終活・生活・再生日記 「夢幻」

生と死と再生&感謝、祈り・絆、縁日、雑感等についてお知らせしています。

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毎月30日は釈迦如来、吉備大明神、貴船大明神、の縁日&ブッダの言葉

 毎月30日は釈迦如来、吉備大明神、貴船大明神、の縁日です。


①釈迦如来 しゃかにょらい
十三仏の二七日導師。三十日秘仏の三十日仏。
お釈迦様は装飾品を付けていないのが特徴です。また誕生仏は上半身裸の子供の姿で、右手で天を左手で地面を指しているのが特徴です。
釈迦は種族の名前です。通常私たちが呼んでいるお釈迦様の名前は、姓がゴータマ、 名がシッダールタといいます。
ゴータマは瞿曇くどん、シッダールタは悉達多しっだった、悉陀しっだなどと書きます。
釈迦は釈迦牟尼の略で、釈迦族出身の聖者を意味します。
仏や仏陀ぶっだは、目覚めた人、悟った人と言う意味で、もともとインドではすぐれた修行者や聖者に対する呼び名として使われていました。

➁吉備大明神 吉備津神社
吉備津神社
吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区吉備津にある神社。式内社名神大社)、備中国一宮。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」とも称したが、現在は「吉備津神社」が正式名である。
概要
岡山市西部、備前国備中国の境の吉備の中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座する。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。当社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。
本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国備後国の一宮(備前吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る。
足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。また社殿3棟が国の重要文化財指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名である。
当地出身の政治家犬養毅は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したという。神池の畔に犬養毅銅像が建てられ、吉備津神社の社号標も同人の揮毫になる。
祭神
祭神は次の9柱。
主祭神
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
第7代孝霊天皇の第三皇子で、元の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいせさりひこのみこと、五十狭芹彦命)」。崇神天皇10年、四道将軍の1人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命と吉備を平定した。その子孫が吉備の国造となり、古代豪族の吉備臣になったとされる。
相殿神
御友別命(みともわけのみことのみこと) - 大吉備津彦命の子孫。
仲彦命(なかつひこのみこと) - 大吉備津彦命の子孫。
千々速比売命(ちちはやひめのみこと) - 大吉備津彦命の姉。
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと) - 大吉備津彦命の姉。
日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと) - 大吉備津彦命の兄。
倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと) - 大吉備津彦命の妹。
彦寤間命(ひこさめまのみこと) - 大吉備津彦命の弟。
若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと) - 大吉備津彦命の弟。
雨月物語』 - 「吉備津の釜」にて鳴釜神事が登場する。
神社の境内には平安杉という名の、樹齢千年以上とされる御神木がそびえています。
「この大杉に龍が宿る」という伝承もあり、吉備津彦神社のシンボルともなっています。
吉備津神社を含み、神山全体が大きなパワースポットといえる。記紀によれば、崇神四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を造られたとされている。建築様式は日本建築の傑作「吉備津造り(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事、また桃太郎伝説のモデルなどで知られている。
ご利益・パワー種類 健康・病気治癒 安全祈願・厄除け

 

貴船(きふね)大明神 京都貴船神社
貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」という。
祭神 高龗神 (たかおかみのかみ)
概要
水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。
古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。
また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。
ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には丑の刻であるかどうかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。
付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。
神水は京都の水脈の源流である貴船から流れるものであり、飲料可。
おみくじ
貴船神社のおみくじは、くじを引いて巫女に告げるのではなく、一見真っ白に見える紙の中から一枚を選び、境内の霊泉に浮かべると吉凶が解る「水占おみくじ」である。当社のおみくじには「大凶」が本当に存在するが、神社側では「大凶が出たと言っても、その後の人生が決定された訳ではないので、あくまでも『参考程度』に留めて欲しい」と述べている。
日本各地の貴船神社
当社から勧請を受けた貴船神社貴舟神社貴布禰神社貴布祢神社木船神社木舟神社など)が日本各地に約450社あり、また祭神を同じくし「おかみ」を社名とする神社(龗神社、高龗神社、闇龗神社、意賀美神社など)は2,000社を超える。


☆彡今日の一言 ブッダの言葉 『業(カルマ)を変える』


◆業(カルマ)は変化させられる

 

人は肌の色や王様の子か社長の子か平民の子か奴隷の子かといった階級や、

 

生まれつきの美醜といった見た目などによって、

 

卑しい人となるのでもなければ、清らかな人となるものでもない。

 

これまで心に心に刻み込んできた業(カルマ)のエネルギーによって

 

だんだん卑しい人になりもすれば、

 

その業(カルマ)のエネルギーを変化させることによって、

 

だんだん清らかな人になりもする。

 

経集136


以上は 小池龍之介著 ブッダの言葉より一部抜粋&加筆

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毎月23日は、大勢至菩薩、不空羂索観音、住吉大明神、諏訪大明神、八幡神 、の縁日&ブッダの言葉 

毎月23日は、➀大勢至菩薩、➁不空羂索観音、➂住吉大明神、➃諏訪大明神、➄八幡神 、の縁日です。

➀大勢至菩薩 だいせいしぼさつ 偉大な智慧の光を持つ菩薩
勢至菩薩(せいしぼさつ)は、仏教における菩薩の一尊。「大勢至菩薩」、「大精進菩薩」、「得大勢菩薩」の別名がある。現在日本では午年の守り本尊、十三仏の一周忌本尊として知られている。三昧耶形は未敷蓮華(ハスの蕾)。
三十日秘仏の二十三日仏。
勢至菩薩は観世音様と同じく阿弥陀様の脇侍で、人々の無知を救う仏の智慧を象徴した菩薩です。
阿弥陀三尊の一つ。大勢至,大精進,得大勢ともいわれる。阿弥陀仏の右の脇侍 (わきじ) 菩薩で,智慧の光により衆生に菩薩心の種子を与えるとされる。
智慧の光をもってあまねくいっさいを照らし、無上の力を得させるという菩薩。阿弥陀三尊の一で、阿弥陀仏の右の脇侍。宝冠の中に宝瓶(ほうびょう)をのせ、手に蓮華(れんげ)を持つ姿に表す。
概要
阿弥陀三尊の右脇侍。 『観無量寿経』の中には「知恵を持って遍く一切を照らし、三途を離れしめて、無上の力を得せしむ故、大勢至と名ずく」とあり、火途・血途・刀途の三途、迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救い、その亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせる菩薩とされる。
薬師如来本願功徳経では、八大菩薩の一尊である。
四国八十八箇所霊場十三仏では第53番札所の須賀山圓明寺で朱印がもらえる。京都十三仏霊場では第9番札所の大内山仁和寺
浄土宗における法然信仰
法然勢至菩薩の化身とする説が中世からあった。法然は幼名を勢至丸といい、「智慧第一の法然坊」といわれ、生前から智慧の化身として考えられていた。法然没後、弟子の親鸞は「大勢至菩薩和讃」を詠み、末尾に「大勢至菩薩源空上人(法然)の御本地である」と述べている。
また親鸞の妻恵信尼霊夢を見、「光ばかりの御仏」を見たところ、「あれは勢至菩薩法然のことだ」という声が聞こえたという話が「恵信尼消息」に出ている。京都知恩院には勢至堂が建てられ、本尊として勢至菩薩像が安置されている。これは法然の本地であるという。この像は来迎阿弥陀三尊の脇侍としての勢至菩薩と同様、合掌形に表されている。
勢至菩薩(せいしぼさつ)とは?
 正しくは大勢至菩薩といいます。智慧の光ですべてのものを照らし、人々を迷いや苦しみから救うとされています。大勢至菩薩と表記されることもあります。智慧とは物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味ですよ。
 阿弥陀如来の右脇侍として観音菩薩と共に三尊で並ぶことがほとんであり、独尊で祀られることはほとんどありません。
 浄土信仰の高まりとともに流行する来迎形式の阿弥陀三尊の場合、観音菩薩が死者の霊をのせる蓮台を持ち、勢至菩薩が合掌をする姿でつくられます。その姿勢は、立像・坐像のほかにひざまずいた姿の跪像もみられます。
◆ご利益
 智慧明瞭、家内安全、除災招福のご利益があるとされています。午年の人々を守る守護本尊であり、午年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるともいわれています。
勢至菩薩(せいしぼさつ)の像容
 手を合わせているか水が入っている水瓶(すいびょう)を持っている姿が一般的です。
有名寺院と像
京都府清水寺
京都・三千院阿弥陀三尊像
奈良県法隆寺
奈良・法華寺蔵「阿弥陀三尊及童子像」のうち、観音・勢至菩薩

 

不空羂索観音
不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん/ふくうけんじゃくかんのん) は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。六観音あるいは七観音の一尊に数えられる。手に持っている縄で人々を漏らすことなく救済する観音菩薩
●不空羂索の意味
不空と書いて空(むな)しからずと読みます。人々が悟りに至ろうと願えば必ず叶うため、決して空しくないことを表します。
●羂索(けんさく)とは戦いや狩猟に用いる縄で先端に輪がついています。この道具は相手を殺さず生け捕りにするために使うことから、人々をもれなく優しく救うという意味があります。
不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)とは?
 鹿の皮の袈裟を着ている為、鹿皮観音(ろくひかんのん)と呼ばれる場合もあります。「不空」とは信じれば必ず願いが叶い空しい思いをさせない、という意味で、「羂索」とは古代インドで密猟や戦闘に使われた捕縛用の縄のことです。
そのため名前にはあらゆる人々の悩みを逃がすことなく救済し、願いを叶えるという意味があります。十一面観音の2倍のご利益である二十種の功徳(現世利益)と八種の利益(死後成仏)が得られ、奈良時代に信仰が盛んであったとされます。
 天台宗系では六観音の1つに数えられ、人道を救済するとされています。また准胝観音と合わせて七観音と呼ばれることもあります。
◆ご利益
健康長寿、病気治癒、財福授与、美しくなる、罪障消滅、極楽浄土に行けるなどのご利益があるとされています。
不空羂索観音菩薩には20のご利益があるとされています。ただし、これらの利益を得るための正式な拝み方があります。
毎月8日に行動や飲食を慎んで心身を正常にした上で、不空羂索観音菩薩の真言を唱え続け無ければなりません。
・病気をしなくなる
・病気にかかってもすぐ治る
・体がつややかになり、肌がきめが細かく柔らかくなる
・多くの人から敬愛され身を守られる
・財宝を得る
・財宝を盗まれない
・水や火の災難に遭わない
・国王により身を害されることがない
・事業で失敗しない
・植えた農作物に天候や害虫の被害が無い
真言を唱えればすべての災難が消える
・悪鬼などに精気を奪われない
・恨みに畏れなくなる
・恨みが解消する
・他人や鬼神に畏れなくなり、呪いや邪気による害も無い
・すべての煩悩が消える
・火・刀・薬の災難では死なない
・諸天善神の加護を受ける
・どこに輪廻転生しても慈悲喜捨を忘れない
三昧耶形は羂索(狩猟用の投げ縄、または両端に金具を付けた捕縛縄)、開蓮華(満開のハスの花。聖観音の初割蓮華と対をなす)。
日本では「不空羂索観音菩薩」や、「不空羂索観世音菩薩」などさまざまな呼称がある。尊名の「不空」とは「むなしからず」、「羂索」は鳥獣等を捕らえる縄のこと。従って、不空羂索観音とは「心念不空の索をもってあらゆる衆生をもれなく救済する観音」を意味する。
概説
天台宗系では、真言宗系の准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。また准胝観音不空羂索観音を共に数えて七観音とする場合もある。
多面多臂の変化(へんげ)観音のなかでは、十一面観音に次いで歴史が古い。漢訳経典のなかでは隋時代の6世紀後半に訳された「不空羂索呪経」に初めて現われ、唐の菩提流志(ぼだいるし)が8世紀はじめに訳した「不空羂索神変真言経」にも像容等が詳しく説かれている。
代表作としては、東大寺法華堂(三月堂)本尊の立像(奈良時代、国宝)が著名である。この像の存在自体が、奈良時代不空羂索観音信仰があったことを如実に物語っている。
京都・広隆寺
奈良・興福寺南円堂
香川・法蓮寺像

 

