終活・生活・再生日記 「夢幻」

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毎月18日は観世音菩薩、鬼子母神。七面大明神、小比叡権現、三上大明神の縁日

毎月18日は➀観世音菩薩➁鬼子母神七面大明神小比叡権現➄三上大明神の縁日です。



➀観音の縁日 : 毎月18日は「観音の縁日」で、この日が一年で最後の「観音様の縁日」(納め観音)の日です。

 

「観世音菩薩」の縁日です。※1月18日が「初観音」。
観音の縁日は観音講に由来するといわれ、京都・「清水寺」の清水講は特に有名です。
観世音菩薩は、慈悲深い徳があって、大慈大悲で衆生を済度するのを本願とし、世の衆生の求めに応じて大慈大悲を垂れ、三十三身に身を現じると言われる勢至菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍です。

7月10日は、千日詣(四万六千日)と称し、この日に参詣すれば特別な功徳があるといわれます。
観音信仰の寺院としては、西国三十三所「観音霊場」や東京「浅草寺」、千葉「笠森観音」、奈良「長谷観音」、高崎「石原清水観音」等が有名で、また、「京都七観音(革堂、川崎大師、吉田寺、清水寺六波羅蜜寺、六角堂、蓮華王院」)は現在でも七観音詣が盛んに行われ、東京でも、これにならって「浅草七観音」があります。

 

★観世音菩薩 かんぜおんぼさつ
十三仏の百ケ日導師。三十日秘仏の十八日仏。
単独で祀られることも多いが、勢至菩薩と同様、阿弥陀様の脇侍きょうじとして阿弥陀三尊でまつられます。阿弥陀様の助手的な働きを担当します。
阿弥陀様の化身と考えられ、冠に阿弥陀様の化仏を付けているのが特徴です。
施無畏者せむいしゃ救世菩薩くせぼさつ救世浄聖くせじょうしょう蓮華手れんげしゅ普門ふもん大悲聖者だいひしょうじゃなどいろいろな呼び名があります。
千手観音、如意輪観音、十一面観音、三十三観音など色々ありますが、一面二臂の聖観音が基本です。
※仏様の手を数えるときは臂(ひ)といいます。例えば顔が3つで手が6本のときは三面六臂といいます。
『納めの観音』 : 

 

鬼子母神の縁日 :
「鬼子母(きしぼ)神」は仏教諸神の一つです。

 

※「鬼子母」は、500人(一説に千人又は一万人)の子の母でありながら性質邪悪で、常に人の子を捕えて食べて仕舞う為、仏は彼女が最も愛していた末子、愛好をを隠して戒め、仏教に帰依させたといわれます。

以後、求児・安産・幼児保育など(時として盗難除の守護)の祈願を叶える「仏法の護法神」となり信仰されています。
その像は、天衣瓔珞をつけ、子供を一人懐に抱いて、右手に吉祥果(ざくろ)を持ちます。
ざくろは人肉に似た味がするといわれます。
東京・入谷の「おそれいりやの鬼子母神」が有名です。

鬼子母神 きしもじん
鬼子母は夜叉神の娘で、鬼の妻となり子供をたくさん産みました。性質は荒く、小さな子供たちを食べるので、人々から恐れられていました。
お釈迦様は、これを戒めるため鬼子母の末っ子を隠し、子を失う悲しみを説きました。それいらい鬼子母は善神となりました。
鬼子母神、愛子母、歓喜母、功徳天などと呼ばれ、子授け、安産の神様です。
鬼ではなくなったので、鬼子母神の鬼の字は、鬼の角にあたる頭の点を取った字を使います。

鬼子母は法華経信者を守るという話があるので、日蓮宗の寺によく祀られています。
サンスクリット語の名前はハリティー。訶梨帝または訶梨底かりていと書きます。古代インド神話に出てくる羅刹らせつ=女の鬼です。
生んだ子供は500人、千人、1万人、といろいろな説があります。


七面大明神(しちめんだいみょうじん)は、七面天女とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神。

 

