終活・生活・再生日記 「夢幻」

生と死と再生&感謝、祈り・絆、縁日、雑感等についてお知らせしています。

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毎月14日は普賢菩薩、大原大明神、住吉大明神の縁日

毎月14日は➀普賢菩薩、➁大原大明神、➂住吉大明神の縁日です。

 

普賢菩薩 ふげんぼさつ
十三仏の四七日導師。三十日秘仏の十四日仏。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)は、大乗仏教における崇拝の対象である菩薩の一尊。文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍として祀られることが多い。法要では四七日の仏とされる。
三昧耶形は剣、五鈷杵。

梵名のサマンタ・バドラとは「普く賢い者」の意味であり、彼が世界にあまねく現れ仏の慈悲と理知を顕して人々を救う賢者である事を意味する。また、女人成仏を説く法華経に登場することから、特に女性の信仰を集めた。
密教では菩提心(真理を究めて悟りを求めようという心)の象徴とされ、同じ性格を持つ金剛薩埵と同一視される。そのため普賢菩薩はしばしば金剛薩埵の別名でもある金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)とも呼ばれる。「遍吉(へんきち)」という異名があり、滅罪の利益がある。

◆像容・作例
独尊としては、蓮華座を乗せた六牙の白象に結跏趺坐して合掌する姿で描かれるのが、最も一般的である。密教では、左手に宝剣を立てた蓮茎を持る姿や、金剛薩埵と全く同じ左手に五鈷鈴、右手に五鈷杵を執る姿で表される他、如意や蓮華、経典を手に持つ作例も見られる。

日本では平安中期以降、女性の救済を説く法華経の普及によって、主に貴婦人たちからの信仰を集めた。日本では絵画・彫像とも作例が多く、彫像の作例としては、大倉集古館の平安時代後期の木像(国宝)などがある。より密教的な姿として「普賢延命菩薩」という尊格があり、22手を持つ強力な尊とされ、日本でも作例は少なくない。

絵画作品としては東京国立博物館普賢菩薩騎象像(国宝、平安時代後期)が代表的な作例である。他に鳥取県豊乗寺(ぶじょうじ)本(国宝)、奈良国立博物館本(重要文化財)などが代表作として知られる。

文殊菩薩と同様、お釈迦様とで釈迦三尊を組みます。
冠に五仏が付いているのが特徴です。また白象に乗っているのも特徴のひとつですが、この仏様にはかなりのバリエーションがあります。胸の前で合掌しているタイプもあります。
智慧の文殊に対し慈悲の普賢といわれます。遍吉菩薩と訳される場合もあります。
眷属
普賢菩薩の眷属は十羅刹女とされ、また時として十羅刹女たちの母鬼子母神も眷属とされる。初期の十羅刹女は唐装束であるが、国風の影響を受けた和装の羅刹女の作例も多い。これは、法華経において普賢菩薩十羅刹女が共に「法華経を護持する者を守る」と誓っていることによるが、これらの女神がそばにいることも、 女性からの信仰を厚くする一因となった。

■ 普賢延命菩薩 ふげんえんめいぼさつ
密教普賢菩薩を本尊として、長寿や延命を願って行う延命法では、普賢延命菩薩と呼びます。
姿は二臂と二十臂があります。二臂の場合は金剛薩捶こんごうさったと同体異名とされます。
※仏様の手を数えるときは臂(ひ)といいます。例えば顔が3つで手が6本のときは三面六臂といいます。


➁大原大明神 おおはらだいみょうじん 大原野神社
大原野神社(おおはらのじんじゃ)は、京都府京都市西京区大原野にある神社。二十二社(中七社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」の別称がある。

祭神
祭神は次の4柱(「春日神」と総称)で、春日大社と同じ。()内は春日大社での表記。
武御賀豆智命(武甕槌命
伊波比主命(経津主命
天之子八根命(天児屋根命
比咩大神(比売神
御利益 方除け、良縁、家内安全、交通安全、必勝、夫婦円満、試験合格。

大原や小塩の山のほととぎす  われに神代のことかたらなん 左大臣
大原や小塩の山の小松原  はや木高かれ千代の蔭見ん 紀貫之
大原やせがいの水の手にむすび  鳥は鳴くとも遊びてゆかん 大伴家持
夜を寒みせがいの水は氷るとも  庭燎は春のこころこそすれ 大江匡房
大原や小塩の山も今日こそは  神代の事もおもひ出らめ 在原業平

 

➂住吉大明神(聖観音)大阪住吉大社 (資金調達、借り入れ運あり)
住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。
式内社名神大社)、摂津国一宮、二十二社(中七社)の1つ。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国にある住吉神社の総本社である。本殿4棟は国宝に指定されている。

祭神
現在の祭神は次の4柱で、4本宮に1柱ずつを祀る。
第一本宮:底筒男命(そこつつのおのみこと)
第二本宮:中筒男命(なかつつのおのみこと)
第三本宮:表筒男命(うわつつのおのみこと)
第四本宮:神功皇后(じんぐうこうごう) - 名は「息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)」。第14代仲哀天皇皇后。

特に底筒男命中筒男命表筒男命の3柱は「住吉大神(すみよしのおおかみ)」と総称され、「住江大神(すみのえのおおかみ)」・「墨江三前の大神(すみのえのみまえのおおかみ)」とも別称される。延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳[原 2]での祭神の記載は4座[1]。『住吉大社神代記』(平安時代前期頃か)でも祭神を4座とするが、第一宮を表筒男、第二宮を中筒男、第三宮を底筒男、第四宮を姫神宮(気息帯長足姫皇后宮)としており現在とは順序が異同する

住吉大社にあるパワースポット、五大力さんとおもかる石。
住吉大社の第一本宮のすぐ南に、「五所御前」という場所があります。
ここはなんと、御祭神の住吉大神が降臨した地とされているんです!まさに聖地です。
それが、神仏習合の影響で、神宮寺の五大力尊信仰と結びつきました。
その「五大力さん」というのは、仏教の中の、五人の明王のことです。
不動ふどう明王(中心)
大威徳だいいとく明王(西)
軍荼利ぐんだり明王(南)
降三世ごうざんぜ明王(東)
金剛夜叉こんごうやしゃ明王(北)
と、不動明王を中心に、守る方角も決まっています。
なので、体力、智力、財力、福力、寿(命)力と、五つの力が授かるとされています。
そして、お守りにすれば心願成就のご神徳があるそうです。
おもかる石は、住吉大社から150mほど外にでた所にある末社、「おいとしぼし社」にある霊石です。

京都の伏見稲荷大社にもあります。
この石を最初に持って重さを覚え、石に触れながら願い事を念じ、もう一度持ち上げてみます。
その時、最初に持ち上げた時より軽く感じれば、願いが叶うのだそうです。
女性守護・作法・芸事の神様の浅沢社、商業成就・収益集金の大歳社が並んでいて、おいとしぼし社は大歳社の境内の中にあります。
浅沢社、大歳社は、住吉大社の境内にある末社、種貸社と楠珺社と合わせて初辰まいりが行われる社です。
商売繁盛・家内安全の「はったつさん」と呼ばれていて、毎月最初の辰の日に行われて、朝から賑わいます。
その日にお参りすれば、より商売繁盛!ということです。