➂住吉大明神 住吉大社
住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。式内社名神大社)、摂津国一宮、二十二社(中七社)の1つ。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国にある住吉神社の総本社である。本殿4棟は国宝に指定されている。
概要
大阪市南部、上町台地基部西端において大阪湾の方角に西面して鎮座する。海の神である筒男三神と神功皇后を祭神とし、古くはヤマト王権の時代から外交上の要港の住吉津・難波津と関係して、航海の神・港の神として祀られた神社である。
古代には遣唐使船にも祀られる国家的な航海守護の神や禊祓の神として、平安時代からは和歌の神として朝廷・貴族からの信仰を集めたほか、江戸時代には広く庶民からも崇敬された。摂津国の一宮として大阪で代表的な神社であるのみならず、旧官幣大社として全国でも代表的な神社の1つである。
社殿は、本殿4棟が「住吉造」と称される古代日本の建築様式で国宝に指定されているほか、幣殿・石舞台・高蔵など多くの建物が国の重要文化財に指定されている。神宝としては、数少ない古代文書の1つである『住吉大社神代記』は国の重要文化財に指定され、木造舞楽面など多数が重要文化財大阪府指定文化財に指定されている。また伝統的な神事を多く残すことでも知られ、特に御田植神事は全国でも代表的なものとして国の重要無形民俗文化財に指定、夏越大祓神事は大阪府選択無形民俗文化財に選択されている。
祭神
現在の祭神は次の4柱で、4本宮に1柱ずつを祀る。
第一本宮:底筒男命(そこつつのおのみこと)
第二本宮:中筒男命(なかつつのおのみこと)
第三本宮:表筒男命(うわつつのおのみこと)
第四本宮:神功皇后(じんぐうこうごう) - 名は「息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)」。第14代仲哀天皇皇后。
特に底筒男命中筒男命表筒男命の3柱は「住吉大神(すみよしのおおかみ)」と総称され、「住江大神(すみのえのおおかみ)」・「墨江三前の大神(すみのえのみまえのおおかみ)」とも別称される[2]。延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳[原 2]での祭神の記載は4座。『住吉大社神代記』(平安時代前期頃か)でも祭神を4座とするが、第一宮を表筒男、第二宮を中筒男、第三宮を底筒男、第四宮を姫神宮(気息帯長足姫皇后宮)としており現在とは順序が異同する。
◆御利益
住吉大社末社「大歳社」に、おもかる石という3つの石があります。
願掛けをして3つの石のうち、1つを持ち上げ、持ち上がると願いが叶うといわれています。
●心願成就のご利益「五・大・力」
小石に墨書の五・大・力 3個1組を拾う。寿(命)力、福力、体力、智力、財力の運力のパワーアップを授かります。
●侍者社(おもとしゃ)「縁結び」・種貸社(たねかししゃ)「商売繁盛」
住吉大社末社にある侍者社(おもとしゃ)には、初代の神主とその姫神が祀られており、縁結びにご利益があります。
末社にある種貸社(たねかししゃ)で、御祈祷した「お種銭」を元手に加えて商売をすれば繁盛するいわれています。
「お種銭」は、御祈祷された人だけに授与されます。
●御神木「夫婦楠( めおとぐす)」に棲む白蛇
住吉大社末社・楠珺社(なんくんしゃ)には、樹齢1000年を超えるご神木「夫婦楠( めおとぐす)」があります。
そこには、神様のお使いである白蛇が棲んでいるという言い伝えがあります。
●一年のはじまりには、白馬が本宮を拝礼する行事が行われます。一年のはじめに白馬(あおうま)を見ると、縁起が良いと言われています。1年良いことがありそうです。
「白馬(あおうま)神事」で、邪気を払う
一年のはじめに白馬(あおうま)を見ると、縁起が良いと言われています。
●第二本宮で感じる、音霊(おとだま)・言霊(ことだま)のパワー
住吉大社の第二本宮からは、波紋のように広がる音霊(おとだま)や言霊(ことだま)のパワーを感じるそうです。

 

諏訪大明神普賢菩薩)長野諏訪大社 
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺4か所にある神社。式内社名神大社)、信濃国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「梶の葉」。
全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。旧称は諏訪神社。通称として「お諏訪さま」「諏訪大明神」等とも呼ばれる。
諏訪大社の特徴は、本殿と呼ばれる建物がありません。秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しております。古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しております。諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。
概要
諏訪大社諏訪湖を隔てて「上社(かみしゃ)」「下社(しもしゃ)」にわかれていて、その間は10Km以上離れています。
上社には「本宮」「前宮」下社には「秋宮」「春宮」があります。
御柱に象徴される「人生に新たな柱を立てる」ご神木の聖地
4宮ともに社殿四隅に御柱(おんばしら)という神柱が立ち、圧倒的なパワーを放っています。
6年に一度、御柱を人力で引きずり新たに建てる豪快な神事「御柱祭」が有名です。
諏訪大社には風と水を司る竜神が有名で風や水に直接関係のある農業の守護神、水の信仰が海の守り神ともされています。
諏訪大社は五穀豊穣・海上安全・必勝祈願のご利益があるといわれています。
諏訪大社では特に縁結び・子宝・金運・仕事運アップのパワーとご利益をいただけるそうです。
春宮には二又にわかれているのに根元ではひとつになっている巨大な縁結びの杉の木もあります。
春宮はかわいらしい女性になれるパワースポットでもあります。
下社の神様は2月~7月は春宮に住み、8月1日のお祭りで秋宮に戻るそうです。

 

八幡神
八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は、日本で信仰される神で、清和源氏桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。
誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され、神社内に神宮寺が作られた。
八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社。八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称される。
全国に約44,000社あり、大分県宇佐市宇佐神宮を総本社とする。
八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社。八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称される。
全国に約44,000社あり、大分県宇佐市宇佐神宮を総本社とする。
三大八幡
俗に三大八幡と呼ばれる神社は、以下の4社のうち「宇佐・石清水」に「筥崎・鶴岡」のいずれかを合わせた3社とされている。
宇佐神宮大分県宇佐市) - 官幣大社名神大社、勅祭社
石清水八幡宮京都府八幡市) - 官幣大社二十二社、勅祭社
筥崎宮(福岡県福岡市東区) - 官幣大社名神大社
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市) - 国幣中社
幕末から明治期の資料では、1868年(慶応4年)4月24日付け太政官達に示す八幡宮の例示3社は「宇佐・石清水・筥崎」としているほか、社格でもその3社が官幣大社で並んでいる(鶴岡は国幣中社)。一方、近年発行された書籍中で「宇佐・石清水・鶴岡」が八幡神社の代表例とされることがある。
宇佐神宮の御利益
開運福徳 (特に所願成就、開運招福)
守護 (特に厄除け・除禍、諸難除け・災難除け、病除け・悪疫退散)
恋愛・良縁 (特に縁結び)
出産・育児 (特に子宝・子授け、安産、子育て・子供の育成)
家族円満 (特に家内安全、夫婦円満、家門隆盛・家系繁栄)
勝負運・運勢 (特に勝運・勝負運)
旅行・交通 (特に交通安全)
農業畜産 (特に五穀豊穣)
産業 (特に産業開発・殖産興業、刃物業・鍛冶業守護、商業隆盛、諸産業の守護、市場の神)
国家事業 (特に国土経営、国家鎮護・国土平安)
バラエティ(その他) (特に失せ物発見、迷子発見)

 

 

  ☆彡今日の一言 ブッダの言葉 『業(カルマ)を変える』

 

◆傷がない手に毒は侵入できない

 

触れられる手に傷がなければ、毒に触れても毒は侵入できないのだから、

 

その手で何事もなく安心して毒を扱える。

 

毒なき者に対しては毒は何もできやしないのに似て、

 

心に悪業という傷のないものに対しては、

 

非難も中傷も災難という毒すらも、全く侵入することはできない。

 

悪業のエネルギーを蓄えていない人には、悪すなわち不幸はやってこない。


法句経124



以上は 小池龍之介著 ブッダの言葉 より一部抜粋&加筆

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毎月12日は難勝仏、薬師如来、加茂大明神(上賀茂神社・下鴨神社)、八王子権現(千手観音)大津日吉大社の縁日&ブッダの言葉 

毎月12日は➀難勝仏、➁薬師如来、➂加茂大明神(上賀茂神社下鴨神社)、➃八王子権現(千手観音)大津日吉大社の縁日です。


➀難勝仏(なんしょうぶつ)
三十日秘仏の十二日仏。
他の仏様より智悲行徳が優れているといわれることでついた名前です。
難勝仏さまは、有名ではありませんが人々を救う慈悲の心や悟りも求める知恵、修行によって身に備わる徳が
他の御仏さまよりも優れていると言われる仏さまです。


薬師如来(やくしにょらい)
十三仏の四十九日(七七日)導師。三十日秘仏の八日仏。
左手に薬壷を持って、右手の薬指が前に出ているのが特徴です。奈良時代に作られたものは、薬壺を持たないものもあります。
如来の中で、物を持つ如来薬師如来だけです。
人々の病に応じて薬を施し救う仏様です。通称は「お薬師様」ですが、薬師瑠璃光如来やくしるりこうにょらいと言います。
像は通例、右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍(きょうじ)に日光菩薩月光菩薩、眷属(けんぞく)として十二神将が配される。
薬師如来の浄土は浄瑠璃浄土と呼ばれ、物語などの浄瑠璃の言葉はこれに由来します。
詳しくは薬師瑠璃光如来といい,大医王,医王善逝 (ぜんぜい) とも呼ばれる。菩薩としての修行時代に 12の本願を立て,それが達成されないかぎり仏にならないと誓った。
その本願とは衆生の病気をなおして災難をしずめ,苦しみから救うというもので,薬師如来の名の起源となった。現世利益を与える仏として古くから信仰を受けたが,ほかの如来と異なり『薬師経』以外2,3の経典に散説されるだけで,その成立の時代や場所は未詳。
形像は普通,右手を施無畏印 (せむいいん) ,三界印,施願印などに結び,左手には薬壺 (異説では鉢) を持つ像と,持たずに下に垂らすか膝の上に置く像とがある。日光・月光菩薩を脇侍とし,眷属には十二神将をとる。日本では7世紀頃から信仰され,以後盛んに造像された。
薬師寺など薬師如来を主尊とする古寺も多い。著名な遺品としては,法隆寺金堂の銅造の坐像 (飛鳥時代) ,奈良薬師寺金堂の銅造の坐像 (白鳳時代) ,奈良新薬師寺本堂の木造の坐像 (天平時代末期)、京都神護寺の像などが有名。
奈良薬師寺金堂の薬師三尊像は世界最高の仏像彫刻との呼び名が高い。

➂加茂大明神(かもだいみょうじん)上賀茂神社下鴨神社
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
上賀茂神社に行かれた時のおすすめの参拝方法をご紹介します。
鳥居を潜る時は「端から入る」
まず、鳥居を潜る時は、端っこから通ることが原則です。神社では真ん中は神様が通る道とされているので、通らないのがマナーです。実際に、鳥居を潜る際は、一礼をしてから潜りましょう。
帰る時は、鳥居を出てから「ありがとうございました」の意味を込めて一礼をしてから帰るようにしましょう。
手水で手を清めよう!
手水(ちょうず)は、手や顔を洗い清める水です。神社の前には、必ずあります。手水をする時は、右手にしゃくしを持って、左手を流します。
左手にしゃくしを持ち替えて、右手を流したら右手に持ち替えて左の手の平に水を注ぎ、口をすすぎましょう。口をすすいだ左手を再び清めて、しゃくしを直して最後にしゃくしの柄を流したらOKです。
片山御子神社から本殿へ
そして、片山御子神社にお参りします。片山御子神社は、縁結びや開運の神様になっており、紫式部も訪れたといわれています。続いては、本殿に向かいます。
上賀茂神社のご利益は、主に厄よけや開運、必勝祈願などがあります。水の力を借りた浄化パワーも絶大です。
厄よけや開運に効果大!?
上賀茂神社は、他の神社に比べたら静かであまり目立たない印象を受けますが、そのご利益はとても高く、厄よけや浄化のパワーがとても大きい評判です。
運も隙間がないと入り込む余地がないので、自分の身を浄化して運が舞い込みやすい流れも作ってくれます。パワースポットとして、とても効果がある神社なのです!
「水」の存在が浄化効果をもたらしてくれる?
神社の中で、一番特徴的なのが「水」です。上賀茂神社では、この水の存在が大きく、水が強い浄化のパワーを持っているとされています。境内には、大きな川があり、水のパワーをひときわ感じます。
ご利益 家内安全。交通安全。災難除け。
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
この下鴨神社のパワースポットは境内を覆う緑豊かな「糺の森」です。
マイナスイオンしか発生していないようなこの森は歩くだけでパワーがもらえると京都では有名です。12万4千平方メートルもの敷地に樹齢200年から600年の樹木が600本、直径10センチ以上の樹木は約4700本も群生しています。
ご利益としては人と人をつなぐパワーが強く、縁結び、美容、安全、厄除け、子育て、健康などまさに万能スポットです。本殿前には十二支を守る神様が祀られていますので、自分の干支のお社にお参りをするのをお忘れなく。京都に行ったら絶対に行っておきたいパワースポットです。

