
別名として大隅八幡宮とも。
主祭神
天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)
豊玉比売命 - 天津日高彦穂々出見尊の后神
相殿神
帯中比子尊(仲哀天皇) - 八幡神を合祀した関係による
息長帯比売命神功皇后) - 同上
品陀和気尊(応神天皇) - 同上
中比売尊(仲姫命) - 応神天皇の皇后。同上
太伯 - 句呉の祖。国内では唯一当社でのみ祀られる
・御利益
若返り。
子授け。
安産。
人気運アップ。大勢の人にアピールできるスター的な魅力をもらえる。
度量が大きくなる。
毎日をポジティブに過ごせるようになる。
参拝前に本殿前の亀石をなでると願いが叶いやすくなる。
鶴岡八幡宮
【恋愛成就、健康長寿、学業成就、交通安全など】
 京都の石清水八幡宮の分霊を勧請した鶴岡八幡宮
 そのご利益は極めて広範囲に及び、恋愛成就、家内安全、健康長寿、学業成就、合格祈願、交通安全など、あらゆる事に絶大なる力をお示しくださるといわれています。

➂『鬼子母神の縁日』 :
「鬼子母(きしぼ)神」は仏教諸神の一つです。
仏教の守護神。サンスクリット語でハーリーティーといわれる鬼女。訶梨帝母 (かりていも) ,歓喜母ともいう。
 「鬼子母」は、500人(一説に千人又は一万人)の子の母でありながら性質邪悪で、常に人の子を捕えて食べて仕舞う為、仏は彼女が最も愛していた末子、愛好をを隠して戒め、仏教に帰依させたといわれます。
以後、求児・安産・幼児保育など(時として盗難除の守護)の祈願を叶える「仏法の護法神」となり信仰されています。
日本では主として,安産,保育の神として信仰され,ときに盗難よけの神ともされる。しかし仏教に取入れられる以前のインドでは生産の神として信仰されたと考えられる。
単独で信仰されるほか,密教では普賢十羅刹女 (ふげんじゅうらせつにょ) 図中にも加えられる。像容は天女形と鬼神形とがある。京都醍醐寺蔵の『訶梨帝母像』は柔和でふくよかな容貌で,宋画の影響を受けた 12世紀後半の仏画の新傾向を示す遺例。
彫像は滋賀園城寺東大寺などにすぐれた遺品がある。東京の法明寺は「雑司ヶ谷鬼子母神」として有名。
御利益は安産・子育(こやす)です。
その他
無病息災のご利益 … 発症前の身代わり
病気平癒のご利益 … 発症後の健康回復
手術成功のご利益 … 心臓病、脳梗塞など
ガン封じのご利益 … 胃がん、肺がん、前立腺がん、乳癌など
心の病気のご利益 … うつ病などの心の傷の回復、ストレス改善
その像は、天衣瓔珞をつけ、子供を一人懐に抱いて、右手に吉祥果(ざくろ)を持ちます。
ざくろは人肉に似た味がするといわれます。
東京・入谷の「おそれいりやの鬼子母神」が有名です。

➃『江文神社
江文神社』(えぶみじんじゃ)は京都府京都市左京区にある神社。毎年5月5日に例大祭が行われる。大原から静原に出る江文峠への峠道の傍らに鎮座する。
祭神は倉稲魂神
ご利益は、五穀豊穣、衣服・アパレル、生産・産業振興です。
歴史
創建年代は不明。『延喜式神名帳』に見える山城国愛宕郡「伊多太神社」とする説もあるが(式内社論社)、通説では否定されている。社伝によれば、三千院鎮守神として創祀されたとも、延暦寺座主の円仁(慈覚大師)の勧請によるともいい、山王神道と深い関係を持った。
また、後方に聳える江文山(現在の金比羅山)の頂に祀られていた神々を、山麓に社殿を建立して勧請したものともされる。中世には栄えたが、織田信長比叡山攻略の影響で退転したという。
大原八ヶ町の氏神である。また、元来は、毘沙門堂江文寺という神仏習合の宮寺であった。
境内社
級長津彦神社(級長津彦命・発鳥神)
軻遇突智神社(軻遇突智神・飯道山神・八幡宮
満山神社(愛宕神・御霊神・鹿島神)
天満宮社(天満宮・稲荷神)
(境外大原大長瀬町鎮座)梅ノ宮神社