全部で3つあって、そのうちの一つを選ぶことになっています。
独特の占い方もあって
二礼二拍手一拝
霊石を持ち上げ重さを覚える
霊石に両手を当て、祈る
再び持ち上げる
二拍手一拝して退出となっています。
そして、再び持ち上げた時に
「軽い」・・・叶う
「重い」・・・まだまだ努力
ということになるそうです。

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毎月13日は虚空蔵、日蓮聖人、松尾大明神、稲荷大明神の縁日

毎月13日は➀虚空蔵、➁日蓮聖人、➂松尾大明神、➃稲荷大明神の縁日です。


➀『虚空蔵の縁日』 :
「虚空蔵(こくぞう)菩薩」の縁日です。

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は十三仏の33回忌導師。三十日秘仏の十三日仏。
虚空蔵菩薩はバリエーションが多い仏さまです。冠に五仏をつけ右手に剣を持っているあたりが特徴です。左手には宝珠または宝珠を乗せた蓮華を持っています。
虚空蔵は、智慧と財宝が収まっている蔵を意味します。智恵と福徳の仏様です。
京都嵐山嵯峨野の「法輪寺」、福島県柳津の「円蔵寺」、茨城県東海村の「日光寺」が日本の三虚空蔵とされています。

地蔵菩薩像の「地」に対して虚空蔵菩薩像は「天」を象徴する仏で、天台宗と密接な関係があり、また、「星」を象徴する神であるとも言われます。
虚空蔵菩薩真言を100万回唱える「求聞持法」は記憶力を飛躍的に増大させる秘法とされています。
虚空蔵菩薩の名は、知恵・福徳・音声を授けること広大無辺であり、あたかも虚空(大空・空間のこと)がすべての物を包蔵する様である事に由来します。
◎1月13日は「初虚空蔵」です。
特に◎4月13日の、「法輪寺」の「十三参り」が有名で、十三歳の少年少女が盛装して参拝し、十三品の菓子を買って虚空蔵に供え、その後に家に持ち帰り、家中の者に食べさせる風習が残っています。

 

日蓮=日蓮聖人 
鎌倉時代の僧で日蓮宗(法華宗)の宗祖が日蓮聖人です。

日蓮(にちれん、貞応元年(1222年)2月16日 安房 - 弘安5年(1282年)10月13日武蔵)は、鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教のひとつである日蓮宗法華宗の宗祖。滅後に皇室から日蓮大菩薩後光厳天皇、1358年)と立正大師大正天皇、1922年)の諡号を追贈された。

12歳のとき,安房名刹・清澄山の道善房の弟子となり,16歳で出家,是聖房蓮長と名乗る。のち鎌倉,京都,高野山,四天王寺,興福寺,延暦寺に遊学,ついに釈尊の出世の本懐は一切経のなかでただただ法華経にある,だから諸経を捨てて専持法華経,その法華経の眼目である題目を専唱すると,善悪人・男女・老若・俗世の貴賤や貧富の差別なく,すべての人は成仏できるとの確信に到達した。

鎌倉新興仏教第1段階の栄西法然,第2段階の道元親鸞に続き,第3段階に一遍と同時期に活躍した。

日蓮は16歳で出家,伝統的仏教の教理に疑問をいだき,鎌倉,京畿,比叡山などで諸教学を学んだ。その後,故郷に帰って『法華経』を通じ真の仏教を知りうるという確信に基づいて,南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)と初めて唱え、『法華経』の伝道を宣言し、日蓮と称した。

浄土教,禅などの教理を激しく批判したため,種々の迫害を受けた。
また,『立正安国論』を書き北条時頼に送ったが無視された。のち鎌倉で人々に迫害され,捕われて伊豆の伊東に流され、やがて許された。

その後,いわゆる小松原の法難 ,竜口の法難 などにあい,佐渡に流され,文永 11 年に許されて鎌倉に帰った。やがて身延山に隠棲したが,絶えず布教に努めた。弟子には六老僧など重要な人物が多い。主著はほかに『守護国家論』『観心本尊鈔』『撰時鈔』『開目鈔』。
われ日本の柱とならん,われ日本の眼目とならん。われ日本の大船とならん(「開目鈔」)

 


➂松尾大明神 松尾大社
松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)は、京都府京都市西京区嵐山宮町にある神社。式内社名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

概要
京都市西部、四条通西端に位置し、東端の八坂神社(祇園社)と対峙して鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。

その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社賀茂別雷神社賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。

境内は、神体の松尾山の麓に位置する。本殿は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない両流造であり国の重要文化財に指定されている。また多くの神像を有することでも知られ、男神像2躯・女神像1躯の計3躯が国の重要文化財に、ほか16躯が京都府指定有形文化財に指定されている。そのほか、神使を亀とすることでも知られる。

社名
社名は、古くは『延喜式神名帳に見えるように「松尾神社」と称された。天平2年(720年)「大社」号を許されたが、明治維新の後、旧の「松尾神社」に復した。戦後の昭和25年(1950年)8月30日ふたたび「松尾大社」として現在に至る。

「松尾」の読みは、公式には「まつのお」であるが、一般には「まつお」とも称されている。文献では『延喜式金剛寺本、『枕草子』、『太平記建武2年(1335年)正月16日合戦事条、『御湯殿上日記』明応8年(1499年)条等においていずれも「まつのお/まつのを」と訓が振られており、「の」を入れるのが古くからの読みとされる。

祭神
主祭神は次の2柱。
大山咋神(おおやまぐいのかみ)
中津島姫命(なかつしまひめのみこと) - 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の別名とする。
延喜式神名帳において「松尾神社二座」と見えるように、松尾大社の祭神は古くから2柱とされた

稲荷大明神 京都伏見稲荷
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都市伏見区深草にある神社。旧称は稲荷神社。式内社名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。本殿右には稲荷神明水がある。

全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める(日本国内第4位〔2010年〕)。現存する旧社家は大西家。

祭神
祭神は以下の五柱。これらの神々は稲荷大神の広大な神徳の神名化とされている。
主祭神である宇迦之御魂大神を中央の下社、佐田彦大神を中社、大宮能売大神を上社に据え、明応8年(1499年)に本殿に合祀された左右の摂社、田中大神・四大神とともに、五柱の神を一宇相殿(一つの社殿に合祀する形)に祀っている。
宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ) - 下社(中央座)
佐田彦大神 (さたひこのおおかみ)- 中社(北座)
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ) - 上社(南座
田中大神(たなかのおおかみ) - 下社摂社(最北座)
・四大神 (しのおおかみ) - 中社摂社(最南座
稲荷神は元来、五穀豊穣を司る神であったが、時代が下って、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになった。