八王子権現(千手観音)大津日吉大社
八王子権現(はちおうじごんげん)は近江国牛尾山(八王子山)の山岳信仰天台宗山王神道が融合した神仏習合の神であり、日吉山王権現もしくは牛頭天王(ごずてんのう)の眷属である8人の王子を祀った。神仏分離廃仏毀釈が行われる以前は、全国の八王子社で祀られた。三十番神の1神。
由来
音羽山の支峰である牛尾山は、古くは主穂(うしお)山と称し、家の主が神々に初穂を供える山として信仰された。牛尾山の山頂にあった牛尾宮は比叡山延暦寺の鎮守であった日吉山王権現21社の一つで、山王の王子である8人の眷属神が八王子権現として祀られ、千手観音菩薩本地仏とした。また牛尾を忌みて、祇園精舎の守護神である牛頭天王頗梨采女(はりさいにょ)との間に設けた8人の王子かつ眷属神が八王子権現との信仰も発展した。
概要
日吉山王権現、あるいは牛頭天王の8人の眷属神は八方の各方位を司るとされた。塞神信仰や陰陽道の影響で、病気や災厄を免れるご利益をもたらすと信じられた。
平家物語には、比叡山の呪詛によって八王子権現の神矢に倒れた関白藤原師通の説話が登場する。
廃仏毀釈
明治維新神仏分離廃仏毀釈によって、日吉山王権現牛頭天王とともに八王子権現も廃された。
八王子社の多くは、日吉八王子神社八王子神社・牛尾神社などとなっている。
★大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。
◆祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
◆ご利益(ご加護・ご神徳)
方除け
厄除け
縁結び

 

 

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☆彡今日の一言 ブッダの言葉 『業(カルマ)を変える』

◆自業自得


自分という化け物は自分自身が心の中で思い描いた欲望・怒り・迷いの思考によって

少しずつけがされてゆく。

 

「自分」という化け物は心の中で思い描いた欲望・怒り・迷いの思考を思い描かないことによって、少しずつきれいになってゆく。

 

こうやってけがれるのも綺麗になるのも、すべては各自、一人一人の自業自得。

 

他人が他人の心をキレイにするなどできやしないのだから、

 

余計な口出しはしないこと。

 

法句経165



以上は 小池龍之介著 ブッダの言葉 より一部抜粋&加筆


Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。

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毎月11日は、歓喜仏、石清水八幡宮、大津日吉大社、の縁日&7月11日の誕生日と命日・忌日とブッダの言葉 

毎月11日は、➀歓喜仏➁石清水八幡宮➂大津日吉大社の縁日です。

 

歓喜仏 かんぎぶつ
三十日秘仏の十一日仏。
菩薩の十の段階で、最初の段階を歓喜地といいます。
自分への執着を捨てて、他のものの悟りを実現するためあらゆる徳目を実践して、そのことに喜びを得える仏様です。

歓喜天(かんぎてん 歓喜自在天)は、仏教の守護神である天部の一つ。
また、聖天(しょうでん、しょうてん)、大聖歓喜天、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、象鼻天(ぞうびてん)、天尊(てんそん)。あるいはVināyaka、Gaṇapatiを音写して、毘那夜迦(びなやか)、誐那缽底(がなぱてい)ともいう。
頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、稀に人頭人身の形像も見られる。
多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは少ない。
歓喜仏は宇宙的次元における、現実世界と絶対世界、迷いと悟り、自と他、女性の般若の智慧と男性の方便の活動といったような、ありとあらゆる二元的な要素や観念というものが、本質的には一つのものであることを象徴的に表現しているものです。
供物
歓喜団・歓喜丸・団喜
歓喜天に供えることに因み、この名前が付いた菓子である。主に歓喜団(かんぎだん)歓喜丸(かんぎがん)、または略称で団喜(だんき)などと呼ぶ。形状は、単体多臂像の歓喜天(男天)が巾着袋(砂金袋)を手にしているため、その巾着袋を模したものといわれている。
本来はモーダカ(modakam)と呼ばれるインド料理とされ、日本では歓喜天・双身毘沙門天への定番の供物になる。経典中には歓喜団の名が記され、材料や作り方についてはさまざま示される。
平安時代中期成立の『和名類聚抄』の飯餅類では「歓喜団、一名団喜」と記し、八種唐菓子の一種として紹介している。
江戸時代中期の公卿、近衛家熙は著書で歓喜天の祭り日にある餅を包んで揚げた料理は歓喜団であると載せ、京都の菓子屋では飴を包み油で揚げた菓子を歓喜天への供物として売っていたことから、これは清浄歓喜団のことだという。
現在でも京都市の「亀屋清永」が通年菓子にて清浄歓喜団を販売し、今日に遺風を伝えている。
蘇・蜜・麵・干薑・クルミ・石榴・苺など11種の材料を混ぜて作るとされ、また、調伏・息災など祈願の目的によっても種類が違うという説がある。今では、米粉を水で混ぜて、平たい餅にして、中に小豆粉、切った串柿、薬種を入れて油で揚げる。形は、端をひねって、石榴(ざくろ)の形に模す。
吉祥果の実を表し、白米の粉を練って、小豆の餡を包んで、上を八弁の花にようにして、巾着にように絞り、油で揚げる。福徳を包み込んでいる巾着を表しているという。小豆の餡は愛念を表し、白米の衣は純浄の智光を意味する。上の八弁は八苦を除いて、八福に浴し、その利益を表すとされる。
『倭名類聚抄』では歓喜団の食材に「涅槃経云」と、酥、蜜、薑、胡椒、蓽、茇、葡萄、胡桃、石橊(ザクロ)、などを挙げ、これを「和合(調合)」すると経典からの記述がある。
酒・大根
聖天供(歓喜天供)に供物として、歓喜団・歓喜丸と共に、酒・大根が一緒に供えられる。
逸話
昔、インドにマラケラレツという王様がいた。王は肉を好み、牛を食いつくし、死人も食いつくしてしまい、ついには生きた人間まで殺して食べるようになった。
困り果てた群臣や人民は反旗を翻して王を殺害しようとすると、王は鬼王ビナーヤカとなって飛び去ってしまった。その後、国はビナーヤカの祟りに苦しめられるようになり、ついに十一面観音に助けを求めた。すると観音は、ビナーヤカの女神に姿を変え、王に仏教守護を誓わせる代わりに身を捧げた。
十一面観音の化身たるビナーヤカ女神を抱いた王は大歓喜を得たので「歓喜天」と呼ばれるようになった。

◆日本三大聖天
日本三大聖天は、
東京都台東区本龍院(通称 待乳山聖天
奈良県生駒市宝山寺(通称 生駒聖天)
上記の二山の聖天に、
埼玉県熊谷市歓喜院(通称 妻沼聖天)
静岡県小山町足柄山聖天堂(通称 足柄聖天)
三重県桑名市の大福田寺(通称 桑名聖天)
兵庫県豊岡市の東楽寺(通称 豊岡聖天)
の内のどれか一山の聖天を加えたものとするのが一般的である。

八幡大菩薩 石清水八幡宮
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

宇佐神宮筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社、また宮中の四方拝で遥拝される一社である。

平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮大分県宇佐市)から勧請された神社で、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。武家からは特に源氏が武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮鶴岡八幡宮など、当社から各地に八幡宮が勧請された。

創建以来、当社は境内の護国寺と一体になる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓社殿を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。

その後、明治維新神仏分離において仏式は排除された。仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。

境内は国の史跡に指定されており、大きく分けて本宮のある山上の上院と、頓宮や高良神社のある山麓の下院とから成る。また、本社10棟の建物が国宝に指定されている。

◆祭神
祭神は次の3柱。3神は「八幡三所大神」「八幡大神」等と総称される。
中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと)
第15代応神天皇の本名。
西御前:比咩大神 (ひめおおかみ)
宗像三女神、すなわち多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)の3柱を指す。
東御前:息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)
神功皇后の本名。

◆登場作品
徒然草』 第52段「仁和寺にある法師」
今昔物語集
源氏物語』 - 「玉鬘」帖で、夕顔の遺児玉鬘が八幡に参詣する。

➂客人(まろうど)大明神 大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。

祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
日吉大社は全国各地にある3,800余りの「山王(さんのう)さん」の総本宮比叡山連峰 八王子山(牛尾山・378m)の麓に広がり、延暦寺門前町坂本の鎮守神
 「山王七社」「山王二十一社」ともいわれ、摂社・末社が多くあります。創祀は古事記に記されるほど古く、地主神である大山咋神(おおやまくいのかみ)とその妻、鴨玉依姫神かもたまよりひめのかみ)を祀ったのが始まりです。その後、延暦寺の発展とともに整備されました。
 境内は、東本宮と西本宮の2区域からなります。東本宮は神体山の八王子山(378m)に鎮座する大山咋神を祀ったものです。山頂付近には金大巌(こがねのおおいわ)と呼ばれる大きな磐座(いわくら)や迫力ある懸造りの奥宮などがあります。
 西本宮は大津京遷都にあたって奈良県三輪山より大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請したもので、宇佐神宮姫神をまつる宇佐宮、加賀国一宮である白山比咩神社から勧請した白山宮などがあります。東本宮・西本宮ともに本殿は日吉造(ひえづくり)といわれる特殊な建築で、国宝です。
 このほか、石の橋で重要文化財に指定されたのは珍しいといわれる日吉三橋(ひよしさんきょう)、猿の彫刻がある朱色の西本宮楼門、山王の「山」という文字を表した山王鳥居など、重要文化財が多くあります。ご社殿の大半は織田信長による比叡山焼き討ち以後、江戸時代初期に再建、建立されたものです。
 大宮川の渓流が流れる清風の森に、見事な建築美を誇る数多くの社殿が点在し、特に秋は周囲の紅葉に壮麗な社殿が映えてさらに美しい眺めになります。
 また、「山王さん」と呼ばれて広く親しまれている例祭(山王祭)は、湖国三大祭の1つです。3月の第1日曜・27日・30日、4月3日・12日から15日に行われ、特に、4月13日の宵宮落し神事は期間中最も勇壮な神事です。
〈国宝〉西本宮本殿 東本宮本殿
〈重文〉西本宮拝殿 東本宮拝殿 摂社樹下宮本殿及び拝殿 摂社宇佐宮本殿及び拝殿 摂社白山宮本殿及び拝殿 摂社牛尾宮本殿及び拝殿 摂社三宮宮本殿及び拝殿 西本宮楼門 日吉三橋 東本宮楼門 山王金銅装御輿
〈史跡・名勝〉日吉大社境内
日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等

