終活・生活・再生日記 「夢幻」

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毎月11日は、歓喜仏、石清水八幡宮、大津日吉大社の縁日です。

 


毎月11日は、➀歓喜仏➁石清水八幡宮➂大津日吉大社の縁日です。

 

歓喜仏 かんぎぶつ
三十日秘仏の十一日仏。
菩薩の十の段階で、最初の段階を歓喜地といいます。
自分への執着を捨てて、他のものの悟りを実現するためあらゆる徳目を実践して、そのことに喜びを得える仏様です。

歓喜天(かんぎてん 歓喜自在天)は、仏教の守護神である天部の一つ。
また、聖天(しょうでん、しょうてん)、大聖歓喜天、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、象鼻天(ぞうびてん)、天尊(てんそん)。あるいはVināyaka、Gaṇapatiを音写して、毘那夜迦(びなやか)、誐那缽底(がなぱてい)ともいう。

頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、稀に人頭人身の形像も見られる。

多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは少ない。

歓喜仏は宇宙的次元における、現実世界と絶対世界、迷いと悟り、自と他、女性の般若の智慧と男性の方便の活動といったような、ありとあらゆる二元的な要素や観念というものが、本質的には一つのものであることを象徴的に表現しているものです。

供物
歓喜団・歓喜丸・団喜
歓喜天に供えることに因み、この名前が付いた菓子である。主に歓喜団(かんぎだん)歓喜丸(かんぎがん)、または略称で団喜(だんき)などと呼ぶ。形状は、単体多臂像の歓喜天(男天)が巾着袋(砂金袋)を手にしているため、その巾着袋を模したものといわれている。

本来はモーダカ(modakam)と呼ばれるインド料理とされ、日本では歓喜天・双身毘沙門天への定番の供物になる。経典中には歓喜団の名が記され、材料や作り方についてはさまざま示される。

平安時代中期成立の『和名類聚抄』の飯餅類では「歓喜団、一名団喜」と記し、八種唐菓子の一種として紹介している。
江戸時代中期の公卿、近衛家熙は著書で歓喜天の祭り日にある餅を包んで揚げた料理は歓喜団であると載せ、京都の菓子屋では飴を包み油で揚げた菓子を歓喜天への供物として売っていたことから、これは清浄歓喜団のことだという。
現在でも京都市の「亀屋清永」が通年菓子にて清浄歓喜団を販売し、今日に遺風を伝えている。

蘇・蜜・麵・干薑・クルミ・石榴・苺など11種の材料を混ぜて作るとされ、また、調伏・息災など祈願の目的によっても種類が違うという説がある。今では、米粉を水で混ぜて、平たい餅にして、中に小豆粉、切った串柿、薬種を入れて油で揚げる。形は、端をひねって、石榴(ざくろ)の形に模す。

吉祥果の実を表し、白米の粉を練って、小豆の餡を包んで、上を八弁の花にようにして、巾着にように絞り、油で揚げる。福徳を包み込んでいる巾着を表しているという。小豆の餡は愛念を表し、白米の衣は純浄の智光を意味する。上の八弁は八苦を除いて、八福に浴し、その利益を表すとされる。

『倭名類聚抄』では歓喜団の食材に「涅槃経云」と、酥、蜜、薑、胡椒、蓽、茇、葡萄、胡桃、石橊(ザクロ)、などを挙げ、これを「和合(調合)」すると経典からの記述がある。

酒・大根]
聖天供(歓喜天供)に供物として、歓喜団・歓喜丸と共に、酒・大根が一緒に供えられる。

逸話
昔、インドにマラケラレツという王様がいた。王は肉を好み、牛を食いつくし、死人も食いつくしてしまい、ついには生きた人間まで殺して食べるようになった。

困り果てた群臣や人民は反旗を翻して王を殺害しようとすると、王は鬼王ビナーヤカとなって飛び去ってしまった。その後、国はビナーヤカの祟りに苦しめられるようになり、ついに十一面観音に助けを求めた。すると観音は、ビナーヤカの女神に姿を変え、王に仏教守護を誓わせる代わりに身を捧げた。