商売繁盛の神様で有名なお稲荷さんですが、元々は五穀豊穣(米など)の神様であり、その五穀を食べるすずめを退治するために、すずめの焼き鳥が出来ました。
お稲荷さんには沢山の朱色の鳥居とお使いのきつねの石像があります。 昔から米などを食い荒らす野ネズミをとったキツネを五穀豊穣の神様の使いと親しまれてきました。 きつね煎餅は参拝客にとって直会や参拝の記念品として、また御利益の御裾分けとしてお土産として喜ばれています。

◆日本3大稲荷
大日本史』等の歴史書や稲荷信仰事典では、総本社の伏見稲荷大社のほか祐徳稲荷神社豊川稲荷を日本三大稲荷としている。その他の文献には笠間稲荷、竹駒神社最上稲荷などが候補に上がる。

◆主な稲荷
伏見稲荷大社  京都市伏見区
豊川稲荷    愛知県豊川市
祐徳稲荷    佐賀県鹿島市
笠間稲荷    茨城県笠間市
最上稲荷    岡山県岡山市
竹駒神社    宮城県岩沼市
千代保稲荷   岐阜県海津市
瓢箪山稲荷   大阪府東大阪市
草戸稲荷    広島県福山市

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毎月12日は難勝仏、薬師如来、加茂大明神(上賀茂神社・下鴨神社)、八王子権現(千手観音)大津日吉大社の縁日

毎月12日は➀難勝仏、➁薬師如来、➂加茂大明神(上賀茂神社下鴨神社)、➃八王子権現(千手観音)大津日吉大社の縁日です。

 

➀難勝仏(なんしょうぶつ)
三十日秘仏の十二日仏。
他の仏様より智悲行徳が優れているといわれることでついた名前です。
難勝仏さまは、有名ではありませんが人々を救う慈悲の心や悟りも求める知恵、修行によって身に備わる徳が
他の御仏さまよりも優れていると言われる仏さまです。

 

薬師如来(やくしにょらい)
十三仏の四十九日(七七日)導師。三十日秘仏の八日仏。


左手に薬壷を持って、右手の薬指が前に出ているのが特徴です。奈良時代に作られたものは、薬壺を持たないものもあります。
如来の中で、物を持つ如来薬師如来だけです。
人々の病に応じて薬を施し救う仏様です。通称は「お薬師様」ですが、薬師瑠璃光如来やくしるりこうにょらいと言います。
像は通例、右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍(きょうじ)に日光菩薩月光菩薩、眷属(けんぞく)として十二神将が配される。
薬師如来の浄土は浄瑠璃浄土と呼ばれ、物語などの浄瑠璃の言葉はこれに由来します。
詳しくは薬師瑠璃光如来といい,大医王,医王善逝 (ぜんぜい) とも呼ばれる。菩薩としての修行時代に 12の本願を立て,それが達成されないかぎり仏にならないと誓った。
その本願とは衆生の病気をなおして災難をしずめ,苦しみから救うというもので,薬師如来の名の起源となった。現世利益を与える仏として古くから信仰を受けたが,ほかの如来と異なり『薬師経』以外2,3の経典に散説されるだけで,その成立の時代や場所は未詳。
形像は普通,右手を施無畏印 (せむいいん) ,三界印,施願印などに結び,左手には薬壺 (異説では鉢) を持つ像と,持たずに下に垂らすか膝の上に置く像とがある。日光・月光菩薩を脇侍とし,眷属には十二神将をとる。日本では7世紀頃から信仰され,以後盛んに造像された。
薬師寺など薬師如来を主尊とする古寺も多い。著名な遺品としては,法隆寺金堂の銅造の坐像 (飛鳥時代) ,奈良薬師寺金堂の銅造の坐像 (白鳳時代) ,奈良新薬師寺本堂の木造の坐像 (天平時代末期)、京都神護寺の像などが有名。
奈良薬師寺金堂の薬師三尊像は世界最高の仏像彫刻との呼び名が高い。



➂加茂大明神(かもだいみょうじん)上賀茂神社下鴨神社
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
上賀茂神社に行かれた時のおすすめの参拝方法をご紹介します。
鳥居を潜る時は「端から入る」
まず、鳥居を潜る時は、端っこから通ることが原則です。神社では真ん中は神様が通る道とされているので、通らないのがマナーです。実際に、鳥居を潜る際は、一礼をしてから潜りましょう。
帰る時は、鳥居を出てから「ありがとうございました」の意味を込めて一礼をしてから帰るようにしましょう。
手水で手を清めよう!
手水(ちょうず)は、手や顔を洗い清める水です。神社の前には、必ずあります。手水をする時は、右手にしゃくしを持って、左手を流します。
左手にしゃくしを持ち替えて、右手を流したら右手に持ち替えて左の手の平に水を注ぎ、口をすすぎましょう。口をすすいだ左手を再び清めて、しゃくしを直して最後にしゃくしの柄を流したらOKです。
片山御子神社から本殿へ
そして、片山御子神社にお参りします。片山御子神社は、縁結びや開運の神様になっており、紫式部も訪れたといわれています。続いては、本殿に向かいます。
上賀茂神社のご利益は、主に厄よけや開運、必勝祈願などがあります。水の力を借りた浄化パワーも絶大です。
厄よけや開運に効果大!?
上賀茂神社は、他の神社に比べたら静かであまり目立たない印象を受けますが、そのご利益はとても高く、厄よけや浄化のパワーがとても大きい評判です。
運も隙間がないと入り込む余地がないので、自分の身を浄化して運が舞い込みやすい流れも作ってくれます。パワースポットとして、とても効果がある神社なのです!
「水」の存在が浄化効果をもたらしてくれる?
神社の中で、一番特徴的なのが「水」です。上賀茂神社では、この水の存在が大きく、水が強い浄化のパワーを持っているとされています。境内には、大きな川があり、水のパワーをひときわ感じます。
ご利益 家内安全。交通安全。災難除け。

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
この下鴨神社のパワースポットは境内を覆う緑豊かな「糺の森」です。
マイナスイオンしか発生していないようなこの森は歩くだけでパワーがもらえると京都では有名です。12万4千平方メートルもの敷地に樹齢200年から600年の樹木が600本、直径10センチ以上の樹木は約4700本も群生しています。
ご利益としては人と人をつなぐパワーが強く、縁結び、美容、安全、厄除け、子育て、健康などまさに万能スポットです。本殿前には十二支を守る神様が祀られていますので、自分の干支のお社にお参りをするのをお忘れなく。京都に行ったら絶対に行っておきたいパワースポットです。