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☆彡7月11日の誕生日
1767年ジョン・クィンシー・アダムズ (米:大統領(6代),2代大統領ジョン・アダムズの子)
John Quincy Adams[1848年2月23日歿]
1834年田中平八 (実業家「天下の糸平」)[1884年6月18日歿]
1839年久米邦武 (歴史学者)[1931年2月24日歿]
1856年穗積陳重 (法学者,日本法学にイギリス・ドイツ法学を導入)[1926年4月7日歿]
1863年徳川家逹(田安龜之助) (貴族院議員,徳川家16代目宗家)[1940年6月5日歿]
1884年5代目福原百之助 (歌舞伎囃子方)[1963年11月26日歿]
1888年カール・シュミット (独:公法学者,政治学者)Carl Schmitt[1985年4月7日歿]
1895年トーマス・ミッチェル (米:俳優『夜の来訪者』)Thomas Mitchell[1962年12月17日歿]
1902年サミュエル・ゴーズミット (米:物理学者,電子のスピンを発見)
Samuel Abraham Goudsmit[1978年12月4日歿]
1916年17代目市村羽左衛門 (歌舞伎役者)1990年人間国宝[2001年7月8日歿]
1916年アレクサンドル・プロホロフ (露:物理学者,メーザーの原理を発見)Aleksandr Mikhailovich Prokhorov1964年ノーベル物理学賞[2002年1月8日歿]
1918年中村竹弥 (俳優)[1990年5月28日歿]
1920年ユル・ブリンナー (露・米:俳優)Yul Brynner[1985年10月10日歿]
1921年山内明 (俳優)[1993年10月29日歿]
1923年北条浩 (宗教家,創価学会会長(4代))[1981年7月18日歿]
1924年多田美波 (彫刻家)[2014年3月20日歿]
1927年セオドア・メイマン (米:物理学者,レーザーを開発)Theodore Harold Maiman[2007年5月5日歿]
1927年ヘルベルト・ブロムシュテット (スウェーデン:指揮者)Herbert Blomstedt
1928年斎藤文夫 (参議院議員[元])
1930年エズラ・ヴォーゲル (米:社会学者)Ezra Feivel Vogel
1931年平川祐弘 (比較文学者)
1932年山田信夫 (脚本家)[1998年2月2日歿]
1934年ジョルジオ・アルマーニ (伊:服飾デザイナー)Giorgio Armani
1936年岩國哲人 (衆議院議員[元],出雲市長[元])
1943年岩沢幸矢 (歌手(ブレッド&バター))
1943年菱田嘉明 (衆議院議員[元])
1945年三輪田勝利 (野球(投手),スカウト)[1998年11月27日歿]
1945年松山巖 (小説家,評論家)
1946年伊藤君子 (ジャズ歌手)
1946年石井隆 (漫画家,脚本家,映画監督)
1946年木の実ナナ (女優,歌手)
1949年大森礼子 (参議院議員[元])
1949年沢田雅美 (女優)
1951年斎藤洋介 (俳優)
1951年山本正之 (シンガーソングライター,ミュージシャン,声優)
1955年李泰栄 (CMディレクター)
1958年松原留美子 (タレント「元祖ニューハーフ」)
1959年スザンヌ・ヴェガ (米:シンガーソングライター)Suzanne Vega
1959年リッチー・サンボラ (ミュージシャン(Bon Jovi/ギター))Richie Sambora
1960年こやま基夫 (漫画家『おざなりダンジョン』)
1962年藤井フミヤ(藤井郁弥) (ミュージシャン(チェッカーズ[解散]/ヴォーカル))
1964年伊藤忠彦 (衆議院議員)
1964年細田健一 (衆議院議員)
1965年アーネスト・ホースト (蘭:キックボクシング)Ernesto Hoost
1965年鴨居長太郎 (プロレス[元])
1965年小牧ユカ (キャスター,タレント)
1966年古川日出男 (小説家『アラビアの夜の種族』)
1966年大家正喜 (陸上競技(マラソン))
1967年高森悦子 (タレント)
1967年秋野公造 (参議院議員)
1967年長澤ユキオ (俳優)
1968年近藤サト (アナウンサー(フジテレビ[元]))
1969年中根一幸 (衆議院議員)
1970年長沢美樹 (声優)
1970年田中英之 (衆議院議員)
1971年奥田俊作 (ミュージシャン(the brilliant green/ベース))
1971年古川栄司 (俳優,歌手[元](忍者))
1973年水田章雄 (野球(投手))
1975年葉月里緒奈(葉月里緒菜) (女優)
1976年山本喧一 (プロレス)
1976年相川亮二 (野球(捕手))
1980年鈴江奈々 (アナウンサー(日本テレビ))
1982年稲村優奈 (声優)
1983年桜乃彩音 (女優(宝塚歌劇[元](88期)))
1985年前田亜季 (女優)
1987年加藤成亮 (歌手,俳優(NEWS))
1988年井口裕香 (声優)
1988年戸島花 (タレント(AKB48[脱退]))

 

☆彡7月11日の命日・忌日
1225年北條政子 (源頼朝の妻「尼将軍」) <数え69歳>[1157年生]
1590年北條氏政 (武将,小田原城主) <数え53歳>小田原城開城の際、秀吉の命により自刃[1538年生]
1864年佐久間象山 (思想家,洋学者,兵学者) <数え54歳>京都三条木屋町で刺殺[1811年2月28日生]
1909年サイモン・ニューカム (米:天文学者) <74歳>Simon Newcomb[1835年3月12日生]
1916年ジーン・ウェブスター (米:小説家『足ながおじさん』) <39歳>Jean Webster[1876年7月24日生]
1934年長谷川春草 (俳人) <44歳>[1889年8月19日生]
1937年ジョージ・ガーシュウィン (米:作曲家,ピアニスト『ラプソディ・イン・ブルー』) <38歳>
George Gershwin[1898年9月26日生]
1939年服部宇之吉 (中国哲学者,文教行政家) <72歳>[1867年4月30日生]
1964年モーリス・トレーズ (仏:共産党指導者) <64歳>Maurice Thorez[1900年4月28日生]
1971年ジョン・W.キャンベル (米:SF作家) <61歳>John Wood Campbell Jr.[1910年6月8日生]
1973年3代目三遊亭小圓朝 (落語家) <80歳>[1892年8月8日生]
1973年吉屋信子 (小説家『徳川の夫人たち』『安宅家の人々』) <77歳>[1896年1月12日生]
1974年ペール・ラーゲルクヴィスト (スウェーデン:小説家,詩人,劇作家『バラバ』) <83歳>
Pär Fabian Lagerkvist1951年ノーベル文学賞[1891年5月23日生]
1980年島公之(殿下) (ドラマ登場人物(『太陽にほえろ!』))<34歳>wikipedia - 太陽にほえろ!
1983年宮田洋容 (漫才師(宮田洋容・布地由起江),俳優) <68歳>[1915年2月16日生]
1989年ローレンス・オリヴィエ (英:俳優,映画監督) <82歳>
Laurence Kerr Olivier,Baron Olivier of Brighton[1907年5月22日生]

1996年久慈あさみ (女優(宝塚歌劇[元](28期)),歌手) <74歳>[1922年5月2日生]


新東宝映画「恋人」昭和26年


久慈あさみのプロフィール
久慈 あさみ(くじ あさみ、本名:森山 淑子、1922年5月2日 - 1996年7月11日)は、日本の女優、歌手。元宝塚歌劇団月組男役トップスター。東京市京橋区(現・中央区新富町出身。愛称はヨッタン(本名の淑子から)。

略歴
1939年、麹町高等女学校卒業後、宝塚音楽舞踏学校に進む。宝塚歌劇団29期生。1941年、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は17人中9位。淡島千景、南悠子と共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。相手役だった淡島千景が松竹入社したことなどに刺激を受け、1950年、宝塚を退団。新東宝と出演契約を結び『愛染香』で映画デビューする。
1951年、ビクターレコードと専属契約を結び、主演した新東宝映画『恋人』『ブンガワンソロ』『女豹の地図』等の主題歌を歌う。
『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』で歌った「チャッカリマンボ」等のヒットの他、NHK紅白歌合戦にも2回出場し、「ボタンとリボン」と「デッカメン・ソロ」を歌う。
1952年、東宝と専属契約を結び1971年にフリーになるまで活躍した。社長シリーズでは森繁久弥社長の恐妻として28本にレギュラー出演している。『俺の空だぜ!若大将』が最後の映画出演。1971年以降はフリーでテレビや舞台での活躍を続ける。

1996年7月11日に74歳で亡くなる。ニコライ堂聖歌隊に感銘をうけ日本ハリストス正教会で洗礼を受けて正教徒となっており、埋葬式場・遺骨安置先はともにニコライ堂であった。


1998年住博司 (衆議院議員) <43歳>[1954年8月19日生]
1999年永山時雄 (官僚,通産省大臣官房長(初代)) <87歳>[1912年2月11日生]
2003年小松方正 (俳優) <76歳>[1926年11月4日生]
2005年橋本真也 (プロレス) <40歳>[1965年7月3日生]
2015年岩田聡 (プログラマ,任天堂社長) <55歳>[1959年12月6日生]

 

☆彡今日の一言 ブッダの言葉 『業(カルマ)を変える』

◆ネガティブ思考を乗り越えた者の四つの安心感

ネガティブ思考を乗り越えた者が欲望を離れ、怒りと迷いの霧を離れ、心が美しくなったなら、

次の4つの安心感・メリットが君にある。

➀もし業(カルマ)の報いと輪廻が本当なら、死後に良い生まれ変わり方をするだろう。


➁もし輪廻が嘘だとしても、今の子の人生でイラつかず苦しまず安らぎがある。

➂もし、悪しき業(カルマ)が苦しみを引き寄せるというのが本当なら、「悪いエネルギーを作ってないから苦しみはやってこないよね」と安らげる。

➃もし、悪しき業(カルマ)が苦しみを呼ばないにせよ「悪いエネルギーが溜まってないから心がキレイに澄んでいるよ」と微笑める。

 

支部経典


以上は 小池龍之介著 ブッダの言葉 より一部抜粋

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毎月10日は日月燈明仏、金毘羅、天照皇太神、聖眞子権現、の縁日&7月10日の誕生日と命日・忌日とブッダの言葉 

毎月10日は➀日月燈明仏➁金毘羅➂天照皇太神➃聖眞子権現の縁日です。

 

➀日月燈明仏 にちがつとうみょうぶつ
三十日秘仏の十日仏。
太陽と月を灯明としているという意味で日月燈明仏。
無量無辺不可思議の阿僧祇劫あそうぎこうの昔、この仏様が正しい教えを説かれました。そして、その後も同じ名前の日月灯明仏が2万人も次々に現れたといいます。
2万人目の日月灯明仏から---妙光菩薩---定光仏へと教えは受け継がれます。

➁金毘羅
金比羅とも書き、江戸時代後期には、「お伊勢参り」と共に「金毘羅参り」が大変盛んでした。
すたっとTV2006年12月すたっと歩こう!「甚大寺金毘羅縁日」
1月10日は「初金毘羅(初十日)」で、特に信者の信仰があつく、12月10日が「終金毘羅」です。
※金毘羅は、「天竺霊鷲山」の鬼神で、仏法の護法神薬師如来十二神将の筆頭「宮比羅(くびら)大将」のことで、元々は鰐の神様でした。
日本では「海上交通の守り神」として信仰されて来ました。
一般に、大きな港を見下ろす山の上に祀られています。
この神を祀る香川県琴平の「金毘羅宮金刀比羅宮」が全国の金比羅神社(こんぴらさん)の総本宮となっています。
その他、東京都港区虎ノ門琴平神社などがあります。
夜叉神王の上首で、その像は武装し忿怒の姿をとりますが、魚神で蛇の形をし、尾に宝玉を蔵するといわれます。
香川県琴平神社は全国的に有名です。

➂天照皇太神 伊勢神宮内宮
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮(じんぐう)」。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。
二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。
概要
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。
広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。
伊勢神宮は皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く、現代でも内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。また、式年遷宮が20年に一度行われる。
祭主は今上天皇第一皇女黒田清子、大宮司は小松旧侯爵家当主小松揮世久。
祭神
主祭神は以下の2柱。
皇大神宮:内宮(ないくう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ) - 一般には天照大御神として知られる
豊受大神宮:外宮(げくう)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)
功徳
家内安全。
夫婦円満
子孫繁栄。
産業発展。
おみくじ
伊勢神宮にはおみくじがない。一般に「伊勢神宮は、参拝した日が誰でも吉日であるから」と説明される。「伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるから」という別の説もある。
内宮前のおかげ横丁では、犬の置物とセットになった「おかげ犬」のおみくじや「おかげ干支みくじ」が売られているほか、第三銀行おかげ横丁出張所では利用明細票に運勢を表示するおみくじ機能付き現金自動預払機(ATM)を設置している。

➃聖眞子(しょうしんし)権現 大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている
日吉大社
 日吉大社の境内は八王子山(牛尾山)を含む13万坪もの大きさをもち、全国に3800余りもある日吉神社日枝神社山王神社総本宮です。楓や杉に覆われた境内には西本宮・東本宮を中心に多数の社殿が建ち、現在でも約40のお社があります。中でも特に大きな7つの社を山王七社といいます。国宝2棟(東・西本宮本殿)と、重要文化財17棟を保有しています。魔除け・厄除けの神社として多くの方がお参りされています。
日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等
主な祭事
大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。
山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。
山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。
みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。
もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。
国宝
西本宮本殿 - 天正14年(1586年)の建立。檜皮(ひわだ)葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇(ひさし)部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色。
東本宮本殿 - 文禄4年(1595年)の建立。建築形式は西本宮本殿に似る。昭和初期までは「大神神社本殿」と呼ばれていた。
◆山王七社権現 さんのうしちしゃごんげん
二宮小比叡 東本宮   大山咋神
大宮権現  西本宮   大己貴神
聖真子   宇佐宮   田心姫神
三宮    三宮宮   鴨玉依姫神荒魂
八王子   牛尾宮   大山咋神荒魂
客人権現  白山宮   白山姫神
十禅師   東本宮境内 鴨玉依姫神
比叡山に祀られた神様です。山王は山麓にある日吉神社ひえじんじゃのことです。
当初、大比叡、小比叡との呼び名から始まり、時代とともに数が増え、山王七社となりました。最終的には百八社までになりました。
山王二十一社の内、上七社が山王七社です。