➄大比叡(おおびえ)権現 (国常立尊)大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。
祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
主な祭事
大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。
山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。
山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。
みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。
下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。
もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。
御利益
初宮詣 交通安全(車のお祓い) 厄除け 家内安全 良縁 災難消除 方除け
子授け 商売繁盛 安産 病気平癒等

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☆彡7月8日の誕生日
1621年ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ (仏:詩人)Jean de La Fontaine[1695年4月13日歿]
1679年若林強齋 (朱子学者)[1732年1月20日歿]
1838年フェルディナンド・フォン・ツェッペリン (独:軍人,飛行船開発)Ferdinand Graf von Zeppelin
[1917年3月8日歿]
1839年ジョン・ロックフェラー (米:実業家,慈善家「石油王」)John Davison Rockefeller
[1937年5月23日歿]
1841年ヴィンチェンツォ・ラグーザ (伊:彫刻家)Vincenzo Ragusa[1927年3月13日歿]
1868年山田美妙 (小説家,詩人,評論家,国語学者)[1910年10月24日歿]
1885年エルンスト・ブロッホ (独:哲学者)Ernst Simon Bloch[1977年8月4日歿]
1903年杉狂児 (歌手,俳優)[1975年9月1日歿]
1904年アンリ・カルタン (仏:数学者,エリ・カルタンの子)Henri Paul Cartan[2008年8月13日歿]
1908年東山魁夷 (日本画家)1969年文化勲章[1999年5月6日歿]
1912年渡邉包夫 (書画古文書鑑定士)[1998年10月14日歿]
1937年永島慎二 (漫画家)[2005年6月10日歿]
1938年今津光男 (野球(内野手))[2005年11月7日歿]
1939年吉行理恵 (小説家『小さな貴婦人』,吉行淳之介吉行和子の妹)1981年上期芥川賞[2006年5月4日歿]
1941年南将之 (バレーボール)[2000年4月7日歿]
1942年はやし家林蔵 (落語家)[2010年3月3日歿]
1942年三枝成彰 (作曲家)
1942年小川甲子(甲にしき) (女優[元](宝塚歌劇(46期)),東京宝塚劇場支配人,萬屋錦之介の妻)
1943年朝嵐大三郎(振分親方[元]) (相撲)
1944年玉置一弥 (衆議院議員[元])
1945年大谷昭宏 (ジャーナリスト)
1946年水野誠一 (参議院議員[元],西武百貨店社長)
1947年元谷芙美子 (経営者,アパホテル社長)
1948年キム・ダービー (米:女優)Kim Darby
1949年大木凡人 (タレント)
1950年河あきら (漫画家)
1956年中村有志(中村ゆうじ) (俳優,パントマイマー)
1957年麻生圭子 (作詞家,エッセイスト)
1958年ケヴィン・ベーコン (米:俳優)Kevin Bacon
1959年西田昌史 (歌手,音楽プロデューサー)
1959年川口和久 (野球(投手))
1960年藤川政人 (参議院議員)
1961年三谷幸喜 (脚本家,劇作家)
1963年桜沢エリカ (漫画家)
1964年古今亭駿菊(古今亭菊若) (落語家)
1964年松田ケイジ (俳優)
1964年八代英輝 (弁護士,タレント)
1965年久世星佳 (女優(宝塚歌劇[元](69期)))
1968年マイケル・ウェザリー (米:俳優)Michael Weatherly
1969年SUGIZO (ミュージシャン(LUNA SEA[解散]/ギター))
1969年安永亜衣 (女優)
1971年小城錦康年(中立親方) (相撲)
1972年なるみ(新屋鳴美) (漫才師(トゥナイト[解散]))
1972年谷原章介 (俳優)
1974年西川美和 (映画監督,脚本家『ゆれる』)
1980年佐藤光留 (プロレス)
1981年小林慎一郎 (騎手)
1981年鈴木啓太 (サッカー(MF))
1988年若ノ鵬寿則 (ロシア:相撲)
?年ひびき美都 (女優(宝塚歌劇[元](64期)))
?年出雲綾 (女優(宝塚歌劇[元](69期)))