八王子権現(千手観音)大津日吉大社
八王子権現(はちおうじごんげん)は近江国牛尾山(八王子山)の山岳信仰天台宗山王神道が融合した神仏習合の神であり、日吉山王権現もしくは牛頭天王(ごずてんのう)の眷属である8人の王子を祀った。神仏分離廃仏毀釈が行われる以前は、全国の八王子社で祀られた。三十番神の1神。
由来
音羽山の支峰である牛尾山は、古くは主穂(うしお)山と称し、家の主が神々に初穂を供える山として信仰された。牛尾山の山頂にあった牛尾宮は比叡山延暦寺の鎮守であった日吉山王権現21社の一つで、山王の王子である8人の眷属神が八王子権現として祀られ、千手観音菩薩本地仏とした。また牛尾を忌みて、祇園精舎の守護神である牛頭天王頗梨采女(はりさいにょ)との間に設けた8人の王子かつ眷属神が八王子権現との信仰も発展した。
概要
日吉山王権現、あるいは牛頭天王の8人の眷属神は八方の各方位を司るとされた。塞神信仰や陰陽道の影響で、病気や災厄を免れるご利益をもたらすと信じられた。
平家物語には、比叡山の呪詛によって八王子権現の神矢に倒れた関白藤原師通の説話が登場する。
廃仏毀釈
明治維新神仏分離廃仏毀釈によって、日吉山王権現牛頭天王とともに八王子権現も廃された。
八王子社の多くは、日吉八王子神社八王子神社・牛尾神社などとなっている。


★大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。
◆祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
◆ご利益(ご加護・ご神徳)
方除け
厄除け
縁結び

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毎月11日は、歓喜仏、石清水八幡宮、大津日吉大社の縁日

毎月11日は、➀歓喜仏➁石清水八幡宮➂大津日吉大社の縁日です。

 

歓喜仏 かんぎぶつ
三十日秘仏の十一日仏。

 

菩薩の十の段階で、最初の段階を歓喜地といいます。


自分への執着を捨てて、他のものの悟りを実現するためあらゆる徳目を実践して、そのことに喜びを得える仏様です。

 

歓喜天(かんぎてん 歓喜自在天)は、仏教の守護神である天部の一つ。
また、聖天(しょうでん、しょうてん)、大聖歓喜天、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、象鼻天(ぞうびてん)、天尊(てんそん)。あるいはVināyaka、Gaṇapatiを音写して、毘那夜迦(びなやか)、誐那缽底(がなぱてい)ともいう。


頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、稀に人頭人身の形像も見られる。

 

多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは少ない。
歓喜仏は宇宙的次元における、現実世界と絶対世界、迷いと悟り、自と他、女性の般若の智慧と男性の方便の活動といったような、ありとあらゆる二元的な要素や観念というものが、本質的には一つのものであることを象徴的に表現しているものです。

 

供物
歓喜団・歓喜丸・団喜
歓喜天に供えることに因み、この名前が付いた菓子である。主に歓喜団(かんぎだん)歓喜丸(かんぎがん)、または略称で団喜(だんき)などと呼ぶ。形状は、単体多臂像の歓喜天(男天)が巾着袋(砂金袋)を手にしているため、その巾着袋を模したものといわれている。

 

本来はモーダカ(modakam)と呼ばれるインド料理とされ、日本では歓喜天・双身毘沙門天への定番の供物になる。経典中には歓喜団の名が記され、材料や作り方についてはさまざま示される。

 

平安時代中期成立の『和名類聚抄』の飯餅類では「歓喜団、一名団喜」と記し、八種唐菓子の一種として紹介している。

 

江戸時代中期の公卿、近衛家熙は著書で歓喜天の祭り日にある餅を包んで揚げた料理は歓喜団であると載せ、京都の菓子屋では飴を包み油で揚げた菓子を歓喜天への供物として売っていたことから、これは清浄歓喜団のことだという。

 

現在でも京都市の「亀屋清永」が通年菓子にて清浄歓喜団を販売し、今日に遺風を伝えている。


蘇・蜜・麵・干薑・クルミ・石榴・苺など11種の材料を混ぜて作るとされ、また、調伏・息災など祈願の目的によっても種類が違うという説がある。今では、米粉を水で混ぜて、平たい餅にして、中に小豆粉、切った串柿、薬種を入れて油で揚げる。形は、端をひねって、石榴(ざくろ)の形に模す。

 

吉祥果の実を表し、白米の粉を練って、小豆の餡を包んで、上を八弁の花にようにして、巾着にように絞り、油で揚げる。福徳を包み込んでいる巾着を表しているという。小豆の餡は愛念を表し、白米の衣は純浄の智光を意味する。上の八弁は八苦を除いて、八福に浴し、その利益を表すとされる。

 

『倭名類聚抄』では歓喜団の食材に「涅槃経云」と、酥、蜜、薑、胡椒、蓽、茇、葡萄、胡桃、石橊(ザクロ)、などを挙げ、これを「和合(調合)」すると経典からの記述がある。


酒・大根
聖天供(歓喜天供)に供物として、歓喜団・歓喜丸と共に、酒・大根が一緒に供えられる。


逸話
昔、インドにマラケラレツという王様がいた。王は肉を好み、牛を食いつくし、死人も食いつくしてしまい、ついには生きた人間まで殺して食べるようになった。


困り果てた群臣や人民は反旗を翻して王を殺害しようとすると、王は鬼王ビナーヤカとなって飛び去ってしまった。その後、国はビナーヤカの祟りに苦しめられるようになり、ついに十一面観音に助けを求めた。すると観音は、ビナーヤカの女神に姿を変え、王に仏教守護を誓わせる代わりに身を捧げた。


十一面観音の化身たるビナーヤカ女神を抱いた王は大歓喜を得たので「歓喜天」と呼ばれるようになった。

 

◆日本三大聖天
日本三大聖天は、
東京都台東区本龍院(通称 待乳山聖天
奈良県生駒市宝山寺(通称 生駒聖天)
上記の二山の聖天に、
埼玉県熊谷市歓喜院(通称 妻沼聖天)
静岡県小山町足柄山聖天堂(通称 足柄聖天)
三重県桑名市の大福田寺(通称 桑名聖天)
兵庫県豊岡市の東楽寺(通称 豊岡聖天)
の内のどれか一山の聖天を加えたものとするのが一般的である。

 

 

八幡大菩薩 石清水八幡宮
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

 

宇佐神宮筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社、また宮中の四方拝で遥拝される一社である。

 

平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮大分県宇佐市)から勧請された神社で、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。武家からは特に源氏が武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮鶴岡八幡宮など、当社から各地に八幡宮が勧請された。

 

創建以来、当社は境内の護国寺と一体になる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓社殿を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。

 

その後、明治維新神仏分離において仏式は排除された。仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。

 

境内は国の史跡に指定されており、大きく分けて本宮のある山上の上院と、頓宮や高良神社のある山麓の下院とから成る。また、本社10棟の建物が国宝に指定されている。

 

◆祭神
祭神は次の3柱。3神は「八幡三所大神」「八幡大神」等と総称される。
中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと)
第15代応神天皇の本名。
西御前:比咩大神 (ひめおおかみ)
宗像三女神、すなわち多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)の3柱を指す。
東御前:息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)
神功皇后の本名。

 