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☆彡7月10日の誕生日
1830年カミーユピサロ (仏:画家)Camille Pissarro[1903年11月13日歿]
1834年ジェームズ・マクニール・ホイッスラー (米:画家)James Abbott McNeill Whistler[1903年7月17日歿]
1848年アナトーリイ・ステッセル (露:軍人,日露戦争の旅順要塞守備隊司令官)
Anatolii Mikhailovich Stessel'[1915年1月18日歿]
1856年ニコラ・テスラ (米:物理学者,電気工学者,磁束密度の単位T(テスラ)の名の由来)
Nikola Tesla[1943年1月7日歿]
1865年中村樂天 (俳人)[1939年9月19日歿]
1866年中村不折 (挿絵画家,書家)[1943年6月6日歿]
1869年グリゴリー・ラスプーチン (露:修道僧「怪僧」)Grigori Efimovich Rasputin
グレゴリオ暦07/22[1916年12月16日歿]
1871年マルセル・プルースト (仏:小説家『失われた時を求めて』)Marcel Proust[1922年11月18日歿]
1883年相馬御風 (詩人,歌人,文藝評論家)[1950年5月8日歿]
1886年高島象山 (易者)[1959年11月25日歿]
1888年ジョルジョ・デ・キリコ (伊:画家)Giorgio de Chirico[1978年11月20日歿]
1888年賀川豊彦 (社会運動家,貴族院議員)[1960年4月23日歿]
1890年川島正次郎 (衆議院議員,自民党副総裁,自治庁長官(5代),行政管理庁長官(13・22代))[1970年11月9日歿]
1894年武知勇記 (衆議院議員,郵政相(6代))[1963年10月11日歿]
1895年カール・オルフ (独:作曲家)Carl Orff[1982年3月29日歿]
1896年小西得郎 (野球(監督))[1977年6月9日歿]
1897年岡崎勝男 (衆議院議員,内閣官房長官(7代),外相(80~82代))[1965年10月10日歿]
1897年花菱アチャコ (漫才師(エンタツアチャコ))02/14説あり[1974年7月25日歿]
1897年初山滋 (絵本作家,挿絵画家)[1973年2月12日歿]
1900年金丸重嶺 (写真家)[1977年12月7日歿]
1902年クルト・アルダー (独:有機化学者,ジエンとキノンの反応を発見)Kurt Alder
 1950年ノーベル化学賞[1958年6月20日歿]
1903年ジョン・ウィンダム (英:SF作家)John Wyndham[1969年3月11日歿]
1907年吉行あぐり (美容師,吉行淳之介吉行和子吉行理恵の母)[2015年1月5日歿]
1913年前田正男 (衆議院議員,科技庁長官(30代))[2008年2月12日歿]
1915年ソール・ベロー (米:小説家『オーギー・マーチの冒険』)Saul Bellow
1976年ノーベル文学賞[2005年4月5日歿]
1920年オーウェンチェンバレン (米:物理学者,反陽子反中性子の存在を確証)Owen Chamberlain
1959年ノーベル物理学賞[2006年2月28日歿]
1920年飯田龍太 (俳人,飯田蛇笏の子)[2007年2月25日歿]
1924年ボボ・ブラジル (米:プロレス)Bobo Brazil[1998年1月20日歿]
1925年マハティール・ビン・モハマド (マレーシア:首相(4代))Mahathie bin Mohanmad書類上は12/20
1928年ベルナール・ビュッフェ (仏:画家)Bernard Buffet[1999年10月4日歿]
1930年和久峻三 (小説家『仮面の法廷』『雨月荘殺人事件』)1972年乱歩賞
1931年アリス・マンロー (カナダ:小説家)Alice Ann Munro2013年ノーベル文学賞
1931年来宮良子 (声優)[2013年11月25日歿]
1932年市田ひろみ (服飾評論家,女優)
1934年米倉斉加年 (俳優,演出家)[2014年8月26日歿]
1938年吉田ルイ子 (フォトジャーナリスト)
1939年倉田雅年 (衆議院議員[元])
1940年笹るみ子 (女優[元],なべおさみの妻)
1943年アーサー・アッシュ (米:テニス)Arthur Ashe[1993年2月6日歿]
1945年斎藤勁 (衆議院議員[元]・参議院議員[元])
1945年松島トモ子 (女優)

★松島 トモ子(まつしま ともこ、本名;松島 奉子(ともこ)、1945年7月10日 - )は、日本の歌手、女優、タレント。日本芸術専門学校特別講師。
満州国奉天生まれ。東京都目黒区育ち。目黒区立東根小学校を経て大東学園高等学校卒業。


松島トモ子 - 略歴

生後まもなく満州国からの引き揚げを体験。本名の奉子とは生誕地の奉天に帰する。3歳から石井漠舞踊研究所に入門、バレエを始める。
映画館の劇場ニュースにて、石井漠門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」としてとりあげられたところ、そこに映っていた松島トモ子阪東妻三郎がスカウト。1949年に芸能界デビューし、東横映画「獅子の罠」に出演。その後も、嵐寛寿郎主演の時代劇「鞍馬天狗」(杉作)、三益愛子との「丹下左膳」(ちょび安)、江利チエミとの「サザエさん」(ワカメ)など多くの映画に出演した。80本の映画に主演。
童謡歌手としても、米山正夫門下となり、1953年、コロムビアより「村の駅長さん」でデビュー。その後も、「風にゆれるレイの花」、「三匹の子豚」、「雨に唄えば」などを吹き込み、「杉作太鼓」、「悦ちゃん」、「ワカメちゃん」、「怪傑黒頭巾」、「赤いカンナの花咲けば」など映画主題歌や挿入歌を吹き込んだことでも知られる。少女雑誌「少女」では、表紙を10年間一人で務め[2]、芸能雑誌「平凡」でもグラビアモデルを務めた。
大東学園高等学校卒業後は、ミュージカルを勉強するため渡米。ザ・マスターズ・ハイスクールに2年間留学し、マーサ・グラハムのダンス・スクールから奨学金をもらい研修し、帰国。帰国後は、ミュージカルを中心に、ラジオ、テレビのパーソナリティ、石垣食品のミネラル麦茶のCM、「ひょっこりひょうたん島」の声優など活躍を見せた。マネージャーは3歳でデビューしてから母親が務めている


1945年森功至(森深雪) (声優)
1948年山本保 (参議院議員[元])
1949年鈴木いづみ (小説家,女優)[1986年2月17日歿]
1951年大杉久美子 (歌手)
1952年桂文太 (落語家)
1952年麻上洋子(一龍斎春水) (声優,講談師)
1953年安藤しげき (漫画家)[1997年4月19日歿]
1953年憲仁親王妃久子殿下 (皇族,高円宮憲仁親王妃)
1953年神林長平 (SF作家)
1954年吉村よう (声優)[1991年11月27日歿]
1954年白竜山憲史 (相撲)
1955年野崎昌一 (アナウンサー[元](フジテレビ))
1957年愛川周平 (俳優)
1958年布施博 (俳優)
1959年平智之 (衆議院議員[元])
1959年和佐田達彦(バーベQ和佐田) (ミュージシャン(爆風スランプ/ベース))
1961年ジャッキー・チュン(張学友) (香港:俳優,歌手)
1964年村山由佳 (小説家『星々の舟』『晴れときどき猫背』 )2003年上期直木賞
1967年三木亨 (参議院議員)
1967年沢村一樹 (俳優)
1968年杉江勇次 (気象予報士)
1969年田名部匡代 (衆議院議員[元])
1973年みずしな孝之 (漫画家『いい電子』)
1974年小原舞 (衆議院議員[元])
1976年若の里忍 (相撲)
1978年佐藤夕美子 (女優)
1978年小泉孝太郎 (俳優,小泉純一郎の子)
1984田中圭 (俳優)
1985年ヒトミ (歌手(YeLLOW Generation[解散]))
1986年ユウキ (歌手(EE JUMP[脱退]),後藤真希の弟)
1991年前田敦子 (タレント,女優(AKB48))


☆彡7月10日の命日・忌日
1644年土井利勝 (江戸幕府老中,大老) <数え72歳>[1573年3月18日生]
1824年前田齊廣 (大名,加賀藩主(11代)) <41歳>[1782年7月28日生]
1832年鬼面山與一右衞門 (相撲) <数え65歳>[1768年生]
1910年ヨハン・ゴットフリート・ガレ (独:天文学者,ルベリエの理論的予測に従って海王星を発見) <98歳>Johann Gottfried Galle[1812年6月9日生]
1929年鴇田英太郎 (劇作家) <40歳>[1889年1月19日生]
1941年ジェリー・ロール・モートン (米:ジャズピアニスト(レッド・ホット・ペッパーズ)) <55歳>
Jelly Roll Morton[1885年9月20日生]
1949年6代目尾上菊五郎 (歌舞伎役者) <63歳>1949年文化勲章[1885年8月26日生]
1967年木暮武太夫 (衆議院議員,参議院議員,運輸相(27代)) <74歳>[1893年2月17日生]
1982年太田正孝 (衆議院議員,参議院議員,自治庁長官(6代)) <95歳>[1886年11月13日生]
1987年羽仁説子 (婦人運動家,羽仁五郎の妻,羽仁もと子の子) <84歳>[1903年4月2日生]
1993年井伏鱒二 (小説家『黒い雨』『ジョン萬次郎漂流記』) <95歳>
1937年下期直木賞,1966年文化勲章[1898年2月15日生]
1998年須藤出穂 (放送作家『バス通り裏』) <75歳>[1923年3月29日生]
2002年松田耕平 (経営者,東洋工業社長[元],広島東洋カープオーナー[元]) <80歳>2003年野球殿堂[1922年1月28日生]
2004年岩崎純三 (参議院議員,総務庁長官(11代)) <80歳>[1924年5月5日生]
2005年松平永芳 (海軍軍人,靖国神社宮司) <90歳>[1915年3月21日生]
2006年甲斐智枝美 (女優) <43歳>自殺[1963年6月16日生]
2008年戸塚洋二 (物理学者) <66歳>2004年文化勲章[1942年3月6日生]
2010年つかこうへい (劇作家,演出家,小説家『蒲田行進曲』) <62歳>1981年下期直木賞[1948年4月24日生]
2011年ローラン・プティ (仏:バレエ振附師) <87歳>Roland Petit[1924年1月13日生]
2015年9代目入船亭扇橋 (落語家) <84歳>[1931年5月29日生]


☆彡今日の一言 ブッダの言葉 『業(カルマ)を変える』

◆善い業(カルマ)がせいじゅくするまでの長い時間

善い行動や善い言葉や善い思考によって、心に刻まれたポジティブなエネルギーがぐつぐつと煮られて善業の

報いが訪れるようになるまでの間は、善いことをしたとしても悪すなわち不幸に見舞われることがある。

しかしながら、ポジティブなエネルギーが煮られて、成熟するとき、様々な幸福に満たされる。


法句経120


以上は 小池龍之介著 ブッダの言葉 より一部抜粋

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Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。

毎月9日は大通智勝仏、貴船大明神、小比叡権現、の縁日です。&7月9日の誕生日と命日・忌日とブッダの言葉 

毎月9日は①大通智勝仏➁貴船大明神➂小比叡権現の縁日です。

 

①大通智勝仏 だいつうちしょうぶつ
大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)とは仏教の如来の1人。妙法蓮華経第三巻化城喩第七で説かれる如来である。

概要
大通智勝如来には出家する前は王子で、さらに16人の息子(王子)がいた。その16人目の息子が釈迦如来の過去世の姿と言われている。
仏像の作例が少なく、日本では四国八十八箇所第五十五番札所別宮山金剛院光明寺南光坊にまつられている。また、大三島の東円坊にある木造金剛界大日如来坐像がそのように町指定有形文化財として登録されるも智拳印は通常のものと逆になっていることから古仏としては唯一存在している大通智勝如来と言われている。
大通智勝如来
働き等
法華経」化城喩品(けじょうゆほん)に出てくる仏で、三千塵点劫の昔に世に出て、八千劫の間「法華経」を説いたという。阿しゅく、阿弥陀、釈迦など16仏をそのときの王子とする。つまり、釈迦の師にあたる如来である。

●55番 大通智勝如来坐像
釈迦が悟りを開いたのち、民衆に仏教の真意を伝えるため、様々なたとえ話をされている。それらを集大成したものが「法華経」である。釈迦がどうして悟りに到ったかを説くために、「自分は、宇宙語で語る偉い大通智勝佛に仏法の神髄を教わった」と話す。        
この石仏像には、頭光などの円光背はなく、如来がまだ荒岩の上で修行中であったときの姿だと思われる。     
            