☆彡7月8日の命日・忌日
1153年エウゲニウス3世 (ローマ教皇(167代),第2回十字軍を計画)Eugenius III
1176年平滋子(建春門院) (皇族,後白河上皇の女御) <数え35歳>[1142年生]
1597年ルイス・フロイス (ポルトガル:イエズス会宣教師) <65歳>Luis Frois
旧暦05/24 長崎で歿[1532年生]
1623年グレゴリウス15世 (ローマ教皇(234代),現行の教皇選挙規則を制定) <69歳>
Gregorius XV[1554年1月9日生]
1695年クリスティアーン・ホイヘンス (蘭:物理学者,数学者,天文学者) <66歳>
Christiaan Huygens(Christiani Hugenii Zulichenmii)[1629年4月14日生]
1822年パーシー・ビッシュ・シェリー (英:詩人) <29歳>
Percy Bysshe Shelley[1792年8月4日生]
1859年オスカル1世 (スウェーデンノルウェー:国王(ベルナドッテ朝2代)) <60歳>
Oscar I[1799年7月4日生]
1903年初代伊藤忠兵衞 (実業家,伊藤忠・丸紅の祖) <61歳>[1842年7月2日生]
1914年初代三遊亭遊三 (落語家)<75歳>[1839年生]
1939年ハヴロック・エリス (英:思想家,心理学者,性科学創始) <80歳>
Henry Havelock Ellis[1859年2月2日生]
1940年吉行エイスケ (詩人,小説家,吉行淳之介吉行和子の父) <34歳>[1906年5月10日生]
1944年南雲忠一 (海軍軍人,真珠湾奇襲の機動部隊指揮官) <57歳>
サイパン島で自決[1887年3月25日生]
1962年ジョルジュ・バタイユ (仏:小説家,評論家,思想家) <64歳>Georges Bataille[1897年9月10日生]
1965年河野一郎 (衆議院議員,建設相(21・22代),農相(20~22・30代),経企庁長官(5代)) <67歳>[1898年6月2日生]
1967年ヴィヴィアン・リー (英:女優『風と共に去りぬ』『欲望という名の電車』) <53歳>Vivien Leigh[1913年11月5日生]
ヴィヴィアン・リー


欲望という名の電車(字幕版) (プレビュー)

ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh, Lady Olivier、1913年11月5日 - 1967年7月8日)は、イギリスの女優。1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役と、1951年の映画『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ役でアカデミー主演女優賞を受賞した。
欲望という名の電車』は、1949年にロンドンのウェスト・エンドで上演された舞台版に引き続いてリーがブランチ・デュボワを演じた作品でもある。また、1963年のブロードウェイ・シアターで上演されたミュージカル『トヴァリッチ (en:Tovarich (musical))』で、トニー賞のミュージカル主演女優賞を受賞している。

リーは「私は映画スターではなく女優です。映画スター、そう映画スターなどというのは嘘だらけの暮らしでしょう。偽りの価値観と虚栄のための生き方です。(それに比べて)女優は人生すべてを費やすに値する仕事であり、いつだって素晴らしく重要な役割なのです」と語っている。