◆登場作品
徒然草』 第52段「仁和寺にある法師」
今昔物語集
源氏物語』 - 「玉鬘」帖で、夕顔の遺児玉鬘が八幡に参詣する。

 

 

➂客人(まろうど)大明神 大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

 

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。

 

祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫

日吉大社は全国各地にある3,800余りの「山王(さんのう)さん」の総本宮比叡山連峰 八王子山(牛尾山・378m)の麓に広がり、延暦寺門前町坂本の鎮守神

 

 「山王七社」「山王二十一社」ともいわれ、摂社・末社が多くあります。創祀は古事記に記されるほど古く、地主神である大山咋神(おおやまくいのかみ)とその妻、鴨玉依姫神かもたまよりひめのかみ)を祀ったのが始まりです。その後、延暦寺の発展とともに整備されました。

 

 境内は、東本宮と西本宮の2区域からなります。東本宮は神体山の八王子山(378m)に鎮座する大山咋神を祀ったものです。山頂付近には金大巌(こがねのおおいわ)と呼ばれる大きな磐座(いわくら)や迫力ある懸造りの奥宮などがあります。

 

 西本宮は大津京遷都にあたって奈良県三輪山より大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請したもので、宇佐神宮姫神をまつる宇佐宮、加賀国一宮である白山比咩神社から勧請した白山宮などがあります。東本宮・西本宮ともに本殿は日吉造(ひえづくり)といわれる特殊な建築で、国宝です。

 

 このほか、石の橋で重要文化財に指定されたのは珍しいといわれる日吉三橋(ひよしさんきょう)、猿の彫刻がある朱色の西本宮楼門、山王の「山」という文字を表した山王鳥居など、重要文化財が多くあります。ご社殿の大半は織田信長による比叡山焼き討ち以後、江戸時代初期に再建、建立されたものです。

 

 大宮川の渓流が流れる清風の森に、見事な建築美を誇る数多くの社殿が点在し、特に秋は周囲の紅葉に壮麗な社殿が映えてさらに美しい眺めになります。
 また、「山王さん」と呼ばれて広く親しまれている例祭(山王祭)は、湖国三大祭の1つです。3月の第1日曜・27日・30日、4月3日・12日から15日に行われ、特に、4月13日の宵宮落し神事は期間中最も勇壮な神事です。

 

〈国宝〉西本宮本殿 東本宮本殿
〈重文〉西本宮拝殿 東本宮拝殿 摂社樹下宮本殿及び拝殿 摂社宇佐宮本殿及び拝殿 摂社白山宮本殿及び拝殿 摂社牛尾宮本殿及び拝殿 摂社三宮宮本殿及び拝殿 西本宮楼門 日吉三橋 東本宮楼門 山王金銅装御輿
〈史跡・名勝〉日吉大社境内
日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等

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毎月10日は日月燈明仏、金毘羅、天照皇太神、聖眞子権現の縁日

毎月10日は➀日月燈明仏➁金毘羅➂天照皇太神➃聖眞子権現の縁日です。

 

➀日月燈明仏 にちがつとうみょうぶつ
三十日秘仏の十日仏。


太陽と月を灯明としているという意味で日月燈明仏。
無量無辺不可思議の阿僧祇劫あそうぎこうの昔、この仏様が正しい教えを説かれました。そして、その後も同じ名前の日月灯明仏が2万人も次々に現れたといいます。
2万人目の日月灯明仏から---妙光菩薩---定光仏へと教えは受け継がれます。

 


➁金毘羅
金比羅とも書き、江戸時代後期には、「お伊勢参り」と共に「金毘羅参り」が大変盛んでした。


すたっとTV2006年12月すたっと歩こう!「甚大寺金毘羅縁日」
1月10日は「初金毘羅(初十日)」で、特に信者の信仰があつく、12月10日が「終金毘羅」です。


※金毘羅は、「天竺霊鷲山」の鬼神で、仏法の護法神薬師如来十二神将の筆頭「宮比羅(くびら)大将」のことで、元々は鰐の神様でした。
日本では「海上交通の守り神」として信仰されて来ました。
一般に、大きな港を見下ろす山の上に祀られています。
この神を祀る香川県琴平の「金毘羅宮金刀比羅宮」が全国の金比羅神社(こんぴらさん)の総本宮となっています。
その他、東京都港区虎ノ門琴平神社などがあります。
夜叉神王の上首で、その像は武装し忿怒の姿をとりますが、魚神で蛇の形をし、尾に宝玉を蔵するといわれます。
香川県琴平神社は全国的に有名です。

 


➂天照皇太神 伊勢神宮内宮
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮(じんぐう)」。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。

 

二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。

 

概要
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。

 

広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。

 

伊勢神宮は皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く、現代でも内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。また、式年遷宮が20年に一度行われる。

 

祭主は今上天皇第一皇女黒田清子、大宮司は小松旧侯爵家当主小松揮世久。
祭神
主祭神は以下の2柱。
皇大神宮:内宮(ないくう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ) - 一般には天照大御神として知られる
豊受大神宮:外宮(げくう)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)
功徳
家内安全。
夫婦円満
子孫繁栄。
産業発展。


おみくじ
伊勢神宮にはおみくじがない。一般に「伊勢神宮は、参拝した日が誰でも吉日であるから」と説明される。「伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるから」という別の説もある。


内宮前のおかげ横丁では、犬の置物とセットになった「おかげ犬」のおみくじや「おかげ干支みくじ」が売られているほか、第三銀行おかげ横丁出張所では利用明細票に運勢を表示するおみくじ機能付き現金自動預払機(ATM)を設置している。



➃聖眞子(しょうしんし)権現 大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社


全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている

 

日吉大社
 日吉大社の境内は八王子山(牛尾山)を含む13万坪もの大きさをもち、全国に3800余りもある日吉神社日枝神社山王神社総本宮です。楓や杉に覆われた境内には西本宮・東本宮を中心に多数の社殿が建ち、現在でも約40のお社があります。中でも特に大きな7つの社を山王七社といいます。国宝2棟(東・西本宮本殿)と、重要文化財17棟を保有しています。魔除け・厄除けの神社として多くの方がお参りされています。

日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等

主な祭事
大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。


山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。


山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。


みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。


もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。

国宝
西本宮本殿 - 天正14年(1586年)の建立。檜皮(ひわだ)葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇(ひさし)部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色。

東本宮本殿 - 文禄4年(1595年)の建立。建築形式は西本宮本殿に似る。昭和初期までは「大神神社本殿」と呼ばれていた。
◆山王七社権現 さんのうしちしゃごんげん
二宮小比叡 東本宮   大山咋神
大宮権現  西本宮   大己貴神
聖真子   宇佐宮   田心姫神
三宮    三宮宮   鴨玉依姫神荒魂
八王子   牛尾宮   大山咋神荒魂
客人権現  白山宮   白山姫神
十禅師   東本宮境内 鴨玉依姫神
比叡山に祀られた神様です。山王は山麓にある日吉神社ひえじんじゃのことです。
当初、大比叡、小比叡との呼び名から始まり、時代とともに数が増え、山王七社となりました。最終的には百八社までになりました。
山王二十一社の内、上七社が山王七社です。