四国55番札所南光坊の本尊は大通智勝如来であり、大三島にある大山祇神社の神体「大山積神」が仏になった本地垂迹仏である。
大通智勝如来は三十日秘仏の九日仏。
三千塵点劫さんぜんじんでんごうのはるか昔に出家して、8,000劫の間、法華経を説きました。
この仏様の子供達もまた出家して、同じように法華経を84,000劫の間説きました。
子供達は全員で16人いて、阿弥陀様や阿閦如来やお釈迦様は、その中の一人です。
大は空、通は仮、智は中道で、空仮中の三観を表します。
※空仮中の三観 正しい智慧によって観察する方法。
※三千塵点劫 塵点劫はとほもない時間の長さの単位。
非常に古い昔、大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)という仏がおられた。この仏が成道されたという事を聞いた十六人の王子〈この仏の出家したまわざる時の子〉は父の仏所にまいり、法を説かれることを要請した。
また、大通智勝仏が成道した時、十方の諸仏の世界が震動し日月の光さえも照らすことのできない所まで明らかとなり、その中の衆生が相互いにまみえることができるという奇瑞(きずい)があった。このような威光(いこう)照動(しょうどう)は十方の梵天(ぼんてん)の宮殿にも現れたため、梵天はこぞって大通智勝仏の説法を勧請(かんじょう)するに至ったのである。
さらに十六人の王子は如来の知見を志願し、出家して沙弥(しゃみ)となった。大通智勝仏は沙弥の要請を受けて妙法蓮華経を説いたのである。かくて大通智勝仏は禅定(ぜんじょう)に入り、以後、十六人の沙弥菩薩(しゃみぼさつ)は長い間、法華経を多くの人々に示した。そしてその教えを聞いた多くの人々は生まれかわりながらして法華経の教えを信受して尽きることがなかったのである。
この十六人の菩薩は現在、仏となり、十方の国土で法を説かれている。東方世界には阿閦仏(あしゅくぶつ)と須弥頂仏(しゅみちょうぶつ)、東南方世界では師子音仏(ししおんぶつ)と師子相仏(ししそうぶつ)、南方世界では虚空住仏(こくうじゅうぶつ)と常滅仏(じょうめつぶつ)、西南方世界では、帝相仏(たいそうぶつ)と梵相仏(ぼんそうぶつ)、西方世界では阿弥陀仏(あみだぶつ)と度一切世間苦悩仏(どいっさいせけんくのうぶつ)、西北方世界では多摩羅跋栴檀香神通仏(たまらばっせんだんこうじんつうぶつ)と須弥相仏(しゅみそうぶつ)、北方世界では雲自在仏(うんじざいぶつ)と雲自在王仏(うんじざいおうぶつ)、東北方世界では壊一切世間怖畏仏(えいっさいせけんふいぶつ)を教主として教えが弘められたのである。そして第十六番目のお釈迦様はこの娑婆国土(しゃばこくど)の教主となられたのである。

➁貴船大明神 貴船神社
貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」という。

概要
水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。
古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。
また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。
ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には丑の刻であるかどうかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に本来の意味が変質したものと思われる。
付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。
神水は京都の水脈の源流である貴船から流れるものであり、飲料可
京都、絵馬発祥の社
社名は古くは木船・貴布祢とも書いたが1871年以降「貴船」と改められました。延喜の制には名神大社となり、二十二社の一つに列せられました。818年以来歴朝の奉幣祈願が度々あり、もっぱら祈雨・止雨の神として崇められ祈雨には黒馬、祈晴に白馬または赤馬が献せられるのが例でした。江戸時代には賀茂別雷社(上賀茂神社)の摂社とされましたが、明治以後、独立した本殿、拝殿、権殿等があり、本殿は1863年(文久3)に改修されました。川に沿って上ると奥の宮があります。また境内には祈雨の行事を行った雨乞の滝、奥宮本殿の西には船石といって舟の形に積んだ石里があります。
御祭神
本宮 高おかみ神
奥宮 闇おかみ神
例祭
6月1日(貴船祭)
◆ご利益
心願成就:水の働きから生まれた信仰が心願成就。水は命の源であるとともに、汚いものを洗い流す浄化力もあります。キフネは古くは「気生根」とも書かれていました。水の神の鎮まるところ、それは「気の生ずる根源」だというわけなのです。元気がよみがえれば運も開かれるということで、運気発祥、開運の信仰が生まれました。つまり何でも願い事を聞いて運を開いて下さる心願成就の神様なのです。
えんむすび:今から1000年も昔、和泉式部貴船神社に参詣して、名歌「蛍の歌」を捧げて恋を祈り、その願いがかなえられて以来、貴船神社は「恋の宮」として知られ、おとぎ草子などにも貴船神社にまつわる恋物語も生まれています。
航海安全:玉依姫が船で水源の地を求めて貴船にたどり着いたという御鎮座伝説から生まれた信仰。大阪湾から川をさかのぼり、急流をもものともせず無事貴船に船を進めたそのみごとな舵さばきから、船乗りたちが航海安全を祈った。その船が隠されていると伝えられる奥宮の船形石の小石を持てば航海安全ともいわれている。
おみくじ
貴船神社のおみくじは、くじを引いて巫女に告げるのではなく、一見真っ白に見える紙の中から一枚を選び、境内の霊泉に浮かべると吉凶が解る「水占おみくじ」である。
当社のおみくじには「大凶」が本当に存在するが、神社側では「大凶が出たと言っても、その後の人生が決定された訳ではないので、あくまでも『参考程度』に留めて欲しい」と述べている。

➂小比叡(こびえ)権現(薬師如来)大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。俗に山王権現とも言われる。全国に位置する日吉・日枝・山王神社総本宮。全国の山王神道山王信仰の拠点。
ニホンザルを、神の使いとして崇拝することで知られている。
西本宮に大己貴神大国主神)、東本宮に大山咋神を祀る。
西本宮楼門前には祇園石と大威徳石という二つの霊石がある。祇園石は、古来より祇園の神である牛頭天王が宿る磐座として崇められている。この石にたまる水で眼を洗うと良いとされ、別名・眼洗石ともいわれる。大威徳石は仏法守護の五大明王である大威徳明王が宿る霊石と伝えられる。
東本宮前、巌瀧社の横には夢妙幢岩という霊石があり、祈願すれば「良い夢を成就させ、悪い夢を消滅させてくれる」といわれている。
境内には「日吉雄梛」「日吉雌梛」と呼ばれる二本の霊木がある。「日吉雄梛」は女性が男性の幸せを祈る木、「日吉雌梛」は男性が女性の幸せを祈る木とされ、「ナギ」は、「凪ぐ」「和む」に通じることから夫婦和合を、また「薙ぎ払う」にも通じることから災難除けを象徴する木とされている。
また西本宮には、日吉随一の御神木といわれる「桂の木」がある。縁結びのご神木と信仰を集め、「愛染桂」とも呼ばれる。
祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
〒520-0113 滋賀県大津市坂本五丁目1-1
当大社には3000本のもみじがあり、関西屈指の紅葉名所として知られています。
見頃は毎年11月10日頃〜12月上旬となっております。
比叡山の麓に鎮座する大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師比叡山延暦寺を開かれてよりは天台宗護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。
当大社には約40のお社があり、全ての神様を総称して「日吉大神」と呼びます。
日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等
また、多くのお社の中心となるのが東西本宮をはじめとする山王七社です。
パワースポット 日吉大社山王権現) ご利益・パワー種類
家内安全 出世・仕事・商売繁盛 健康・病気治癒 安全祈願・厄除け 墓地・葬儀
☆彡日吉大社の代表的なご神徳である方除け・厄除けについて
◆方除け
方除けとは方角や方位による災いを除けることです。
お引っ越しや旅行の際に、知らないうちに悪い方角に行かれたり、また、家の増改築などで悪い方位の所を工事したりすると災いが起こるので、それを防ぐことが必要です。
京の都の表鬼門(北東)をお守りしてきた当大社はまさに「方除けの大社」といえます。
こんなとき方除けが必要です。
・家の新築・改築 (地鎮祭や起工式を行う時)
・引越をするとき
・旅行に行くとき
◆厄除け
厄年とは、人生の中で災いに遭いやすい年、また、心身の変化により、体調を崩しやすい時でもあります。古来から「厄除けの大社」として崇敬されてきた当大社で日々の健やかな暮らしをお祈りしましょう。
こんなとき、厄除けが必要です!
・厄年のとき
・何かしら災難が多いとき(厄年でなくてもOK)
・今後災いに遭いたくないとき
◆神猿(まさる)
方除・厄除の大社を語る上で欠かせないのが、当大社の神様のお使いである、「神猿(まさる)」さんです。元来、比叡山に猿が多く生息しておりましたが、いつの頃からか魔除けの象徴として大切に扱われるようになりました。「まさる」は「魔が去る」「勝る」に通じるようにつけられた名前であり、縁起のよいお猿さんです。
こんなとき、神猿さんのご加護を頂きましょう!
・方除け、厄除けのお願いをしたいとき
・試合の必勝を願うとき
・試験合格を願うとき
・一家に一匹?家の魔除けに神猿さんの授与品を!

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☆彡7月9日の誕生日
1547年まつ(芳春院) (前田利家の妻)[1617年7月16日歿]
1575年フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝(ハプスブルク朝))Ferdinand II[1637年2月15日歿]
1879年オットリーノ・レスピーギ (伊:作曲家)Ottorino Respighi[1936年4月18日歿]
1881年松岡映丘 (日本画家,柳田國男の弟)[1938年3月2日歿]
1883年鳴海要吉 (歌人)[1959年12月17日歿]
1891年長谷川利行 (洋画家,歌人)[1940年10月12日歿]
1898年神谷正太郎 (経営者,トヨタ自販社長)[1980年12月25日歿]
1907年清水幾太郎 (社会学者)[1988年8月10日歿]
1908年朝比奈隆 (指揮者)1994年文化勲章[2001年12月29日歿]
1910年信欣三 (俳優)[1988年12月26日歿]
1911年ジョン・ホイーラー (米:物理学者)John Archibald Wheeler[2008年4月13日歿]
1916年エドワード・ヒース (英:首相(68代))Sir Edward Richard George Heath[2005年7月17日歿]
1916年ロバート・マクナマラ (米:国防長官(8代))Robert Strange McNamara[2009年7月6日歿]
1918年大栗裕 (作曲家)[1982年4月18日歿]
1921年山中貞則 (衆議院議員,通産相(43代),防衛庁長官(31代),環境庁長官(初代))[2004年2月20日歿]
1925年松野宏軌 (映画監督,テレビディレクター)
1925年泉アツノ (占い師,歌手[元],女優[元](宝塚歌劇(29期)))
1926年ベン・ロイ・モッテルソン (米・デンマーク:物理学者,原子核の集団運動の理論を完成)
Ben Roy Mottelson1975年ノーベル物理学賞
1927年櫻野美也子 (女優(宝塚歌劇[元](31期)))
1928年ビンセント・エドワーズ (米:俳優『ベン・ケーシー』)Vincent Edwards[1996年3月11日歿]
1929年ハッサン2世 (モロッコ:国王)[1999年7月23日歿]
1929年大矢卓史 (衆議院議員[元])[1996年2月7日歿]
1931年宮崎秀樹 (参議院議員[元])
1932年ドナルド・ラムズフェルド (米:国防長官(13代,21代))Donald Henry Rumsfeld
1933年オリバー・サックス (米:神経学者)Oliver Sacks[2015年8月30日歿]
1934年森南海子 (服飾デザイナー)
1936年笹川ひろし (アニメ監督)
1937年デイヴィッド・ホックニー (英:画家)David Hockney
1942年高鐵山孝之進(大鳴戸親方[元]) (相撲)[1996年4月14日歿]
1942年松山英太郎 (俳優)[1991年1月11日歿]
1945年ディーン・クーンツ (米:小説家,SF作家)Dean Ray. Koontz
1946年中島義道 (哲学者)
1947年O.J.シンプソン (米:アメリカンフットボール)O.J. Simpson
1947年細野晴臣 (ミュージシャン(YMO[解散]/ベース・ヴォーカル),音楽プロデューサー)
1948年エド山口 (タレント,モト冬樹の兄)
1950年皆吉稲生 (衆議院議員[元])
1953年稲垣潤一 (ミュージシャン)
1954年田代富雄 (野球(内野手))
1955年石崎岳 (衆議院議員[元])
1956年トム・ハンクス (米:俳優)Tom Hanks
1957年野沢祐一 (レポーター)
1958年久本雅美 (タレント,女優)
1958年佐久田修 (俳優)
1958年南流石 (振附師,ダンサー)
1958年鳴海章 (小説家『ナイト・ダンサー』『国連空軍』)1991年乱歩賞
1959年斉藤洋美 (タレント,ラジオパーソナリティ)
1959年布施辰徳 (タレント)
1960年浅野ゆう子 (女優,歌手)
1961年騏ノ嵐和敏 (相撲)
1962年ヒロ杉山 (イラストレーター)
1962年高見知佳 (タレント,歌手)
1964年可愛かずみ (女優)[1997年5月9日歿]
1965年高河ゆん (漫画家)
1968年松下由樹 (女優)
1968年青柳進 (野球(捕手))
1968年倉田英之 (アニメ脚本家,小説家)
1970年津田雅美 (漫画家『彼氏彼女の事情』)
1970年矢部雅史 (声優)
1971年マーク・アンドリーセン (米:ソフトウェア開発者,MOSAICNetscapeを開発)Marc Andreessen
1971年木村剛司 (衆議院議員[元])
1973年望月重良 (サッカー(MF))
1974年草彅剛 (歌手,俳優(SMAP))
1976年志ガヤ一馬 (俳優)
1978年濱中治 (野球(外野手))
1979年中田浩二 (サッカー(MF))
1980年吉村崇 (お笑い芸人(平成ノブシコブシ))
1982年山本左近 (レーサー)
1984滴草由実 (歌手)
1985年水橋貴己 (女優)
1988年鈴木奈々 (モデル,タレント)
1990年池松壮亮 (俳優)
?年華陽子 (女優(宝塚歌劇[元](71期)))