七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。

その本地は、山梨県南巨摩郡早川町にある標高1982mの七面山山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神で、吉祥天とも弁財天ともいわれる。伝説によると、日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登山して、永仁五年(1297年)九月十九日(旧暦)朝に七面大明神を勧請したと言われている。

七面山は、古来より修験道が盛んな山で、山頂にある大きな池のほとりには池大神が祀られている。その姿は役の小角の姿である。
日蓮聖人の時代以前から、すでに七面山には山岳信仰の形態の一つとしての池の神の信仰があった。

日蓮より二百年余りの昔、京都の公卿の姫が業病にかかった際、厳島明神の「甲斐の国 波木井郷の水上に七つ池の霊山あり。その水にて浄めれば平癒せん」というお告げを受けて癒された姫君説話の舞台でもある。
縁日は毎月18日もしくは19日である。


小比叡権現 日吉大社東本宮
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。別名山王権現ともいう。

 

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。

 

祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
主祭神
西本宮:大己貴神
東本宮:大山咋神

比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師比叡山延暦寺を開かれてよりは天台宗護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。

日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等
また、多くのお社の中心となるのが東西本宮をはじめとする山王七社です。
由緒及び建物の特徴
日吉大社は、比叡山の東麓に所在し、境内の東側には大津市坂本の重要伝統的建造物群保存地区が広がります。

延喜式では日吉神社一座としるされ、比叡山及び境内の八王子山を神体山とする神社で、延暦寺が開かれてからは、その守護神として発展し、全国3800余の日吉・日枝・山王神社などの総本宮です。

東本宮本殿は、境内の東端、八王子山の麓に位置します。神社が織田信長の焼き討ちにあったため、文禄4年(1595)に再建されたことが、記録から明らかになっております。
建物は、織田信長に焼かれたものの、平安時代以来の様式を伝えているといわれる、特殊な日吉造で建てられており、国宝の西本宮本殿と重要文化財の摂社宇佐宮本殿も同じ形式で建てられています。

平面は、正面三間、側面二間の内陣の正・両側面に外陣を配置し、更にその外側の四周に高欄付きの縁を廻し、正面に木階を設け向拝としています。この身舎の正・両側面の三方に庇を設けた平面構成が、日吉造(ひえづくり)の特徴的な外観にもよく現れています。

正面は、入母屋造のようですが、背面は庇がないために、左右の庇の部分を縋破風でおさめていますので、屋根を垂直に切り落としたような独特な姿となっています。
また、建物の床が地面より高いため、床下に下殿(げでん)と呼ばれる、仏式で、神を拝んでいた特殊な部屋が設けられています。


➄三上大明神 滋賀御上神社
御上神社(みかみじんじゃ)は、滋賀県野洲市三上にある神社。式内社名神大社)、旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社

主祭神 天之御影命
神体 三上山(神体山)
社格
式内社名神大
官幣中社
別表神社

概要
琵琶湖南岸、「近江富士」の別名もある三上山(標高432メートル)の山麓に鎮座し、三上山を神体山として祀る神社である。三上山は藤原秀郷(俵藤太)のムカデ退治伝説でも知られる。

境内には国宝の本殿のほか、拝殿・楼門・摂社若宮神社(いずれも国の重要文化財)を始めとする社殿が残る。また、国の重要文化財指定の木造狛犬京都国立博物館寄託)を伝えるほか、秋季古例祭(ずいき祭り)は国の重要無形民俗文化財に指定されている。

祭神
祭神は次の1柱。
天之御影命(あめのみかげのみこと)
天津彦根命の子(天照大神の孫)。鍛冶の神である天目一箇神と同一神とされ、日本第二の忌火の神とされる。

ずいき祭り
10月14日に行われる秋季古例祭は、「ずいき祭り」と通称される。古くは「若宮殿相撲御神事」と呼ばれていたという。

秋の収穫感謝と子孫繁栄を祈念する祭りで、鎌倉時代以前に始まったとされる。ずいきで作った神輿(ずいき神輿)が5基奉納されるほか、芝原式として子供相撲が奉納される。中世の宮座の祭祀組織や神事を伝えていることから、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

御利益 刀剣、火の神様。勝運成就、開運招福、災難除け。武人パワー。

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