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毎月9日は大通智勝仏、貴船大明神、小比叡権現の縁日


毎月9日は①大通智勝仏➁貴船大明神➂小比叡権現の縁日です。

 

①大通智勝仏 だいつうちしょうぶつ
大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)とは仏教の如来の1人。妙法蓮華経第三巻化城喩第七で説かれる如来である。

 

概要
大通智勝如来には出家する前は王子で、さらに16人の息子(王子)がいた。その16人目の息子が釈迦如来の過去世の姿と言われている。
仏像の作例が少なく、日本では四国八十八箇所第五十五番札所別宮山金剛院光明寺南光坊にまつられている。また、大三島の東円坊にある木造金剛界大日如来坐像がそのように町指定有形文化財として登録されるも智拳印は通常のものと逆になっていることから古仏としては唯一存在している大通智勝如来と言われている。

 

大通智勝如来
働き等
法華経」化城喩品(けじょうゆほん)に出てくる仏で、三千塵点劫の昔に世に出て、八千劫の間「法華経」を説いたという。阿しゅく、阿弥陀、釈迦など16仏をそのときの王子とする。つまり、釈迦の師にあたる如来である。

 

●55番 大通智勝如来坐像
釈迦が悟りを開いたのち、民衆に仏教の真意を伝えるため、様々なたとえ話をされている。それらを集大成したものが「法華経」である。釈迦がどうして悟りに到ったかを説くために、「自分は、宇宙語で語る偉い大通智勝佛に仏法の神髄を教わった」と話す。        
この石仏像には、頭光などの円光背はなく、如来がまだ荒岩の上で修行中であったときの姿だと思われる。     

            
四国55番札所南光坊の本尊は大通智勝如来であり、大三島にある大山祇神社の神体「大山積神」が仏になった本地垂迹仏である。

大通智勝如来は三十日秘仏の九日仏。
三千塵点劫さんぜんじんでんごうのはるか昔に出家して、8,000劫の間、法華経を説きました。
この仏様の子供達もまた出家して、同じように法華経を84,000劫の間説きました。
子供達は全員で16人いて、阿弥陀様や阿閦如来やお釈迦様は、その中の一人です。
大は空、通は仮、智は中道で、空仮中の三観を表します。
※空仮中の三観 正しい智慧によって観察する方法。
※三千塵点劫 塵点劫はとほもない時間の長さの単位。

非常に古い昔、大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)という仏がおられた。この仏が成道されたという事を聞いた十六人の王子〈この仏の出家したまわざる時の子〉は父の仏所にまいり、法を説かれることを要請した。

また、大通智勝仏が成道した時、十方の諸仏の世界が震動し日月の光さえも照らすことのできない所まで明らかとなり、その中の衆生が相互いにまみえることができるという奇瑞(きずい)があった。このような威光(いこう)照動(しょうどう)は十方の梵天(ぼんてん)の宮殿にも現れたため、梵天はこぞって大通智勝仏の説法を勧請(かんじょう)するに至ったのである。

さらに十六人の王子は如来の知見を志願し、出家して沙弥(しゃみ)となった。大通智勝仏は沙弥の要請を受けて妙法蓮華経を説いたのである。かくて大通智勝仏は禅定(ぜんじょう)に入り、以後、十六人の沙弥菩薩(しゃみぼさつ)は長い間、法華経を多くの人々に示した。そしてその教えを聞いた多くの人々は生まれかわりながらして法華経の教えを信受して尽きることがなかったのである。

この十六人の菩薩は現在、仏となり、十方の国土で法を説かれている。東方世界には阿閦仏(あしゅくぶつ)と須弥頂仏(しゅみちょうぶつ)、東南方世界では師子音仏(ししおんぶつ)と師子相仏(ししそうぶつ)、南方世界では虚空住仏(こくうじゅうぶつ)と常滅仏(じょうめつぶつ)、西南方世界では、帝相仏(たいそうぶつ)と梵相仏(ぼんそうぶつ)、西方世界では阿弥陀仏(あみだぶつ)と度一切世間苦悩仏(どいっさいせけんくのうぶつ)、西北方世界では多摩羅跋栴檀香神通仏(たまらばっせんだんこうじんつうぶつ)と須弥相仏(しゅみそうぶつ)、北方世界では雲自在仏(うんじざいぶつ)と雲自在王仏(うんじざいおうぶつ)、東北方世界では壊一切世間怖畏仏(えいっさいせけんふいぶつ)を教主として教えが弘められたのである。そして第十六番目のお釈迦様はこの娑婆国土(しゃばこくど)の教主となられたのである。

➁貴船大明神 貴船神社
貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」という。

 

概要
水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。

古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。

また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。

 

ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には丑の刻であるかどうかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に本来の意味が変質したものと思われる。

 

付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。
神水は京都の水脈の源流である貴船から流れるものであり、飲料可

 

京都、絵馬発祥の社
社名は古くは木船・貴布祢とも書いたが1871年以降「貴船」と改められました。延喜の制には名神大社となり、二十二社の一つに列せられました。818年以来歴朝の奉幣祈願が度々あり、もっぱら祈雨・止雨の神として崇められ祈雨には黒馬、祈晴に白馬または赤馬が献せられるのが例でした。江戸時代には賀茂別雷社(上賀茂神社)の摂社とされましたが、明治以後、独立した本殿、拝殿、権殿等があり、本殿は1863年(文久3)に改修されました。川に沿って上ると奥の宮があります。また境内には祈雨の行事を行った雨乞の滝、奥宮本殿の西には船石といって舟の形に積んだ石里があります。

御祭神
本宮 高おかみ神
奥宮 闇おかみ神
例祭
6月1日(貴船祭)

 

◆ご利益
心願成就:水の働きから生まれた信仰が心願成就。水は命の源であるとともに、汚いものを洗い流す浄化力もあります。キフネは古くは「気生根」とも書かれていました。水の神の鎮まるところ、それは「気の生ずる根源」だというわけなのです。元気がよみがえれば運も開かれるということで、運気発祥、開運の信仰が生まれました。つまり何でも願い事を聞いて運を開いて下さる心願成就の神様なのです。

えんむすび:今から1000年も昔、和泉式部貴船神社に参詣して、名歌「蛍の歌」を捧げて恋を祈り、その願いがかなえられて以来、貴船神社は「恋の宮」として知られ、おとぎ草子などにも貴船神社にまつわる恋物語も生まれています。

航海安全:玉依姫が船で水源の地を求めて貴船にたどり着いたという御鎮座伝説から生まれた信仰。大阪湾から川をさかのぼり、急流をもものともせず無事貴船に船を進めたそのみごとな舵さばきから、船乗りたちが航海安全を祈った。その船が隠されていると伝えられる奥宮の船形石の小石を持てば航海安全ともいわれている。