☆彡7月9日の命日・忌日
1612年濃姫(帰蝶) (織田信長の妻,齋藤道三の子) <77歳>[1535年生]
1746年フェリペ5世 (スペイン:国王(ボルボーン朝初代)) <62歳>Felipe V[1683年12月19日生]
1797年エドマンド・バーク (英:下院議員,政治哲学者) <68歳>Edmund Burke[1729年1月12日生]
1850年ザカリー・テイラー (米:大統領(12代)) <65歳>Zachary Taylor大統領在任中に死去[1784年11月24日生]
1856年アメデオ・アヴォガドロ (伊:物理学者,化学者) <79歳>Lorenzo Romano Amedeo Carlo Avogadro,conte di Quaregna e Cerreto[1776年8月9日生]
1906年12代沈壽官 (陶芸家) <70歳>[1835年10月20日生]
1916年上田敏 (評論家,イギリス文学者,翻訳家,詩人) <41歳>[1874年10月30日生]
1922年森鷗外 (小説家,戯曲家,軍医『舞姫』『山椒大夫』) <60歳>[1862年1月19日生]
1939年戸川秋骨 (評論家,随筆家,イギリス文学者) <68歳>[1870年12月18日生]
1951年ハリー・ハイルマン (米:野球(外野手)) <56歳>Harry Edwin Heilmann
1952年アメリカ野球殿堂[1894年8月3日生]
1959年橘外男 (小説家『ナリン殿下への回想』) <64歳>1938年上期直木賞[1894年10月10日生]
1964年阿部眞之助 (政治評論家) <80歳>[1884年3月29日生]
1965年ルイス・ハロルド・グレイ (英:物理学者,吸収線量測定に関する研究,吸収線量の単位Gy(グレイ)の名の由来) <59歳>Louis Harold Gray[1905年11月10日生]
1976年トム・ヨーキー (米:野球球団経営者) <73歳>Tom Yawkey1980年アメリカ野球殿堂[1903年2月21日生]
1985年サイモン・クズネッツ (米:統計学者) <84歳>Simon Smith Kuznets
1971年ノーベル経済学賞[1901年4月30日生]
1986年福井良之助 (洋画家) <62歳>[1923年12月15日生]
1987年千葉敦子 (ジャーナリスト) <46歳>[1940年11月6日生]
1988年内藤法美 (作曲家,越路吹雪の夫) <58歳>[1929年11月16日生]
1993年早川清 (経営者,早川書房創業) <80歳>[1912年7月28日生]
1996年大塚久雄 (経済史家) <89歳>1992年文化勲章[1907年5月3日生]
2000年斎藤栄三郎 (参議院議員,科技庁長官(44代),経済評論家) <87歳>[1913年6月19日生]
2001年桂木鉄夫 (衆議院議員[元])<80歳>[1920年10月29日生]
2007年ロッド・スタイガー (米:俳優『夜の大捜査線』) <82歳>Rod Steiger[1925年4月14日生]
2009年平岡正明 (評論家) <68歳>[1941年1月31日生]
2010年内田健三 (政治評論家) <87歳>[1922年7月28日生]
2012年山田五十鈴 (女優) <95歳>2000年文化勲章[1917年2月5日生]
2015年小斉平敏文 (参議院議員[元]) <65歳>[1949年9月30日生]

 


☆彡今日の一言 ブッダの言葉 『業(カルマ)を変える』

◆行動と言葉と思考が業(カルマ)になる。

ネガティブな行動や、ネガティブな言葉、ネガティブな思考を行うくらいなら、

何も行動せず、何も言わず、何も考えない方が優れている。

 

 なぜなら、それらによる、ネガティブな業(カルマ)のエネルギーは心に蓄えられて、後になってから自分を苦しめるのだから。

 

ポジティブな行動・言葉・思考を行いたくなった時は何でもいいからとにかく実行したほうがよい。

 

後から苦しむことがないのだから。


法句経314


以上は 小池龍之介著 ブッダの言葉 より一部抜粋

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毎月8日は薬師、八幡宮、鬼子母神、江文神社、大比叡権現の縁日&7月8日の誕生日と命日・忌日とブッダの言葉 

毎月8日は➀薬師、➁八幡宮、➂鬼子母神、➃江文神社大比叡権現の縁日です。


➀『薬師の縁日』 :
薬師の縁日は、薬師如来の徳を講讃する法会の薬師講に由来するといわれます。
薬師如来」は、正式名を「薬師瑠璃光(るりこう)如来」と言い、東方浄瑠璃世界の教主で、12の大誓願を発して、衆生の様々な病苦を救い、無明の持病を直す法薬を与えるとされています。
大蓮華の上に座し、右手は施無畏の印を結び、左手に薬壷(または宝珠)を持つ医薬の仏として広く信仰をあつめています。
別名、「大医王仏」ともいい、「日光菩薩」・「月光菩薩」の二菩薩を脇侍としています。
薬師如来 (やくしにょらい)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する。
三昧耶形は薬壺または丸薬の入った鉢。青色の肌を持つとされる。東方の守護者は浄瑠璃世界の名称でない限り阿閦如来とすることが多いが、高野山金剛峰寺は本尊を阿閦如来から薬師如来に変えたとされる。
像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。
これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壷を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。
薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。
◆十二誓願
光明普照(自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く。)
随意成弁(仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる。)
施無尽仏(仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す。)
安心大乗(世の外道を正し、衆生仏道へと導く。)
具戒清浄(戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける。)
諸根具足(生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす。)
除病安楽(困窮や苦悩を除き払えるよう援ける。)
転女得仏(成仏するために男性への転生を望む女性を援ける[5]。)
安心正見(一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける。)
苦悩解脱(重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける。)
飲食安楽(著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く。)
美衣満足(困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す。)
◆七仏薬師
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。 
善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)
宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい )
金色宝光妙行成就王如来 (こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい )
無憂最勝吉祥王如来 (むうさいしょうきちじょうおうにょらい )
法海雲雷音如来 (ほうかいうんらいおんにょらい )
法海勝慧遊戯神通如来 (ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい )
薬師瑠璃光如来 (やくしるりこうにょらい )
◆日本における造像例
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。また、現世利益を司る数少ない如来であることから、延暦寺神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。
◆国宝指定の薬師如来
日本における造像例は多数あり、網羅不可能であるため、ここでは国宝指定像を挙げるにとどめる。
福島・勝常寺像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
京都・仁和寺(旧北院)像(坐像、平安時代
京都・神護寺像(立像、平安時代初期)
京都・醍醐寺上醍醐)薬師堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
大阪・獅子窟寺像(坐像、平安時代前期)
奈良・法隆寺金堂像(坐像、飛鳥~奈良時代
奈良・法隆寺大講堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代中期)
奈良・唐招提寺金堂像(立像、奈良時代平安時代初期)
奈良・薬師寺像(薬師三尊の中尊、坐像、奈良時代
奈良・新薬師寺像(坐像、平安時代初期)
奈良国立博物館像(坐像、平安時代前期)
奈良・元興寺奈良市芝新屋町)像(立像、平安時代前期)

➁『八幡宮
八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社。八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称される。
全国に約44,000社あり、大分県宇佐市宇佐神宮を総本社とする。
八幡宮応神天皇を主神とし,通例,ヒメガミ,神功皇后を配祀する神社の称号。やわたのみやともいう。弓矢の神として,武士を中心に古くから広く尊崇された。
八幡宮八幡神をまつった神社。八幡神は菩薩号を付して八幡大菩薩と呼ぶこともある。八幡神彦火火出見(ひこほほでみ)尊とする説もあるが,普通は応神天皇,比売(ひめ)神,神功皇后の3神とする。
概要
八幡宮の起源となった総本宮宇佐神宮である。
近代社格制度においては宇佐神宮石清水八幡宮筥崎宮鹿児島神宮の四社が官幣大社社格に列し、特に宇佐神宮石清水八幡宮筥崎宮(※また近年は筥崎宮に代えて、鶴岡八幡宮)の三社が日本三大八幡宮とされる。
宇佐神宮の御利益 仕事、恋愛、金運
石清水八幡宮
・御利益
智恵。
戦勝。
受験。
地元の八幡様にもお参りするとよい。
情報を集積させる力。
融合させるパワー。
エジソンの碑がある。エジソンは男山の真竹を使って白熱電球のフィラメントを作った。
苦手なことが消える。
異文化との融和。
根性。
厄除け。
必勝祈願。
小が大を制する力と法を授けてくれる。
旗揚げをする結束力を授けてくれる。
筥崎宮 
・ご利益
開運・事業繁栄・商売繁盛・必勝祈願・安産祈願・厄除け・延命長寿
鹿児島神宮
鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社(大社)、大隅国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
別名として大隅八幡宮とも。
主祭神
天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)
豊玉比売命 - 天津日高彦穂々出見尊の后神
相殿神
帯中比子尊(仲哀天皇) - 八幡神を合祀した関係による
息長帯比売命神功皇后) - 同上
品陀和気尊(応神天皇) - 同上
中比売尊(仲姫命) - 応神天皇の皇后。同上
太伯 - 句呉の祖。国内では唯一当社でのみ祀られる
・御利益
若返り。
子授け。
安産。
人気運アップ。大勢の人にアピールできるスター的な魅力をもらえる。
度量が大きくなる。
毎日をポジティブに過ごせるようになる。
参拝前に本殿前の亀石をなでると願いが叶いやすくなる。
鶴岡八幡宮
【恋愛成就、健康長寿、学業成就、交通安全など】
 京都の石清水八幡宮の分霊を勧請した鶴岡八幡宮
 そのご利益は極めて広範囲に及び、恋愛成就、家内安全、健康長寿、学業成就、合格祈願、交通安全など、あらゆる事に絶大なる力をお示しくださるといわれています。

➂『鬼子母神の縁日』 :
「鬼子母(きしぼ)神」は仏教諸神の一つです。
仏教の守護神。サンスクリット語でハーリーティーといわれる鬼女。訶梨帝母 (かりていも) ,歓喜母ともいう。
 「鬼子母」は、500人(一説に千人又は一万人)の子の母でありながら性質邪悪で、常に人の子を捕えて食べて仕舞う為、仏は彼女が最も愛していた末子、愛好をを隠して戒め、仏教に帰依させたといわれます。
以後、求児・安産・幼児保育など(時として盗難除の守護)の祈願を叶える「仏法の護法神」となり信仰されています。
日本では主として,安産,保育の神として信仰され,ときに盗難よけの神ともされる。しかし仏教に取入れられる以前のインドでは生産の神として信仰されたと考えられる。
単独で信仰されるほか,密教では普賢十羅刹女 (ふげんじゅうらせつにょ) 図中にも加えられる。像容は天女形と鬼神形とがある。京都醍醐寺蔵の『訶梨帝母像』は柔和でふくよかな容貌で,宋画の影響を受けた 12世紀後半の仏画の新傾向を示す遺例。
彫像は滋賀園城寺東大寺などにすぐれた遺品がある。東京の法明寺は「雑司ヶ谷鬼子母神」として有名。
御利益は安産・子育(こやす)です。
その他
無病息災のご利益 … 発症前の身代わり
病気平癒のご利益 … 発症後の健康回復
手術成功のご利益 … 心臓病、脳梗塞など
ガン封じのご利益 … 胃がん、肺がん、前立腺がん、乳癌など
心の病気のご利益 … うつ病などの心の傷の回復、ストレス改善
その像は、天衣瓔珞をつけ、子供を一人懐に抱いて、右手に吉祥果(ざくろ)を持ちます。
ざくろは人肉に似た味がするといわれます。
東京・入谷の「おそれいりやの鬼子母神」が有名です。