十一面観音の化身たるビナーヤカ女神を抱いた王は大歓喜を得たので「歓喜天」と呼ばれるようになった。

◆日本三大聖天
日本三大聖天は、
東京都台東区本龍院(通称 待乳山聖天
奈良県生駒市宝山寺(通称 生駒聖天)
上記の二山の聖天に、
埼玉県熊谷市歓喜院(通称 妻沼聖天)
静岡県小山町足柄山聖天堂(通称 足柄聖天)
三重県桑名市の大福田寺(通称 桑名聖天)
兵庫県豊岡市の東楽寺(通称 豊岡聖天)
の内のどれか一山の聖天を加えたものとするのが一般的である。

 

八幡大菩薩 石清水八幡宮
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
宇佐神宮筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社、また宮中の四方拝で遥拝される一社である。

平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮大分県宇佐市)から勧請された神社で、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。武家からは特に源氏が武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮鶴岡八幡宮など、当社から各地に八幡宮が勧請された。

創建以来、当社は境内の護国寺と一体になる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓社殿を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。

その後、明治維新神仏分離において仏式は排除された。仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。

境内は国の史跡に指定されており、大きく分けて本宮のある山上の上院と、頓宮や高良神社のある山麓の下院とから成る。また、本社10棟の建物が国宝に指定されている。

◆祭神
祭神は次の3柱。3神は「八幡三所大神」「八幡大神」等と総称される。
中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと)
第15代応神天皇の本名。
西御前:比咩大神 (ひめおおかみ)
宗像三女神、すなわち多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)の3柱を指す。
東御前:息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)
神功皇后の本名。

◆登場作品
徒然草』 第52段「仁和寺にある法師」
今昔物語集
源氏物語』 - 「玉鬘」帖で、夕顔の遺児玉鬘が八幡に参詣する。


➂客人(まろうど)大明神 大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。

祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫

日吉大社は全国各地にある3,800余りの「山王(さんのう)さん」の総本宮比叡山連峰 八王子山(牛尾山・378m)の麓に広がり、延暦寺門前町坂本の鎮守神

 「山王七社」「山王二十一社」ともいわれ、摂社・末社が多くあります。創祀は古事記に記されるほど古く、地主神である大山咋神(おおやまくいのかみ)とその妻、鴨玉依姫神かもたまよりひめのかみ)を祀ったのが始まりです。その後、延暦寺の発展とともに整備されました。

 境内は、東本宮と西本宮の2区域からなります。東本宮は神体山の八王子山(378m)に鎮座する大山咋神を祀ったものです。山頂付近には金大巌(こがねのおおいわ)と呼ばれる大きな磐座(いわくら)や迫力ある懸造りの奥宮などがあります。

 西本宮は大津京遷都にあたって奈良県三輪山より大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請したもので、宇佐神宮姫神をまつる宇佐宮、加賀国一宮である白山比〓神社から勧請した白山宮などがあります。東本宮・西本宮ともに本殿は日吉造(ひえづくり)といわれる特殊な建築で、国宝です。

 このほか、石の橋で重要文化財に指定されたのは珍しいといわれる日吉三橋(ひよしさんきょう)、猿の彫刻がある朱色の西本宮楼門、山王の「山」という文字を表した山王鳥居など、重要文化財が多くあります。ご社殿の大半は織田信長による比叡山焼き討ち以後、江戸時代初期に再建、建立されたものです。

 大宮川の渓流が流れる清風の森に、見事な建築美を誇る数多くの社殿が点在し、特に秋は周囲の紅葉に壮麗な社殿が映えてさらに美しい眺めになります。

 また、「山王さん」と呼ばれて広く親しまれている例祭(山王祭)は、湖国三大祭の1つです。3月の第1日曜・27日・30日、4月3日・12日から15日に行われ、特に、4月13日の宵宮落し神事は期間中最も勇壮な神事です。

〈国宝〉西本宮本殿 東本宮本殿
〈重文〉西本宮拝殿 東本宮拝殿 摂社樹下宮本殿及び拝殿 摂社宇佐宮本殿及び拝殿 摂社白山宮本殿及び拝殿 摂社牛尾宮本殿及び拝殿 摂社三宮宮本殿及び拝殿 西本宮楼門 日吉三橋 東本宮楼門 山王金銅装御輿
〈史跡・名勝〉日吉大社境内


日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等

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