おみくじ
貴船神社のおみくじは、くじを引いて巫女に告げるのではなく、一見真っ白に見える紙の中から一枚を選び、境内の霊泉に浮かべると吉凶が解る「水占おみくじ」である。
当社のおみくじには「大凶」が本当に存在するが、神社側では「大凶が出たと言っても、その後の人生が決定された訳ではないので、あくまでも『参考程度』に留めて欲しい」と述べている。


➂小比叡(こびえ)権現(薬師如来)大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

 

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。

 

日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。俗に山王権現とも言われる。全国に位置する日吉・日枝・山王神社総本宮。全国の山王神道山王信仰の拠点。

 

ニホンザルを、神の使いとして崇拝することで知られている。

西本宮に大己貴神大国主神)、東本宮に大山咋神を祀る。
西本宮楼門前には祇園石と大威徳石という二つの霊石がある。祇園石は、古来より祇園の神である牛頭天王が宿る磐座として崇められている。この石にたまる水で眼を洗うと良いとされ、別名・眼洗石ともいわれる。大威徳石は仏法守護の五大明王である大威徳明王が宿る霊石と伝えられる。

 

東本宮前、巌瀧社の横には夢妙幢岩という霊石があり、祈願すれば「良い夢を成就させ、悪い夢を消滅させてくれる」といわれている。

 

境内には「日吉雄梛」「日吉雌梛」と呼ばれる二本の霊木がある。「日吉雄梛」は女性が男性の幸せを祈る木、「日吉雌梛」は男性が女性の幸せを祈る木とされ、「ナギ」は、「凪ぐ」「和む」に通じることから夫婦和合を、また「薙ぎ払う」にも通じることから災難除けを象徴する木とされている。

 

また西本宮には、日吉随一の御神木といわれる「桂の木」がある。縁結びのご神木と信仰を集め、「愛染桂」とも呼ばれる。

祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫
〒520-0113 滋賀県大津市坂本五丁目1-1

当大社には3000本のもみじがあり、関西屈指の紅葉名所として知られています。
見頃は毎年11月10日頃〜12月上旬となっております。

比叡山の麓に鎮座する大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師比叡山延暦寺を開かれてよりは天台宗護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。

当大社には約40のお社があり、全ての神様を総称して「日吉大神」と呼びます。

日吉大神のご神徳
方除け・厄除け・縁結び・家内安全・夫婦和合・商売繁盛等
また、多くのお社の中心となるのが東西本宮をはじめとする山王七社です。
パワースポット 日吉大社山王権現) ご利益・パワー種類
家内安全 出世・仕事・商売繁盛 健康・病気治癒 安全祈願・厄除け 墓地・葬儀

 

☆彡日吉大社の代表的なご神徳である方除け・厄除けについて
◆方除け
方除けとは方角や方位による災いを除けることです。
お引っ越しや旅行の際に、知らないうちに悪い方角に行かれたり、また、家の増改築などで悪い方位の所を工事したりすると災いが起こるので、それを防ぐことが必要です。
京の都の表鬼門(北東)をお守りしてきた当大社はまさに「方除けの大社」といえます。
こんなとき方除けが必要です。
・家の新築・改築 (地鎮祭や起工式を行う時)
・引越をするとき
・旅行に行くとき
◆厄除け
厄年とは、人生の中で災いに遭いやすい年、また、心身の変化により、体調を崩しやすい時でもあります。古来から「厄除けの大社」として崇敬されてきた当大社で日々の健やかな暮らしをお祈りしましょう。
こんなとき、厄除けが必要です!
・厄年のとき
・何かしら災難が多いとき(厄年でなくてもOK)
・今後災いに遭いたくないとき

◆神猿(まさる)
方除・厄除の大社を語る上で欠かせないのが、当大社の神様のお使いである、「神猿(まさる)」さんです。元来、比叡山に猿が多く生息しておりましたが、いつの頃からか魔除けの象徴として大切に扱われるようになりました。「まさる」は「魔が去る」「勝る」に通じるようにつけられた名前であり、縁起のよいお猿さんです。
こんなとき、神猿さんのご加護を頂きましょう!
・方除け、厄除けのお願いをしたいとき
・試合の必勝を願うとき
・試験合格を願うとき
一家に一匹?家の魔除けに神猿さんの授与品を!

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毎月8日は薬師、八幡宮、鬼子母神、江文神社、大比叡権現の縁日

毎月8日は➀薬師、➁八幡宮、➂鬼子母神、➃江文神社➄大比叡権現の縁日です。

 

➀『薬師の縁日』 :
薬師の縁日は、薬師如来の徳を講讃する法会の薬師講に由来するといわれます。

 

薬師如来」は、正式名を「薬師瑠璃光(るりこう)如来」と言い、東方浄瑠璃世界の教主で、12の大誓願を発して、衆生の様々な病苦を救い、無明の持病を直す法薬を与えるとされています。


大蓮華の上に座し、右手は施無畏の印を結び、左手に薬壷(または宝珠)を持つ医薬の仏として広く信仰をあつめています。
別名、「大医王仏」ともいい、「日光菩薩」・「月光菩薩」の二菩薩を脇侍としています。


薬師如来 (やくしにょらい)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する。
三昧耶形は薬壺または丸薬の入った鉢。青色の肌を持つとされる。東方の守護者は浄瑠璃世界の名称でない限り阿閦如来とすることが多いが、高野山金剛峰寺は本尊を阿閦如来から薬師如来に変えたとされる。


像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。


これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壷を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。


薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。

 

◆十二誓願
光明普照(自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く。)
随意成弁(仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる。)
施無尽仏(仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す。)
安心大乗(世の外道を正し、衆生仏道へと導く。)
具戒清浄(戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける。)
諸根具足(生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす。)
除病安楽(困窮や苦悩を除き払えるよう援ける。)
転女得仏(成仏するために男性への転生を望む女性を援ける[5]。)
安心正見(一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける。)
苦悩解脱(重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける。)
飲食安楽(著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く。)
美衣満足(困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す。)

 

◆七仏薬師
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。 
善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)
宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい )
金色宝光妙行成就王如来 (こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい )
無憂最勝吉祥王如来 (むうさいしょうきちじょうおうにょらい )
法海雲雷音如来 (ほうかいうんらいおんにょらい )
法海勝慧遊戯神通如来 (ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい )
薬師瑠璃光如来 (やくしるりこうにょらい )

 

◆日本における造像例
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。また、現世利益を司る数少ない如来であることから、延暦寺神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。

 

◆国宝指定の薬師如来
日本における造像例は多数あり、網羅不可能であるため、ここでは国宝指定像を挙げるにとどめる。
福島・勝常寺像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
京都・仁和寺(旧北院)像(坐像、平安時代
京都・神護寺像(立像、平安時代初期)
京都・醍醐寺上醍醐)薬師堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
大阪・獅子窟寺像(坐像、平安時代前期)
奈良・法隆寺金堂像(坐像、飛鳥~奈良時代
奈良・法隆寺大講堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代中期)
奈良・唐招提寺金堂像(立像、奈良時代平安時代初期)
奈良・薬師寺像(薬師三尊の中尊、坐像、奈良時代
奈良・新薬師寺像(坐像、平安時代初期)
奈良国立博物館像(坐像、平安時代前期)
奈良・元興寺奈良市芝新屋町)像(立像、平安時代前期)