➃『江文神社
江文神社』(えぶみじんじゃ)は京都府京都市左京区にある神社。毎年5月5日に例大祭が行われる。大原から静原に出る江文峠への峠道の傍らに鎮座する。
祭神は倉稲魂神
ご利益は、五穀豊穣、衣服・アパレル、生産・産業振興です。
歴史
創建年代は不明。『延喜式神名帳』に見える山城国愛宕郡「伊多太神社」とする説もあるが(式内社論社)、通説では否定されている。社伝によれば、三千院鎮守神として創祀されたとも、延暦寺座主の円仁(慈覚大師)の勧請によるともいい、山王神道と深い関係を持った。
また、後方に聳える江文山(現在の金比羅山)の頂に祀られていた神々を、山麓に社殿を建立して勧請したものともされる。中世には栄えたが、織田信長比叡山攻略の影響で退転したという。
大原八ヶ町の氏神である。また、元来は、毘沙門堂江文寺という神仏習合の宮寺であった。
境内社
級長津彦神社(級長津彦命・発鳥神)
軻遇突智神社(軻遇突智神・飯道山神・八幡宮
満山神社(愛宕神・御霊神・鹿島神)
天満宮社(天満宮・稲荷神)
(境外大原大長瀬町鎮座)梅ノ宮神社

➄大比叡(おおびえ)権現 (国常立尊)大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。
祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
主な祭事
大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。
山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。
山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。
みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。
下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。
もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。
御利益
初宮詣 交通安全(車のお祓い) 厄除け 家内安全 良縁 災難消除 方除け
子授け 商売繁盛 安産 病気平癒等

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☆彡7月8日の誕生日
1621年ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ (仏:詩人)Jean de La Fontaine[1695年4月13日歿]
1679年若林強齋 (朱子学者)[1732年1月20日歿]
1838年フェルディナンド・フォン・ツェッペリン (独:軍人,飛行船開発)Ferdinand Graf von Zeppelin
[1917年3月8日歿]
1839年ジョン・ロックフェラー (米:実業家,慈善家「石油王」)John Davison Rockefeller
[1937年5月23日歿]
1841年ヴィンチェンツォ・ラグーザ (伊:彫刻家)Vincenzo Ragusa[1927年3月13日歿]
1868年山田美妙 (小説家,詩人,評論家,国語学者)[1910年10月24日歿]
1885年エルンスト・ブロッホ (独:哲学者)Ernst Simon Bloch[1977年8月4日歿]
1903年杉狂児 (歌手,俳優)[1975年9月1日歿]
1904年アンリ・カルタン (仏:数学者,エリ・カルタンの子)Henri Paul Cartan[2008年8月13日歿]
1908年東山魁夷 (日本画家)1969年文化勲章[1999年5月6日歿]
1912年渡邉包夫 (書画古文書鑑定士)[1998年10月14日歿]
1937年永島慎二 (漫画家)[2005年6月10日歿]
1938年今津光男 (野球(内野手))[2005年11月7日歿]
1939年吉行理恵 (小説家『小さな貴婦人』,吉行淳之介吉行和子の妹)1981年上期芥川賞[2006年5月4日歿]
1941年南将之 (バレーボール)[2000年4月7日歿]
1942年はやし家林蔵 (落語家)[2010年3月3日歿]
1942年三枝成彰 (作曲家)
1942年小川甲子(甲にしき) (女優[元](宝塚歌劇(46期)),東京宝塚劇場支配人,萬屋錦之介の妻)
1943年朝嵐大三郎(振分親方[元]) (相撲)
1944年玉置一弥 (衆議院議員[元])
1945年大谷昭宏 (ジャーナリスト)
1946年水野誠一 (参議院議員[元],西武百貨店社長)
1947年元谷芙美子 (経営者,アパホテル社長)
1948年キム・ダービー (米:女優)Kim Darby
1949年大木凡人 (タレント)
1950年河あきら (漫画家)
1956年中村有志(中村ゆうじ) (俳優,パントマイマー)
1957年麻生圭子 (作詞家,エッセイスト)
1958年ケヴィン・ベーコン (米:俳優)Kevin Bacon
1959年西田昌史 (歌手,音楽プロデューサー)
1959年川口和久 (野球(投手))
1960年藤川政人 (参議院議員)
1961年三谷幸喜 (脚本家,劇作家)
1963年桜沢エリカ (漫画家)
1964年古今亭駿菊(古今亭菊若) (落語家)
1964年松田ケイジ (俳優)
1964年八代英輝 (弁護士,タレント)
1965年久世星佳 (女優(宝塚歌劇[元](69期)))
1968年マイケル・ウェザリー (米:俳優)Michael Weatherly
1969年SUGIZO (ミュージシャン(LUNA SEA[解散]/ギター))
1969年安永亜衣 (女優)
1971年小城錦康年(中立親方) (相撲)
1972年なるみ(新屋鳴美) (漫才師(トゥナイト[解散]))
1972年谷原章介 (俳優)
1974年西川美和 (映画監督,脚本家『ゆれる』)
1980年佐藤光留 (プロレス)
1981年小林慎一郎 (騎手)
1981年鈴木啓太 (サッカー(MF))
1988年若ノ鵬寿則 (ロシア:相撲)
?年ひびき美都 (女優(宝塚歌劇[元](64期)))
?年出雲綾 (女優(宝塚歌劇[元](69期)))


☆彡7月8日の命日・忌日
1153年エウゲニウス3世 (ローマ教皇(167代),第2回十字軍を計画)Eugenius III
1176年平滋子(建春門院) (皇族,後白河上皇の女御) <数え35歳>[1142年生]
1597年ルイス・フロイス (ポルトガル:イエズス会宣教師) <65歳>Luis Frois
旧暦05/24 長崎で歿[1532年生]
1623年グレゴリウス15世 (ローマ教皇(234代),現行の教皇選挙規則を制定) <69歳>
Gregorius XV[1554年1月9日生]
1695年クリスティアーン・ホイヘンス (蘭:物理学者,数学者,天文学者) <66歳>
Christiaan Huygens(Christiani Hugenii Zulichenmii)[1629年4月14日生]
1822年パーシー・ビッシュ・シェリー (英:詩人) <29歳>
Percy Bysshe Shelley[1792年8月4日生]
1859年オスカル1世 (スウェーデンノルウェー:国王(ベルナドッテ朝2代)) <60歳>
Oscar I[1799年7月4日生]
1903年初代伊藤忠兵衞 (実業家,伊藤忠・丸紅の祖) <61歳>[1842年7月2日生]
1914年初代三遊亭遊三 (落語家)<75歳>[1839年生]
1939年ハヴロック・エリス (英:思想家,心理学者,性科学創始) <80歳>
Henry Havelock Ellis[1859年2月2日生]
1940年吉行エイスケ (詩人,小説家,吉行淳之介吉行和子の父) <34歳>[1906年5月10日生]
1944年南雲忠一 (海軍軍人,真珠湾奇襲の機動部隊指揮官) <57歳>
サイパン島で自決[1887年3月25日生]
1962年ジョルジュ・バタイユ (仏:小説家,評論家,思想家) <64歳>Georges Bataille[1897年9月10日生]
1965年河野一郎 (衆議院議員,建設相(21・22代),農相(20~22・30代),経企庁長官(5代)) <67歳>[1898年6月2日生]
1967年ヴィヴィアン・リー (英:女優『風と共に去りぬ』『欲望という名の電車』) <53歳>Vivien Leigh[1913年11月5日生]
ヴィヴィアン・リー


欲望という名の電車(字幕版) (プレビュー)

ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh, Lady Olivier、1913年11月5日 - 1967年7月8日)は、イギリスの女優。1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役と、1951年の映画『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ役でアカデミー主演女優賞を受賞した。
欲望という名の電車』は、1949年にロンドンのウェスト・エンドで上演された舞台版に引き続いてリーがブランチ・デュボワを演じた作品でもある。また、1963年のブロードウェイ・シアターで上演されたミュージカル『トヴァリッチ (en:Tovarich (musical))』で、トニー賞のミュージカル主演女優賞を受賞している。

リーは「私は映画スターではなく女優です。映画スター、そう映画スターなどというのは嘘だらけの暮らしでしょう。偽りの価値観と虚栄のための生き方です。(それに比べて)女優は人生すべてを費やすに値する仕事であり、いつだって素晴らしく重要な役割なのです」と語っている。

身長161 cm
職業女優
ジャンル舞台、映画
活動期間1933年 - 1967年
配偶者
ハーバート・リー・ホルマン(1932年 - 1940年)
ローレンス・オリヴィエ (1940年 - 1960年)
著名な家族
スーザン・ファーリントン(娘)
主な作品
風と共に去りぬ』(スカーレット・オハラ役)
『哀愁』
欲望という名の電車』(ブランチ・デュボワ役)

受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1939年『風と共に去りぬ
1951年『欲望という名の電車
ヴェネツィア国際映画祭
女優賞
1951年『欲望という名の電車
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演女優賞
1939年『風と共に去りぬ
1951年『欲望という名の電車
AFI賞
AFIアメリカ映画100年シリーズ
1999年 映画スターベスト100(女優部門第16位)
英国アカデミー賞
最優秀英国女優賞
1951年『欲望という名の電車
トニー賞
ミュージカル主演女優賞
1963年『Tovarich』
その他の賞
ハリウッド名声の歩道
1960年 映画産業への貢献、映画・演劇業界への業績に対して

 


ビビアン・リー銀幕の大スター画像集 



1979年ロバート・バーンズ・ウッドワード (米:化学者(有機化学),軌道対称性保存則を発見) <62歳>
Robert Burns Woodward1965年ノーベル化学賞[1917年4月10日生]
1979年中村三之丞 (衆議院議員,運輸相(22代)) <84歳>[1894年9月18日生]
1979年朝永振一郎 (原子物理学者,「くりこみ理論」発表) <73歳>
1965年ノーベル物理学賞,1952年文化勲章[1906年3月31日生]
1980年多田裕計 (小説家『長江デルタ』) <67歳>1941年上期芥川賞[1912年8月18日生]
1988年安住敦 (俳人,俳人協会会長) <81歳>[1907年7月1日生]
1989年荒垣秀雄 (評論家) <85歳>[1903年7月19日生]
1991年11代目都一中 (一中節三味線方) <84歳>1984人間国宝[1906年9月4日生]
1994年金日成(キム・イルソン) (北朝鮮:国家主席) <82歳>[1912年4月15日生]
1997年中原美紗緒 (シャンソン歌手) <65歳>[1931年7月18日生]
1998年村社講平 (陸上競技(長距離)) <92歳>[1905年8月29日生]
2001年17代目市村羽左衛門 (歌舞伎役者) <84歳>1990年人間国宝[1916年7月11日生]
2003年稲田悦子 (フィギュアスケート) <79歳>[1924年2月8日生]
2003年奥谷通 (衆議院議員) <51歳>[1951年10月7日生]
2003年戸田邦雄 (作曲家) <87歳>[1915年8月11日生]
2004年永原慶二 (歴史学者) <81歳>[1922年7月12日生]
2005年串田孫一 (哲学者,随筆家) <89歳>[1915年11月12日生]
2007年ジェリー伊藤 (俳優,歌手) <79歳>[1927年7月12日生]
2007年村上恵梨 (タレント) <25歳>[1982年5月23日生]
2009年
川喜田二郎 (地理学者,文化人類学者,KJ法を考案) <89歳>[1920年5月11日生]

 

☆彡今日の一言 ブッダの言葉 『業(カルマ)を変える』


◆善いい業(カルマ)のエネルギーは必ず報われる

自分が行動・言葉・思考によって心に刻み込む善い業(カルマ)のエネルギーを軽んじて、「どうせ善いことをしても、その報いは自分に返ってこないからどうでもいいや」と投げやりにならないように。

 たとえ誰も見てないないようなところで、公衆トイレを使う時に陶器の汚れを見つけ、それをそぎに使う人の為を思って拭きとってふげるという程度の善い心でも、一滴一滴の水滴がやがて水瓶をいっぱいにするように、少しづつ蓄積される。

善き業(カルマ)のポジティブなエネルギーは、心の水がめにポタリポタリと滴り落ちて少しづつ蓄積されて、やがて、心地よい報いをもたらすだろう。


法句経122


以上は 小池龍之介著 ブッダの言葉 より一部抜粋


Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。

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