身長161 cm
職業女優
ジャンル舞台、映画
活動期間1933年 - 1967年
配偶者
ハーバート・リー・ホルマン(1932年 - 1940年)
ローレンス・オリヴィエ (1940年 - 1960年)
著名な家族
スーザン・ファーリントン(娘)
主な作品
風と共に去りぬ』(スカーレット・オハラ役)
『哀愁』
欲望という名の電車』(ブランチ・デュボワ役)

受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1939年『風と共に去りぬ
1951年『欲望という名の電車
ヴェネツィア国際映画祭
女優賞
1951年『欲望という名の電車
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演女優賞
1939年『風と共に去りぬ
1951年『欲望という名の電車
AFI賞
AFIアメリカ映画100年シリーズ
1999年 映画スターベスト100(女優部門第16位)
英国アカデミー賞
最優秀英国女優賞
1951年『欲望という名の電車
トニー賞
ミュージカル主演女優賞
1963年『Tovarich』
その他の賞
ハリウッド名声の歩道
1960年 映画産業への貢献、映画・演劇業界への業績に対して

 


ビビアン・リー銀幕の大スター画像集 



1979年ロバート・バーンズ・ウッドワード (米:化学者(有機化学),軌道対称性保存則を発見) <62歳>
Robert Burns Woodward1965年ノーベル化学賞[1917年4月10日生]
1979年中村三之丞 (衆議院議員,運輸相(22代)) <84歳>[1894年9月18日生]
1979年朝永振一郎 (原子物理学者,「くりこみ理論」発表) <73歳>
1965年ノーベル物理学賞,1952年文化勲章[1906年3月31日生]
1980年多田裕計 (小説家『長江デルタ』) <67歳>1941年上期芥川賞[1912年8月18日生]
1988年安住敦 (俳人,俳人協会会長) <81歳>[1907年7月1日生]
1989年荒垣秀雄 (評論家) <85歳>[1903年7月19日生]
1991年11代目都一中 (一中節三味線方) <84歳>1984人間国宝[1906年9月4日生]
1994年金日成(キム・イルソン) (北朝鮮:国家主席) <82歳>[1912年4月15日生]
1997年中原美紗緒 (シャンソン歌手) <65歳>[1931年7月18日生]
1998年村社講平 (陸上競技(長距離)) <92歳>[1905年8月29日生]
2001年17代目市村羽左衛門 (歌舞伎役者) <84歳>1990年人間国宝[1916年7月11日生]
2003年稲田悦子 (フィギュアスケート) <79歳>[1924年2月8日生]
2003年奥谷通 (衆議院議員) <51歳>[1951年10月7日生]
2003年戸田邦雄 (作曲家) <87歳>[1915年8月11日生]
2004年永原慶二 (歴史学者) <81歳>[1922年7月12日生]
2005年串田孫一 (哲学者,随筆家) <89歳>[1915年11月12日生]
2007年ジェリー伊藤 (俳優,歌手) <79歳>[1927年7月12日生]
2007年村上恵梨 (タレント) <25歳>[1982年5月23日生]
2009年
川喜田二郎 (地理学者,文化人類学者,KJ法を考案) <89歳>[1920年5月11日生]

 

☆彡今日の一言 ブッダの言葉 『業(カルマ)を変える』


◆善いい業(カルマ)のエネルギーは必ず報われる

自分が行動・言葉・思考によって心に刻み込む善い業(カルマ)のエネルギーを軽んじて、「どうせ善いことをしても、その報いは自分に返ってこないからどうでもいいや」と投げやりにならないように。

 たとえ誰も見てないないようなところで、公衆トイレを使う時に陶器の汚れを見つけ、それをそぎに使う人の為を思って拭きとってふげるという程度の善い心でも、一滴一滴の水滴がやがて水瓶をいっぱいにするように、少しづつ蓄積される。

善き業(カルマ)のポジティブなエネルギーは、心の水がめにポタリポタリと滴り落ちて少しづつ蓄積されて、やがて、心地よい報いをもたらすだろう。


法句経122


以上は 小池龍之介著 ブッダの言葉 より一部抜粋


Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。

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