➁『八幡宮
八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社。八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称される。


全国に約44,000社あり、大分県宇佐市宇佐神宮を総本社とする。


八幡宮応神天皇を主神とし,通例,ヒメガミ,神功皇后を配祀する神社の称号。やわたのみやともいう。弓矢の神として,武士を中心に古くから広く尊崇された。
八幡宮八幡神をまつった神社。八幡神は菩薩号を付して八幡大菩薩と呼ぶこともある。八幡神彦火火出見(ひこほほでみ)尊とする説もあるが,普通は応神天皇,比売(ひめ)神,神功皇后の3神とする。

 

概要
八幡宮の起源となった総本宮宇佐神宮である。
近代社格制度においては宇佐神宮石清水八幡宮筥崎宮鹿児島神宮の四社が官幣大社社格に列し、特に宇佐神宮石清水八幡宮筥崎宮(※また近年は筥崎宮に代えて、鶴岡八幡宮)の三社が日本三大八幡宮とされる。

 

宇佐神宮の御利益 仕事、恋愛、金運
石清水八幡宮
・御利益
智恵。
戦勝。
受験。
地元の八幡様にもお参りするとよい。
情報を集積させる力。
融合させるパワー。
エジソンの碑がある。エジソンは男山の真竹を使って白熱電球のフィラメントを作った。
苦手なことが消える。
異文化との融和。
根性。
厄除け。
必勝祈願。
小が大を制する力と法を授けてくれる。
旗揚げをする結束力を授けてくれる。


筥崎宮 
・ご利益
開運・事業繁栄・商売繁盛・必勝祈願・安産祈願・厄除け・延命長寿
鹿児島神宮
鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社(大社)、大隅国一宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
別名として大隅八幡宮とも。
主祭神
天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)
豊玉比売命 - 天津日高彦穂々出見尊の后神
相殿神
帯中比子尊(仲哀天皇) - 八幡神を合祀した関係による
息長帯比売命神功皇后) - 同上
品陀和気尊(応神天皇) - 同上
中比売尊(仲姫命) - 応神天皇の皇后。同上
太伯 - 句呉の祖。国内では唯一当社でのみ祀られる
・御利益
若返り。
子授け。
安産。
人気運アップ。大勢の人にアピールできるスター的な魅力をもらえる。
度量が大きくなる。
毎日をポジティブに過ごせるようになる。
参拝前に本殿前の亀石をなでると願いが叶いやすくなる。

鶴岡八幡宮
【恋愛成就、健康長寿、学業成就、交通安全など】
 京都の石清水八幡宮の分霊を勧請した鶴岡八幡宮
 そのご利益は極めて広範囲に及び、恋愛成就、家内安全、健康長寿、学業成就、合格祈願、交通安全など、あらゆる事に絶大なる力をお示しくださるといわれています。

➂『鬼子母神の縁日』 :
「鬼子母(きしぼ)神」は仏教諸神の一つです。

 

仏教の守護神。サンスクリット語でハーリーティーといわれる鬼女。訶梨帝母 (かりていも) ,歓喜母ともいう。

 

 「鬼子母」は、500人(一説に千人又は一万人)の子の母でありながら性質邪悪で、常に人の子を捕えて食べて仕舞う為、仏は彼女が最も愛していた末子、愛好をを隠して戒め、仏教に帰依させたといわれます。

 

以後、求児・安産・幼児保育など(時として盗難除の守護)の祈願を叶える「仏法の護法神」となり信仰されています。

 

日本では主として,安産,保育の神として信仰され,ときに盗難よけの神ともされる。しかし仏教に取入れられる以前のインドでは生産の神として信仰されたと考えられる。
単独で信仰されるほか,密教では普賢十羅刹女 (ふげんじゅうらせつにょ) 図中にも加えられる。像容は天女形と鬼神形とがある。京都醍醐寺蔵の『訶梨帝母像』は柔和でふくよかな容貌で,宋画の影響を受けた 12世紀後半の仏画の新傾向を示す遺例。

 

彫像は滋賀園城寺東大寺などにすぐれた遺品がある。東京の法明寺は「雑司ヶ谷鬼子母神」として有名。

御利益は安産・子育(こやす)です。
その他
無病息災のご利益 … 発症前の身代わり
病気平癒のご利益 … 発症後の健康回復
手術成功のご利益 … 心臓病、脳梗塞など
ガン封じのご利益 … 胃がん、肺がん、前立腺がん、乳癌など
心の病気のご利益 … うつ病などの心の傷の回復、ストレス改善
その像は、天衣瓔珞をつけ、子供を一人懐に抱いて、右手に吉祥果(ざくろ)を持ちます。
ざくろは人肉に似た味がするといわれます。
東京・入谷の「おそれいりやの鬼子母神」が有名です。


➃『江文神社』(えぶみじんじゃ)は京都府京都市左京区にある神社。毎年5月5日に例大祭が行われる。大原から静原に出る江文峠への峠道の傍らに鎮座する。


祭神は倉稲魂神

 

ご利益は、五穀豊穣、衣服・アパレル、生産・産業振興です。

 

歴史
創建年代は不明。『延喜式神名帳』に見える山城国愛宕郡「伊多太神社」とする説もあるが(式内社論社)、通説では否定されている。社伝によれば、三千院鎮守神として創祀されたとも、延暦寺座主の円仁(慈覚大師)の勧請によるともいい、山王神道と深い関係を持った。

 

また、後方に聳える江文山(現在の金比羅山)の頂に祀られていた神々を、山麓に社殿を建立して勧請したものともされる。中世には栄えたが、織田信長比叡山攻略の影響で退転したという。

 

大原八ヶ町の氏神である。また、元来は、毘沙門堂江文寺という神仏習合の宮寺であった。

境内社
級長津彦神社(級長津彦命・発鳥神)
軻遇突智神社(軻遇突智神・飯道山神・八幡宮
満山神社(愛宕神・御霊神・鹿島神)
天満宮社(天満宮・稲荷神)
(境外大原大長瀬町鎮座)梅ノ宮神社

➄大比叡(おおびえ)権現 (国常立尊)大津日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

 

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。

 

祭神
2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。
本宮
西本宮:大己貴神大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神
5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫

主な祭事
大戸開き神事(1月1日) - 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。

山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。

 

山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。

 

みたらし祭り(7月) - 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事[2]。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。


下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。


もみじ祭(11月) - さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。
御利益
初宮詣 交通安全(車のお祓い) 厄除け 家内安全 良縁 災難消除 方除け
子授け 商売繁盛 安産 病気平癒等

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